彼女は救われてしまった
「ここが、天使の隠れ家ですか……」
天使のリエルは、富樫圭悟と縋木徒紫乃の手を繋ぎ大空へ飛び立った。
彼らが初めて天使の声を聞いた光芒。それに沿ってリエルは上昇していく。段々と眩しくなってきて、辺り一面光で真っ白になった。
富樫圭悟も縋木徒紫乃も思わず目を瞑った。網膜に焼付いた光の残痕も無くなった頃、彼ら恐る恐る目を開けた。
「ここは……!」
「そうです。ここが私達の隠れ家です。」
もうそこは薄暗い砂漠ではなかった。廃れた教会、あるいは神殿か。
「リエルさんの他に天使はいないんですか?」
富樫圭悟がリエルに問うた。
「直に姿を見せてくれますよ」
リエルがそう言った直後、天使らは現れた。
何も無い所に光の粒子のようなものが集まり、天使を形作る。それが天使として実態を持つのだ。
天使らは続々と姿を現し始める。少なくとも十数人以上はいる。
「わぁ! これがニンゲン?」
「すごい……久しぶりに見た……」
「リエル様を信じていて良かった」
「まさか、信じられない」
「何年ぶりの契約かしらね」
「やっぱりリエル様はスゴイわ!」
「2人もつれてきたのね……!」
「男の子の方はリエル様ともう契約したのね……残念」
富樫圭悟らを見た天使は口々に反応した。
「みなさん、落ち着いて下さい。貴女達もちゃんと契約できますから」
リエルは興奮冷めやらぬ天使たちをなだめるが、それでも熱狂は収まらない。
「ねぇねぇ! なんで砂漠で私達の呼び掛けに答えられたの!?」
「リエル様と契約してどうだった?! 気持ち良かった?」
「契約ってどんな感じなんです? 教えてください!」
「力はもう使ったの? どんな力なの!?」
天使たちは次々に質問を投げかける。
「あそこはジゴクって言うんでしょ? 生前何しちゃったの?」
それは! と、リエルが叫んだ。彼女の突然の大声に、天使たちは驚いた様子である。皆、黙りこくってしまった。
「――――地獄? 何の話をしているんですか?」
「確かに! 確かに、魔王の力が及ぶあの砂漠は地獄の"ような"ですね」
リエルは"ような"を強調し、かつ天使たちに目で訴えながら発言した。それを受けた天使は自分たちがどうしたらいいのか分からなくなっていた。リエルが何かを伝えたいのは嫌と言うほど感じるが、何を伝えたいのか、何がいけないのかがまるで分からなかったのである。
結果、天使たちがとった選択は、沈黙だった。
「あそこは……地獄なんかじゃない」
口を開いたのは縋木徒紫乃だ。
「私や啓吾さんは確かに死んだけど、それは転生なの。死んだから地獄に堕ちたとかそういうのじゃない」
それが確信ではなく希望・切望の類であることは、その場にいた富樫圭悟以外の全員が理解した。
縋木徒紫乃は縋るような目で富樫圭悟を見つめた。そうですよね? と。
「当たり前じゃないですか」
富樫圭悟は平然と答えた。1+1を2と答える時と同じくらいの確信と自信を持って答えたのだ。縋木徒紫乃はそんな彼を見ていると、とても心が落ち着いた。
「そうだ、皆さんは少し上に行っていてもらえますか? 啓吾さん、徒紫乃さん、少し待っていて下さいな」
リエルが突然口を開いた。天使たちはリエルが何かを伝えようとしていることを知っていたので、特に異議を申し立てずそれに従った。
今この場所には富樫圭悟と縋木徒紫乃しかいない。
「あの、徒紫乃さん。聞いてもいいですか?」
「え!? 何ですか?」
突然の質問に縋木徒紫乃は驚いた様子だった。
「リエルさんが徒紫乃さんに契約を迫った時、僕の判断を待ったのは何故ですか? 説明すると長くなるって言ってましたけど……」
「それは……啓吾さんの判断なら絶対に正しいと思ったからです」
「何故、そう思ったんですか?」
そこも聞いちゃいますか、と彼女は少し笑った。
縋木徒紫乃が砂漠、つまり地獄に堕ちたとき、彼女は強烈な悔悟の念に駆られた。そして、それと同時に理解する。「ここは地獄なのだ」と。否応にも理解させられるのだ。地獄とはそういう場所であった。
自分の未来が光沢のない黒色で塗りたくられたような感覚。どこに光を見出すことも出来ず、ただその闇に埋もれる。
生前の行いをただただ悔いた。何故、自殺してしまったのかと。逃げださなければよかったと。辛かったから、耐えられなかったから自殺をしたのに、こんなところに来てしまった。泣きっ面に蜂とはまさにこのことだ。
彼女が地獄に堕ちてから富樫圭悟と出会うまでの時間は、1時間と経っていない。それでもその1時間は、彼女の体感で無限とも言えるほど長いものだった。嫌なことをしているときは時間が経つのが遅いことがあるが、その究極形である。
終わることのない懺悔、朽ちることのない後悔。彼女は、自分はずっと懺悔しながら生きていくのだろうと半ば確信していた。
そこに、富樫圭悟が現れた。「すいませーん!」とはしゃぎながら、彼は走ってきた。それがどんなに衝撃的だったことか。暗い静かな海に、光が投げ込まれたような感覚。そして彼は縋木徒紫乃の前に立ち言ってのけたのだ。「貴女も転生者ですか」と。
彼からは地獄のじの字も感じなかった。縋木徒紫乃にとってそれが不思議で不思議でたまらなかった。気付けば、心を縛っていた悔悟の念は消え去っている。いや、忘れ去っているという方が正しいのかもしれない。
ともかく、彼女はその瞬間確かに救われていたのだ。
過去も、未来も真黒に塗り潰されたと確信したとき、そこに光が射しこんだときの気持ちはなんと表現すればいいのだろう。
彼女は縋るように富樫圭悟に問うた。ここは地獄ではないのかと。嘘でもいいから「地獄ではない」と言ってほしかった。だが彼はその上をいったのだ。「魔王が幅を利かせているこの世界は地獄と言って差し支えないですが」と。地獄ではないことを当然の前提条件として、彼女の「地獄」発言を解釈したのだ。
彼女は富樫圭悟と、その言葉に救われた。なればこそ、その言葉は絶対に正しいものでなければならない。絶対に正しいもののはずだ。
「――――だから、圭悟さんの判断を待ったのは、そんな気持ちがあったからかもしれません」
「まさか、そんな思いがあったんですね」
「感謝してもしきれませんよ、圭悟さん」
彼女の長い吐露を聞き終わった時、丁度リエル達が降りてきた。
「お手数おかけしてすいません、では早速、徒紫乃さんも契約を交わしましょう」
しかし、縋木徒紫乃は動けなかった。
「あの……誰と契約を結べばいいのでしょうか?」
とにかく天使の数が多すぎるのだ。契約を1人としか結べないのなら、それを選ぶのに慎重になるのは当然であった。
「別に直感でいいんですよ。誰と契約しても特に影響はありません」
そう言われると余計に困るというのが人情である。
「ね! 私とケイヤクしよ!」
「私の方がいいよ!」
「私としましょうよ」
「私と契約すれば便利よ」
天使は口々に自己アピールをした。
***
「前田さん、大久保さんが帰ってきません」
「大久保君が?」
「そうです。地獄の第1階層へ向かってもう3時間と経ちます」
「彼は確か……魂の変質したと思われる2人の罪人を連れ戻しに行ったのだったな」
「普通は1時間もあれば帰ってくれるはずですが……」
「……"流転の履歴"を確認してみよう」
彼らが"流転の履歴"と呼ぶものは、彼らが天界に来る前から存在していた大きな石版であった。否、石版というよりは壁と形容した方が的確かもしれない。それほどまでに大きなものだ。
今、天界にある魂。天界から地上に落ちた魂。流転の履歴はそれらを全て記憶している。
天界に残留している魂は表面に、天界から地上に落ちた魂は裏面に、それぞれの魂に対応した記号が刻まれる。そして、記号を見れば直感的に理解できるのだ。それが誰なのかを。
「もし、流転の履歴の裏面に大久保さんの魂が記録されていたら……?」
「…………地上に落ちた。つまり、死んだということになる」
「そんな」
2人は流転の履歴の裏面を端から端まで舐めるように見る。そこに大久保の魂が記憶されてないことを祈りながら。
だが、その祈りは届かない。
「前田さん、これ」
男は震えながら指で一部分を指し示した。
「なんと……」
そこに大久保の魂は記憶されていた。
「となると、大久保君は殺されたのか? 地獄で?」
「……それ以外は考えられません。」
「契約者が出たのか? 天使共は人を殺せないはずだ」
「そのはずですが……」
「――君は確か、柳田君だったね。至急、地獄の第1階層に向かってくれ。無論、君だけでない複数で」
「分かりました。では」
***
「じゃ、これからもヨロシクね。徒紫乃ちゃん! 私はプリムって言うんだー!」
「よろしくお願いします。プリムさん」
縋木徒紫乃は悩み抜いた末、1人の天使を選び、遂に契約を交わした。
「いやー私も遂に大人になっちゃいましたかー」
プリムは嬉しいのか、その場でピョンピョンと跳ね回っている。その動きに伴ってやや短めのツインテールもぽむぽむと跳ねている。
「さて、2人も契約者が生まれたことですし、早速仕事をしてもらいましょう」
「――魔王、ですね」
「その通りです。ですから、今から砂漠へ向かいましょう」
「砂漠から魔王の根城に行けるんですか?」
「はい。あそこが魔王の根城、その1階層なのです」
「さぁ、砂漠へ向かいましょう! 悪しき魔王を殺すのです!」