87・俺たちは爺さんと再会する
エルフの森から再びサーヴの町に戻った。
「リーア、ここからは少し危険なんだけど、本当に来るの?」
家で待っていてもいいよと伝えたけど、リーアは首を横に振る。
「いいえ、もう決めています」
俺のことも、王子のこれからも、リーアは受け入れると決めたようだ。
「では、絶対に俺の指示に従ってね」
「ええ、もちろんです」
うん、笑顔はかわいいんだけどな。
【ユキもー】
あー、はいはい。 ユキも頼むね。
俺たちは、夜の町を足早に駆け抜け、峠の見張り台の近くまで来た。
兵舎の近くにあるチーズなどの乳製品の作業場の影に隠れる。
「ユキ、頼む」
【はあい】
真っ白な毛並みを砂色に変化させ、気配を消したユキが兵舎に入って行く。
「まあ、ユキちゃんは優秀ですのね」
「うん」
俺は我が子を褒められたようでうれしくなる。
すぐに丈夫そうな服に、腰に剣を下げたハシイスが出て来た。
「ネス様、こちらに」
作業場の休憩室のようなところに入る。
カギはかけてないのかと訊いたら、
「魔獣に襲われた時の避難所にもなっているので、誰でも入れるようにはなっています」
とのことだった。
そっか。 俺も以前この辺りで小鬼に襲われたな。
淡い照明が点る。
木のテーブルと椅子がいくつか置いてある。
部屋の隅には魔道具の水がめと竈。
ハシイスがお茶の用意をしていると、ユキが警戒の声を上げた。
【誰か来るの】
うん、分かってるから、落ち着いて。
静かに扉が開いて、チャラ男が入って来る。
「こんばんはー、って、ひゅうー」
チャラ男はリーアがいるとは思っていなかったようで、驚いて飛び退いた。
いやいや、そこまで驚かなくても。
大袈裟なチャラ男の行動に、リーアが微妙な顔で笑っている。
「あはは、すみません、奥様。
とりあえず、周りは盗聴避けは仕掛けてありますんで」
キッドは頭を掻きながらリーアに謝った。
そして、ようやく連れて来た人物を部屋に入れる。
ぬっと現れた大きな影に、俺は黙って立ち上がった。
心臓の音がうるさい。
「何年振りかな。 五年か」
その男性の言葉に、俺は口を開くことが出来なかった。
今、声を出したら、きっと涙声になると分かっていたからだ。
だけど、このまま押し黙っているわけにはいかない。
俺はフードを取り、赤いバンダナを念話鳥にする。
黒髪黒目の俺を見て、その男性はため息を吐いた。
「その姿じゃあ、分からんはずだな」
白髪交じりの頭を掻きながら、ガストスさんが笑う。
俺は年上に対する礼を取る。
「申し訳……」
「坊、謝るんじゃねえ」
低い声が厳しく俺の耳に響く。
そうだ、この人はそういう人だ。
「はい」
顔を上げる。 真っすぐにガストスさんの顔を見る。
そして、にっこりと笑う。
「お久しぶりです。 ガストスさん」
「おう」
それでも俺の手は震えている。
「お初にお目にかかります、リーアと申します」
リーアが俺の横に立ち、優雅に礼を取る。
「お、そうだった。 結婚、おめでとう」
「ありがとうございます」
ハシイスがお茶を並べ、チャラ男が皆に座るように促した。
「時間がねえ。 さっさと話をするぞ」
俺は頷く。
「明日、高位魔術師を数名連れてキーサリス王太子殿下が来る」
移動魔法陣は普通、本人以外を運べない。
よほど大きな魔力があれば、大きな荷物や他人と一緒に移動出来る者もいることはいる。
だけどそんな者は稀だ。 宮廷魔術師でも一人か二人だろう。
そのため、護衛が必要な要人は先に兵士を送り込んでおき、あとでそこへ移動魔法陣で合流する方法をとる者が多い。
「先日の船で来た者たちは傭兵がほとんどだと聞いていましたが」
俺の質問にガストスさんは口元をニヤリと歪めた。
「ふんっ、あの中に正規の兵士が半分ほどいたぞ」
「は?」
俺は驚いた。 何故隠す必要があるんだ。
「国の兵士じゃ都合が悪い。 だけど、傭兵だけじゃ信用出来ないってことっしょ」
チャラ男の言葉にガストスさんも頷く。
兵士の皆さんも大変だな。
ようやく手の震えが治まってきた俺は、
「目的は何でしょうか」
と訊く。
ガストスさんがリーアをチラリと見て、「言ってもいいのか」と目で訊ねる。
俺が頷くと、懐から一枚の紙を取り出す。
「これは書き写したもんだが」
正式な書面で届いた密告書だった。
密告に正式も何もないだろうと思われるだろうが、この国では怪しい文書などは文官がチェックする。
あのパルシーさんがやった魔法での選別である。
悪意のあるものはその魔力での確認で弾かれ、正式なものだけが上層部に渡る。
「その、ゴホン、サーヴにいる怪しい魔術師が南方諸島連合と闇取引をしていると」
ああ、俺のことね。
間違っていないところがちょっと悔しいけど。
「闇取引ですか。 今のところ、こちらはまだ動いていませんが」
ミランに持ち掛けた交易に関しては、実際にはまだ始まってもいない。
文書のやり取りをしているが、それは正式なものだ。
ちゃんと南方諸島連合の代表の蝋印がある。
「問題は、誰がそれをすっぱ抜いたかだ」
俺は文書を見せてもらう。
『魔力紙に書かれていたのだろう?。 魔術師なら簡単に偽造出来る』
王子が吐き捨てた。
偽造でチェックに引っかからなかったか、もしくはノーチェックで通したんだろうな。
「文書の選別は誰が?」
「宰相の署名があるぞ」
ガストスさんの指摘に俺は首を傾げる。
こんなものをいちいち宰相様自身が確認するだろうか。
「あとでパルシーさんに署名の確認をしてもらってください」
「そういえば、あいつも来てるんだったな」
ガストスさんが頷き、その紙をチャラ男に渡す。
キッドはそれを受け取ると、いつの間にか姿が消えていた。
俺は何となく爺さんの顔を見ることが出来なかった。
「坊」
懐かしい声が聞こえる。
俺は<変身>を<強制解除>して王子の姿になる。
「立派になったな」
俺は俯いたまま首を横に振る。
「じゃあ、またな」
立ち上がる気配がした。
俺も見送るために立ち上がり、作業場から出る。
月の明かりから隠れ、作業場の影で爺さんが手を振った。
傭兵たちはウザスの兵舎に雑魚寝だという。
「な、何か必要なものがあったらー」
俺の肩の鳥が何かを言ってる。
バカか、俺は。
「ガストスさん!」
足を無理矢理動かす。
闇の中に消えそうな背中に向かって。
「ごめんなさい、いつも迷惑ばっかかけて」
「謝るなっ。 ばかやろう」
振り向いた爺さんに頭をゴツンとやられる。
昔と比べればやさしい痛みだ。
王子は涙を拭って顔を上げる。
「ガストスさんも気を付けてください」
「ああ」
俺たちはガストスさんとは面識がないということにしなければならない。
サーヴの怪しい魔術師はケイネスティ王子ではないのだ。
「坊よ。 俺たちのことは気にするな。 どうせ、老い先短い身だ」
太い腕を組んで俺を見下ろす。
「すべて終わったら、そうだな、またうまい飯を食わせてくれ」
がははと笑った顔が昔と少しも変わらない。
王子が泣いてる。
闇の中で、声も出さずに、俺といっしょに。
後姿が闇から出て、また闇に消えて行く。
「ハシイス」
「はい、お任せください」
黒いマントを羽織ったハシイスが後を追って行った。
俺は黒髪黒目に戻し、リーアと共に町に戻るために歩き出す。
「師匠。 あの署名、偽物っすよ」
背後の闇から聞こえた声に俺は頷いた。