プロローグ
「颯太……人はなぜ、どんな時でも頑張れると思う」
親父の突然の一言に、僕はなにも答えられなかった。
夏休みの中盤。毎年きている別荘に二人で訪れたとある夕暮れのことだった。縁側で二人して紅く染まって空を見上げて言った親父の第一声にただただ困惑するだけだった。
「それはな。個々の違いはあるけど、人間誰しもが夢を持ってるからだ。その夢をかなえるべく一生懸命に頑張っているんだ」
今まで見たことがない迫力で告げた。普段の親父は、どうでもいいような話や政治批判ばかりいっていた。それが珍しく真面目なことを強く言ったのだ。
圧倒されている僕をよそに親父は続けた。
「お前も夢を持ちなさい。それを叶えるために一生懸命になれ。そうすれば、きっとその夢がお前を成長させて、最後には良い人生だったと思わせてくれるだろう」
親父の一族は、江戸時代には幕閣を明治以降は官僚を歴任するようなエリートだ。でもこの男には関係がない。ただ、一族の掟に従って外務省に入っているだけ。地位にも名誉にも興味ないような男だ。
そんな親父が言う。
「俺は今までに、汚れ仕事をさせられたりいじめだって受けてきた。何度も死にたいと思ったさ。でも今、俺はここで元気に生きてる。それは何でだと思う」
薄々わかってきたが、あえて沈黙で答える。
「それはな。俺にも夢があるんだ。それが俺をここまで助け励ましてくれたんだ」
親父がそこまで言い切る夢って何だろう。
「なんだよ、親父の夢って」
茶化すように口を開いた。
「やっとしゃべったな。よし、じゃあ教えてやろう」
続く言葉に、僕は少し赤面した。
「お前の成長を見届けることだ。そのためなら俺は命を懸けられる。まあ、他にも夢はあるが、これが一番大きいな」
「やめてくれよ。恥ずかしいじゃねぇか」
親父の顔を覗いてみると、僕以上に顔を赤くしていた。言わなきゃいいのに。
「だから、お前にも夢を持ってほしい。それはきっと、お前を助けて成長させてくれるはずだ」
「親父らしくないぞ。それじゃあまるで遺言だな」
明るく振舞ってみせたが、内心では少し悲しんでいる。親父の言葉の真意を理解しているからだ。
「俺はもう先は長くないだろう。だから俺から言えることは言っておきたいんだよ」
「親父……」
死を受け入れてるのか。そう思うと、これ以上はふざけることはできなかった。
「よし。この話はここまで。そういえばお前、勉強はしっかりできてるのか?」
けろっとしたいつも通りの親父に戻った。そして、しばらくどうでもいいような世間話をして縁側を辞した。この後、二度と夢の話をすることは無かった。
数ヶ月後、外相に随行して中東へと旅立った。予定では三ヶ国を歴訪することになっている。しかし、その三国は内乱状態か衝突寸前。一般の日本人には渡航が禁止されてるところだ。そんな地域に五〇歳になろうかというじいさん行くことは自殺行為に等しい。いかに守られていても、相手は飛び道具を使ってくる。
僕の心配通り、親父は二度と日本の土を踏むことは無かった。反政府軍の工作員による銃撃を受けたらしい。親父の他に外交官三人と護衛全員が射殺されたのだとか。
変わり果てた親父を丁重に葬り、僕は墓前で誓った。
「わかったよ、親父。自分なりに夢を見つけてみるよ。ちゃんと叶えるために頑張る。だから、見ていてくれよ」
親父と二人で暮らしてきたこの家で、僕の新たな生活が始まる……はずだった。