間際の許し
「それにしても……あまり敵はいないんですね……」
"拠点"の中を進みながら縋木徒紫乃は言った。
「まぁ、私達に対してアイツらの数は少なすぎますし、そもそも対人間となれば普通に弱い相手ですからね」
リエルは答えた。
「なら圭悟さんも、もう救出されたのでしょうか……」
「その可能性は十分あります」
それを聞いた彼女は「少し安心しました」と反応したが、それでも移動の速度は落とさなかった。
***
「許されたい……許されたい……」
富樫圭悟は襲い来る罪人達――彼も罪人ではあるが――に向かって、錆びた剣を振るい続けていた。
「クソっ攻撃がまるで通じねぇ!」
「もはや威力の強弱の問題じゃない……」
罪人達にとって彼の剣の威力など急所に当たらなければ微々たるものなのだが、彼にとって罪人達の攻撃は"微々たる"にすらならない。
そんな状態で戦い続ければ最後に立っているのは当然に富樫圭悟である。
「これなら……本当に地獄を取り戻せるかもしれない……」
遠巻きに眺めている柳田も思わず地獄の再興を幻視した。
「圭悟さん!!」
声が響いた。縋木徒紫乃の声だ。
「……徒紫乃さん」
富樫圭悟は力なく答えた。
「圭悟さん!! この人達は味方ですよ!!」
「……罪人じゃないですか。僕も彼らも徒紫乃さんも……」
「それは、」
「地獄に堕ちたんですよ、僕達は……」
「それは違います! 地獄はここの人間の自分勝手で作られたものなんですよ!」
「知ってますよ、それくらい」
「だったらおかしいと思いませんか!? 私は自分勝手な他人が嫌で自殺したのに、そしたら今度は天界でも自分勝手に地獄に堕とされたんですよ!」
唐突に、縋木徒紫乃は自らの過去を語った。そしてそれは確かに地獄というシステムの欠陥でもある気がした。
「それは……確かにおかしい……ですね」
「なら! 圭悟さんはやっぱり地獄に堕ちたんじゃないですよ! 存在もしない地獄を模して造られた場所に堕とされただけ!」
「でも、僕はこのシステムが完全に間違ってるとは思えないんですよ」
「何故です!?」
そこで口を挟んできたのは、天使のリエルだった。
「無用に痛みを与えるこの場所が、その機構が間違っていると思えないとはどういうことです!?」
「人を殺しても、傷付けても、騙しても……結局天罰なんてなくて悠々自適に天界を闊歩できる。そんなのは嫌だと、僕は思います」
さらに、と彼は続ける。
「徒紫乃さんの場合は……。それはやっぱりこの地獄というシステムの欠陥だと思います。だからまた作り直してそれを改善すればいい」
「洗脳されているのですね……気の毒に……」
「これは僕の意志です。洗脳とかじゃないです」
しばらく、静寂があった。
縋木徒紫乃は俯いていた。リエルは呆れ果てた様子である。周りの罪人達も空気を読んでいるのか黙っている。
「だから、僕は地獄を作り直します。僕が許されるために」
富樫圭悟は錆びた剣を振り上げ、丁度近くにいた罪人の首を切る。切るというよりは叩くといった表現の方が正しいのかもしれない。錆びた剣の切れ味は皆無だったからだ。
罪人達はざわつき、先程までの喧騒を取り戻す。
「圭悟さん、許されるも何も私は貴方を許しますよ! 例え、親を殺していても! 地獄を壊していても!」
縋木徒紫乃は叫んだ。
「それは本当に嬉しいです。でも、やはり僕が僕を許さないんですよ」
***
「……これは生物を魂ごと消滅させることのできる装置だと聞いている」
「装置と言うよりは穴というか……」
「まぁ、それもそうだな」
「では地獄を完全に作り直せたら、その装置を使って僕を消滅させてください」
「いいのか? どうなるか分からんぞ……。何より前例もない」
「ええ、構いません」
地獄の作り直しを目標に動き出した富樫圭悟と柳田は、まず魂の集積場と天国を繋げた。
魂の集積場とは、その名の通り魂が下界で死んだ魂が一旦集まるところであり、天国とは罪人認定されなかった人々の魂が行く場所である。天国に送られた魂は富樫圭悟達のように実体化せずただ転生する日までそこに記録されるだけだ。
彼らは一旦、罪人も善人もどちらも実体化させないことにした。これにより天界に実体化している人間の数は今いる以上にはならない。つまり、天使たちの契約相手を新しく生み出さないようにしたのだ。
「これで最後ですね」
「そうだな」
天使とその契約者は彼らによって残り1組までに減っていた。
あらゆる攻撃が聞かないという力を持っていれば、この破竹の進撃も当然のものかもしれない。
「お前はまだ許されないのか? 富樫圭悟」
「許してくれませんね、僕は」
「しかし、最後の相手は縋木徒紫乃だぞ」
「ですから、新生地獄は自殺についてもう少しよく考えて判断して下さいね」
そんな会話の最中、彼女は降りてきた。
「圭悟さん……」
「徒紫乃さん、貴女はやはり"地獄"には反対なんですか?」
「……はい」
「なら……戦うしかないです」
富樫圭悟は錆びた剣を構えた。
「行きますよ」
そう言って富樫圭悟は縋木徒紫乃の許まで駆け寄る。その走りから警戒心は微塵に感じられない。
いわば無敵といっても過言ではない力を持っているのだから当然といったら当然ではある。
縋木徒紫乃は静かに大鎌を振り上げ、向かってくる富樫圭悟の胴へ向けて横に薙ぎ払う。リーチの差で、先に切っ先が接触してしまったのは富樫圭悟である。
しかし、彼はその力故に回避行動をとらない。
これが間違いだった。
どしゅっと音を立てて富樫圭悟の胴が真っ二つになる。
富樫圭悟がまず最初に感じたことは、痛みではなく、何故という疑問だった。
何故切られたのか。
結局、力とは意志に大きく左右される。
富樫圭悟は特に何を意識することなく無敵の力を纏っている。それに対して縋木徒紫乃は自分の力を理解し、解釈した。
何でも切り裂けるのなら外界からの干渉を受けない彼すらも切り裂けるのではないかと。
縋木徒紫乃は解釈し、力の精度を上げた。富樫圭悟は自分の力を特に解釈することなく使っていた。その差である。
どぱっと内臓と血を落としながら彼は上半身だけで砂漠を転がっていった。
「は……は、割と生きてられる」
秒で失血し、それに伴い意識も失われていく。だが、まだ彼は生きていた。
「圭悟さん、下界でまた会いましょう」
彼の血を切っ先に滴らせながら彼女は鎌を振り上げた。
とどめを刺すつもりだ。
「許されるまでは……」
頭がその鎌で突き割られるその時、縋木徒紫乃は違和を感じた。振り下ろした感覚が無いのだ。
彼女はそれをすぐに理解した。
「攻撃が聞いてない!?」
富樫圭悟は今まで何故、攻撃が効かなかったのかと自問したのだ。
外界を諦めた自分、果てしなく内に向かう自分を客観視し、それ故の力なのだと理解した。
つまり、より強く力を固着し確固たるものにしたのだ。
気付けば出血も止まっている。もっとも下半身が生えてくるだとかそんなことは起こらなかったが。
唸り声を上げながら縋木徒紫乃の脚へ錆びた剣を勢いよく当てる。
「きゃっ」
足が切り裂かれることは無かったが、その痛みによってバランスを崩し、彼女は転んだ。
富樫圭悟はその機会を見逃さなかった。
「……」
縋木徒紫乃の心臓へ錆びた剣を突き立てる。力一杯に突き立てる。
剣はその切れ味ではなく、純粋に力によってずぶずぶと突き刺さり、遂には心臓を破った。
戦いは、終わった。
***
「ここから先は御願いしますね」
富樫圭悟は大きな穴の前に立っていた。この穴に堕ちた魂は消滅する。
「本当にいいのか」
「はい、これでやっと許される気がします」
「まだ許されてなかったのか」
「ええ、地獄は取り戻せても徒紫乃さんを殺してしまったわけですから」
「そうか」
柳田はそれ以上何も言わなかった。
「では、さようなら」
富樫圭悟は穴に身を投げた。
視界が真っ暗になる。
冷たいだの熱いだのよく分からない感覚。もはや体すらないような感覚。
ああ、本当に消え去るんだなと確信的に直感する。
そんな暗闇の中、その存在が黒に掻き消される刹那。
彼は自分を許した。
***
「死んだ人間がここに来るだろう?」
「え、どうしたんですか柳田さん」
柳田は生き残っていた同僚に語りかけた。
「ここで死ねば下界に行くだろう?」
「え、えぇ。そういうのは柳田さんの方が詳しいんじゃ」
「じゃああの穴に落ちたらどうなるんだろうな」
「それは……消滅、じゃないですか?」
「俺は下にいた頃、人は死んだらそれで終わり、完全に消滅するものだと思ってたよ」
「つまり……?」
「そう思ってたらここに来た」
「は、はぁ」
「世界は喪失を許容しない気がするんだ。結局、またどこかに存在するような」
「消滅なんて存在しないと?」
「もしかしたら、下界以外のどこかに転生したりするのかもしれない。そんな気がするんだ」




