92・俺たちは船を出迎える
沈黙が下りていた部屋の外が急に騒がしくなった。
「どうした?」
ソグが扉を開けると砂狐のクロがのそりと入って来る。
「ヒッ」
王都からの客人たちは魔獣である砂狐を間近に見たことがない。
襲われると騒いでいたようだ。
【なんの騒ぎだ?】
クロがキョロキョロしているが、お前だよ。
「皆、クロが珍しいみたいだよ」
俺がそう言うとクロは首を傾げる。
クライレスト王子は少し驚いたみたいだが、すぐに笑みを浮かべた。
「触っても?」
恐る恐るクロに近寄る。
【構わぬが、報告が先だな】
「えっと、殿下。 少し話があるので、後でなら撫でてもいいそうです」
「お、おお、分かった」
目を輝かせる弟にはおとなしく待ってもらう。
【あの男はやはり船と連絡を取り合っていたようだ】
「どうしてそれが分かったの?」
【船からの返信があった】
砂族の中年男性は俺たちから離れた後、峠の見張り台に向かった。
そこで船が出て行った方向を眺めていたそうだ。
【船の方向から何かが光ったのだ】
なるほど、鏡か何かを持っていたのかな。
【あの男はそれを見て、ウザスの方へ歩いて行った】
「ウザスか。 クライレスト殿下。
失礼ですが、キーサリス殿下は今どちらに?」
「ウザスの軍の施設にいるはずです」
そこが一番安全だろうということか。
「そこへ向かった可能性がありますね」
ソグがクロの話を予想して俺の顔を見る。
「先ほど軍の施設に居た傭兵たちは船で出て行った。
その後は護衛が手薄になっているということか」
俺は考える。
彼らはキーサリス王太子に何をしようというのだろうか。
そこへ新たに客が訪れる。
「ネス!」
「ミランさん?」
息を切らせたミランとトニーが入って来た。
「どうした?」
俺はミランに温くなったお茶を差し出し、トニーに話を聞く。
「あの船を見てた魔術師が、船が襲われてるって」
は?。
俺はクライレスト殿下を見ると、「私には分かりません」と首を振った。
とりあえず俺たちは港へと向かう。
何隻かが出港準備をしていた。
少年領主がいたので訳を訊くと、「ウザス領主から要請があった」とのことだった。
つまり、すでにウザス領主にも知らせがいってるのか。
「出来れば魔術師が一緒だと助かると言ってました」
「へえ」
俺を連れ出せということか。
「私はもちろんコセルートを出しますので」
船にはすでに防具を装備した魔術師のコセルートが乗っていた。
少年領主は俺に頼む気はないとしっかりと頷く。
「ありがとうございます。 あとで詳しいことを教えてください」
俺たちは港を出て行く領主と、その私兵たちの船を見送った。
「ここでは見えないですね。 峠の見張り台に行きましょう」
あそこなら、ある程度は遠くまで見渡せる。
人数が増えた俺たち一行は、ウザスとサーヴの境にある峠に向かった。
トニーが先頭を歩き、俺とミラン、そしてソグが後に続く。
その後ろにはクロと、クライレスト王子一行がぞろぞろとついて来た。
「ネスさまあ」
見張り台の上からハシイスが手を振って俺を呼ぶ。
「ちょっと行ってきます」
クロにクライレスト一行を押し付けて置いて行く。
【むぅ、あとで礼はしてもらうぞ】
はいはい、ユキに頼んでおくよ。
うれしそうにクロを撫でまわす弟を置いて、俺たちは見張り台を上る。
ハシイスが海を指差し、俺は<視力強化>を使って意識を集中する。
サーヴはアブシース王国の最南端にある。
そこから砂漠を越えればデリークト公国。
デリークトの港からは、すぐ近くに島々が見えるのだ。
サーヴからは、魔力を使えばぎりぎり南方諸島の一番北の島が見える。
その島の手前あたりに、あの大きな軍用船が停まっていた。
「何をしてるんだろう」
俺の問いにハシイスが答える。
「あの船は魔術師も乗っているし、大きい割に船足も早かったです」
魔術師でもあるハシイスは、ガストスさんが乗っているあの船の動向を調べていた。
急に動かなくなった船を見て、俺たちに知らせるようにトニーに頼んだのだ。
しかし、トニーは王都から来た一行のところに一人では行けなくて、ミランを呼びに行ったらしい。
まあ、まだ未成年だし仕方ないか。
「どういう状況だ?」
ミランも心配そうに海を見ている。
まあ普通の人にはここからじゃ船は見えないだろうけど。
「まだ分かりませんが、船が停まっているのは見えます」
そう話している間に船が動いた。
「こっちに向かって来るようですね」
ハシイスが軍港へ降りる道を案内してくれることになった。
「どうしました?」
俺たちが見張り台を下りてくると、クライレスト王子の従者が声を掛けて来た。
弟王子はクロに夢中だ。
「じゃあ、一般人の俺は港のほうに回る」
あとは頼むと言ってミランは先に坂を下りて行った。
「船が戻って来るようなので、軍港のほうに行ってみようかと」
すると、王都から来た兵士たちが俺を睨んだ。
「ただの学者が軍港に入れるわけはないだろう」
「さっさと消えろ」とまで言われてしまう。
ハシイスは大きくため息を吐き、俺に謝ってくる。
「申し訳ありませんが、ここは私が一人で確認してまいります」
俺は首を振る。
「いや、私も行く」
キーサリス王太子殿下が乗っていたのか、無事なのかをこの目で確かめたい。
「クライレスト殿下。 申し訳ありませんが、許可をお願いします」
俺は弟殿下に深く礼を取り、軍港に降りる許可を願う。
幸せそうな笑みを浮かべて砂狐を撫でまわしていたクライレストは、
「もちろん、許可します。 私の代わりにしっかり見て来てください」
と言って、兵士たちを下げさせた。
「ありがとうございます」
俺とソグはハシイスと共に見張り台の下の崖へと下りて行った。
ゆっくりと黒い大きな船が近づいてくる。
「あれはー」
その周りには、サーヴ領主の私兵の船ばかりではなく、南方諸島の船が数隻いる。
崖の下の軍港は大きな船しか接岸できないので、他の船はサーヴの港のほうに回って行く。
軍用船の甲板にガストス爺さんの姿が見えた。
「あれ?」
そして、メミシャさんの姿があった。
「どういうこと?」
首を傾げていると、ダークエルフのメミシャさんが俺を見つけて手を振った。
船は魔力で引き寄せて接岸させ、固定する。
よく見ると、船の甲板にいたのは爺さんとメミシャさんの他は数名程度だった。
王太子の姿はない。
「ふん、見え見えだったからな」
何がだ。
どうやらガストスさんは王都を出た時から南方諸島への攻撃をやめるように進言していたらしい。
だが、金で雇われている傭兵たちや、命令を受けている兵士たちは半信半疑のままだった。
「例え、爺さんの言うことが正しくても、俺たちはこれが仕事だからな」
そう言われていた爺さんは、出航後、南方諸島手前で強行した。
協力者以外を全員拘束したのである。
「で、メミシャさんは?」
そこに頭を掻きながらエランが出て来た。
「あの、ネスさんに連絡を取ろうとしたら、メミシャさんが一緒に行くと言い出しまして」
「待っていられなかったのよ。 で、港を出たところでこの船を見つけてね。
もうびっくりしちゃったわ」
大きな船は脅威だ。 海賊上がりらしく暴れる気だったんだろう。
「でも乗り込んでみたら終わってたわ」
ガストスさんとメミシャさんが、お互いの顔を見て笑い合う。
はあ、なんだこれ。