遅い夕餉もナニカと良いモノじゃ♪
アップ遅くなりました。
申し訳ないです。
蕨宿の東の端っこ。こじんまりした古びた旅籠である〖まんまる屋〗に対して、まるで夜襲でもかける様に侵攻した飯井槻さま率いる総勢七人の討ち入り隊は、足拭いもそこそこに、さっき飯井槻さまのお陰で死にかけていた宿主に先導され、奥の薄暗い部屋へと案内された。
「よもや斯様なみすぼらしい食膳が、飯井槻さまの御前に据え置かれるとは…」
我らが訪れたのが遅すぎたせいか、飯田彦之丞は彼の前に据えられているのは、見るからに粗末で節くれだった膳部と、なかなかに貧相なその中身を見詰め憎々し気に呟いた。
そう奴は、コレを運んできた飯盛り女どもが戸を閉め去って行ったのを確認するや、しきりに首を振りながら上記の感想を言い深く嘆息したのだ。
「左様かの?これはこれで良い夕餉とわらわは思うのじゃがの?」
そう言って飯井槻さまは自分の膳をサッと眺め見た後、では早速とばかりに、これまた粗末な飯椀代りの木の汁椀を手に取られると、中身である灰濁色の温めの麦粥に、これまた持参した自前の漆塗りの箸を指し入れて、これを勢いよくズズッと口に運び込んでいかれた。
「ああ、飯井槻さまともあろう御方が、斯様な民草でも憚られる粗末な食事を御取り為されてはいけませぬ」
彦之丞は飯井槻さまの為され様に思わず取り乱し、腰を浮かせて押しとどめようと侍女の雛に目配せする。
「あ、えっと…」
飯井槻さまの傍らに控え、同じ内容の膳部に同じく箸を付けようとしていた雛は、彦之丞の物言いに戸惑い箸を止め、何故だか分からんが儂に向けてその眼差しを寄せてきた。
参ったな。なんで儂に話を振るんだ。
だが見るからに困った様子の雛の表情を見ると、流石にココは捨て置く事なぞ出来そうもなかった。
「あーおほん。あのな彦之丞よ。儂のはなし…」
「うむ。これはこれは、野趣満ちた滋味深い味の良い粥じゃの。それにほれ、この大根葉の漬物も程よい塩気で格別なのじゃ♪」
そう言って飯井槻さまはポリポリと小気味よい音を立てて、恐らく間引きされたであろう大根葉の塩漬物を頬張り満足げにあらせられる。。
あう。折角儂が今から奴を諭そうとして居ったところを、空気の読めぬ飯井槻さまがしゃしゃり出て気負ってからに!
ムッとなった兵庫助は、飯井槻さまに抗議の視線を送ろうとしたが、その前に自分に対してキツイ視線が浴びせられていることに気付かされる。
ああ、鶵ちゃんやめて。そんなジト目で儂を見ないでくりゃれ!これはもう仕方ないじゃないか!
チッ!と云う舌打ちが、まるで聞こえて来るかのような素振りの口の形を作り、侍女の雛がプイっと視線と顔を兵庫助から放して、前隣りの質の悪い座布団に座する飯井槻さまの為、見るからに味の薄そうな茶の湯を、黒ずんだ薬缶から湯呑に注ぎ入れる作業を開始する。
「そうですね。確かに薄い塩かげ…。コホン。まるで野になる草のよう…。いえ、じ、滋味あふれる良いお味の漬物で御座いますね」
「だな。あっしも長いこと蕎麦屋をしておりやすが、素材本来の味と云うのをすっかり忘れちまってたようで、これはこれでちょいとばかり大根葉も青臭くって…。いやはや、なんとも。あっと、麦粥もドロッとしてて舌に残って、へへ。…味わい深いもんでさぁ~♪」
もとは信州の草生した田舎育ちの夫婦とはいえ、長らく江戸に住み、本人たちの気付かぬ内に、少なからず舌が肥えさせてしまった様子の長兵衛と於里が、口に合わぬのを苦しみながら飯井槻さまの助け舟を名乗り出てきた。
どう聞いても助けになってはいないが、助かる。と、ここはひとつ思って置こう。
「そうじゃろ、そうじゃろ♪菜とは本来こういったモノじゃ。思うにこの大根葉は畑で拵えたのではあるまい。芯のある自然の風味が濃いからの♪」
ふししし♪
いつもの含み笑いをひとしきりした後、飯井槻さまはまた漬物に箸をつけ、粥と一緒に美味そうにモグモグしてから飲み下された。
「されど飯井槻さま。一回の平侍とは貴方様は御立場が違いまする。これでは余りにも貧相なお食事ではありませぬか?」
彦之丞は奴成りの考えのもと、飯井槻さまの心配をしておったのだろう。
だがな彦之丞よ、左様な心配は要らぬのだ。なぜならば飯井槻さまと云う御方はな…。
「お主は自然の摂理と云うのを存じておるかの?」
「自然の摂理…。で、ございまするか?」
突然の飯井槻さまからの問いかけに、思わず彦之丞は目を丸くしキョトンとする。
「左様じゃ。此の世は未だ人の手ではどうにもならぬ自然に満たされて居るのじゃ。これの意味するところ其方に判るかの?」
流石に七人もの男女が食事をとるには些か狭い部屋の、その上座に当たる場所に陣取っている飯井槻さまは、彦之丞の顔を真正面に眼に捉えてニッコニッコである。
「……恐れながら、左様な理を某は存じ上げませぬ」
眼前で悠然と寛ぎ、次は何を食うてやろうかと思案している飯井槻さまの仰り様が本気で解らぬのであろう。
スッと俯き如何にも苦しげな様子で絞り出すように答えた言葉は、奴の心境を表すにはもってこいの言いざまであった。
「ふむ。左様か。まだまだよの♪」
やれやれ、飯井槻さまは詭弁を弄して彦之丞を煙に巻かれておられる。
この御方はな、ただの貧乏性なのだ。
兵庫助は思わず眉間に拳を当て、普段の飯井槻さまの暮らしぶりを思い浮かべる。
泰平に世になって久しく、貧相な民草ですら日々三度の食い物にありつこうとする世の中なのに、飯井槻さまの食事ときたら朝夕の二回しか摂られず、しかも先祖代々からの風習か何なのか知らぬが、飯と云えば香弥乃大宮の神田で収穫された赤米で拵えた強飯で大体済まされ、おかずも領内の百姓や漁師どもから譲られた菜や魚に、田畑を荒らす故に捕らえられ潰された獣の類。
それさえ手に入らぬ場合は御自ら外に出られ、散策がてらにその辺に生えている野草を狩っては喜んで喰う始末なのだ。
特に貧乏でもないのに、こんな生活を送られるのは何故か、儂には未だに謎なのだが、こんな毎日を苦も無くこなされる飯井槻さまにとっては、蕎麦と云い江戸の街中で売られている食い物は、さぞご馳走に見えたであろうことはかたくない。
そういや御自ら耕された畑の南瓜の実が、そろそろデカくなっているかもしれぬな。
で、儂の回想もよそに当の飯井槻さまはしきりとニヤニヤしながら、ちょっとばかり無い胸を張り、幾ばかりか勝ち誇ったように見受けられる我が主は、慈悲深いことに此の問答に対する答えを彦之丞に教えてやる訳でもなく、今宵の食事の中では一番のご馳走である、どうみても残り物じみた味噌漬けの細切れ豆腐をひょいっと箸で摘んで口に含み…。
「うっまーいお♪」
などと、とても大名身分の姫様とは思えない態度でほっぺたに手をあて、とっても満足そうに咀嚼しているのだから、置いてけぼりを喰らった彦之丞は堪らぬであろう。
「そ、それじゃ。あっしらも頂くとしようか?」
「う、うん。そうだねお前さん」
ここは続けとばかりに、長兵衛夫婦は飯井槻さまを見習って、一気に重たくなってしまった空気を食い物でかき消すようにせわしく食事を開始した。
同じく雛も箸を取り、チラチラ彦之丞の様子を窺うそぶりを見せながら粥に箸を落とす。
まあ、無難な対応だな。
一段落ついたかな。
そのように感じた兵庫助は、俯いたままの彦之丞にお前も喰えと眼で伝え、次いで奴の為に茶を湯呑に注いでやり、コトリと膳部の端に置いてやった。
「かたじけのうございます…」
項垂れたままの彦之丞はポツリと言い、ガッと右手で湯呑を掴むと熱い湯をむせ込みながら一気に飲み干してしまった。
うむ。元気があって良い。
たぶん彦之丞は、この貧相な八畳間に我ら一行が通された時から、旅籠側の無体な仕様に呆れかえり、尚且つ気に障ったのであろう。
彦之丞の心の内をその様に推察した兵庫助は、改めて部屋の隅々を観察する。
儂が探るにこの部屋は、普段小間使いや飯盛り女が休むためにあらかじめ用意されていたであろう所謂休息所か、あるいは普段は寝屋として使われている部屋なのだろう。
見るからに壁土がポロポロと剥がれて居る処や、お世辞にも掃除が行き届いているとはいいがたい桟や板間の隙間、それに木色の焦げた戸の有様からもそれが察せられる。
飯井槻さまの強引な押し込みがあったとは云うものの、確かにこれでは身分を伏せているとはいっても二万石の小身の身分ながら、幕閣にも与する名門大名家の当主にはふさわしくないと考えるのも自然な話だ。
その上ここにきて、左様な身分の御方に余りにも貧相な食膳を提供されたので、つい怒りが湧いたのだろうな。
若いっていいな。自身の考え方に迷いがない点に於いてだけどな。
まあ後ほど考えあぐね迷ったら迷ったで、その考え方を改めるのに丁度いいだろう。
若いってのは儂も経験があるから思うのだが、無限にも思えるくらいの刻が、まだこれから先も続くように思えるモノだからな。だから、なにごとにも躊躇がない。悩み迷えよ若人よ。なんてな。
しかし。羨ましい限りだ。
いや、実に羨ましい。だがそれにしても奴も災難な事よ。
飯井槻さまは道中何かといじれて、退屈しのぎになる人材に巡り合ったと思い、内心大いにほくそ笑んでいるだろうことは、誰あろう兵庫助には痛いほど分かる【決定事項】のようなものであった。
あれ?そう言えば、ひょんひょろはどこに行ったのだ?
またのお越しをお待ち申し上げております♪




