52・俺たちは婚姻の届けを出す
食事の後、俺たちは地主屋敷に向かった。
「こんにちは」
俺たちが来るのが見えたのだろう。
地主屋敷の執事であるロイドさんが扉を開けて待っていた。
「皆さま、どうぞ、こちらに」
いつものミランの仕事部屋ではなく、豪華なほうの来客用の部屋へ通された。
ふむ、事情は察しているということかな。
「えっと、ロシェたちは?」
お茶を運んで来たのはサーシャさんで、お菓子を運んできたのはハンナさんに付き添われたサーシャさんの娘だった。
「二人は領主館ですよ。 砂狐の調教を頼まれましたので」
ハンナさんが微笑ましそうに教えてくれた。
「そうですか」
良かった。 ミランからちゃんと許可が出たらしい。
何故か、いつもより小綺麗なミランが入って来た。
ちょっとこっちを睨んでる気がするんだけど、気のせいかなあ。
「さて、何の用だ?」
ミランはお茶を一口飲んで、俺たち四人を見回す。
出来るだけ俺が話を回して、三人には静かにしていてもらう予定だ。
まず、軽く三人の名前を紹介する。
「実は、こちらの女性を妻に迎えることになりました」
はっきりと伝えると、ミランやロイドさんがニヤリと笑い、女性たちは柔らかく微笑んでいる。
リーアは妻という言葉に、少し頬を染めた。
「それでこちらのおふたりはリーアのご友人で、今回一緒にこの町に住みたいと」
キーンさんとシアさんが軽く会釈する。
「ほお」
祭りの夜のことを覚えているのだろう。
ミランが獰猛な笑顔を浮かべている。
「では、この町に住む条件は満たせるのか?」
旧地区ではミランがこの町に役立つと判断したものでないと住むことが出来ない。
それは三人には話してある。
「まあ、ネスの嫁さんなら無条件で構わんが、そっちの二人はどうなんだ?」
リーアは嫁という言葉に再び頬を染めている。
「私は生まれた国で、少々医術関係のことをやっておりました」
シアさんがミランに答える。
魔術師ではあるが、その魔力を何に使うかが問題なのである。
「医術者か?」
「いえ、どちらかといえば薬師ですわ」
「ほお」
この町で薬の販売はもちろんのこと、どんな薬草が採取できるのかを調べたり、子供たちに教えたりしたいという。
「なるほど。
では、そっちの男性は領主の私兵にでも入るのか」
キーンが騎士であることは体つきからも明白だった。
「私、いや、俺は護衛だな。 彼女と結婚するつもりだ」
二人で店を持ちたいと答えた。
「ふむ」
ミランがチラリとロイドさんを見た。
俺はロイドさんが頷いたのを確認して、胸を撫で下ろす。
現在、サーヴの町にいるのは年老いた医術者が一人だけだった。
最近は教会の子供たちが手伝っていたりするが、まだ医術を教えるまでにはなっていない。
「いいだろう」
ロイドさんが書類を用意している間に、
「どこがいい?」
と、ミランが俺に訊いてきた。
「そうですね」
家の場所をふたりに決めさせてもいいが、まだ知らない土地だ。
とりあえずこちらで決めたほうがいいだろう。
「出来ましたら、ネスとリーアの家の近くがいいですわ」
すかさずシアさんが主張してくる。
「ああ、そのほうがいいでしょうね」
ミランが取り出した町の地図を広げ、俺は指を指す。
「うちの隣が空いてますね。 確か平屋ですが、かなり広かったはずです」
俺の家の、教会とは反対側にある空き家。
「家の真ん中が壁で区切られていて、半分店舗、半分は普通の家になっている」
「それなら、薬の調合や材料の倉庫などにも使えそうです」
キーンも賛成のようだ。
「では、そのように」
貸家の書類をロイドさんがふたりの前に置いた。
俺はふたりが名前を書き間違えないか、少し心配していた。
無事に終わって、俺がふぅと大きく息を吐いた時、ミランの口元がいやらしく歪んだ。
「そうか、お前も嫁をもらうか」
サーシャさんがお茶を入れ替えるために部屋を出て行くとミランが挑発的な笑顔で俺を見た。
その顔には「俺より先に結婚するとは良い度胸だな」と、嫉妬が覗いている気がする。
俺は背中に冷たいものが走った。
「知ってるだろう?、この町じゃ結婚する奴は領主館に届けを出さなけりゃならん」
「あ、はい。
彼女がこの町に慣れたら届けは出すつもりですよ」
昨日の夜、こちらに来たばかりなのだ。
「何を言ってる。 その女性の気が変わったらどうするんだ。
お前は、自分が変わり者だっていう自覚はないのか」
ええっ。
俺が驚いていると、何故か三人がウンウンと頷いている。
味方がいないってどういうことよ。
「今から行って、さっさと届けを済ませて来い」
「むぅ」
これはロシェを領主の少年のところへ向かわせた仕返しか。
「私たちは構いませんわ。
ついでに私たちも済ませてしまいましょう、キーン」
「ああ、そうだな」
何故か、ふたりが合意してしまう。
「新しい家のほうは、こちらで準備しておきますよ」
ロイドさんがカギを用意して会釈する。
実はミランには少し前に、砂族を募集した話をしてあった。
何人来るか分からないので、空き家を全部掃除したのだ。
もちろん、王子が、である。
だから、現在の空き家はほんの少し手を加えるくらいで済む。
嫌な予感がビンビンするが、ここは反発すると後が怖い。
「……分かりました」
俺たちは四人で領主館に向かうことになった。
領主館に行くと、ロシェとフフが少年領主と共に庭にいた。
「こんにちは」
「あ、ネスさん」
うれしそうな顔で若い領主が駆け寄ってくる。
連れに気付いて、すぐに真面目な顔になった。
その後ろを灰色の子狐が追いかけ、その後ろをフフが走って来た。
「ネスー、あたち、がんばってるよー」
「おお、偉いな」
俺は微笑んでフフの頭を撫でる。
姉のロシェは少し不服そうだが、それでも領主の前では柔らかく膝を折って挨拶する。
「いらっしゃいませ」
ロシェの挨拶にこちらもきちんと礼を取る。
「突然ですみませんが、実は婚姻の届けを出しに来ました」
「ええええええ」
少年領主がバタバタと館の中に駆け込み、ロシェとフフは子狐を抱えたままオロオロし始める。
やがて館から、ただの使用人から執事になったコセルートが顔を出した。
「ちょうど昼でございますので、軽いお食事を摂りながらお話を伺いたいということです」
それ、絶対お前が進言しただろう、と俺はコセルートを睨む。
ニヤリと笑った小狡い青年執事は、俺を無視して女性たちを案内し始めた。
「諦めましょうよ、ネス」
俺の肩をキーンさんがポンポンと叩いた。
結局その後、俺たちは領主館で届けを出すのにかなりの時間がかかった。
少年領主にとっては俺以外の三人が初対面なので、色々と説明しなければならなかったからだ。
幸いにもこの町は流れ者が多い土地柄のせいで、過去の身分や暮らしを問うようなことはしない。
ただ、この町でしっかりと働いてくれるかが問題になるのである。
ミランへの説明と同様に、薬の店を出す予定だと話すと喜ばれた。
そして何とか手続きが終わって噴水広場に戻って来ると、
「ネスさん、おめでとうございます!」
旧地区の住民総出での祝いの宴が待っていた。
はあ、領主館もグルだな、これは。
ミランは飲み仲間を見つけて、うれしそうに酒瓶をキーンの前に置いた。
お互いにニヤリと笑ったのは、同類だからか。
まあ、先に酔いつぶれたのはミランのほうだったけどね。