悪役令嬢バトルロイヤル ~あなたの記憶の片隅で~【パイロット版】
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【プロローグ】
――最強の悪役令嬢は、誰だ。
その一言が彼女達をここに集めた。
彼女達……そうこの聖ベルナディオ学園にいる悪役令嬢は一人ではない。
「いよいよ始まるのね……」
ぽつり、と。誰に言うでもない言葉をクリスティア・R・ダイヤモンドは呟く。
『大変長らくお待たせしました。それでは只今より』
解説の声が、円形闘技場『バックヤード』に響き渡る。観客席を埋め尽くす生徒たちに、ステージに立つ16名の悪役令嬢。
――ふざけるな、何が悪だ。何が悪役だ。何をもってその四文字を、己が信念として掲げるのか。
どこからと聞こえるそんな声。だからこそ、今日この日を迎えたのだ。
――ならば、決めようじゃないか。
舞台にはバックヤードを、勝者には婚約破棄する権利を。
今ここに、宣言しよう。
共に叫ぼう、今ここで。
『第一回……悪役令嬢バトルロイヤルを開催するっ!!!』
◆
【第一話 バトルロイヤル、開催】
――ねぇ。
金が、ねぇ。
それがおおよそクリスティア・R・ダイヤモンドことクリスに対する評判であり。
「ったくこの自販機……覚えてなさいよ」
今現在自販機の下に落ちた100円玉を探して手を突っ込んでいる彼女の現状である。
彼女の人生は波瀾万丈……とは言い難い。ごく普通の貴族の令嬢であったが、その転落ぶりだけは目を見張る物があった。
蝶よ花よと育てられ、勇み進むは聖ベルナディオ学園。軍人華族に貴族に王族、十年後の要人で埋め尽くされたこの学園でそれなりに貴族らしい生活と態度で過ごしていたが。
半年前、父親が蒸発した。残ったのは30億という膨大な借金。
学費はなんとか一括納付していたおかげでこの学園に通い続けられてはいるが、もはや学園一の金欠という称号は揺るがない。
三食カップ麺? 否、朝食は諦め二食カップ麺生活を送る彼女。
だから当然のように落とした100円玉を埃まみれになりながら拾わないといけないのだが。
「あの、クリス様……何をなさってるのですか?」
地面に這いつくばっている彼女に、人懐っこい声がかけられる。声の持ち主は元クリスの侍女で現同級生のメリル。子犬みたいに小柄で子犬みたいに髪がモフモフで子犬が収まるぐらい巨乳だ。
「何って、決まってるでしょ……100円落としたのよ100円」
対するクリス、リンスもトリートメントもなくひたすら石鹸と櫛で手入れしたボサボサのツインテール。身長は一般的な女子生徒より少し高いが、胸囲の貧しさはおおよそ財布の中身と一致するものだった。
「いえ、あのそうでしょうけど……」
「仕方ないでしょ、あの元男爵コロッケのせいでこちとら二食カップ麺よ」
「はぁ、王国一の才女、社交界に咲く大輪の花と呼ばれたクリス様が、自販機に手を突っ込んでひもじい生活を……おいたわしや」
「悪かったわね没落系高飛車悪役令嬢で。それにもう侍女じゃないから様付けはいらな」
お、この感触はと彼女が笑う。学園で指先に小銭の冷たい感触が触れただけで笑顔になるのはおそらく彼女だけだろう。
「いわよ……っと!」
勢いよく手を引き抜き、つかみ取ったのは100円玉。
では、なかった。
「よしっ、500円!」
それはもっと重く、大きく彼女の心を揺さぶる物だった。思わず拳を握りしめるが、メリルが咳払いをした。
「クリス様あの人の目がありますから……」
「え、ええそうね」
拾った小銭に息を吹きかけるクリス。その頬はここ最近で一番の緩み具合だった。
「でもクリス様、もうお飲み物は買ったのでは?」
少し冷静になったメリルは、クリスの足元に置かれた一本の缶コーラを見て尋ねる。するとクリスは不敵に笑った。
「馬鹿ねメリル、これはこう使うのよ」
その輝く500円玉を財布……には入れず、そのまま自販機に突っ込む。選ぶのはもちろん、メリルの好きなミルクティー。
「はい、あなたの分……これで同罪ね」
彼女はよく冷えた缶を手渡す。そもそも落とした100円玉の使い道は、初めから決まっていたのだ。
「共犯者を作るだなんて……やっぱりクリス様は最強の悪役令嬢ですね」
「別に、そんなつもりじゃないわよ」
メリルは笑う。以前の性格がまだ残っている事こそ、彼女の喜びに他ならない。まぁ、500円玉は盗んだというが拾ったものだが。
「それでその残りは貯金するんですか?」
「まぁ……それも良いけどね。日頃の行いの成果だと思って豪勢に食堂にでも行くことにするわ」
「まぁ、どんな日頃の行いですか! 気に入らない教師のティーカップに毒を塗りましたか! それとも気に入らないあの子のノートにメスブタって油性ペンで書きましたか!?」
目を爛々と輝かせてメリルは尋ねる。せめてそれぐらいの悪事を行っていて欲しかったが。
「……昨日はジャガイモの皮を食べたわ」
死んだ目でクリスは答える。半年前、父親が財産を無くしたのと同様に。
「以外とイケるわよ」
クリスティア・R・ダイヤモンドは悪役としての矜持を無くしたのだ。
「あ、ていうかまだ落とした100円玉残ってるじゃない。回収しないと」
あとはまぁ、恥ずかしいとか服が汚れるとかそういう類のやつもついでに。
◆
「はー……どこかに現金落ちてないかしら、現金。贅沢言わないから100万ぐらいでいいわ」
食堂の隅っこ、窓際の座席で400円のカレーライスをスプーンで突きながらクリスが漏らす。それを聞いたメリルは盛大なため息を漏らすしかなかった。
ちなみにメリルは680円のAランチを食べていた。胸囲以上の格差が今ここにある。
「はぁ……入学当初は悪役令嬢としてこの学園にその名を轟かせたクリス様が、今はただのカレーを突きながら100万欲しいだなんて」
「違うわメリル」
首を横に振る彼女。そう、訂正しなければならない事実があった。
「このカレーは……三か月ぶりのカレーよ」
だからどうしたという言葉が喉元まで出かけるメリル。代わりに一つ咳ばらいをして、少しは真面目に話をする事にした。
「いいえクリス様……やはり元祖悪役令嬢として少しは悪役らしいことをして頂かないといけません。でないと」
「でないと……?」
「ああなります」
バァン! と。
思い切り食堂のドアを開けたのは、この国の第二王子であるフリード・K・コンクエストだった。容姿端麗文武両道絵に描いたような王子様であり、この学園の女子生徒達の憧れの的である。
「なぁハリー、どうしてここの食事はロクな物がないんだ?」
「ないんだって……あのね王子サマ、これが庶民の食事なワケなんすよ。ほら、困るでしょう? 偉い人が庶民の金銭感覚がわからないってのは」
今日も不遜な発言をする王子を諫めるのは、彼の友人であるハリー・P・ネーハマジメ。一見チャラいが根は真面目で、王子とは幼少の頃から厚い信頼で結ばれている彼に恋する乙女も少なくはない。
「……ユースもそう思うか?」
「……」
それと、一人の少女。
彼らと行動を共にする、やたらと無口な少女。茶髪のロングヘア―だが極端に口数は少ない……いや、彼女の言葉を聞いた者などこの学園にはいないだろう。
「そうだな、やはり俺も一般常識ぐらいは身につけておくか」
「そう言いますけどねぇ、王子ぃ? いつまで経ってもそんな性格でこっちは結構難儀してるんですよ?」
「これでも努力してるんだがな」
「ま、最近の努力に眼を見張る物があるのは同意しますよ。これもやっぱり愛のちか」
バァン! 2回目。
もはや勢いよく開けられるために作られたと疑われる食堂の扉が本日二度目の悲鳴を上げる。
王族が開けたとくれば、次は貴族の番だった。
「あらあらあら! 今日もクリード王子の横には可愛いペットがいるじゃないの! やだわやだわ、せっかくの昼食が獣臭くなるわね!」
貴族は貴族でも、王族の親類に名を連ねる、ローズ・K・ガーデンホール嬢だ。一クラスは出来そうなほどの取り巻きを連れ、今日も黒髪縦ロールが高笑い。
で、ついたあだ名はと言うと。
「来ました来ましたよ、今日はまた一段とコテコテなのが」
コテコテ系悪役令嬢。
「あらハリー、今日もペットのお散歩ご苦労様。でもね、あれよ? ここは動物立ち入り禁止よ?」
「これはローズ嬢、ご機嫌麗しゅうございますっと。それで何ですか、そちらは取り巻きの羊ちゃんの放牧ですか? いいですねー学校だってのに呑気な趣味で」
ハリーの嫌味に眉を潜めるローズ。それもそのはず彼女が喧嘩を売りたい相手は、決して彼などではなく。
「……何とか言いなさいよ、この無口女!」
ユースを突き飛ばすローズ。けれど彼女がよろけた先には、クリードが待っていた。自然とユースの肩を掴んで見つめ合う二人。気まずくなって眼をそらすクリード、無表情のユース。
「何なのよ、あんたは!」
金切り声を上げるローズ、一度爆発した感情はそう簡単に収まらない。
「平民の分際で、王子に取り入って! 普通の女の子ォ? 笑わせるわね! あんたみたいな鉄面皮で無口な女が! 男に好かれる方法なんて一つしかないくせに……汚らわしい淫売がっ!」
それでも彼女の恨み節には、一定の道理があった。
たまたま居合わせた食堂の生徒達にとって、ユースが王子の横に立つ事を不思議に思うのは当然だ。
だからこそローズの出した理由は、ある意味で理解を得やすい物だったが。
「ハリー」
「なんすか?」
「とぼけるな……どう思う?」
そんな事には気を止めず、淡々と二人が話す。侮辱された筈のユースに至っては、そもそも聞いていたかどうかも怪しいほど無反応だ。
「ユースちゃんの当て馬としてですよね」
その冷たい口調にビクッと肩を震わせるローズ。それを察したハリーはまだ人の心があるのか、いつものようにおどけてみせる。
「ま、口が悪いのはポイント高いっすよね。罵ってくれればくれるほど、向こうが悪者になってくれますからね。見た目も良いんじゃないですか?」
少し安堵するローズ。
そう彼女も理解していた。今のやりとりが全て茶番だと理解して、三人に突っかかった。
いや彼女だけではない、この学園に存在する暗黙の不文律。
ーー王子は悪役令嬢をご所望だ。自分とユースの恋を引き立てる最高の当て馬を。
「けーど」
ぽんと肩を置くハリー。それからまたにっこり笑う。
「淫売って言い方はねー、ダメだったねー。ほらうちのユースちゃん、そう言う系のネタNGなんだよね」
それは無慈悲な不採用通知だった。どうやらこのコテコテは、お眼鏡に叶わなかったらしい。
「ちょっと、次は上手く」
「悪いねローズ嬢、チャンスは一度きりなのよ……誰でもね」
パチンと指を弾くと、どこからともなく大量の黒服の男が現れる。彼女は直ぐに口を塞がれ、そのまま食堂の外へと連行される。
そして誰もが知っていた。二度と彼女がこの学園に姿を現さない事を。
「ああなりますよクリス様、大事なことなので二回言いました」
「いや長いわよ!?」
カレー食べ終わっちゃったわよと内心で付け加えるクリス。
「良いですかクリス様、このままクリス様が悪役らしからぬ学園生活を送っていればこの学園を追い出されるかも知れないんですよ!? もしそうなればもう物乞いに身をやつすか借金のカタにその体をエッチなお店で売る羽目に……そんなの悲しすぎます!」
「いやその時は……素直にあなたを頼るわ」
「はい、毎日通います!!!」
お、話聞いてないなこの女と眉を潜めるクリス。
「別に良いじゃないのあんなことしなくても。その内誰かが悪役になって残った私達はのんびり卒業まで過ごせるわ」
「それはまぁ……そうかもしれないですけど」
「大体今何人いるのよ? 王子の当て馬になりたいとかいう、奇特な悪役令嬢候補は」
顎に人差し指を当て、えーっとと考え始めるメリル。けれどその質問に答えたのは、少し意外な人物だった。
「今の子が居なくなって、残り16人ってとこかなー」
メモ帳片手に正確な数字を出してくれたのは、ハリー・P・ネーハマジメ。
「もちろんクリスちゃんも数に入ってるからね」
「パリッピーさん……」
クラス内のあだ名は王子の親友という立ち位置の割に随分と砕けたものだった。それも彼の性格がなせるものなのだが、それに気づく者は少ない。
「あのねメリルちゃん、そのあだ名もう大分浸透しちゃった感じ? 王子の側近候補として親しみやすすぎる気がするんだけど……ま、いいや。ここ空いてる?」
彼が指差したのは空いてるクリスの横の席。だから彼女は飲みかけのコーラの缶をドンと椅子の上に置いて。
「空いてないわ」
そう答えた。何が嬉しいのかハリーは笑う。
「パリッピーさん、こっち空いてますよこっちでーす」
小声でメリルが手招きすれば、意気揚々と座るハリー。椅子がすこし軋む音を立てたと同時に、クリスは大きなため息を漏らす。
「もう王子と彼女のお守りは良いのかしら?」
「気分が悪そうだから早退させましたよっと。でもおっしいなークリスちゃん、入学当初は結構良い線いってたんだけどな」
「はっ、そんな昔の事は忘れたわ」
わざとらしく答えるクリスだったが、当然のように覚えている。今にして思えば、どうしてあんな無駄な事を出来たのかと疑わずにはいられない数々の悪行を。
「そうそうその感じ! いやーほら悪役といっても犯罪者だと困るわけじゃない、やっぱし。だから良い塩梅の女の子を探してるんだけどこれがまたねー、メリルちゃんねー」
「パリッピーさんねー」
「二人で通じ合ってて楽しそうね」
約一名を除いて、思い出話に花が咲く。
「いやでも本当、惜しかったのよクリスちゃんは。やる事がいい感じに小賢しかったし、直接対決までに色々積み上げてたでしょ?」
「そうですそうです大変でしたよ。ユースさんのノートのラベルを全部張り替えたり、ユースさんの部屋のアロマオイルをサラダ油に変えたり……楽しかったですねあの頃は」
なんて無駄な事をしていたのだ私はと、彼女は眉間に手を当ててしまう。もういいやこの話は二人が満足するまで適当に聞き流そうと覚悟したその瞬間。
「そうそうこっちとしてもさ、うっわーそう来たか! って感じワクワクしてた訳。そしていざ直接対決をしようとしたその日の朝!」
「まさかの破産ですからねー……」
破産。
その二文字は流石に聞き逃さなかったクリス。
さぁいよいよユースに罵詈雑言を浴びせようとしたその朝、実家から届いた真っ赤な手紙。家具は売られ部屋を追い出され行き着いた先は寮の階段下の倉庫。
ーーだけど、そういえば。
ふとクリスの脳裏を過ぎったのは、人生の転落にかまけていたせいで見過ごしていたはずの小さな違和感。
あの頃からこの学園に、おかしな自称悪役令嬢が増えたような、と。
「ま……過ぎたことよ。今の私に興味があるのはどこに現金が落ちてるかぐらいだわ」
浮かんだ疑問を強がりで塗り潰すクリス。その諦めしか残っていない言葉を聞いて。
「でもさクリスちゃん」
他でもないハリーが笑う。
「王子なら、たった三十億程度の借金……帳消しにできると思えない?」
妖しく笑うハリー、心が動くクリス、目を輝かせ始めるメリル。
そして彼は制服の上着のポケットから、一通の白い封筒を机の上において見せた。
「今日でちょうど、残りの悪役令嬢が16人になったんだ。予定してた……ね」
封筒の中身を透視できるクリスとメリルではなかったが、その真っ赤な封蝋が持つ意味は一瞬で理解できた。
――この世界の誰もが傅く、王家の紋章。
それは時に法律すら超越した最高の権力の権化。
「何よこれ……」
「中身は見てのお楽しみってところかな? さーてあと15通、パパッと配って参りますか!」
そう言い残してハリーはようやく席を立ってくれた。去り際の背中に中指を立てるクリスだったが、メリルの目はその封筒に釘付けだ。
「なんだか……悪役令嬢に配っているような口ぶりでしたね。開けましょうか?」
「ええ、お願いするわ。なんだかあの男……ろくでもない事を考えていたようだけど、王家の紋章入りとくれば、ね」
開けないと言う選択肢は取れなかった。それは勅令。この世界の誰もが従うべき、絶対的な命令書。
ペーパーナイフをポケットから取り出し、丁寧に開けるメリル。そして手紙を両手で持ち、預言者のように高く掲げて読み上げた。
「第一回悪役令嬢バトルロイヤル開催のお知らせ……って書いてます」
なにそれ馬鹿なのふざけてるの?
クリスの口から出そうになった言葉は不遜きわまりない暴言。けれど呑み込み、続きを待つ。
「拝啓、悪役令嬢諸君。最強の悪役令嬢を決めてもらう。以下詳細」
シンプルな文言だが、ぶっきらぼうなフリード王子の性格を思えば違和感はない。どうやら配達人はハリーだが差出人は王子本人だと理解する二人。
「日時、明日の正午から。場所、裏庭円形闘技場『バックヤード』にて。優勝者には私、フリード・K・コンクエストと婚約して破棄する権利」
うわ金目の物じゃない優勝商品、と落胆するクリス。だが先に続く文言を目にしたメリルの顔が驚きに大きく変わる。
「と、用済みになった後は辺境の領地にて悠々自適に隠居する権利を授けるぅ!?」
ガタッと最大な音を立てながら立ち上がるクリス。ハリーの言葉の意味は、本当に文字通りの意味だった。
「これ……借金が帳消しになるんじゃないの!?」
思わず叫ぶ。
メリルの顔をじっと見れば、彼女の目は在りし日の――日夜クリスと共に悪戯に明け暮れていた過去の輝きを取り戻していた。
「そうです、そうですよ! たしかに王子達の当て馬になれれば借金ぐらいなんとかしてくれますよ!」
クリスはそっと目を閉じ、あのハリーの笑顔を思い出す。企らんでいる、裏がある。そんな言葉がでかでかと書かれていた、あのうさんくさい表情を。
――だからどうしたと言うのだ。
莫大な借金を学生の身で返す事など不可能だとわからないほど、彼女は愚か者ではない。
「なるわよ、メリル」
一攫千金、一か八かの悪魔の誘い。それが最短距離であり、唯一実現可能だと彼女は知った。
ならば。
「はい、この日を待っていました!」
拳を握り高く突き出す。
ここに誓おう、己自身に。
「借金を返済して……大金持ちに!」
叫ぶクリス、勢いで右手を突き出すメリル。
「……アレ?」
何か違うような、という一言はそのまま口に出なかった。
◆
『第一回……悪役令嬢バトルロイヤルを開催するっ!!!』
迎えた当日。
実況席でマイクを握りしめるハリーの声に顔をしかめるクリス。昨日メリルとした夜更かしのせいでまだ眠気が残っているが、そこにいた悪役令嬢が16人だと数えられるぐらいには意識がはっきりしていた。
『それではAブロックのイカれた悪役令嬢達を……紹介するぜーーーーー!』
Bブロックもあるのかと心の中で思うクリスだったが、否応なく鳴り響くクラッカーと紙吹雪にため息すらかき消される。それからどこからともなく現れたスポットライトが一人の悪役令嬢を照らした。
『まずは優勝候補の登場だ! 強靭! 無敵! 故に最強説明不要! 完璧超人悪役令嬢、アスカ・P・ヒューマンッ!!!』
「……」
寡黙。成績優秀眉目秀麗完全無欠の黒髪ロング。
『いあいあなんとかー! 悪役というか邪神じゃねーか! ネクロノミコンの角が痛そう! 邪神崇拝系悪役令嬢、ヘンリー・ラヴブレイカーッ!!!』
「……」
再び寡黙、だが触手。校則違反のダボダボパーカーに身を包んだ、少し小柄な不気味な少女。
『誰だー! こいつを入学させたの! どう見てもゴリラですありがとうございます! 森の方からやってきた、甘ロリ系森の賢者! パワー系といえばこいつだゴリラ系悪役令嬢、ゴリ美・ローランドォッ!!!』
「婚約破棄するのは……ワタクシよぉ!」
喋るゴリラ、制服は着ていた。当然特注。
『掲げた四文字全国制覇! 盗んだバイク? バイトで買ったぜ! 背中のグリフォンが今日も眩しい、ヤンキー系悪役令嬢、ショーコ・ナナハン!!!』
「優勝するんで夜露死苦ッ!」
スカジャンを来た所謂プリン頭の不良は、最早悪役というよりただの不良。
『来たぞ歩くR指定、下着は今日も香水だけっ! いろんな意味で目が離せない、男子はティッシュを準備しろぉっ! 淫乱系悪役令嬢、クイーン・ザ・セクシィーーーーッ!!!』
「あらあらぁ、美少女がよりどりみどりじゃなぁい?」
学生では到底持ちえない色香を放つ巨乳の美人。その艶やかな青い髪に性別問わず触れてみたくなること間違いなし。
『ロリコンの諸君勃ちあがれ! 飛び級ロリを入学させた教員グッジョブ! 白衣、ツインテ、ゴーグルの三種の神器を携えて! 来たぞ小五ロリ系悪役令嬢、ニアス・G・ローリーッ!!!』
「はぁっ……馬鹿どもの声がうるさいな」
ここに来て舌打ちをするクリス。偉そうな子供だという理由ではなく、髪型が被っていたからだ。
『東の国と言う名の某所からやってきたぁっ! 黒髪ポニテに袴にブーツ、腰に下げるは童子切! 立てば芍薬断てよ悪! ってお前は悪役だろうがサムライ系悪役令嬢、ツバキ・フジワラッ!』
「不埒な輩は……切る!」
制服の上に真っ青な羽織を着て、カチンと鍔を鳴らす少女。もちろん理由なく刃物を持ち歩くことは犯罪である。
『金髪ツインテツンデレ貧乳、没落貴族で数え役満! べ、別に婚約破棄なんかしたくないんだからねっ! 元祖悪役令嬢、クリスティア・R・ダイヤモンドッ!!!』
「誰が貧乳よ誰が」
ようやくため息をつけたクリス。もっともコンプレックスを指摘されたせいで、その後に舌打ちを――できなかった。
改めて辺りを見回すクリス。
いや、うん、絶対におかしいと言い切れるだけの自信がある。
まだわかると飲み込めるのは、完璧超人とかセクシーとかその辺りだろう。まだわかる、これぐらいならいてもおかしくないと流せるのだが。
100歩、いや千歩譲ってバイク。バイクはまぁわかる。わかるんだけども、この学園にあるようなものだろうかとつい疑うがやはり一番気になるのは。
服を着たゴリラである。あだ名ではない、純度100%ゴリラ。
世界観どうなってるんだと思わず叫びたくなるクリス。
『以上がAブロックの悪役令嬢達だっ! それでは早速……トーナメント表の発表だぁ!!!』
だが叫んだのはハリーだった。
その叫び声に従い大きな横断幕が掲げられる。参加者の誰もが浮かべたバトルロイヤルではなくトーナメント? という疑問は観客たちの熱気と歓声にかき消された。当事者には重要な事であっても、傍観者には些細な事なのは世の常で。
━━━Aブロックトーナメント表━━━
ゴリラ─┐
├─┐
元 祖─┘ │
├─┐
ヤンキ─┐ │ │
├─┘ │
セクシ─┘ │
├─ Aブロック代表
邪 神─┐ │
├─┐ │
サムラ─┘ │ │
├─┘
完 璧─┐ │
├─┘
ロ リ─┘
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「げ、一回戦」
思わず呟くクリス。勝負は時の運とは言うが、まさかトップバッターとは思わなかった。
しかも相手が。
「ウホホッ、これは勝ったも同然ね」
ゴリ美である。どうして悪役令嬢の一番を決める戦いでいきなり人間以外の生物が相手なのかと主催者に直訴したい。というか本当にどうやってこのゴリラが入学してきたのか誰に直訴していいのか確認したい。
が、その前に確認したい事が一つある。クリスにとってもゴリ美にとっても、それはとっても大事な事。
「あのー……そもそも何して戦うのよ」
役者も場所も揃ったと言うのに、肝心の何をするかは教えられていないのだ。
『おーっと第1試合のクリスティア選手から至極真っ当な質問だ! だが待ってほしい! これは最強の悪役令嬢を決める戦いっ! ならば、ならばこそ! 戦い方を決める戦いすら、存在すると思わないかな!?』
思わねーよとクリスは舌打ちをする。
『というわけで……コレだぁ!』
ばさっと、解説席の横にかけられていた大きな白い布が剥がされる。
そして露になった『コレ』を見て、会場の空気が凍る。
――そう、誰もが。
その鎮座された機械の恐ろしさを知っていたのだ。
『ガチャーーーーーーーーーーーッ!』
最強の集金装置が現れ、血の気が引き青くなるクリス。
『悪役令嬢の条件の一つ……そう財力! マネーイズパワー! いまこそ課金して……有利な試合が出るまで回せええええええええ!』
そんな金はどこにもないと絶望するクリス。そうだ400円のカレーすら三か月ぶりだというのにこの仕打ち、最早勝ち目などどこにもない。
それでもクリスは気力を振り絞り、どうにかこうにか思い直す。いや待てよ、待てよと私と言い聞かせるように。
改めてゴリ美を見る。ゴリラである。服を着ている。喋る。動く。
だがやはりゴリラである、金なんて持っていないのが普通だ。ならば、ここは互いに無課金でガチャを引いて、程よい対戦内容で――。
「ゴリ美10万課金します」
――ゴリラ10万持ってたわ。
◆
『えーそれではゴリ美選手の課金の結果、今回の対戦内容は……』
ゴクリ、と固唾を呑む観客。
『腕相撲だーーーーーーーーーーっ!』
対してクリス、あこれ負けたなと心が折れる。腕も折れそうである。
「クリス様、危なくなったらタオルを投げる役は任せてください」
セコンド役を任されて満面の笑みを浮かべるメリルだったが、から回っておりその手に持っているのは雑巾だった。けれどクリスはそれを指摘しない、血で床が汚れるかもと思えたから。
『それでは両者……前へ!』
お誂え向けのステージの上で、約2メートルのゴリラと改めて対峙するクリス。
「ウホホッ……そんな細腕、ジャングルでは通用しないわよ」
「ウキーッ、ウキキーーッ!」
物理的に上から目線で語ってくるゴリ美と、なんか手を叩いている取り巻きのチンパンジー。
いやそっちは喋れないのかよという言葉を飲み込み、思いついた啖呵を切る。
「ご忠告どうも。けれど今のところジャングルに行く予定はないわ」
「そうです! クリス様はその辺の森で枯れ木を拾って薪にするぐらいしかしません!」
メリルのフォローに何も言い返せないクリス。
『それでは両選手……位置について』
机の上にドンッと置かれたゴリラの腕。それに合わせたクリスの腕は、丸太と小枝ぐらい違う。
――勝てるわけが無い。
握った掌から伝わる、鉄のような筋肉と毛並み。もはや人間が勝てる相手じゃないなんて事は誰の目にも明らかだ。
会場から聞こえてくるのは、クスクスという嘲笑の声。
『レディ……』
けれど。
『GO!!!』
クリスは勝負を、捨ててはいない。
動かない、ビクともしない。
クリスがその細腕にどれだけ力を入れようが、全体重を乗せたところでゴリ美の腕は動かない。
――筋力。
それが人類とゴリラの決定的な違いだ。
「あなた……やる気あるのかしら?」
パフォーマンスのあくびをしながら、ゴリ美が余裕綽々の声を上げる。
「あるわよ悪い? こっちはね……あんたみたいにクソガチャに10万突っ込む余裕もないのよ」
動かない、それでも彼女は。
――金だ、金が欲しかった。
それはクリスにとって、理不尽の象徴だった。
幼い頃から溢れていたそれを、彼女は湯水のように使った。ユースに対する下らない悪戯の全部は、無駄遣いと言い切れる。財布に残った小銭の価値を理解してなどいなかった。
それでもある日突然、奪われて良い物ではなかった。
わかっている、あの父親が悪いのだと。お話に出て来る悪徳貴族のような事でもしたのだと、足りない頭ですぐ思いつく。
だからどうした、それが何だ。どうして自分の人生を、他人に狂わされたのか。
その一心で彼女は腕に力を入れる。それでも動かない、相手はゴリラだ。
「あらそうなの、小鳥でも止まっているかと思ったわ」
煽ってくるゴリ美、歯をくいしばるクリス。力を、気合を入れる程に、減らず口を挟む余裕は消える。
力を込める、動かない。
歯をくいしばる、どうにもならない。
――必死に、必死に、必死に。
動かない、彼女の腕は。
「あなた、棄権しなさい」
クリスは汗ばんだ瞼を上げ、ゴリ美の目を静かに睨む。なるほどこれが森の賢者、少しだけ慈悲の篭った色をしている。
「はっきり言うわ、あなたは勝てない。少し力を込めるだけで、その腕は二度と使えなくなるわよ」
その通りだ。それぐらい彼女は知っていた。
――けど、だからこそ。
「……やってみなさいよメスゴリラ」
減らず口が戻ってきた。
こんな絶望的な状況でも、たった一つの勝機があった。
――諦めない。
「あんたはお情けのつもりかも知れないけどね」
それが、それだけが彼女に出来るたった一つの冴えないやり方。汗にまみれ歯を食いしばり、減らず口を動かして、ようやく使える唯一の戦法。
「この程度で挫けるなら」
――大丈夫、大丈夫。
折れそうな腕と心を気休めの言葉で紛らわす。
「恥ずかしくて……悪役なんて名乗れないわよ!」
やれる事はやってきた。金を地位を名誉を、全てを失って残ったのは、過ごした時間と安い根性。
大丈夫、何度も自分に言い聞かせた。残ったものだけは、理不尽に奪わせない。
「なるウホホッ……覚悟は十分って訳ね。いいわそれなら、全力で!」
ゴリ美の握力が手に伝わる。骨が軋み痛みが伝わる。
そしてゴリ美は体勢を整え、地面を強く。
「……粉砕するっ!」
強く、強く。
踏んだのだ。
「ウホホホイいったーーーーーーーーーい!」
――その、画鋲入りのトゥシューズで。
今だ。
「ッシャオラ森に帰れメスゴリラアああああああああああっ!」
体勢を崩したゴリ美の腕に、今度こそ全体重をかけるクリス。
崩れ落ちるゴリ美、砕け散る机に、静まり返った会場。
ひどいとしか言いようのない光景だった。尻餅をついて泣くゴリラ、心配そうに手を叩くチンパンジー、ポカンとする全校生徒。
――けれど、立っていたのは。
「ほら実況、さっさと勝者を称えなさい」
『あ、その、えーっと……』
クリスは右腕を真っ直ぐと天に突き出す。細く、腫れて、痛ましく。
『勝者! 元祖悪役令嬢……クリスティア・R・ダイヤモンド!!!』
何よりも、誇らしく。
◆
「まさかあなた、ワタクシのトゥシューズに画鋲を仕込んでいたとわね……流石元祖系、やる事が古典的だわ」
靴を脱いで画鋲を抜きながら、ゴリ美がそんな事を言う。
「まぁね、職員室に沢山あるからタダなのよ」
「ウホホッ、とんだ不良だこと」
「違うわ悪役令嬢よ」
そう答えるとゴリ美は笑う。その人懐こい笑顔を見て、彼女に悪役は向いてないな、なんて呑気な事をクリスは思う。
「けれどよくわかったわね、ワタクシが一回戦の相手だって」
「は? わかる訳ないでしょそんなの……正直あんたが対戦相手で死ぬかと思ったわよ」
「ならどうしてワタクシの靴に……まさかあなた」
ゴリ美が気づく。その言葉に返事をするほど野暮なクリスではない。
昨日の夜中にメリルと二人で、学園にいる全ての悪役令嬢の靴に画鋲を仕込んだなんて事実を公表するのは、彼女にとってそういう類の物だった。
「勝ちなさいよ、クリスティア。あなたのこれからの戦いを全ジャングルの精霊たちが応援するわ」
「ジャングルも精霊も別に良いんだけど……ていうかあんた、いつからこの学園にいたわけ?」
「何あんた、そんな事も知ら」
『ちなみに負けたゴリ美選手は没シュートです! はいお疲れさまでした!』
パカっと開くステージ、そのまま落下していくゴリ美。
「ないのぉぉぉぉぉぉ………………」
消えたゴリ美。何だこれと呟くクリス。
「気にしてはいけません、クリス様」
「メリル……」
戦いに疲れたクリスの肩に優しく手を乗せるメリル。いや気にしましょうよ目の前でゴリラが没シュートされたのよという疑問を挟ませる余地のない聖母のような笑顔を浮かべる。
「さて、次はどんな手を使いますか? 脅迫文ですか、関係者を誘拐ですか!? あ、私身代金を受け取る役やりたいです!」
「何でもいいけど、今はそうね……」
二人並んでステージを降りていく。トーナメント表になど目もくれず、次の対戦相手など気にもせず。今はもういないゴリ美の笑顔だけが、妙に瞼に残っていたから。
「バナナが食べたい気分だわ」
ため息交じりにそう呟いた。
二回戦の準備で生じた隙間時間。ティーセットを囲むのは、王子とハリーとユースの三人。
「どうっすか王子? 一回戦の結果は、満足しました?」
「クリスティア……だったか。あの女が勝ったな」
「っすね。いやぁ画びょうとは……これまた古典的な手を使いましたね」
嬉しそうに話すハリーに、ため息を返す王子。
「ゴリラを当て馬になどすれば、俺とユースは国中の笑い物だ。だからあの動物がさっさと脱落して良かったのだが」
王子はハリーを睨みつける。このお調子者がクリスに肩入れしている事など気づいていた。
そんな視線に気づかない程鈍感じゃない親友役だったが、相変わらずおどけてみせる。
「さーて、二回戦の実況もがんばらないとね。クリスちゃんの次の対戦相手はだれかなーっと」
わざとらしく茶を飲み干し、そそくさと後にするハリー。残された王子とユース。恋人である二人が繰り出すはずの甘い会話は。
「飲むか? ユース」
無かった。紅茶にすら手を付けず、虚空を見つめるだけのユース。
「ああ、わかってるさ……君の考えている事なんて」
彼女は飲まない、飲めやしない。それを知っていてもなお、彼は。
「次の試合を……見たいのだろう?」
呟いた。
他でもない、彼女に向けて。
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