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最後のわがまま

 鼓動に合わせて、腰が(ひど)(うず)く。痛みを耐えんと押さえた手袋が、みるみるうちに()色に染まる。ウネンの名を叫ぶヘレー達の声が、やけに遠くから聞こえてくるようだ。

 どうすればいいのか解らずに、ウネンは、ただぼんやりとマンガスを仰ぎ見る。

 マンガスが、ちらりとヘレーに目をやった。


「そうか。あなたの(うろ)()めているものを取り除けば、(ある)いは……」

「やめろ! やめてくれ、エレグ!」


 悲鳴にも似たヘレーの叫びを耳に遊ばせ、マンガスは(くら)い瞳でウネンに向かって短剣を大きく振りかざす。


 血()れた(やいば)が再びウネンを襲わんとした瞬間、一際大きな風切り音が(くう)を切り裂き、とうとう氷の盾が真っ二つに割れた。

 マンガスの頬に一筋の赤が引かれたかと思えば、(にじ)み出た鮮血が玉となって肌をつたい落ちる。

 マンガスが、驚きの表情で顔を上げた。その視線の先で、モウルが憤怒に顔を(ゆが)ませて「ゆるさない」と絞り出す。


「ぜったいに、ゆるすものか。ねえさんばかりか、ウネンまで……」

「馬鹿だな」


 マンガスが(つぶや)くと同時に、モウルの口に水の塊が()じ込まれた。

 驚愕(きょうがく)に目を見開いたのち、モウルは髪を振り乱して頭を振りまくった。だが、水はまるで固形物か何かのように、口腔(こうこう)にみつしりと詰まって出てこない。


 ごぼごぼと水が沸き立つような音の合間に、苦悶(くもん)の声が()れる。手足を壁に貼りつけられた状態で、モウルは何度も大きく身をよじった。まるで(もり)に貫かれた魚のように、身体を激しく波打たせ、もがき苦しむ。


「モウル! ウネン!」


 オーリの絶叫が響く中、マンガスは悠々とウネンの前に身を屈めた。床にうずくまる彼女の背中に、大きな動作で(やいば)を突き立てる。

 全身を駆け巡る激烈な痛みに、もはやウネンは悲鳴を上げることすらできない。身体中が痙攣(けいれん)するように震え、手足の先から急激に感覚が失われてゆく。


「きさまァ! ぶっ殺してやる!」


 オーリの怒号に笑みで返し、マンガスは、三たびウネンを狙って短剣を振り上げた。

 その時。


「うおおおおおおおお!」


 地の底から響いてくるような声で、ヘレーが咆哮(ほうこう)した。鬼神がごとき形相で、両のこぶしを握り締め、反動をつけるように何度も背中を壁に打ちつける。

 無駄なことを、とマンガスが(つぶや)いた、その直後。氷に腕の肉を引き()がされながら、ヘレーが身を起こした。


 凍りついた革脚絆(かわきゃはん)をも引きちぎり、ヘレーは床の短剣に飛びついた。(あけ)にまみれる両腕の傷をものともせず、ウネンの傍らに膝をつくマンガスめがけて床を蹴る。


 


 勝負は、一瞬だった。

 反撃に転じようとしたマンガスの髪を、血染めのウネンの手が(つか)んだ。

 マンガスの意識が()れた刹那、ヘレーが倒れ込むようにして身体をぶつけてきた。


 ひゅう、とマンガスの喉が鳴った。

 ヘレーは無言で身を離した。それから、マンガスの胸に深々と突き刺さる短剣を握り直した。

 鮮血がほとばしる。

 マンガスが血の海に倒れ込むのを見届けてから、ヘレーは、手に持っていた短剣を床に力一杯(たた)きつけた。


 


 


 (ひど)く寒いな、とウネンは思った。ついさっきまでは、腰や背中が焼けるように熱かったのに、今はただ、寒い、だけだ。

 寒くて、寒くて、そして、暗い。

 木枯らしが吹くたびにみしみしと(きし)むぼろ小屋で、空腹を抱えて隙間風に震えていた冬の夜のように。寒くて、寒くて、こごえそうだ。


 こんな夜は、母さんがウネンを抱き寄せてくれた。ぺたんこの毛布でも、二枚重ねりゃマシになるだろう、ほら、もっとこっちに寄りな、ああこら、冷たい手で首を触るんじゃないよ。

 でも、その母さんも死んでしまった。ああそうか、だから今、こんなに寒いのか。寒くて、寒くて、もう――


 


 ふと、頬と、そして手足に温もりを感じて、ウネンはうっすらと目をあけた。白々とした明かりの中、ヘレーが目を真っ赤にさせてウネンの顔を(のぞ)き込んでいた。

 温かい大きな手が、何度も優しくウネンの頬を()でる。


「大丈夫だ。絶対に助かるから。大丈夫だ」


 震える声、惑う視線。お芝居が下手なんだから、と、ウネンは思わず微笑(ほほえ)んでいた。何より、ヘレーならば「助ける」と言うはずだ。誰もがその生存を絶望視したシモンを、瓦礫(がれき)の中から救い出した時のように。「助けるぞ」と、決意を込めた力強い声で。


「神よ……」


 ウネンの手を握り締めて、オーリが祈りの声を()らす。

 ああ、それじゃあ、足首を温めてくれているのはモウルなのかな。ウネンはぼんやりとそんなことを考えた。


(われ)にも何もできぬ。(われ)のちからは、さきの引き継ぎの際にガルトゥバートルによって、この森の維持と船の保全のコマンドに固定されてしまっている』

「何故だ」


 オーリが、絞り出すように声を()らす。

 ウネンの手を包むオーリの手に、力が入るのが分かった。


『ヒトとは違って、キカイの〈かたえ〉には意思がないからだ』


 一拍の間ののち、神は『だが』と言葉を続けた。


『だが、一つだけ手がある。今すぐ(われ)の〈かたえ〉になればよい。ならば、(われ)のちからを(なんじ)に分け与えることができる。現在船が使用している中央処理装置が修復不可能な状態に陥った場合に、次の装置に真名(まな)を移せるよう、ガルトゥバートルは引き継ぎのコマンドを用意している。(なんじ)(われ)を受け入れれば、引き継ぎは即なされるであろう』

「ウネン、今の話、聞いたか!?」


 ウネンの足をさする手が止まり、モウルがウネンの視界の中に身を乗り出してきた。

 それをオーリが、険しい表情で押しとどめる。


「待て。ウネンが、ウネンでなくなるんだぞ。それでいいのか」

「死んでしまうよりはずっといいだろう!」


 だだをこねる子供のように、モウルが頭を振った。


「あんな状態でも、姉さんが生きていてくれて良かったと思った。生きていてくれさえいれば、もしかしたら、いつか何か手立てが見つかるかもしれないじゃないか」

「〈たましい〉が上書きされたら、元の人格はかけらも残らないと言ったのはお前だろう! そんな状態で『生きている』と言えるのか!」

「でも! 死んでしまったら、〈たましい〉どころか、全てが消えてしまうんだぞ!」


 モウルとオーリは(にら)み合った。双方ともに肩で息を繰り返しながら。歯ぎしりの音が聞こえそうなほど奥歯を強く()み締めながら。

 ウネンは、必死で中空に視線を持ち上げた。ほんの少し顔を上げようとしただけなのに、まるで自分の身体ではないかのように、自由がきかなかった。


「神様……」


 (ひど)(かす)れた、小さな声しか出せなかったが、ウネンは、神が耳を傾けてくれている気配を感じた。


「……神様、どうか、引き継ぎを、お願い、します……」


 ヘレーが、オーリが、そしてモウルまでもが大きく息を()んだ。


「たとえ、ぼくが『ぼく』じゃなくなったとしても、ぼくが存在できるのなら……。オーリ達がぼくを見て、『ぼく』のことを思い出してくれるのなら……」

「お前は……、お前は、自分が何を言っているのか解っているのか」


 オーリの声が、震えている。最後の最後で怒らせてしまったな、と、ウネンは心の中で苦笑した。


「解ってる、よ。自分が、どんなに勝手なことを、言ってるのか……」


 でも、最後ぐらいは、わがままを言わせてほしい。これでも結構、今まで色々と我慢して生きてきたつもりだから。言外に(つぶや)いて、ウネンはオーリを、モウルを、順に見つめた。


「でも、ぼくは、オーリ達のことが大好きだから、だから、忘れられたくないんだ……」


 そう、たとえ、(ひど)い奴だと思われても、いい。


「ずっと、ずっと、ぼくのことを覚えていてほしいから」


 オーリが、モウルが、声にならない声を()らして、ウネンから顔を(そむ)ける。

 神の声が、沈黙を揺らした。


(われ)を受け入れるのだな』

「はい」


 ウネンの耳が、かつてロゲンの神庫(ほくら)で聞いた声を(とら)えた。だが、今度は拒絶の波動は無い。


 よく来た。

 よく来たな。

 おかえり。

 おかえり。


 


 そして、(まばゆ)い光がウネンを包み込んだ。


 


    * * *


 


 緑()ゆ丘の上を、初夏の風が吹き渡ってゆく。

 長い、影のような黒髪を青空に泳がせながら、彼女はぼくを振り返った。


「別に私は、世界を支配しようと思って知識を集めているのではない。あの、短絡的且つ近視眼的な愚か者達が全てを台無しにしてしまう前に、知識を保護しておきたいだけだ」


 彼女の(あお)い瞳はどこまでも真っ直ぐだ。この混迷の大地で初めて出会った三十年前から、少しも変わらない。自分に()せること、()すべきことを冷静に思案し、より良き未来を見通さんとしている、澄んだ瞳。

 だからこそ、ぼくは彼女に問いかける。問いかけずにはいられない。


「だが君は、君達は、それを独占するつもりなのだろう?」


 彼女の口元に、いつもの苦笑が浮かび上がった。


「独占とは人聞きの悪い。世の中が進み、人々がその知識を有効に使えるようになるまで、預かるだけだ。〈初期化〉はもう御免だからな」

「人々の進歩が追いついたかどうか、誰が確かめるんだ? どの知識を、いつ、どのように解放するのか、誰が決めるんだ?」


 一旦言葉を切って、ぼくは祈るような心地で彼女を見つめた。


「ぼくが懸念しているのは、そこなんだよ。ぼくだって、失われていく知識を保全する意義には全面的に同意する。でも、それはあくまでも緊急避難的な、一時的なものでなければならないと思う。知識は、全ての人々に開放されるべきだ」


 彼女の瞳が、(かす)かに揺れる。

 ぼくは、ここぞと畳みかけた。


「先だっての、竜王を名乗るギャングを退治した時のことを思い出してごらんよ。自警団の中心となったあの青年は、〈初期化〉のあとで生まれた二世だった。それでも彼はとても聡明(そうめい)で、君やぼくのアドバイスをぐんぐん吸収して、その結果、見事に竜王を退けたじゃないか。今まさに、彼のような者にこそ、知識は必要なんだよ!」


 彼女は、ぼくが(しゃべ)り終わるまで、黙って聞いてくれていた。

 けれども、彼女の眉間の(しわ)が消えることはなかった。


「幸運だった一つの例で、全てを語ることはできない。彼は確かに素晴らしい若木だった。だが、だからといって、手当たり次第に肥料をまいていけば、根腐れを起こした木々のせいで、大切な木まで枯らしてしまうことになる」

「だから、知識を秘匿する、というのか」

「預かるだけだ、と言ったろう」


 そう言って彼女は、(きびす)を返す。

 諦めきれずに、ぼくは彼女の背中に語りかけた。


「人の世において、全ては互いに関わり合っている。知識を探求する者も、その他の者なくしては生きてゆけない。君が『愚か者』だと断罪する者達も含めて、だ。だから、全ての人が、全ての知識にアクセスする権利を有する。勿論(もちろん)、それらを正しく維持保全していく義務も同時に負うことになるが……」


 大きな()め息とともに、彼女が肩越しにぼくを見やった。


「その『維持保全』に信用が置けなかったら、どうすればいい? おのれに心地よい言葉にしか耳を貸さず、正しい知識をないがしろにするばかりか、誠実であろうとする者達を地に引き倒し、あまつさえ土足で踏みにじろうとする(やから)を、私はどうやって信じればいい?」


 真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐにぼくを貫く、(あお)い瞳。

 この瞳を前にして、ぼくは、もう何も言うことができなくなった。

 そう、何も……。


 


    * * *


 


 暗い海の底から小さなあぶくが浮かび上がるように、ほわりほわりと頼りなげに揺らめきながら、意識が浮上する。

 (まぶた)を開けば、ぼやけた視界に見慣れた天井が見えた。身じろぎしようとした途端、左腰と右の背中に凄絶な痛みが走り、思わず悲鳴を上げそうになる。


『船の修復とは随分勝手が違うが、多少は効果があったようだな……』


 懐かしい波動を感じて、馴染(なじ)みの名前が口をついて出た。故郷の言葉で「友人」という意味の――


「ナイズ?」

『久しぶりだな、ガルトゥバートル。いましばし動かずにおれ。傷が(ひら)く』


 どうやらここは、船の中央制御室のようだ。冷え切った床面に対して、空気はまるで春のように温かい。空調をフルパワーで動かしているようだが、大丈夫なのだろうか。

 (かす)む目をしばたたかせて、ふと焦点を手前に合わすと、人影が三つ、心配そうにこちらを(のぞ)き込んでいる。


 オーリと、モウルと、――お父さん……


 


 ……たっぷり一呼吸の間ののち、ウネンは思いっきり眉間に(しわ)を寄せた。


「あれ? ぼく、ぼくじゃなくなるんじゃなかったっけ?」


 ウネンの言葉が終わりきらないうちに、オーリ達の口から「ウネン!?」と()頓狂(とんきょう)な声が飛び出した。


『やはり、そうか』


 どこか愉快そうな気配を醸し出しながら、神が驚くべき内容を口にした。


『ウネン、新しき我が〈かたえ〉よ。ありうべからざることだが、(なんじ)真名(まな)は、ガルトゥバートルと同じだったのだ』


 傷に響かないよう必死で驚きを押し殺すウネンの周りで、三人が「どういうことだ」と互いに顔を見合わせる。

 と、モウルが難しい表情でウネンを指差した。


「すると、中身どうなってんの?」


 ウネン自身、何がどうなっているのかさっぱり理解できなくて、とりあえずそろりと意識を内へ向けてみる。

 まるで川に落ちた時みたいに、大きな波にざぶんと頭から()まれてしまったような心地がして、ウネンは気を失いそうになった。


「大丈夫か!」


 オーリが血相を変えて身を乗り出してくる。

 それをヘレーが、「静かにしないか」と遮った。


「大丈夫かい、慌てずに、ゆっくりと深呼吸をして」


 ヘレーが腕をさする動きに合わせて、ウネンは静かに息を繰り返した。

 ほっとした表情のヘレー、心配そうなオーリ、同じく心配そうではあるがそれ以上に好奇心にはちきれそうになっているモウル、の三つの顔を順番に見やってから、ウネンは訥々(とつとつ)と説明を試みた。


「なんて言ったらいいんだろう……。頭の中に本がいっぱいあるみたいで……。読んだことないのに、読んだことがある本が……」

『やはりヒトとキカイは違うのだな……』


 感心したような声が、中空――いや、天井に設置された音声発生装置(スピーカー)だ――から降ってきた。


『ガルトゥバートルの真名(まな)は確かにこの船に継承されたと思っていたが、キカイに収まりきれなかったものが再び混沌(こんとん)へと戻り、巡り巡って(なんじ)となったのだな』


 神の声を受けて、オーリが、先刻の神の言葉を今ひとたび繰り返す。


「キカイの〈かたえ〉には意思がない……」

「つまり、記憶だけが船に残り、意思はウネンになった、ということだろうか」


 ヘレーに水を向けられ、モウルが「おそらく」と(うなず)いた。


真名(まな)が同じなのだから、『上書き』ではなく『統合』された、ってことなのでしょうね」

「身体がウネンで、中身は全然知らない(じい)さん、という事態は避けられた、ってことか」


 オーリの一言を聞くや、モウルとヘレーが何とも言えない渋い表情になる。


「なんだ、まさか理解していなかったわけではないだろう?」

勿論(もちろん)、解ってたさ。解ってたけど……、その、あらためて言葉にされると、こう、切なさが倍増するって言うか、やりきれない気分になるって言うか……」


 ウネンを挟んで言い合う二人を見ながら、ウネンはほっと口元をほころばせた。こうやって横たわっているだけでも傷はずきずきと痛み、泣いて八つ当たりしたくなるほどだったが、いつもと変わらぬ二人の様子を見ているうちに、ウネンは胸の奥に気力が湧いてくるような気がした。


『ヒトというものは、やはり、なかなかに不自由なものだな』


 合成音を駆使して、神が(つぶや)く。

 人類を下目に見るような言葉に、モウルが露骨に鼻白んだ。が……。


『だが、それが、面白い』

「面白い?」


 モウルばかりか皆が一様に問い返す。

 (しか)り、と神が声を緩めた。


『そもそも我らは、(なんじ)らのような明確な境界を持たない。以前は、(われ)(マナ)となるものも曖昧だった。(なんじ)らヒトに出会い、我らは真名(マナ)を得たのだ』


〈かたえ〉なくして、(われ)(われ)とあらしめることなど、不可能なのだよ。まるで(つぶや)くように、神は言を継いだ。


真名(まな)とは、ヒトの持つ〈たましい〉が発するもの。我らとは違う、なにものにも犯されぬ確固たる〈波〉。それに触れ、我らもまた、我らの〈たましい〉を手に入れた。〈たましい〉は真名(まな)を呼び覚まし、真名(まな)によって世界から切り出されたことで、我らは世界を知ることができた』


 がらんとした中央制御室の隅々に、神の声が吸い込まれてゆくのを、四人は言葉もなく聞いていた。


 神々――いや、彼らは、一にして全であった。全にして一であった。

 二千年前に人類が電磁パルス砲を作動させた時、()は、自分が消されるかもしれないという恐怖と同時に、()()()()が消されてゆく絶望を味わわされたのだ。


「〈初期化〉は、起こるべくして起こったのか……」


 ヘレーが苦渋の声で(つぶや)く。

 軽やかな通知音が部屋の中に鳴り響いたのは、その時だった。


 


「誰かが応答を求めているみたい」


 ウネンはおずおずと皆に言った。記憶の本棚から引き出した情報には、この、銅の器の(ふち)を軽く弾いたような音は、船の外部から通信が入ったことを教えるものだ、とあったのだ。


「中へ入れてくれ、って、誰かが来た、ってこと?」


 モウルが首をかしげる横で、ヘレーが眉をひそめた。


「まさか、通信、が?」

「うん」


 通信! と色めき立つモウルと、通信? と眉を寄せるオーリを脇に置いて、ヘレーが唇を引き結ぶ。


「受けるには、どうすればいい?」

「一番後ろの、真ん中の席の、右のほうにある『主画面』のスイッチを入れたら、正面のあの大きな画面――鏡板に、相手の名前が表示されるから……」

「分かった」


 オーリに「ウネンを頼む」と言い置いて、ヘレーはあたふたと立ち上がった。指定された机に向かい、指定された(ボタン)を押す。

 虫の羽音にも似た通電音が(かす)かに響き、正面の壁が淡く光った。その中央に浮かび上がる文字列は、「narangerel」。

 ナランゲレル――書庫の魔女。


「まさか……」


 ヘレーが、震える指で鍵盤(キーボード)を操作した。「接続」の文字が光量を増し、ほどなく画面に老齢の魔術師の姿が映し出された。


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