盲信とそれに伴う偽りの救済
薄暗く、どこか重苦しい雰囲気が満ちた砂漠。見渡しても所々に岩が見えるだけで、他に何も見当たらない。際限なく砂漠が続く限りである。
つまり、ここは地獄なのだ。
「やった! やった! 遂に転生できたんだ!」
そんな場所に、およそ場違いであろう歓声が響き渡る。
富樫圭悟はそこにいた。
「姿は……生前の僕のままか。だがそれがどうした、僕は……やっと前に進める……!」
行く当てなどない。しかし彼は堂々と歩き出した。
彼は自分を転生者、つまり勇者と盲信していた。それ故に、道は自ずと開かれると確信しているのだ。
勿論、その「確信」は誤信、盲信の類である。
「ん? あれは……」
彼の目の前に誰かが倒れていた。ここの住人だろうか?
「すいません、大丈夫ですか! しっかりしてください!」
彼は倒れている人間に駆け寄った。
倒れている人間は男で、手足の先は風化したように「砂化」していた。
「これは一体……どうしたんですか? 何があったんです?」
この男の人の手足が砂になっている……
まさか……「魔王」の瘴気にあてられたのか……?
「俺が……悪かったんだ。俺のせいだ。もう放っておいてくれ……」
男は富樫圭悟に顔も向けず、独り言を呟くように言い放った。
「魔王の仕業ですね? 貴方はこの世界の魔王の瘴気にあてられた……そうでしょう?」
彼の発言を受けた男は、驚いた様子で富樫圭悟に顔を向ける。
「安心していて下さい! 僕は転生者、いうなれば勇者です。僕が魔王を殺します」
「ア、アンタ……何を言ってるんだ……!?」
「魔王の居城は知っていますか? もしくは手掛かりとか……何かありませんか?」
「あぁ……え? その……えっと、分からない……か、な?」
「分かりませんか……魔王も有能なのかもしれないですね……」
富樫圭悟の言葉を聞いている間ずっと、男の驚いた顔が崩れることはなかった。
一方で富樫圭悟は男の困惑と驚愕をよそ目に思考を巡らせていた。
砂化……これが魔王の瘴気の効果だろうか? だが僕は今のところ砂になる気配はない。それはきっと僕が転生者だからだろう。
この世界に降り立った人間への特典とも考えられる。
ただ、この男性からはこれ以上、有益な情報を得られそうにないな。
「情報、ありがとうございました。僕が魔王を殺すその日まで砂化に耐えてください」
薄情かもしれない。しかし、今僕にできることはそれだけなのだ。
見渡せど一面砂漠である。この男性を預けられる集落のようなものは見当たらない。
さらに今、無理に男性を動かすと砂化していない部分までもが崩れてしまいそうだ。
「食料はどうしているんですか? 見たところ貴方はずっとここにいるようですが……。なんなら僕がとってきましょうか?」
それでも、男性をこのまま置いていくのを良く思わなかった彼は、せめてと食糧の調達を提案する。
「しょく……りょ……う? あぁ、あったなぁそんなのが」
「どういうことです? 今は食料無しなんですか?」
「ここでは食い物を食べなくたって平気なんだぜ。どうせ皆等しく砂になるんだ、後悔しながらな……」
「一体、この世界はどうなっているんだ……? この砂漠も魔王の仕業か? 魔王が何もかも変えてしまったと言うのか……?」
「……どうかしてるのはアンタの方だ」
男は鼻で笑いながら小さく呟いた。
その「笑い」は富樫圭悟を嘲笑ったものだったが、ここへ堕ちてから初めての「笑い」でもあった。
この砂漠に堕ちたときから、男はただただ生前の行いを後悔し続けた。
何故、狂おしいほどの懺悔の念が自分の胸の内に生じたのかは男自身も分からなかった。
富樫圭悟を嘲た一笑が今までの後悔し続けた日々と等価なわけでもないし、きっとこれからも男は後悔をし続けるだろう。それこそ全身が砂に変わる日まで。
それでも、何年、何十年、ひょっとしたら何百年ぶりかの笑いであることには変わりはない。
救いとは何であるか、男に救われる価値はあるのかについてここでは言及しない。
でも確かに、この瞬間だけは。少なくとも男は懺悔の檻から解き放たれていたのだ。
「――で、つまり食べ物はいらないと?」
「あぁそうだよ。もう俺にかまわないでくれ」
「本当にこのままで大丈夫なんですね? 僕が魔王を倒すまで耐えられるんですね?」
「……ホント、何言ってんだアンタ……」
「ではもう一度言います。貴方をこんな目に遭わせた魔王を僕が……」
「もういい、わかった、わかったから……」
男の呆れた目を疑問に思いながらも、富樫圭悟は再びこの砂漠を進み始めた。
***
ここは……どこなの……?
薄暗い、空漠とした砂漠に彼女はいた。
果てが見えない……所々大きな岩はあるけど……
どうなっているの……思い出せ、どうして……
そして、直感する。
否、直感が如くあやふやな感覚ではない。否応にも理解してしまうのだ。
「あぁそうか……ここは地獄なんだ……」
乾いた笑いが口から零れ落ちる。
それは、彼女が自身に向けた嘲笑だ。
こんな場所に堕とされたら、否応無しに心が罪悪感に囚われてしまう。
彼女は座り込んだ。どこへ行こうと無駄だと、否応にも理解したから。理解させられたから。
「すいませーん!」
この場所には不気味な程に不釣り合いな明るい声が、彼女の耳に入ってきた。
***
何でもいい、魔王の手掛かりが欲しい。
富樫圭悟はただひたすらに砂漠を進んだ。
3時間程歩き続けた頃、遥か彼方に人影を発見した。
髪の毛が……長い、女性だろうか……?
人の形を保っているということは……彼女もまた転生者なのかもしれない。
彼は白い砂を巻き上げながら、彼女の元へ走った。
「すいませーん!」
力一杯に叫ぶ。
それを受けたのか彼女が、こちらにへ振り返る。
目が死んでいるとはこのような状態を言うのか。彼女は富樫圭悟にそう思わせる程に暗い目をしていた。
何もかもが終わってしまったような、絶望したような目である。
そんな目をした女性に、彼は話しかけていいのか迷ったが、こちらを振り向かせてしまった以上話しかける他ない。
そう判断した彼は息を切らしながら問いかけた。
「ハァハァ……こんにちは! ハァ…ハァ…貴女も、転生者ですか?」
暗い顔が驚いたような顔へ変わっていく様が見えた。
「へっ!? て、転生……者? その、ここって地獄なんじゃ……」
地獄? ああそういうことか。
「では転生者ではないんですね……確かに魔王が幅を利かせているこの世界は地獄と言って差し支えないですが……」
「えっと……あれ? そういう意味ではなくて……」
そういう意味ではない? なるほど理解した。
「あぁ、貴方気付いてないんですね! 貴女は選ばれたんですよ!」
自分自身に与えられた使命、役割を忘れている場合もあるのか。勉強になったな。
「選ばれた……? あの、私……ここに来る前の記憶があるんです」
「ん? 僕にもありますけど、それがどうかしましたか?」
「あの……差し支えなければ、教えてくれませんか? ここに来る前、貴方がしていたことを」
ここに転生する前に僕がしていたこと、それは……
「僕は転生術を試していたんですよ。そしてここに来たんです。」
「転生術……ですか」
「ええ、転生術です。貴女も無意識の内に何か転生術を使っていたのでは?」
「私は……」
「自分が何かやらなくても、神の意志で勝手に飛ばされるというケースも聞いたことがあります。貴女はそのパターンだったりするのかもしれませんよ」
「私は……その……罪を、犯したんです。そして自殺して……気付いたらここに」
一語一語慎重に、言葉を選びながら彼女は発言した。少なくとも富樫圭悟の目にはそう見えた。
「例えば……転生術の中には生物を殺し供物にして行うものもあります。罪を犯したからといって転生ではないと言えませんよ」
「……自殺はどう説明するんですか? 教えて下さいな」
「自殺がきっかけとなる転生も十二分にあるんです、安心して下さい!」
彼は自信満々に、真っ直ぐと彼女の眼を見据えて言い放つ。
気付けば、先程まで下へ向きがちだった彼女の瞳が、じっと彼の目を見つめていた。
本当に? と、縋るような。そんな目だ。
彼は「本当だ」と、そう彼女に伝わるように笑ってみたが、それが上手く伝わったかは分からない。
それを受けた彼女は、ふふっと笑いながら気恥ずかしそうに目を逸らす。
「ま、まぁ確かに……筋は通ってます……ね」
反応からみてある程度は伝わったのだろうか。
「でしょう? 僕達は転生者なんですよ。瘴気を浴びても砂化しないのもその根拠です」
先程までの何か暗い感情の檻に囚われているような姿の彼女はもういないように見える。
僕に会わなかったら彼女はずっとここを地獄だと勘違いをしたままだったのだろうか。
「私達は何をすればいいのでしょう? 転生された以上意味はあるはず……」
「さっきも言った通り、魔王を倒しに行くんですよ。それが僕達の役割です!」
「魔王、というのは?」
「この世界の住人も土地も砂漠に変えてしまう力を持った奴です。もっとも転生者は砂にならないようですが」
「どうでしょうか……私達もジワジワと砂にされているのかも……」
「何にしても僕達が動ける今が好機ですね」
彼は魔王について現状知っている事と、自身の推測を彼女に伝えた。
そこで彼はあることに気付いた。
「あ、そうだ。まだ名前を聞いていませんでしたね。僕の名前は富樫圭悟。貴女は?」
自己紹介をしていなかったな。転生者同士、これからも仲良くしていきたいものだ。
「私は縋木徒紫乃です。よろしく!」
「ところでこれからどうしますか? 一緒に行きますか?」
一緒に行動すれば、そちらの方が魔王討伐にも都合がいいだろう。
「はい、よろしくお願いします! まだまだ分からないことだらけですし……」
彼女は2つ返事で快諾した。
そうして、彼らはただ前を見て、この空漠たる砂漠を歩み始めたのだ。
台詞と地の文や主観、客観の切り替わりで一行空けてはいますが、見難かったらごめんなさい。