彼の始まり
「最初からこうしとけばよかったですね」
富樫圭悟は微笑んだ。
「凄い……凄いです……!」
「そん……な……」
縋木徒紫乃と朝比奈瑠海の反応は、"驚愕"という点では同じであった。だが、しかしその中身はまるで違う。縋木徒紫乃の"驚愕"とは歓喜に還元されるものであるが、朝比奈の"それ"は絶望や畏怖に還元されるものだ。
「さて瑠海さん、魔王はどこにいるんですか?」
富樫圭悟に問われた朝比奈はワンテンポ遅れて反応する。
「え? あ、えっと……魔王、魔王ね……」
朝比奈は即答できない。今起きている全ての現象が彼女の想定の埒外であるからだ。
「えっと……魔王は……」
ゆっくりと、言葉を選びながら発言をし始める。
「魔王は……奥にいる、だから……私についてきて」
朝比奈の返答に対して、富樫圭悟と縋木徒紫乃はそれぞれ反応を見せる。
「はい、わかりました。お願いしますよ瑠海さん」
「圭悟さん、気を抜いてはいけないですよ」
縋木徒紫乃はまだ朝比奈を完全に信用してはいなかった。もっともそれは客観的証拠によるものではなく、恋敵としての私怨的な難癖の域を出ないレベルのものである。
「リエルさん、置いていっちゃいましたね」
縋木徒紫乃はリエルの存在を思い出した。
「まぁ、魔王を倒せば万事解決です」
「その通り、魔王を倒せばいいのよ」
富樫圭悟と朝比奈が答えた。
朝比奈は冷静さを取り戻していた。想定外の瞬間移動ではあったが、やることは富樫圭悟の過去を覗くということ1つだけだ。彼女は同僚と鉢合わせないように道を選びながら進んで行く。
「……ここよ、着いたわ」
しばらく進むと開けた場所に着いた。
「魔王なんてどこにもいないじゃない」
「しばらくここで待っていて、という意味よ。ここなら彼らは誰もこない」
「そう言って仲間を連れてくるつもりでしょう!」
縋木徒紫乃の指摘に朝比奈はうぐぐと黙る。が、それも数秒のこと。すぐに反論する。
「例え……例え仲間を連れてきたとしても……富樫圭悟には敵わないでしょう?」
彼の強さを盾に反論する朝比奈に縋木徒紫乃は言い包められた。
「じゃあ、私が中から道を切り開くから合図をしたら私の許まで飛んできてね」
「合図とは?」
「……貴方の心へ送るわよ」
「はい、分かりました」
そう言って彼女は大きな廃城のような建物へ消えて行った。取り残された富樫圭悟らがいる場所は森の中である。
***
富樫圭悟らから離れた朝比奈が向かったのは仲間の許ではなかった。
「とにかく、富樫圭悟の過去が知りたい……」
彼女が向かった場所は"流転の履歴"がある場所である。
"流転の履歴"とは、今天界にある魂、天界から地上に落ちた魂その全てを記録している大きな壁が如き石版である。
彼女はそこで富樫圭悟の魂の履歴を探した。
「違う……違う……」
朝比奈は青白く光る記号に目を走らせた。
「あ、あった!」
その記号の意味は分からないが、一目見るだけでそれが富樫圭悟の魂を現した記号だと直感できた。
彼女は青白い光に目を細めながらも、その記号を凝視する。視界が青い光に眩んでいくと同時に、意識が全く別の世界へ入るのを彼女は感じていた。
流転の履歴には、その人物の過去を見る機能もあるのだ。
***
「ここは……」
思わず朝比奈は辺りを見渡した。
「凄く……懐かしいわね……」
今、彼女が立っている場所は生前の世界である。電柱、家、アスファルト。懐かしい景色が彼女の目に入ってくる。
「でも、これって……私は本当に富樫圭悟の過去を見れているの?」
彼女が流転の履歴の、この機能を使うのは初めてである。
「うん、じゃあまた明日」
富樫圭悟の声がした。朝比奈は思わずそちらを振り向く。
「富樫……圭悟……!」
学生服を着て彼は歩いていた。
「中学? 高校? どっちなの……」
富樫圭悟は近くにいる朝比奈に気付く様子もなく歩き去る。
「私の姿は見えないのね……まぁ過去を見ているわけだし当然か」
でも、と彼女は気付く。
「私はこれから富樫圭悟が死ぬまでの何年何十年かをずっと体験し続けるの?」
――いや、そんなことはない。もっと集中するのよ、集中して……もっと早く、早送りに……見たい部分だけを抽出する感覚で……
朝比奈は漠然と5つほどの"部分"、或いは"とっかかり"のようなものを感じた。その一番端へ意識を傾けたとき、世界が一転した。
「……ここは?」
教室らしき場所に彼女は立っていた。
「僕の将来の夢は、ヒーローになることです」
声が聞こえた。
「あれは、富樫圭悟……? そんな面影があるわね。ここは……小学校?」
彼女は教室の壁に貼り付けられている掲示の文体から推測する。
それは正しかった。小学1年、富樫圭悟である。
「ヒーローになりたい、か……」
だから、転生したくなり親を殺したのだろうか。とても信じられない。何か、もっと重大なことがある筈……
だいたい、彼が死んだ時期は見た目から判断して高校か大学でしょう。まだここから数年は時間がある。
朝比奈は意識を集中させて、次の部分に進んだ。
「ここは……」
薄暗い部屋の中、机の電気を付けて椅子に座っているのは富樫圭悟であった。
「うーん、中学時代? 高校時代? どっちかしら」
「って言うか、何を書いているの?」
富樫圭悟は何かを書こうとしているようだった。何を書いているのかを知るために、朝比奈は机の上を覗きこんだ。
そして理解する。机の上に置かれているは進路希望調査であった。
「悩んでいるみたいだけど……何を考えてるの……」
まさかと思いながらも朝比奈は、彼の頭へ意識を集中させる。すると、ほのかに声が聞こえた。
「やった、きっと富樫圭悟の思考だわ!」
か細い声に、朝比奈は耳を傾けた。
――将来なりたいもの……ヒーローでも勇者でもなんでもいい、何か超常的な力を持つ者になりたい。馬鹿らしいし、幼稚だってのは自分でも分かってる。でも、本気でそう思っているんだ。そんな自分を馬鹿にする自分は勿論存在している。むしろそっちの方が心の大半を占めているかもしれない。が、心の片隅に確かにいる。もしかしたら、吸血鬼が来て僕を眷属にしてくれるかもしれない。もしかしたら、空から女の子が落ちてきて僕に力を与えてくれるかもしれない。もしかしたら、誰にも抜けない剣を僕が抜いて勇者になってしまうかもしれない。分かってる、馬鹿らしいなんて分かっているんだ。こんなのあり得っこないなんて分かってるんだ。でも、もしかしたら。一万分の一くらいの確率でもしかしたら。本当に馬鹿だよな。こんな年になってもまだ夢を見ているなんて。
「まだ、転生に固執していない……。むしろ、何か力に憧れているような……そんな感じ」
朝比奈はまた富樫圭悟の思考に潜り込むも、彼の思考は堂々巡りを繰り返すだけであった。
「……収穫は得られなそうね」
朝比奈は意識を集中させ、3つめの"部分"へ意識を傾けた。




