元禄の蕎麦なのじゃ♪(1)
ちょっと蕎麦が食べたくなって調べてたらこうなりました。
続きますが不定期発信になります。
その点に注意しつつ御話にお進みくださいませ。
では、またー♪
元禄五年某月吉日
「やってられんのう兵庫助よ」
「飯井槻さま、出し抜けに何を仰せられる」
「だってそうじゃろ。定番参勤で江戸に参ってみれば、いつもの御犬様の大群。囲まれて、糞臭いわ、獣臭いわ、ワンこらうるさいわ。かと言って力づくで払うわけにもいかぬわ。やってられんのじゃ」
「まあ、確かにそれはそうですが、決まり事でありますからな」
「来るんじゃなかったかのう」
「まあ、それも決まり事でありますからな」
いくら何でもやり過ぎなのじゃと、輿の中でブツクサ言っている飯井槻さまは、だからと云って、当代の公方様の政をとやかく申すつもりは無い様子ではあった。
流石に何かと奔放な飯井槻さまでも、御家大事なのは判ってるのだな。
そう感想を述べて嘆息する若い侍は、名を〖神鹿兵庫助親政〗と云う。
彼は先祖代々背が低い家系らしく『四尺八寸・約145㎝』男ながら作事や、今ではあまり見向きされなくなりつつあった軍事をも嗜んで此れをも生業としている為か、無駄についた筋肉と太い骨で身体を鎧った隆々とした体躯を持ち、見るからに戦国の武人然とした風体で、深志茅野から派遣された肆の飯井槻さま付きの家老身分ながらも、〖時代を間違えてきた男』などと飯井槻さまに明け透けに云われている人物でもあった。
「それにしてもの、会うたびにいつも思うのじゃが、此の世にお主よりも背が低き男が居るとはのう」
「声が大きゅうござる。自重為されませ」
「ふん、左様かのう」
斯様に先程まで拝謁なさっていた当世の公方様である、『徳川綱吉公』の体躯をこう評する飯井槻さまは、終始鼻をつまんだ気の抜けた声で応えられたのだが、誰かに聞かれれば下手をすれば取り潰しになりかねない発言を、軽い感じで述べるからこっちとしては堪らない。
しかし当人がその危険性をホントに解っておいでになるのかは、輿に降ろされた御簾の所為で表情が窺えない兵庫助には見当がつかない。
「それはそうと飯井槻さまよ、屋敷に真っすぐ赴かれずに斯様な場所に参ったのは如何なる訳であるのか」
「なに、頼んでおいた美味い品があるのでの♪それに今宵は本家が登城で立て込んでおる故に、下屋敷を使うてくれとの」
「ほう、左様で」
相変わらずのうそつきめ。
兵庫助は飯井槻さまの口ぶりから、こう断じざるを得なかった。
なにが本家が立て込んでおる、だ。
彼は思う。昨日まで本家に詰めて今日の段取りを行っていた自分は、全然そんな話は存じてはおらぬ。
だが表情は判らずとも、如何にもウキウキした話ぶりから大変に期待されている気持ちが甚く伝わって来る。
一体全体この祭主様は、何を企んで御出でになるのか。注意して懸からねばならぬな。
そう兵庫助は肝に銘じ事に備える覚悟を決めたのだった。
さて、飯井槻さまをはじめとする茅野家は現在二つの家に分かれている。
一つは男子が当主を務める深志茅野家『五十五万石』と、飯井槻さまが当主を事実上務める大宮茅野家『二万石』が存在していた。
公的には此の二つの家には上下関係はなく、そういった扱いではないのだけれども、世間一般的には分家に見られがちな大宮茅野家の事実上の当主である通称『飯井槻』さまこと『茅野右大弁千早』とも『松平右大弁千早』とも云い、当年数えで十八の娘であったのだが、政治上の理由から朝廷にも緊密に接し幕府にも仕える特殊な役回りの香弥乃大宮の『祭主』であり、『国主相当の身分扱い』の人物である。
勿論、彼女が住まう此の国の『本当の国主』は深志茅野家なのだが、官位も、幕府内での立ち位置も同級扱いにされており、恐らくこれは徳川家による家中分断の意味合いも色濃く反映された結果であったのだろう。
それは徳川の世になってから、歴代の飯井槻さまの御子が世継になる事は禁止された関係から、本家に女子が誕生し成長した暁には『祭主』をその子に譲り退いたのちに夫を持つことが慣例とされていた。
さてさて、この当代の歴代の飯井槻さまがそうであったように、日ノ本一と巷で噂立つ程の誠に美しき姫御前様であったのだが、それよりもまして有名であったのは、此の飯井槻さまは美味いもの好きであった事であった。
「いやの、丁度通り道に江戸でも評判の蕎麦屋台見世を商う『二八の長兵衛』なる者が居るそうでの、料理人の爺様が是非とも食してみたいと申すのでのう」
「うそ乙」
「なんでじゃ!」
「あんたな、自分が喰いたかったからと云って、御爺様を引き合い出されるのは如何かと思うぞ?」
「嘘じゃないわ! わらわが先日爺様にこの地で商って居る蕎麦きり屋台見世が美味いそうじゃぞと申したところ、それは是非にも食うてみたいと云うたのじゃ! それならばわらわも彼の蕎麦屋を一日雇い入れ、相伴させて貰おうことにしただけじゃ!」
「そらみろ! やっぱりあんたも喰うのが目的じゃねェ~か!」
「だから何でじゃ!」
「巧いこと御爺様を焚きつけて蕎麦屋から技を学ばせて、国に帰ってからも美味い蕎麦きりを喰うてやろうとの魂胆であろうが!」
「うっ!」
輿の御簾の中ですっかり言葉に窮してしまった飯井槻さまは、「それはそれとして、蕎麦屋はまだかのう」などと申され、素知らぬふりを為された。
ああもう、やれやれだな。
〘御二方、声が大きゅうございます〙
いつもの抑揚がない小声を発して不意に現れたのは、兵庫助と同じく飯井槻様付きの役目を深志茅野家から与えられている、通称『ひょろひょん』と云う、やたらと背がひょろ高く貧相な体格の男であった。
お読みいただきまして誠にありがとうございます。
では次回をお楽しみに♪