54・俺たちは家族になる
公衆浴場の浴槽に、地下の貯水槽からお湯を上げつつ、俺はぼんやりと座っていた。
ひんやりとしたタイルが気持ちいい。
「ピティースもデザも、親方も大工のにいちゃんも、がんばってくれたんだな」
もちろん、王子が作ってくれた魔法陣も大活躍中だ。
ドワーフのピティースが作ってくれた鉄菅を通り、地下からお湯が上がってくる。
王子がきっちり管理する魔法陣を描き込んであるので、一定の温度でポコポコと壁の穴から落ちていた。
その横には、近くの井戸から水を引き込んでいて、水を入れることも可能。
浴室の壁のほうには、高い位置に湯量と温度を自在に設定できる水瓶を設置。
こちらはシャワーになっていて、サーヴでは珍しいが、王都では普通に使われているものだ。
親方にお願いしておいた木の桶も大小、数個が置いてある。
『こんなに大きいものが必要なのか?』
王子はタライを指差している。
「ああ、これは洗濯用だよ。 冬は井戸の水が冷たいだろ。
だからそれはお湯で洗い物をするための桶だよ」
王子が驚いて目を丸くする。
俺たちは魔法で身ぎれいにしちゃうから、あんまり洗濯とかってやらないんだよね。
石鹸や洗剤は、王都の雑貨屋の元庭師のお爺ちゃんが色々送ってくれた物がある。
それを子供たちに小さな袋に詰め替えてもらい、一回分にしたものを作った。
身体用石鹸とは別に、髪用はハーブオイルのような薬草の液体だ。
桶は自由に使ってもらって、石鹸などは必要分だけ買ってもらう。
あと、身体を拭くためのタオルというのは無いので、この世界では肌触りのいい布を各自で持参してもらう予定だ。
「あとは一回の入浴料をいくらにするか、だよなあ」
そんなことを考えていると、リーアとユキが戻って来た。
俺は浴室から脱衣場に戻り、それを迎える。
「これでよろしいでしょうか」
ユキが教えたらしく、俺の下着まで持って来ていた。
「あ、はい」
俺が赤くなっていると、リーアは不思議そうに微笑んだ。
「夫の下着など恥ずかしくないですよ」
そう言って、俺が説明した通り、脱衣場の籠に入れる。
「お湯のほうは、もうよろしいのですか?」
「うん、そうだね」
湯船から湯気が立ち上っている。
「ユキちゃんもいっしょに入りましょう」
【うんっ】
何のためらいも見せず、リーアが服を脱ぐ。
「え、ちょ」
さっさとユキといっしょに浴室に入り、チャポチャポとお湯に手を入れている。
俺が立ち尽くしている間に、お湯に浸かって、こちらを見ていた。
ユキには少し熱いらしく、湯には入らず、周りをグルグル回っている。
「そっか、ごめんな」
俺は潔く服を脱いだ。
肩の鳥は俺の頭の上に移動する。 ちょっと冴えないカッコだな。
「ほら、ユキはこっちだ」
俺はシャワーになっている魔道具の下にタライを置き、ゆるめの温度にしたお湯を落とす。
【きゃっきゃっ】
ユキは、そのお湯の下を行ったり来たりして遊んでいる。
まだ温泉というものの意味を知らないし、ユキたちは普段は川や湖で行水で済ます。
そのうち慣れたら湯船にも入れてみよう。
「ふう」
肩までお湯に浸かり、深く息を吐く。
黄色い鳥は頭の上は嫌みたいで、浴槽のへりに止まっている。
パシャパシャと顔をお湯で洗っていると、湯気の向こうにリーアの顔が見えた。
「ネス。 いいえ、ケンジ?」
「どっちでも大丈夫だよ」
俺は苦笑いで彼女を見る。
「とても気持ちがいいですわ」
「公宮のほうが広いでしょ?」
浴室の半分を占める浴槽は、大人がゆっくりと十人は入れるようになっている。
こっちの世界の人たちは体格がいいからね。
俺たちは向かい合わせではなく、浴槽のへりに背中を預けて、隣同士に座った。
壁の上のほうに湯気を逃がす窓があり、細い月の光が差し込む。
「いいえ、公宮の浴室はこんなに心安らぐ場所ではありませんでした」
彼女の身体には青黒い痣があった。
それが呪詛によるものだと分かっていても、気持ちのいいものではない。
きっと彼女も見られることは苦痛だったと思う。
たとえそれが家族であったとしても。
痣から解放された彼女は腕を前に出し、身体を大きく伸ばす。
「初めて、お風呂が気持ちいいと思いました」
俺は返事が出来ずに、ただ微笑んでいた。
「ネス様」
俺は彼女の真剣な声にドキリとする。
「この度のこと、本当に感謝しております。
ですが、それとは別に、私は以前より、ケイネスティ様を」
肌を見せた時よりもほんのりと顔が赤くなっている。
大丈夫?、もうのぼせちゃったかな。
「あの、ですから、わ、わたくしは、その」
「ん?」
言いにくそうな彼女の顔をじっと見る。
「その、本当に覚悟してまいりましたの」
「あー」
彼女は南方諸島連合の代表に嫁ぐことが決まっていた。
だから、すでに心の準備は出来ていたんだろう。
「ですから」
これ以上、彼女だけに言わせるわけにはいかない。
「リーア。 いえ、フェリア姫」
俺はその気持ちに答えたいんだ。
「俺もずっとあなたのことが好きで、でもこんな病気ですから、迷っていました」
俺たちは二人でお湯に浸かったまま前を向いていて、時々チラリと隣を見る。
お湯が揺れて、相手がすぐ近くにいることを感じさせた。
「二重人格のことですか?」
「ええ、気味悪がられると思っていました」
ふふっとリーアが笑う。
「それなら、私の痣のほうが気味悪いですわ」
「それはない!」
俺は彼女の手をとっさに握って、顔を近づけた。
「あなたは、痣があっても美しかった」
「ネス様」
彼女の黒い髪からお湯がしたたり落ちる。
見つめ合い、そのまま顔を近づけて、俺たちは口づけを交わす。
はっきりと伝わる彼女の肌の柔らかさ。
「こんな病気の俺でも、妻となってくれますか?」
「はい」
【ねーすー、りーあー、たのしーの】
バシャンとユキが湯船に飛び込んで来た。
「うふふ、ユキちゃんも家族ですね。 よろしくお願いします」
リーアがユキの顔を撫でる。
【なあにー?、リーアもずっといっしょー?】
「そうだよ」
俺はユキの毛がどれだけ湯船に落ちるのかを観察している。
うん、毛を梳いてから入れないとだめだな。
片付けをして、家に戻る。
片付けといっても、魔法陣が自動で働くようになっているので、桶や石鹸といった小物を片付けるだけだ。
脱衣場は風が気持ちよく吹き抜けていく。
汗が引いていくのが気持ち良かった。
手を繋いで家に戻る。
寝室に入る前に、俺はユキを呼んだ。
「ユキ、ごめん。 今夜だけ、ちょっと物置小屋で寝てくれないか?」
【なんでー?】
「う、あのな。 おやつ、倍にするから、今は黙ってお願いできないかな」
ユキはパタパタと尻尾で俺を叩く。
【仕方ないなあ】
そう言って、家の裏へ回って行った。
「どうしましたの?」
洗い髪を乾かすリーアの声に、俺は笑顔を向ける。
「な、なんでもないよ。 ユキにも恋人がいるようで、今日は外で寝るって」
「まあ、そうですの」
少し残念そうだった。
(王子、ちゃんといるよな?)
『あ、ああ。 でも邪魔はしない』
(いや、それは違うぞ、王子)
『ん?、何故だ』
(前も言っただろう。 俺は身体を持たない。
だからこの王子の身体で彼女を抱くために、王子にも慣れて欲しい)
『どういう意味だ?』
そのままだよ、ってことで、俺は王子を巻き込んだまま、彼女を抱き締めた。