4 源平合戦、そして源義経の物語
源平合戦と総括したが、この物語には、1185年、壇ノ浦で滅んだ平家一門のあと、1189年、衣川における義経の31歳での死までの物語を付け加えて完結とするのが、よいであろう。そしてその始まりは、1156年の保元の乱、義経が生まれる3年前のいくさから始めるのがよいであろう。
この30有余年。そのメインとなる物語の舞台は、東北、関東、東海、北陸、近畿、中国、四国、九州。当時の日本のほぼ全域をカバーする。
そして、その主たるキャラクターは、平清盛を中心とする平家一門。 源義朝と、その子、源頼朝、義経を中心とする源氏一門。
メインキャラクターの中には、頼朝、義経には、従兄弟に当たる源(木曽)義仲。清盛には甥にあたる平敦盛といった人物もいるが、家系をみれば、ふたつの家族の極めて狭い範囲の中に、多くのメインキャラクターが収まるのだ。
平家では、清盛の弟、平頼盛、平忠度。清盛の息子、長男重盛、三男宗盛、四男知盛、五男重衡。
重盛と宗盛の間の次男、基盛は、24歳で亡くなるので、一連の物語の中で、主たる役割は担わされていない。
清盛の弟、経盛の息子、敦盛。
清盛の弟、教盛の息子、教経。
清盛の孫で、重盛の息子、維盛、資盛。
清盛の義弟、時忠。
源氏では、義朝の父、為義。義朝の弟、鎮西八郎為朝。
やはり義朝の弟、源行家。
義朝の長男、悪源太義平。三男頼朝。八男義経(義経は、八男だが、弓の名手で、無双の豪傑であった鎮西八郎為朝に遠慮して九郎を名乗った)。
頼朝と義経の間の兄弟である範頼。
義朝の弟、義賢の子、木曾義仲。
ではこの物語の中で、メインとなる女性キャラクターは、どうだろうか。
二位の尼、時子は、清盛の妻。
高倉天皇の后で、安徳天皇の母となる、建礼門院徳子は、清盛の娘。
常盤御前は、義朝の妻で、義経の母。1159年の平治の乱で敗北した義朝が、乱のあと関東に落ちのびる途上で討たれたあとは、清盛の囲い者となる。
北条政子は頼朝の妻(北条義時は政子の弟なので、頼朝の義弟となる)。
静御前は、義経の妻。
巴御前は、木曾義仲の妻。
私は小学生のとき、平家物語、源平盛衰記、義経記等を、子供向けにまとめて書かれた本のいくつかを読んで、上記の物語のそのメインストーリーは、その時点で把握していた。
中学生になって、私が大人を対象として書かれた歴史小説で初めて読んだのは、吉川英治の三国志だった。
父に、三国志は面白いぞ。と勧められたからだ。
中学一年生の時に通読し、その後も部分部分を何度か再読した。
中学二年生の時、来年、昭和47年のNHK大河ドラマは、「新平家物語」になると知った。原作は吉川英治である。
私は、今で言う新書タイプで、全12巻の新平家物語を購入して、テレビで、新平家物語が放映される前に読み終えた。
そこに描かれる主要登場人物は、吉川英治がこの物語の為に作った架空のキャラクターを除けば、ほとんどは、私にとっては、既知の人物だったが、その人物たちがそれぞれにじっくりと書き込まれた、その小説を堪能した。
新平家物語というタイトルであるが、吉川英治は、平家一門の壇ノ浦での滅亡後も筆は止めず、源義経のその死までを描いている。
源平合戦のその全体像の概略を描くと大見得を切ったが、概略といってもそれをするには、どれだけの筆を費やさなければならないか。あらためて考えると気が重い。
新平家物語という、その時代を長大な物語にまとめた小説の紹介で代えさせていただきたい。
天皇家、摂関家、源氏、平家の、その中の親子、兄弟たちが、敵味方に分かれ戦う、保元の乱。
その勝者の側にたった平家の棟梁、清盛と、源氏の棟梁、義朝が、武門の盟主の座をかけて戦う、平治の乱。
平治の乱の勝者となり、やがて位人臣を極める平清盛と、「平家にあらずんば人にあらず」と言われ、栄華を誇る平家一門。
捉えられるも、命だけは救われ、伊豆の蛭ヶ小島に流される頼朝。
やはり命だけは救われるまだ生まれたばかりの乳飲み子の牛若丸。数年のみは、母常盤御前に育てられるが、鞍馬寺に預けられ、少年となって、そこを抜け出し、元服して、奥州に覇を唱えていた藤原秀衡の保護を受ける義経。
不遇の皇子、以仁王の平家討伐の令旨を受け、舅となった地方豪族、北条時政の助けを受け立ち上がる34歳となった源頼朝。
富士川の戦いで、夜、水鳥の音に驚き、逃げ帰る平家の軍。
異母兄の旗上げの報を受け、頼朝の下に馳せ参じる22歳の義経。
やはり令旨を受けて立ち上がり、倶利伽羅峠の戦いで、平家の討伐軍に大勝して、頼朝に先駆けて、京の都に攻め上る木曾義仲。
大敗の結果、防ぐに軍なく、西国に落ちのびる、清盛、重盛亡き後の平家一門。
京を占拠し、傍若無人に振る舞う木曾義仲。
頼朝の命を受け、宇治川の戦いで、義仲を攻め滅ぼす義経。
西国で力をたくわえ、再びの上京を図る平家一門。
それを一ノ谷、屋島、壇ノ浦の戦いで打ち破る義経。その三度の戦いは、義経の軍事的天才を余すところなく示す。
そしてその三度の戦いは、
鵯越の逆落し、無冠の太夫敦盛の悲劇。
屋島の海に漂う扇の的を射止める那須与一。
波の下にも都のさぶらふぞ、と、二位の尼に抱かれて壇ノ浦の海に散る8歳(年齢は数え年で表記しています。満年齢では、この時6歳)の安徳天皇。
といった様々な物語を生む。
そして、頼朝に疎まれ、落ちのびて、再び、奥州の盟主秀衡を頼り、その保護を受ける義経。
秀衡の死後、その子、泰衡の襲撃を受け、平泉、衣川の地で、その命を終える、悲劇の英雄。
1189年、英雄の時代が終わる。