90・俺たちは船を見る
そういえば、俺があの男性を直接見るのは初めてだった。
ガーファンさんからは、どうしようもない男だと。
仕事がなくて、イヤイヤ来たのだと、聞いていた。
『あんな者が気になるのか?』
吐き捨てるように言う王子に俺は苦笑いを浮かべる。
その顔を見たソグも不思議そうに俺を見ていた。
「ソグ、前から彼は足を引きずってた?」
「いえ、気がつきませんでしたが。 確かに走りにくそうですね」
今まで走ったりしなかったから気づかなかったんだろうな。
「あの、師匠?。 逃がしちゃっていいんですか」
トニーが追いかけようかどうしようかと迷っている。
「いいよ」
こんな小さな町じゃ、逃げ隠れなんて出来ないだろうしね。
俺はクロの顔を見る。
【分かった】
サッと姿を消す。 さすが大人の砂狐である。
砂狐をたくさん仲間に出来たら、良い諜報部隊になりそうだ。
いつまでもここにいるわけにはいかない。
かといって、自分の家にも戻れないだろうし。
「一度、船を見てみたいな」
この目で大きさを確認したい。
俺がポツリとこぼすと、トニーが張り切って案内してくれる。
「こっちです」
トニーが先導し、俺とソグが続く。
港に向かって歩きながら、
「どこかからお客さんとか来てない?」
と訊いてみる。
「ご領主様んとこですか?。 いえ、来てないですねえ」
ということは、ウザスのほうにいるのかな。
「あ、あれです」
トニーが港から突き出すように伸びている峠を指差す。
その小高い山の見張り台の下。
今まであまり気にしたことはなかったが、切り立った崖にわずかに細い階段が見える。
その水面まで伸びた階段の先に魔法で隠された港があった。
「秘密基地みたいだ」
なんだかワクワクするね。
「動いています」
ソグが目を細くして、大きな黒い洞穴のような港を眺める。
ゆっくりと音もなく船が出て来るのが見えた。
南方諸島へ行った時に見た、どの船より大きい。
「さすが大国だね」
木材や鉄材も使っているんだろう。
帆が多く張られているが、魔力を使う者を必ず乗せているのは俺でも知っている。
船を動かすのも、海獣から守るのも魔術師に頼っているのだ。
それが有り余る人力で動かしている南方諸島の船との違いだ。
「あの合図は船が出航するという合図だったのかもしれませんね」
「誰に向かって?」
そう訊くと、ソグとトニーが「うーん」と考え込んだ。
俺はこっそり<視力強化>を使って船を見る。
甲板で人が動いているのが見えた。
こちらの様子を窺っている者もいる。 おそらく魔術師だろうね。
「もし、あの船にキーサリス王太子が乗っていたとしたら」
船が出る合図を送り、何かを仕掛けるのかな。
海の魔獣や海賊に船を襲わせるとか。
「でも今乗ってるのは第三王子では?」
ソグはそう言うが、俺はあの男の言葉を信用していない。
「確かクライレスト王子は宰相並みに頭がいいんだ。
そんな王子が胡散臭い南方諸島なんかに出兵するか?」
今、船はまさに港を離れようとしている。
「南方諸島に行くんですか?」
トニーが首を傾げると、俺も首を傾げた。
「サーヴと南方諸島の交易を調べに来たんだろう?」
「俺たちは軍用船の訓練だって聞いてますけど」
「は?」
今度は俺とソグが顔を見合わせる。
「昨日、地主様のところに使いが来て、ロシェがそう言ってたから間違いないです」
『訓練ということにした、ということか』
正規兵なら分かるが、彼らは傭兵なのに?。
『船の訓練なら、傭兵でも操れる者は限られるからな』
傭兵にまで操船を教えようってか。
意味が分からない。 逆にその理屈を教えてもらいたいわ。
しかし、訓練という名目なら恐ろしいことになる。
思いっきりドンパチやらかす気なんじゃない?。
「一発くらいなら、間違えた、で済む」
『ケンジ、そんなことしたら戦争だぞ』
うん、そうだけどね。
南方諸島は小さな島国が多い。
新婚でのんびりしている代表が駆け付ける前に決着はつくよね。
その前に、砲弾一発で相手が降伏してしまえば問題ない。
「要は先に手を出したとしても、訓練中だったという言い訳になるんじゃないかなと」
「そんな無茶苦茶な」と言いながらトニーは考え込む。
「おそらくだけど、交易の件を口実に出来なかったんだろ」
ミランは完璧な書類を用意していた。
ウザスにいる国軍や文官が調べに来ているはずだ。
「なるほど。 下調べで怪しいモノが出なかったので、王太子に進言出来なかった。
だから方向を替えざるを得なかったと」
そういうことだと思うよ。
「だけど、欲しいのは南方諸島の香辛料だ。
せっかく軍用船まで持って来て、王太子まで担ぎ出して、今更止められないだろ」
ソグは頷く。
しかし、問題はあの合図なのだ。
「どこの、誰に対する合図だったのか。
案外、あの船の中に仲間がいたりしてね」
ソグは嫌な気配を漂わせる。
デリークトの姫が乗っていた船で反乱が起きて、護衛だった彼はウザスの港に置き去りにされた過去がある。
「表向きは傭兵ばかりが乗っている船だ。 そんなものに王太子を乗せるか」
俺なら乗せない。 危ないからな。
「では王太子はどちらにおられると?」
「ウザス領主んとこか、もしくは」
もうサーヴにいるかもね。
「あー、そんな豪華そうなお客さんじゃないですけど、新地区の教会に神官さんの知り合いが来てましたよ」
俺は片手を額に当てる。
「それだな」
トニーは訳が分からず首を傾げる。
『どうする?、会いに行くのか』
王子は不機嫌そうに俺に訊く。
「さて、どうするかな」
ケイネスティのことも、サーヴの密貿易も確証を得られないままだ。
キーサリス王太子の立場は悪くなるだろう。
そこへ登場するのが宰相クラスの切れ者の第三王子のクライレスト。
「まったく、王都の奴らの考えることは小賢しいですな」
「そうでもないっすよ」
「うおっ」
もう、突然来るんじゃない!。
「キッド」
冷たい目を向けると、すらりとした長身の明るい茶色の髪のチャラ男はヘラヘラと笑っている。
「そんな怖い顔しないでくださいよ、師匠」
チャラ男は笑ってるけど、俺はクシュトさん同様、こいつから逃げられる気がしないんだよね。
とりあえず一緒に来てくれと懇願され、仕方なく教会に向かった。
改築された新教会の一室で待っていたのは、
「クライレスト王子殿下」
だった。
「水臭いですよ、兄上」
黒髪黒目の姿でも、彼は俺を兄と呼んだ。
他の者には聞こえないように小さな声で。
椅子を勧められて座るが、クライレスト王子の周りの者たちは戸惑っている。
「ああ、すみません」
俺は変身を解除しようとした。
だが、王子はそれを拒否し、ただ深く礼を取る。
クライレスト王子にはあくまで砂漠の研究者という形で会う。
俺の側にはトカゲ亜人のソグがいる。
王都から来た護衛兵士たちや従者たちは顔を顰めていた。
さすがにトニーは入りたがらなかったので船の動向を見てくれるように頼んでおく。
パルシーが従者である紫瞳の少女を連れて入って来た。
俺の前にお茶を置き、ニッコリと笑って下がる。
向かい合う俺とクライレスト王子。 それぞれの護衛が後ろに立つ。
俺の隣に椅子を持って来たパルシーさんが座った。
その行動に、クライレスト王子の側近たちの顔色が変わる。
「パルシー殿?」
眼鏡の神官は何も言わずにただ微笑んだ。