変質
「で、圭悟さんはどこにいるんですか? リエルさん」
「もっと下の下、つまり最深部ではないでしょうか?」
縋木徒紫乃は自身が切り裂いた空間の切れ目から、"地獄の管理者"の拠点へ来ていた。
無論、彼女以外にも砂漠で天使と契約した人間達が拠点へ流れ込んできている。
「この拠点を完全に破壊したら地獄そのものもなくなるんですか?」
「その通りです。エゴにまみれた醜いシステムは消え去ります」
「あと、地獄を作った人達、つまり私達の敵ってどれくらいいるんですか?」
「案外少ないんじゃないでしょうか。20人……はいないと思います。もしかしたら10人もいないかもしれません」
「そんな少人数の人達に天使さんは追い詰められたんですか?」
「対天使とも言えるような力を持つ契約者が現れたのです。天使に出来ることは空を飛ぶことと契約を結ぶことだけで、戦闘的な力はありませんから……」
縋木徒紫乃はリエルに疑問をぶつけ続けた。
ほんの数時間前に事実を知った人間であるのだから当然と言えば当然である。
一通り自分が気になることを聞き終わった彼女は、拠点の内部へと向かっていった。
***
地獄の管理者たち――創始者とも言えるが――は、流れ込む契約者たちへの対応に全力を尽くしていた。
前述したが彼らは少人数で総数20人といない。それに対し流れ込んでくる砂漠由来の契約者の総数は100人超どころではない。1000人は優に超える。
彼らはその圧倒的な数の前に次々に殺されていった。
「罪人はどこですかね……」
「もっと上の方だろうな」
そんな中、富樫圭悟と柳田はまだ拠点の最深部にいた。
「罪人を殺さないと……地獄を取り戻さないと……はやく僕に許されたい」
富樫圭悟は親を殺し地獄に堕ちた。自分を勇者と誤信しながら地獄を壊し、罪人を解放した。
曲がりなりにも勇者などのヒーローに憧れていた彼にとって、この事実はとても重いものであった。
「少なくとも天使はお前を許してくれるんじゃないのか? お前はアイツらにとっては英雄じゃないか」
柳田は皮肉のつもりで言ったのだが、少し考えて失言だったと感じ始めた。
もし富樫圭悟がその事実に気付いていなかったら、という問題である。
「いや、それは僕も考えたんですけどね」
結論から言えば、杞憂だった。
「それでもなお僕は僕を許さなかったんですよ」
「……イマイチ意味が分からんな」
「多分、僕自身の倫理観がそれを許さなかったんでしょうね」
「親殺し、罪人の解放をか?」
「はい……」
自分のした行動について普通に、むしろ人一倍は罪悪感を感じている富樫圭悟を見た柳田の胸中に1つの疑問が生じた。
「なら何故、親を殺して転生をしようなどと思ったんだ」
これは朝比奈も通った道である。
柳田もまた気になったのだ。
「それは……」
ただ朝比奈と違ったのは状況である。
朝比奈がその疑問を抱いたとき、富樫圭悟はまだ自分を勇者だと誤信していたときだった故に、直接本人の口から答えを聞くことができなかった。
しかし、今の柳田は違う。
「それは、その……単純に転生がしたかったし、勇者とかにもなりたかったからです……」
答えは聞けた。しかし、意味が分からない。
「心が押し潰されるほど罪悪感に感じるようなお前が、何故、親を殺そうと思ったんだ」
「だって、なりたかったんです」
「それをしたら圧倒的な罪悪感に心が塗れてしまうのは、自分でも分かっていたことだろう?」
「……正直に言いますと、僕はあまり親殺しについて後悔していないんですよ」
「何故だ?」
「だって実際に力が手に入ったじゃないですか」
「その癖、罪人を解放したことについては罪悪感を感じているのか?」
「……はい」
人間富樫圭悟が分からない、というのが柳田の率直な感想だった。
そもそも母の存在に動揺し捕まった人間の言うことなのか、とも思った。
価値観がどこか少し、しかし致命的にずれているような、そんな印象を抱いた。
「ま、好きなだけ罪人を殺せばいいさ。そうして本当に地獄が元に戻るなら万々歳だ」
「戻しますよ。僕に許されないまま死ぬなんて耐えられない」
富樫圭悟は柳田の双眸を真直ぐ見つめて言い放った。
ばたん、とどこかで扉の開いたような音がした。
「これは! 罪人ですかね?」
「……まだ分からん」
どどどど、と足音のような音も聞こえる。一人ではない、複数はいる。
「沢山いそうですよ、やっぱり罪人では?」
「十中八九そうだろうな」
「じゃあ倒させてもらいますよ」
そう言って力の発動を念じる。
薄い影が集まり剣を成す。錆びて刃の欠けた剣だ。
「さっきは不意打ちだったから倒せただろうが、今のお前に契約者と戦う力は無いぞ」
「何故です?」
「前も言ったが、お前は今精神的に弱っているうえに、天使との繋がりを絶たれた状況下にある。それじゃあ勝てない」
「一体どんな影響があるんですか?」
「自分が持っている剣を見れば分かるだろう。それに天使との繋がりが立たれているから身体能力の強化幅も少ない」
そんな、と驚く富樫圭悟であったが、その顔はすぐに晴れた。
「大丈夫です、やれます」
「頭大丈夫か?」
「まぁ見てて下さいよ」
富樫圭悟は駆けだした。
「お、あれは?」
「地獄作った奴らじゃね?」
「ここで最後か?」
駆けてくる富樫圭悟を受けて、罪人たちはそれぞれ反応した。
「俺が倒してやる!」
罪人の一人が前に出た。その拳は融けた鉄のような質感である。
「罪人め! 僕も罪人だが、君を殺す!」
「何言ってんだお前!」
富樫圭悟は錆びた剣を、罪人はその拳を。それぞれの胴体に打ち付けた。
「効かねえな」
罪人の体には傷1つ存在しない。もともと刃こぼれした剣であったうえに、身体能力が飛躍的に向上しているのだから当然である。
「それじゃあ僕は許されない」
一方で富樫圭悟もまた無傷であった。
「何故だ!?」
遠巻きで見ていた柳田と、拳を打ち付けた罪人は異口同音に叫んだ。
「許されないからですよ」
富樫圭悟は答えにもならぬ答えを言い放った。
「わけわかんねぇよ!」
罪人は二撃目を放つ。
超人的な脚力で移動し、拳を打ち込んだのだ。
ばしんと、なまじ人体が発する音ではないような音が響く。が、富樫圭悟はふっとばされない。そこに平然と立っている。
富樫圭悟はそのまま、錆びた剣を罪人の目に向けて突いた。
「うぎゅあ!」
異様な悲鳴を鳴らしながら罪人は後退する。
「なんで、さっきからなんで効かないんだ。こいつらは身体強化があまりされないんじゃなかったのか!?」
「だから、許されないし許されたいからですよ」
「意味がわかんねぇよ!」
外界に自らが納得できる許しが存在しないことに気付いた富樫圭悟は、自らの内に許しを求めた。
そんな彼の心の機微が力として発露したのだ。
外界の全ての諸作用は富樫圭悟に影響を与えることができない。つまり、彼には物理的な全ての攻撃が通用しないのだ。
外を諦め、ひたすらに内へ向かい内を開拓する彼の後ろ向きな精神にどっぷりと浸された力は、かような変質を遂げたのだった。




