一之介からの手紙。(2)
一之介からの手紙の続きなります。
でわ、どうぞ♪
定額山 信州善光寺。
信州に存在する此の大寺は、一光三尊阿弥陀如来を御本尊として安置し、善光寺聖の勧進行脚や出開帳を通じて天下に広く知られた多宗派の寺院である。
さて今回、料理人の爺様である〖高橋典膳成季〗が嫡男、〖高橋一之介成正〗が、大宮茅野家の当主である〖茅野右大弁千早〗こと、通称〖飯井槻〗さま宛てに差し出された手紙は現存しないものの、その内容はこの様であったと後世には伝わっている。
飯井槻さまに失礼を承知で言上申し上げます。
この度、善光寺でとある問題が発生し、その所為もあり私も窮しております。
その問題とは、本寺の御本尊にして秘仏である〖一光三尊阿弥陀如来〗が、もしかすると既に此の世に存在していないのではないかという、要らざる嫌疑が掛けられた為で御座います。
是故、現在善光寺は〖御本尊は在るよ派〗と【御本尊は無いよ派】とに大きく二派に分かれ相争い、収拾がつかない有様になっており、名門の誉れも高く朝廷との繋がりも深い〖茅野家〗に仕えし朝廷料理人の血筋でもある〖高橋家〗の出、その為、双方の派閥から此方側に与しようとする説得が昼夜も問わず繰り返されて居り、その上に常に双方から監視され逃げ出す術も御座いません。
誠に身勝手とは思いますが伏して申し上げます。私とこちらでも受けました家族ともども救い出して貰えませんでしょうか。
松平右大弁様
高橋一之介
これが一之助からの手紙か。
兵庫助が初めて手にした〖手紙〗は、信州は松崎の和紙の特徴である、破れに強い力強さを持ち、古から神事にも用いられていたらしい見た目も美しく手触りもよい紙質であったのだが、そこに書き記された一之介の筆致もまた美しく均整がとれており、如何に危急のただ中であるとは申せ、主君である飯井槻さまへの気遣いが見て取れる気を使った内容であった。
「ふむ、成程。御本尊がのう…」
兵庫助は手紙を飯井槻さまの取り次ぎ役であるひょろひょんに渡し、暫し考え込む。
これだけ読めば、単に派閥争いに巻き込まれ困っているから救出して欲しいとしか読み取れないが、何故に飯井槻さまは御自ら出向こうと為されるのかが判らない。
当家は、確かに武士の数少なく、武芸に達者なものは他家に比べて僅かではあるが、それはそれで儂なり左膳なりを派遣すれば事足りるのではないか。
であるのに、此度の一行と云えば、武芸に秀でているのは儂くらいで、同じ武家ながらひょろひょんは役には立たず、勿論、町人身分である長兵衛は話にならず、かといって寺社奉行配下の侍ではあるものの、書類整理と算盤勘定にだけには秀でてそう若年の飯田彦之丞。
他は皆女子ばかりという体たらくだ。
これではイザという時に頼りになるのは儂一人で、しかも本来の目的である一之助一家の救出なぞ夢のまた夢、下手すれば何もできず完全に物見遊山で終わってしまうかもしれん。
一体何を考えているのか、飯井槻さまに目を移し存念を窺おうと兵庫助が口を開こうとしたとき。
ずるるるる。
「ねえねえ、飯井槻ちゃん。ホントに是読んで善光寺に行こうと思ったの?」
ずぞぞぞぞぞぞ。
「左様じゃが、如何かの?」
「いけないことは無いけど、あら美味しい。この手紙、割と面白い代物だけど、その、大丈夫なの?」
「うむ、前よりもだいぶん旨くなっておるのじゃ。流石に出羽守には解るかの、ふしししし♪じゃからこそわらわが自ら参るのじゃ♪」
ずずずずずずず。
ずぞぞぞぞぞぞ。
ずるるるるるる。
部屋の中に蕎麦を啜る音があっちこっちから響き渡る。
飯井槻さまと柳沢吉保姉さまが長兵衛の新作蕎麦を喰いながら、なにやら会話をしているが、儂にはその意味するところが解らない。
てかね、幾ら昼時だからって蕎麦を勢いよく啜りながら話す内容にはとても思えない、重大な事柄が判じ物の様に繰り広げられているが、そもそも斯様な話を一介の町人夫婦である長兵衛と於里を交えてしてもよいモノなのか、儂は甚だ疑問なんだがどうだろう。
「ずるずるる。美味し!なんじゃ兵庫助は左様な些細な事を気に病んでおるのか、さすれば心配には及ばぬ。彼の二人はわらわが既に家臣に取り立てておるからの。安心するのじゃ」
はい?
「じゃからの、わらわ直参での、知行五十石を与え召し抱えたのじゃ♪」
だから、はい?
てことは何かい、この仲良くて腹の立つ。いや、仲睦まじい御二方は士分になったっていうのかい?しかも五十石ていう破格の待遇でかい?
「左様じゃ、少々渋られたがの、此度の役目を鑑みれば身内にしておくのが一番じゃと思ったからの。文句なかろう?」
いやいやいや、あるよ!大いにあるよ!この巷に牢人溢れまくりの世の中だよ?そん中から逸材探し出してもよくね?
「わらわが必要じゃと申しておるのじゃ。もう済んだことじゃ気にするな。なのじゃ」
プイっと知らんぷりして飯井槻さまは蕎麦を食べることに熱中する。
「まあまあ兵庫ちゃん、あなたの御当主様がああ申してるんだから大目に見てあげて♪」
そう言っていつの間にやら傍に蕎麦猪口と蕎麦の盛られた蒸籠を抱えた吉保姉さまが、自然な形で座られ儂に耳を弄ぶ。
ああん♪あの、そこ弱いんで勘弁してくださいませんかね。
「それにね、飯井槻ちゃんお云う通り流石にこの話は他言無用を要する事柄、如何に町人と云えど、そこはしっかりさせないといけませんからね♪」
うふふふ♪と微笑み、完全に女性気分の吉保姉さまは、そばで頷く妹分、白石ちゃんと徂徠ちゃんを従えて、自身の置かれた立場に打ち震える長兵衛と於里を横目に、こんこんと儂に言い聞かせるのであった。
もうね、飯井槻さまの御好きにしたらいいやって気分に儂は成らざるを得なく、成りたくはないけど成らざるを得なくなった。
だって、吉保姉さまの目が全然笑ってないんだもん。
ここまでお読みいただき、有り難いです。
でわ、またー♪