勇者ならば
「こいつ、好きにしていいの?」
やや短めな黒髪の女が、廃れた神殿の床に転がる朝比奈を指差しながら言った。
「ええ! "殺さなければ"好きにしていいですよ!」
女の問いにイシアは答えた。"黒髪の女"とはイシアと契約した人間であった。
「でもこいつもう死んでるっぽくない?」
「気を失ってるだけです。さぁ! まずは葵ちゃんの力でその人間を治癒させて!」
大袈裟な身振り手振りでイシアは黒髪の女――葵に指示する。
「力の発動を念じればいいのよね……」
葵は目を閉じて力の発動を念じた。
「……何も起きなくない?」
葵は閉じた目を開け朝比奈を見つめる。が、床に転がる朝比奈は見る限り何も変化していなかった。
「そんなことないですって! 多分もうすぐピンピンしながら目を開けますよ」
半信半疑で朝比奈の様子を見る。
十数秒は経った。何も起きないじゃないか、と言おうとしたその時である。
「え……ここは……?」
気を失っていた朝比奈が目覚めた。それと同時にイシアはどこからともなく金槌を取り出す。
「えい!」
その金槌を勢いよく朝比奈の脚へ叩き込む。
「お゛っぐぅ……」
声にもならないうめき声を上げる朝比奈をよそにイシアは言う。
「葵ちゃんは右脚、右手をお願い!」
「えぇ……急にどうしたのよ……」
「こいつはワープホールを生成する力を持ってるんです。だからこいつ自身を移動不能にしておかないと逃げられちゃうんですよ!」
「は、はぁ……」
イシアはバギボギと朝比奈の左手脚を折った。
「あれ? 葵ちゃんも早くやってくださいよ!」
「あの……トンカチ、私にもくれない?」
「金槌が欲しかったんですね! なら私のあげます。私はもう必要ないので」
こうして2人は朝比奈の手脚の全てを折ることに成功した。
「さてと、」
そう言ってイシアは朝比奈の顔に自分の顔を近づける。。
「アナタはこれから拷問されます。勿論、第2階層以降への行き方を教えてくれたらもう何もしませんけどね!」
「い、今のは……拷問じゃなかった……の?」
「ええ、今のはアナタを逃がさないための手段です」
「言わないわよ……私は」
「強気ですねぇ。耐えられますか? 拷問するのは私じゃないんですよ?」
ね? と言いながらイシアは葵の方へ振り向く。
「当初の予定では私が拷問するってことだったんですけど、葵ちゃんがどうしてもやりたいって言うから……」
「駄目なの?」
「いやいや、結構ですよ! それに私より拷問に精通してそうですし、大歓迎です!」
「いや、精通してるって訳じゃないわよ。ただ久しぶりに発散したくなっただけよ」
イシアはイヒヒと笑いながら、翼を広げる。
「じゃ、私は他の仕事があるので一旦失礼します」
「あ、完全に私1人に任せるんだ」
「はい、信用していますからね!」
そう言ってイシアは広げた翼をはばたかせることなく宙に浮いた。
「最後に1つだけ。何度も言いますけどそいつは瞬間移動できる力を持っています。気を付けてくださいね。力で治癒するときも手と脚までは治さないように!」
イシアは灰色の空に消えた。
「さて、早速だけど地獄の第2階層への行き方を教えるつもりはある? もう吐いちゃう?」
「……吐くわけないでしょ」
「そう、吐きたくなったら言ってね」
葵は手に拳を作る。
「冷静に考えてさ、一生に1度でも本気で人を殴ったことがある人間って3割もいないんじゃない?」
「何言ってるの」
「でもたまに思うでしょ? この人を本気で殴ったらどうなるんだろうって」
そして、葵は拳を朝比奈の顔面へ向けて放つ。
「ひぎっ」
ぶちっと音を立てて朝比奈の顔面を葵の拳が襲った。
「ふふふっ……この非日常感、凄くいいと思う」
葵はひたすらに朝比奈の顔面を殴る、殴る、殴る。
「すっごく発散できるのよ。自分の中に渦巻く何もかも、全ての発散できるの」
「あぐっ」
また、殴る。朝比奈はその眼に涙を浮かべていた。それは本能由来の涙であり、心よりの涙ではない。
「たぶん、親を殺された憎しみだって発散できると思うわ」
「い゛っ」
そして、殴る。
「貴女も機会があったらやってみたらいいのよ」
「うぐっ」
更に、殴る。
「これは本当の話。1度本気で人を痛めつけたらね、もう戻れない」
殴る。
「胸中に渦巻く自分でもよく分からない、衝動。それを解き放つような感覚」
殴る。
「それを人間が受け止めてくれる感動」
殴る。
「……っていうか、これはもう拷問じゃないわね。ただの発散」
朝比奈の顔は腫れ上がっている。
「……地獄に堕ちて当然の人間性ね、貴女は」
しかし、朝比奈は毅然として葵を罵った。
葵はそんな朝比奈の罵倒を無視して言葉を続ける。
「まぁ、こんな日々が続くって現実が、ある意味拷問かもね。こんな日々から抜け出したかったら早く吐いちゃってね」
「誰が言うもんか。いつか、貴女をもう1度地獄に堕としてやる」
「地獄ねぇ、辛かったわよ。もしかしたら自分はとても悪いことをしてしまったんじゃないかって、自責の念が生じちゃって……」
「"もしかしたら"なわけがない。貴女はとても悪いことをしたのよ」
「人を殺すのはそんなに悪いこと?」
葵は唐突に、そしてあっさりと自分の罪状を吐露する。
「悪いことに決まってるじゃない!」
「でもね、悪いことだ悪いことだって思うほど、凄くワクワクしちゃって……。何もかもが新鮮だったわ」
朝比奈はもう何も喋らない。ただただ目の前の存在を憎む。
「ねぇ、たまに目の前の人を思いっきり蹴ったらどうなるんだろうって思うことは無い?」
「……」
「思うがままに力一杯踏み付けたらどうなるんだろうって思うでしょ?」
葵はただただ発散し続ける。地獄に堕ちてから今日までの鬱憤は晴れることを知らない。
***
「いやーでも、僕だって自分の力を把握し切れてない感がありますからね」
「そうなんですか?! 最初から完全に使いこなしているように見えましたけど……」
富樫圭悟と縋木徒紫乃は雑談に興じていた。
「でも、力を使っているときって、私が正義だー! って感じがしません?」
「あー凄く分かります。コンプレックスも何もかも吹き飛ぶようなあの感覚ですね?」
「そうです、そうです!」
「あの感覚、嫌いじゃないですね」
「私も嫌いじゃないです。むしろ好きかも」
富樫圭悟は不意に立ち上がった。
「体がなまってもいけませんし、ここで少し力を発動してみます」
「え!? ここでですか?」
「別に、ここを焼き払うわけではないですし大丈夫でしょう」
「ま、まぁ確かに、自分の力をしっかり把握しておく必要はありますしね……」
富樫圭悟は天国の大きな花畑。その真ん中で力の発動を念じた。
「現れろ!」
富樫圭悟は太陽に手をかざした。光の粒子が集まり、剣を形作っていく。
「よし、出てきましたよ。勇者剣」
「勇者剣……」
剣の名前について何か言いたげな縋木徒紫乃であったが、結局何も言わなかった。
「それにしても、美しい剣ですね」
「自分で言うのも難ですが、僕もそう思います」
剣の刀身自体は澄み切った銀なのに、それに反射する光は黄金色であった。その調和がとても美しい。
「剣を出すのが圭悟さんの力の全てなんですか?」
「いえ、違いますよ。力も強くなってます」
「やっぱり! 私もそうなんですよ。力も強くなるんです。一緒ですね!」
「デフォルトで身体能力向上はついているのかもしれませんね」
富樫圭悟が念じると剣は光の粒子になって飛散した。
「力を解除したんですか?」
「いえ、なんとなく」
「私は鎌を消せば、それがもう能力解除でしたけど……」
「と言うことは僕は剣以外も出せるってことでは……!」
「是非、試してみましょう」
富樫圭悟は盾のイメージを念じる。すると、掌で風が収縮していく感覚を彼は覚えた。
「あ、なんか来そうです」
次の瞬間である。富樫圭悟の手には盾が存在していた。
「すごいですね! 盾も出せちゃうなんて……!」
「いや、しかし……勇者ならば当然なのやもしれません」
「勇者すごい!」
――――そう、勇者ならば。その言葉が彼の力を際限なく拡張していく。
勇者ならば、力では誰にも負けない。
勇者ならば、光の剣を編み出せる。
勇者ならば、風を編み盾を生み出すことも出来る。
勇者ならば、勇者ならば、勇者ならば。
"勇者ならば"なんて勘違いも甚だしい歪んだ富樫圭悟の救済意識が"それ"に辿り着くのにそう時間はかからなかった。
――勇者ならば、助けを求める人の許へ駆けつけることも出来る。
***
「痛いでしょ? 辛いでしょ? なら吐いちゃった方がいいわよ」
拷問という名の発散が始まってから、既に10日になる。
「痛い……痛いよ……助けて、助けて……」
朝比奈の目玉は葵の"発散"で既にくりぬかれていた。しかし、目がくりぬかれても涙は流れ出る。
「痛い……痛い……」
「だから吐いちゃいなさいって」
いくら痛いと喚こうが、朝比奈は今だ第2階層以降への行き方を言わなかった。
「はぁ、もう発散できる部位も少なくなってきたし、治してあげるね」
葵が力の発動を念じる。
抉られた目玉も、折れた肋骨も、剥がされた皮も爪も、骨折も、打撲も、内出血も、痣も、腫れも。全て治って行く。
そして、痛みに慣れかけた脳すらも元に戻っていく。
「へ? え?」
朝比奈は突如蘇る視界に困惑した。
「やっほー、見えてる? じゃあもう1回最初から初めよっか」
それは2度目の死刑宣告と言っても過言ではない。
いくら朝比奈が、痛みに屈し秘密を吐かない強靭な精神を持っているとはいえ、痛みを感じるのは確かなのだ。痛いものは痛い。
「あ、あぁ……やめて、助けて……誰か、助けて……」
「――――助けて!!!」
――――瞬間、空間が歪む。光が弾ける。
「えーっと……貴方、誰?」
「お、お前はあの女と一緒にいた……!」
空間が歪み、天国からここまで繋がった。
助けを求める人の許へ。そんな資格など彼には無いのに。
「――――助けを求められた気がしたので」
富樫圭悟が、現れてしまった。