その頃、町では 5
王都から、自分が信奉するケイネスティ王子を追って、南の辺境地に来た。
アブシース王国宰相の息子であるパルシーは、文官ではあるが、神職の資格も持っている。
それを利用し、表向きは神官としてこの地の教会に赴任することになった。
実は、父親に頼まれた「要注意人物である王子の監視」が目的である。
「どうすればいいんだ、これは」
彼は頭を抱えていた。
サーヴには教会は二か所あった。
王子は旧地区の教会の横に住んでいるが、パルシーは新地区の教会で世話になっている。
自分が直情的で、感情的な人間であることは分かっていた。
そのため見張りなどという仕事は彼には到底出来ない。
王子が何をしても彼は許してしまうし、それを王都の父親に報告することは出来ないと分かっていた。
だからこそ、近くにいてはそのまま伝えてしまいそうなので、少し距離を置いている。
知らなければ伝えることは出来ないからだ。
だけど、今回のことは国を揺るがす大問題だ。
「国への反逆、神殿への侮辱、いや、女神様には許されているのだから……」
王都以外の教会で女神の降臨が行われる。
それは前代未聞の出来事だった。
「何を悶絶してるっすか、パルシー」
淡い茶色の髪をふわりと揺らして、身軽に長身の男性が窓から侵入して来た。
「まあ、見てる分には面白かったっすけどね」
パルシーはこのチャラい男性とは幼馴染で、今でも一番親しい友人である。
「むぅ」
彼はパルシーの前に置かれた、手のついていないお茶のカップを取り上げて、ごくりと喉を潤した。
「ぷわー、こっちはやっぱ暑いっすわ」
秋になったとはいえ、王都から見ればここはまだ夏のようだ。
「ケイネスティ王子は今日からまた砂漠の調査に出ておられるぞ」
「ふえっ、この暑いのに砂漠っすか。 よくやるっすね」
パルシーは友人を睨んだ。
「王子はお前にとっては師匠だろうが」
「ふふっ、手のかかる師匠っすけどね」
それはパルシーも同感だった。
「お前は何しに来たんだ、キッド」
「えー、俺っすかー。
もちろん、パルシーがサーヴへ行ったっていうから、見物に」
ヘラヘラと笑ってはいるが、このキッドと呼ばれる男性は、軍の諜報部隊でも腕利きである。
時には焼き菓子の屋台を引いて旅をしていたり、有名菓子店で下働きをしていたりと、神出鬼没だ。
パルシーはため息を吐き、仕方なく彼のためにお茶を入れる。
「しっかし、こんな時間まで考え事っすか」
しばらくの間、眺めていたが、パルシーが仕事をしている様子はなかった。
ただブツブツと何かを呟いては難しい顔をしていた。
「うるさい。 お前には分からんことだ」
「へー」
キッドは自分の荷物から菓子を取り出し、パルシーにも勧めながら口に入れる。
ぼりぼりと音をさせながらパルシーの様子を見ていた。
「こんなこと、王都に報告なんか出来やしない」
「あはは、またなんかやらかしたっすか、師匠は」
「笑い事じゃないっ!」
パルシーが声を荒げると、キッドは珍しく表情を消した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ラトキッドこと、キッドは、王宮の料理長の次男である。
母親は王妃付きの侍女だった。
王宮には、そこで働く者たちの子供を預かっている部屋がある。
パルシーも同じ境遇であり、幼い頃から二人は一緒にいることが多かった。
王妃の死と、声も上げられず泣いていた王子。
キッドの母親は長い間泣いて泣いて、耐えられずに侍女を退き、雑用係となる。
その姿を見ていたキッドは、軍に勧誘された時「近衛以外にはならない」と宣言した。
「俺はうちのお袋を泣かせる奴は許せないんで。
うちの父親だろうと、国王陛下だろうとね」
王子の側で王子を守る。
もう二度と、母親を泣かせない。
それが彼の人生の目的になっていた。
だが、実際に訓練を終えて仕事に就く段階で、彼は王宮での王子の境遇を知る。
王子付きの兵士がいないのだ。
「なんてこった」
自分は何のためにここまで来たのか。
絶望する彼に声をかけたのは、黒い影のような男だった。
その男は、諜報の頭だった。
当時、王子の世話を焼いており、キッドに遠くからだが王子の姿を見せてくれた。
あれが王子だ。 俺が一生をかけて守るんだ。
キッドは知らずに涙をこぼした。
その日からキッドは華やかな表の近衛兵から、裏の諜報へと転身したのである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「俺はあの王子のことは割と好きなんすよね。
パルシーはさっさと王都に帰っていいっす。 あとは俺がやっとくんで」
「な、なにを」
キッドは笑顔を消したまま、パルシーの胸倉を掴んだ。
「うちの師匠が何したか知らないっすけど、あんたには側にいる資格はない。
あんたはまだあの偉大な父親の陰に隠れてる子供じゃないか。
俺なら、絶対に信頼を裏切ったりしない」
「し、信頼なんて、されてるかどうかも分からないじゃないか」
パルシーはキッドから目を逸らした。
「じゃあ、なんで悩んでるんす?。 何か秘密を教えてもらったんじゃないんすか」
パルシーは唸った。
確かにそうだ。 何故、わざわざ自分を呼んだのか。
「文官で信頼できる者が、私しかいなかったから、だな」
キッドはパルシーから手を離す。
「うらやましいっすよ。 俺はそういう方面じゃ役に立たないっすからね」
パルシーから離れ、キッドは窓の側に立つ。
教会は町の中では背の高い建物だ。
窓からは港町特有の潮の匂いに混じって、この町特有の乾いた砂の匂いが流れてくる。
「あの王子は、ある日突然、人が変わった」
キッドは独り言のように話し始めた。
「死にかけてた、まだ十歳の子供が、妹の私物に自分の危うい状況を訴える手紙を混ぜた」
すべてはそこから始まったのだ。
「うちの頭はそう言ってた」
キッドの母親は雑用係をしていた。
王子の身の回りの世話をする侍女が怪しい者だと分かっていても、自分では何も出来ない。
せめて、侍女が不在の時に、色々と理由を付けて顔を見に行くぐらいだった。
「それまで何の文句も言わず、侍女や従者の言いなりだった王子がうちのお袋に声をかけた」
あの時、キッドの母親はどれだけ喜んだことか。
「王宮で働いている者は皆、金をもらって見て見ぬふりの奴らばかりだったっすからね」
オーレンス宰相は中立派の一人である。
ただ、彼は積極的に国王陛下には苦言を呈していたという。
パルシーは今更な情報に眉を寄せながら聞いている。
「あの医術者を王子に推薦したのは教会だって知ってたっすか?」
「な、なんだって!」
それは知らなかった。
後に悪事が発覚して処刑された王子付きの医術者。
推薦した者が反対派貴族だとは言われていたが、具体的な名前は出てきていない。
それが教会幹部であるなら、話は変わってくる。
「パルシーは王都にいなかったから知らないだろうけど」
その日、王子は十四歳で、成人の儀までまだ一年あった。
それなのに成人の儀で入るはずだった祈祷室に、何故か急に呼びだされた。
このままでは危ない。
教会が何かを企んでいるのが見え見えだった。
王子は王宮を飛び出す。
「そりゃあ、見事な脱出劇だったっすよ」
キッドがうれしそうに笑う。
「お前の自慢はもういい!。 結局、教会は次に何を企んでるんだ」
「俺も仕事なんで、それは言えないっすねえ」
諜報兵はそのままスルリと窓から外へ身を躍らせた。