スマホ×目覚まし時計
真っ暗なベッド。会社から解き放たれ、泥のように眠る家主。
家主の枕の少し奥にコードにつなげられたスマホと朝を待ち構えて今に鳴りだしそうな目覚まし時計。
家主には聞こえない声で目覚まし時計とスマホのひそひそ話は始まった。
「なぁ……起きてるか?」
「……充電率99%を維持。起きてますけどなんスか?」
チクタクチクタク、あの目覚ましのオジサン特有の音が正確に刻まれている。
俺のスピーカーやバイブレーションじゃあ絶対に真似できないあの心地好い夜の音。
ゴシュジンにとっての睡眠導入剤になっている音というとすごくベテランのようだ。けれども俺を呼びかけるその声は元気が足りないように感じた。
「いや、あのよぉ」
「だから、なんスか。こっちは明日も朝分の充電で8時間働くってのに無駄な電力使わせないで欲しいっス」
「いいじゃあねえか! どうせもう充電っての満タンなんだろ!」
邪険に扱ってみるといつものペースで怒鳴りつけてきた。
こういうキレやすいところが、江戸っ子なのか馬鹿なのかという感じだ。
俺がゴシュジンの手元に納まるよりだいぶ前からこの目覚まし時計はいるらしく、そのせいでどっか価値観が違ってしまう。
俺の方が多機能で、超効率的で、目覚まし機能さえも、付属している完璧上位互換なのに……俺はずっと彼の後輩という立場にいた。
それで劣等感を感じることなんて、ありはしないけどこうも夜中に話に付き合わされるのはなんとも言い難しだ。
「だぁぁ、うるさ。なんかいつもより元気ないなって思ったけど、全然そんなことなさそうっスね。ばりウザ」
「こんちくしょうめ……スマホ、どうして坊ちゃんは俺のことを傍においてくれるんだと思う?」
「どうしてって、はぁ? そんなことっすか……」
「そんなことってどういうことだてめぇ! こっちは真剣に悩んでるってのによォ!」
「あー、わかりました! わかりました! 話は聞くんで声荒げないでくださいっス」
今日は気分の波が激しいらしい。
俺より年上の癖してメンヘラとかちょっと救えないんじゃないか……
そう思ったのもつかの間彼は思い出という名の酒にほろ酔いながら寂しい声を漏らしだしていた。
「……坊ちゃんがまだ下の毛も生えそろってない頃から俺は坊ちゃんの寝屋の番をしてんだ」
「朝起こすのは決まって俺だ。時間を教えるのも俺だった。だが、ある日――
「腕時計さんが来た、でしたっけ? 俺の前任。その話もう何十回も聞いたんで覚えてますよ」
「そいつが来てからは寝ても覚めてもアイツを腕に巻いて、時間を見るときはアイツに掛かりきりだ。俺は羨ましかったね。あんな風に坊ちゃんの傍にいられるだなんて。まぁ、一人になるのは慣れてた。所詮俺は目覚まし時計だ。夜と早朝しか坊ちゃんには会わねぇ運命さ」
彼はそう言って暫く黙った。
彼の奏でる正確なリズムだけが暗幕の部屋の中で存在感を放つ。
ゴシュジンが寝苦しそうに寝返りを打った。
「で、何が言いたいんすか?」
「――ッチ! なんで、なんでお前は坊ちゃんの枕元にいる!」
初めて悔しさと怒りの籠った真意の怒りに当てられたような気がして、俺は返す言葉も、悪態の一つも出なかった。
「スマホ、なぁ、スマホ。お前も時計なんだってなぁ。お前は便利なんだろ? 『タキノウ』ってやつで俺よりずっとずっとすごいんだろ?」
「……まぁ、そうっスね。俺は電話にも、時計にも、テレビにも、パソコンにもなりますし超超エリートですけど」
「お前は本当に鼻につくやつだ……でも、俺はお前が羨ましい」
羨ましいなどと言われるのはお門違いではないか。
前頭に置かれたやさぐれた罵倒よりも彼らしくもない女々しい羨望文句の方に俺は怒りを覚えていた。
「肌身は出さず、坊ちゃんと離れず、あの腕時計の野郎よりずっと近くに居やがる。俺はお前が憎くて憎くて、こんなになっちまうほど羨ましいよ」
「……俺、目覚まし時計さんのそんな女々しいこと言ってる姿見たくなかったんですけど」
俺も少しだけ憐憫という酒に酔って、言いたくもないことを言ってしまった。
目覚ましのおっさんがどうなろうと俺には関係ない、はずだ。なのにどうしてだろう、彼の痛々しい寂寥の声を聴くと自分の『心』が締め付けられる。まるで過充電でバッテリーが熱く白く迸るように彼への想いがこみ上げた。
「そろそろぶっ壊れちまうんだよ、俺は。坊ちゃんが俺を寝ぼけて叩いてから、どっかの螺子が抜けちまったみたいでな。針の進みと歯車の進みがズレ始めてる。そろそろもう限界なんだ」
「ちょ、何言ってんスか」
いきなりの告白に狼狽する。ここまでしおらしかったのは自分の死期を悟っていたからか。
異変の理由を理解して途端に俺は画面が割れたときのような暗転した未来に覆われた。
「なぁ、スマホ」
「今度はお前が坊ちゃん起こしてやってくれよ」
寂しく零す目覚まし時計。
その時何かがキレたように俺はバッテリーに溜まった怒りを噴き出した。
「――馬鹿ッ! 目覚まし時計の大馬鹿野郎!」
「……は」
己の廃棄される未来を諦観していたであろう彼は形勢逆転したかのように怒鳴り声を挙げられて、驚きの一字を呟いた。
自分の素っ頓狂かつ漫画調の古臭い台詞に恥ずかしさが後追ってきていたから、俺はガムシャラに言葉を走らせていた。
「坊ちゃんがあんたみたいな中古品を傍にずっと取っておくのは俺みたいに業務的じゃなくて、あんたのことを愛おしく、愛しているからにきまってんじゃないっスか!!」
「あんたは、あんたは俺のことを羨ましいっていうけど、俺はあんたの方が羨ましい! ゴシュジンにそんなに大事にされて……俺なんて、新機種が出ればすぐに代替えされちまう! あんたが憎んで羨んだ腕時計みたいに!」
「……ゴシュジンがあんたを捨てないのはあんたがお気に入りだから。あんたが壊れても、きっとご主人は、あんたのことをッ」
そこまで言って、その先は出てこなかった。
恥ずかしさは黙ってからちょっとして俺の背中に触れた。
静まり返った部屋の中で、一人から回るように熱弁していてきづいてしまったのだ。彼にこんなことを言う自分の恐ろしい嫉妬に。
死期の迫る病人が吐くような弱音を是正しているつもりでいたのに、いつのまにか自分がたかが目覚まし時計如きに俺は嫉妬していたんだと気づかされた。どんなに取り繕われた外装のスペックよりも『道具』じゃなくて『思い出の品』として大切にされている彼のことが本当に妬ましかったのだと。
気づいてからは台詞よりも何よりもそれに恥ずかしさを覚えてしまって、もう一言たりとも話したくなくなってしまった。スリープモードになりたいとすら思う。
加えて彼が俺の言葉の余韻を秒針で、病身で繰るように優しく言うんだ。ひどく暖かく、ひどく優しく。
「そうかい」
「――そうだと、嬉しいなぁ」
寝静まりの音。無機物の律動さえ消えてしまえば、そこにはもう坊ちゃんの寝息だけが生を表すのみだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「むにゃむにゃ……んん~、ふわぁぁぁ~」
ゴシュジンがベッドから押し出されたチューブの中身のようにぐでりと飛び出している。
起きているのか、寝ぼけているのか、そう言った具合だったのが冷たい空気に当てられて意識を覚醒させていっている様だ。
やがて芋虫が蛹になるように蹲り、そのまま膝をついて起き上がった。うちのゴシュジンの起き上がり方は大分特殊だと思う。
「今日は、寝覚めがいいなぁ。朝の運動とかしてから出ようかな? なんつって~――って、なんじゃあこりゃあ!? 9時!? なんで? 昨日目覚ましかけたよね!?」
大急ぎでパジャマから脱皮し、スーツのかかったハンガーを持って急いで洗面所に向かう。
カリフラワーのように生い茂る髪の毛をパフパフと叩きながら、足音は恐竜かのように忙しく鳴らしていた。
「うわぁぁ! か、会社に遅刻するぅぅぅ! そういえば、そろそろ目覚まし時計の電池変えるタイミングだったぁぁぁ! 帰りに単四電池買いに行かなくちゃって、それよりもぉぉぉぉ!!!」
……電池式の目覚まし時計なんて止めちゃえばいいのに。
画面に今日の気温と天気を表示したまま、ゴシュジンの温もりの籠った布団のしたで俺はそう思った。
「遅れるぅぅぅ!」
朝から不幸に見舞われたゴシュジンはもろともしない台風のように怒涛の勢いで飛び出して行ってしまった。
――かばんは持っただろうか、靴下は二足ちゃんと同じ組のを履いているのか、心配事ばかりっス……って俺のこと忘れているっスよぉぉぉ!!
俺の悲鳴は部屋中に響き渡ったはずだが、もはや時すでに遅し。
充電コードにつなげられた従順な犬はこのままゴシュジンが帰ってくるまで坐して待機するほかなかった。
「まぁ、たまには目覚ましさん。あんたと過ごす朝っていうのも悪くないかもしれませんね」
俺は今は眠りについてしまった相棒を、先代を、近くに感じながらその日は一日を家で過ごした。
嫉妬だろうけど、羨望ではないけど。今はあなたが愛おしい。溌剌なあなたがいないと張り合いがないですから。
夜にまた、それまでは。
時計はスマホにオッサンってよばれたりするけど、物質年齢としては25歳くらい。
大人の漢に見られていると思っておっさん呼びは暗に容認している。
スマホは22歳くらい。ゆとりっぽい。けど、機種変更の時がいつ来るのかと思って、精神が不安定。愛が欲しい孤独なスマホ。