天国の裏で
「この景色を見るのに300年以上はかかりました」
地獄に解き放たれた天使たちを見ながらリエルは呟いた。
「ここで終わりではないですよリエルさん。元凶の魔王を倒さねばなりません」
リエルの隣に立つ富樫圭悟が言った。
「ええ、そうです。魔王の手下も捕らえましたし、魔王の拠点を聞き出さねばなりませんね」
「しかし、どうやって魔王の拠点を聞き出すんですか?」
「その件ですが、私達天使に一任させてもらえませんか?」
「……別に構いませんけど」
***
手や足を"内側だけ"切られた朝比奈は今だ砂漠の上で倒れていた。虚ろな目で、地獄が天使に凌辱される様を眺めていた。
しばらくすると、彼女の周りに天使が集まってきた。
「へー、こいつが同朋を虐殺したニンゲンかー」
「私達を迫害した天罰がようやく下ったのよ」
「人間と契約できなくなって、ほんっと大変だったんだから」
天使らは倒れている朝比奈に向かって口々に文句を言った。だが、天使らの怒りは文句だけでは収まらない。
「ねぇねぇ、なんか言ったらどうなのー?」
天使の1人が、朝比奈の体を足裏で揺する。今、朝比奈の体は揺すられただけでも耐えがたいほどの苦痛を訴える程にボロボロだった。片腕と、両足の"中身"が切り裂かれているので当然と言えば当然である。
「いぐっ……いた……い……あ゛あ゛」
もはや痛みを訴える言葉すら満足に出てこない。
「なんか言えって言ってるんだよー? できれば私達への謝罪の言葉がいいなぁ」
天使はさっきよりも強く朝比奈の体を揺さぶる。
「あぎゃっ……はぐ、やめ、て」
「あっはははは、ホントおもしろいね」
「……ろ」
響く天使たちの笑い声に掻き消された"それ"を朝比奈は聞き逃さなかった。片腕と両足は動かすこともままならないので、顔だけを柳田の方へ向ける。
「や……め、ろ」
柳田は立ちあがっていた。
それを見た朝比奈は痛みも忘れて「え?」と驚きの声を上げる。彼は、切り裂かれた腹の傷に被せるように光の壁を展開させ止血をしていた。
驚いたのは朝比奈だけではない。そこにいた天使らも、死んだと思っていた人間が立ち上がったので驚愕している。
「え? あれ? 生きてたの?」
「っていうか、これ、リエル様とか呼んだ方がいいのかな?」
「ど、どうしよう……」
困惑する天使をしり目に、朝比奈は冷静さを取り戻す。
「ゃなぎ……だ、くん……はやく」
朝比奈は自分の力を発動させたのだ。青白い穴が、倒れている彼女の近くに現れる。
柳田は自分の取るべき行動をすぐに理解した。彼は自分の立っている地点から、青白い穴の地点に向かって向かい合う二枚の光の壁を展開させた。柳田は光の塀に守られながら青白い穴まで走る。一歩足を踏み出すたびに激痛が生じたが、それを物ともせずにただ走った。
「え? これ、邪魔した方がいいのかな?」
「ちょっとそこのニンゲン! 勝手な真似はしないでよ!」
天使の1人が光の壁へと手を伸ばし、触れた。
「いったーい!」
光の壁はバチっと音を立て、触れた手を弾いた。
「無理だよ! 私達じゃあ手が出せない!」
「私、契約者の人を呼んでくるね!」
天使たちが喚いている間、柳田は黙々と前に進み続けた。そして、遂に彼は青白い穴への目の前に到達する。
「さぁ、手を……出して……。一緒に撤退しますよ……」
柳田は朝比奈倒れている朝比奈に手を差し伸べる。
しかし、差し伸べられた手を朝比奈が掴むことはできなかった。
何故なら、縋木徒紫乃が大鎌を振りかざし、柳田と朝比奈を両断しようとしたからだ。
「間に合ってよかったです。まさかまだ動けたなんて……」
「ま、徒紫乃ちゃんと私に任せれば万事安心だよ!」
天使はたまたま近くにいた縋木徒紫乃とプリムを急ぎ連れてきたのだ。
「柳田くん! 私はいいから早く行って!!」
朝比奈は、苦痛など御構い無しに大声を上げた。
「早く! 早く! 早く!」
朝比奈の気迫に気圧されたのか、大鎌を振り下ろさんとする縋木徒紫乃の存在があったからなのか。柳田は朝比奈を助けることを諦め、青白い穴の中へ消えた。
朝比奈が生じさせた青白い穴とはワープホールのようなものだったのだ。
柳田が完全に転移したことを確認した朝比奈は、すぐさま穴を閉じる。
「はは、やった……! 生きてた……」
朝比奈は安堵と激痛とで気を失った。
***
「――と、言うことがあって……」
「なんと……逃がしてしまったのですか……!」
柳田がこの砂漠から逃走する瞬間を近くで見ていた天使から事の顛末を聞いたリエルは絶句した。
「でも、逃したのが1人だけというのは不幸中の幸いでしたね……」
「本当に申し訳ございません……」
「油断大敵ですよ、次からは気を付けてくださいね」
リエルは気を失っている朝比奈の下へ向かった。
「あ、リエルさん」
朝比奈の下へ現れたリエルに反応を示したのは縋木徒紫乃であった。
「今は気を失っているのですか?」
「そうです。この人はワープホールを作り出す力を持っています。気を付けて下さいね」
「はい、分かりました」
縋木徒紫乃の忠告聞き終わったリエルは、倒れている朝比奈を抱き空へ飛び立った。
そこに、ちょうどリエルと入れ替わりで富樫圭悟が訪れる。
「あの魔王の手先の女性、どうなるんですかね?」
朝比奈を抱えて飛び立ったリエルの背を見ながら、富樫圭悟は縋木徒紫乃に尋ねた。
「さて、どうなるんでしょうか……。拷問……とかは無いと思いますが……」
***
廃れた神殿。ここはリエルが"私達の隠れ家"と形容した場所である。その床に朝比奈は無造作に置かれていた。
「まだ、見つかりませんか?」
リエルは眼前にいる多数の天使たちへ問うた。
「ようやく見つかりましたよ。契約したのは私です!」
誰もが顔を逸らしている中、1人の天使が声を張り上げた。
「おぉ! よくやってくれましたね、イシア」
イシアは胸を張りながら誇らしげな表情を浮かべた。
「して、どの系統の能力なのですか?」
「治癒です! これで治しては拷問、治しては拷問の永久機関の完成ですよ!」
朝比奈から第2階層以降の地獄への行き方を聞き出す方法として、リエルは3つの案を提示していた。
その3つの案とは、
身体を傷つけずに痛みを与えることができる契約者を連れてきて拷問する。
治癒系の契約者を連れてきて治しては拷問するを繰り返す。
自白させるような力を持った契約者を連れてきて自白させる。
と、いうものだった。
幸い、富樫圭悟らの活躍で、地獄の第1階層(砂漠)に進出できるようになった為、契約する人間がいない問題は解決されていた。手当たり次第契約し、リエルの3つの案のどれかに当てはまる力を持った契約者を引き当てるまで契約をし続けるのだ。
だが、この作戦には看過できぬ重大な欠陥があった。
「どう? リエル様の案に当てはまる契約者は生まれた?」
「うーん……取り合えず今契約してきたんだけどね、残念ながらどの案にも当てはまらないわね」
「やっぱ? 私もハズレ引いちゃったんだよねー」
「うん、じゃあ殺そうか」
「そだね」
天使は、自身と契約した人間が生きている限り、他の人間と契約できない。
つまり天使は、リエルの案に当てはまる契約者を引き当てるまで、何回も人間と契約し、当てはまらぬ契約者が生まれるたび殺すという行動を繰り返しているのである。
***
さて、天使が地獄で人間を大量虐殺をしている頃、富樫圭悟と縋木徒紫乃は地獄とはかけ離れた場所にいた。
「まさか、この世界にこんな場所があるなんて……」
「ええ、凄く和やかで綺麗なところですね……」
地獄とは天界の一部分にすぎない。今、富樫圭悟らがいる場所は俗に天国と形容される場所であった。
水は澄み、花は咲き乱れる。温かい日差しの下、涼やかな風がそよぐ。
「ここは……まるで天国ですね」
「ええ、魔王の力が及ばぬ場所はこんなにも美しいのに……」
「だからこそ、私達が魔王を倒さなきゃですね!」
「ええ、頑張りましょう、徒紫乃さん!」
2人は魔王討伐の決意を固めた。
「ところで、徒紫乃さんは自分の力を理解できましたか?」
富樫圭悟は、力について縋木徒紫乃に問うた。
「たぶん、私の鎌は、私が切りたいと思ったものしか切れないのだと思います」
「と、言うと?」
「この前、魔王の手先と戦ったとき、皮膚は切れずに中の組織だけを切り裂いたことがあったんです。それは恐らく、私に殺意が足りなかったから……」
「殺意と拒否が半々だったから、その想いを汲んだ鎌は、攻撃対象を表面的には傷つけず目に見えぬ中だけを切り裂いたわけですね」
「はい、恐らく……」
「でも逆に考えれば切りたいものなら確実に切れるということにならないですか?」
「確かに、私の鎌は魔王の手先が展開した光の壁を容易く切ることができました」
「でしょう? 凄い能力じゃないですか!」
「えっへへ……そうですか? ありがとうございます……!」
「――それにしても、天使さん達は今、何をしているんでしょうね」
「魔王の手先の女性を説得しているんじゃないですか?」
「早く聞き出して欲しいですね、魔王の拠点」
「ええ、そうですね!」
2人はそよ風に髪を揺らしながら、天使の報告を待った。