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救出

「ウネンか?」


 あまりにも(うれ)しくて、ウネンはすぐに返事をすることができなかった。


「……うん」

「お前一人か?」

「うん」

「……動けるか?」


 (わず)かな躊躇(ためら)いののち、不安げな声が降ってくる。

 ウネンは、壁に手をついてふらつく身体を支えると、大きく、大きく(うなず)いた。


「ちょっと眩暈(めまい)がするけど、手足は自由だよ」


 そうか、という安堵(あんど)の声とともに、窓から縄がおりてきた。


「身体に結びつけろ。引っ張り上げる」


 ウネンは指示どおりに縄を腰にしっかりと結びつけた。


「いいよ」の声に、「いくぞ」との声が応える。


 麻縄が(きし)む音とともに、ウネンの身体がゆっくり上へと持ち上げられた。手で身体の向きを調節し、壁を歩くようにして、少しずつ窓へと近づいてゆく。

 遂に開口部に両手をかけたウネンは、ありったけの力を振り絞って窓によじ登った。おのれが小柄であることに心の底から感謝して、狭窓(さまど)を抜ける。


 外は夜だった。半分近く身を細らせた月が、地平線のすぐ上に顔を出している。

 ウネンはおそるおそる窓から上半身を乗り出した。見える範囲のどこにも、オーリの姿が見当たらなかったからだ。

 びょう、と冷たい風が襟元をはためかせた次の瞬間、ウネンは見えない手に襟首を(つか)まれ狭窓(さまど)から引っ張り出された。そのまま地面に落ちてしまう、と思いきや、顔と胸が何かに突き当たる。


 気がつけば、ウネンはオーリの胸元に抱きかかえられていた。

 オーリを支えているのは、屋上から垂れさがる二本の丈夫な縄だった。彼は左手にウネンを抱えた状態で、腰に装着した革帯(ハーネス)の金具に通した縄を、ゆっくりと送り出して塔の壁を降下してゆく。


 無事地面に降り立ったオーリは、ウネンを抱えたまま、回収した縄を器用にまとめて腰にぶらさげた。そうして真っ直ぐ隣の建物の陰へと向かう。


「大丈夫だよ、自分で歩くよ」


 ウネンは慌ててオーリに呼びかけた。


眩暈(めまい)がするんだろう?」

「少しだけだよ、ちゃんと歩けるよ」


 申し訳なさと照れくささに狼狽(ろうばい)するウネンに、オーリはどこまでも真顔で応える。


「モウルが()に目くらましの術をかけている。しばらくこのままで我慢してくれ」

「あ、うん……」


 そういうことなら、と、ウネンは素直にオーリの肩につかまった。オーリの重心を乱さないよう気をつけつつ、身体をひねって進行方向を見やる。途端に、およそ体験したことのない目線の高さがウネンを出迎えた。


「どうした」


 ウネンが息を()んだことに気づいて、オーリが小声で問う。

 ウネンは、じっと前を見つめたまま、独白のように(つぶや)いた。


「オーリは、いつもこんな高さから世界を見てるんだ」


 一拍の間ののち、オーリが「まあな」と微笑(ほほえ)んだ。


 


 建物の影を辿(たど)るようにして、オーリは無言で暗闇の中を進んでいった。

 やがて角の向こうに(かがり)火の明かりが見えてきた所で、オーリは立ち止まった。


「モウルの奴が言うには、『影まといの術』とやらは、強い光を浴びると消えてしまうらしい」


 強い光、とはどの程度の光を指すのだろうか。細かい定義が気になったものの、ウネンはとりあえず「どうするの?」とだけオーリに尋ねる。


 オーリは「心配するな」と口角を上げて、懐から呪符を取り出した。ウネンがモウルから渡されていた、連絡用のあの呪符だった。

 オーリが呪符を顔の前に掲げる。

 (かす)かな〈(ささや)き〉がウネンの鼻先をくすぐった。


「無事保護した」


 呪符に語りかけたオーリの声を、即座につむじ風がさらってゆく。

 しばしのち、いつになく静かなモウルの声が、オーリの手元で渦を巻いた。


『了解。順次明かりの位置を教えて』


 オーリは一旦呪符をウネンに預けると、腰の物入れから出した手鏡で建物の角の先を(うかが)った。


「ここから北に三メートルだ」


 オーリが呪符に告げてからしばらくして、一際強い風が目の前を吹き抜け、前方の明かりがかき消えた。

 なんだなんだ、と、数人がざわめく声がする。

 角から顔を(のぞ)かせてみれば、右往左往する三人の兵士の横で、火の消えた(かがり)が灰色の煙をくゆらせていた。


 思わずウネンは「すごい」と(つぶや)いていた。

 オーリが、「ああ」と我がことのように得意げに(うなず)く。

 魔術の影をまとった二人は、兵士達の横をすり抜けて王城の外郭へと出た。建物の影を、木の影を辿(たど)って、城の表、町へ出る門へと向かう。

 目的地までもう少し、というところで、オーリの手元から(いぶか)しげなモウルの声がした。


『さっき、さ、ウネンの声が随分近かったような気がするんだけど』

「俺が抱えているからな」


 ウネンは、あらためておのれの現在の状況を認識して、気恥ずかしさのあまり顔から火が出そうになった。

 ややあって、目くらましの術を分けてもらうためだから仕方がないのでは、と思い直したウネンを、次のモウルの言葉が打ちのめす。


『手を(つな)ぐだけでも効果が及ぶようにした、って、僕言ったよね。君の負担を減らすために、わざわざ術を改良したってのに、僕の苦労はまったくの無駄だったってこと?』

「このほうが、うっかり手を放してしまう心配をしなくていい」

『あっそ』


 不機嫌そうな声を残して、呪符が黙り込む。どうやらこの様子では、ウネンは当分の間モウルから厭味(いやみ)ったらしい幼児扱いを受けることになりそうだ。

 ウネンが密かに()め息を押し殺している間も、オーリは着々と最後の門に向かって進んでゆく。


「おい、最後の(あか)りだ。ここから東に五メートル」


 返事の代わりに、突風が渦を巻いた。

 建物の角を曲がった先で、何かが倒れる派手な音がする。次いで、「危ねえ」「一旦、火を消せ」と騒ぐ声が聞こえてくる。


 辺りが暗くなるのを待って、そっと角から様子を(うかが)えば、倒れた(かがり)台を兵士が二人がかりで起こすところだった。その横では別な二人が、くすぶる薪を片付けている。

 オーリは足音を忍ばせて兵士達の横を通り過ぎた。大きな門をくぐり、遂に城の外へ――


 門を出た瞬間、門扉の陰から松明(たいまつ)を持った兵士が目の前に現れた。燃え盛る炎に照らされ、またたく間にウネン達の目くらましがはぎ取られる。


「な、なんだお前、急に、どこから出てきた?」


 恐怖に硬直するウネンをよそに、オーリは相変わらずの真顔で兵士をじっと見つめた。


「晩遅くにすまなかった。明日また出直してくる」


 オーリの態度があまりにも平然としていたからか、はたまた子連れで狼藉(ろうぜき)に無縁そうに見えたのか、兵士は目をしばたたかせたのち、眉間に(しわ)を寄せながらもぎくしゃくと(うなず)いた。


「あ、ああ、そうだな、また昼間に頼む」


 


 すまし顔で跳ね橋を渡り終え、広場を通り抜け、路地に入り、城の門が完全に見えなくなったのを確認して、ウネンは我慢できずに感嘆の声を上げた。


「すごいや、オーリの機転!」


 と、オーリが唐突に足を止め、何事か(つぶや)く。


「え? なんて?」

「……心臓が止まるかと思った……」


 厚い肩が、深く、深く嘆息する。

 ねぎらいとお礼を込めて、ウネンはオーリの背中をぽんぽんと(たた)いた。


 


 


 オーリに頼んでようやく地面に下ろしてもらったものの、本人が思っていた以上にウネンの体力は消耗していたようで、ほんの数メートルも歩かないうちに彼女は道端にへたり込んでしまった。

 捕まっている間、ウネンが飲まず食わずで寝ているばかりだったと聞くや、オーリが険しい顔でウネンを背負おうとする。


「でも、お昼には長い階段を駆け上がれたんだよ」

「火事場の底力を常態と思うな」


 返す言葉もなく、ウネンはおとなしくオーリの背中に身を預けた。


 


 ウネンとオーリは、次の広場で無事モウルと合流することができた。

 ひとけの絶えた夜の街路を歩きながら、モウルがウネンを見つけた経緯を説明してくれる。


「リッテンでの誘拐事件で懲りたからね、君に〈しるし〉をつけさせてもらってたんだ」


 そう言ってモウルは、オーリにおぶさるウネンの、胸元のマントの留め具を指差した。「これならば、君は肌身離さず持っているだろうからね。服を着替えさせられでもしない限り、留め具に込めたちからを頼りに君を捜すことができる、と、思ってた、んだけど」

 そこで大きな()め息を一つ、モウルが自嘲の笑みを浮かべた。


「すぐに見つけられるさ、なんて高を(くく)ってたら、全然さっぱり感知できなくてさ。仕方なく聞き込みだのなんだの他の方法で君の行方を追ってたんだけど、今日の昼に、ちらっとだけ〈しるし〉が応えてくれてね。ようやく君の居場所が分かった、ってわけ」


 ウネンが閉じ込められていた塔の中は、(りん)の音と〈(ささや)き〉で満ち(あふ)れていた。それら魔術の気配がモウルの探知を阻害していたに違いない。だが、そのおかげで留め具の存在がマンガスに気づかれずにすんだのだろう。そうでなければ、あの抜け目のない悪魔のような魔術師は、早々に留め具を処分してしまっていたに決まっている。ウネンはおのれの幸運をしみじみと()み締めた。


「二人とも、助けてくれて本当にありがとう」


 城での出来事を報告する前に、ウネンはまず二人に心からの礼を述べた。

 オーリとモウルは、あらためて「無事で良かった」と言葉を返してから、互いに小さく(うなず)き合った。


「あのあと一体何があった」


 本題を切り出したのは、オーリだった。いつになく硬い声で、ちらりと背中のウネンに視線を寄越す。

 ウネンは、二人と別れてからの出来事を、かいつまんで話し始めた。


「宿の女将(おかみ)さんに頼まれて井戸で野菜を洗ってたら、ヘレーさんを知っているという(まじな)い師に声をかけられたんだ。ヘレーさんに会わせてあげる、って言われたから、オーリ達に知らせようとしたら、突然眩暈(めまい)がして、そのまま気を失ってしまって、気がついたらあの塔の部屋にいて……」


 大きく息をついて、ウネンは今一度腹の底に力をためた。

 耳の奥に、まだあの(りん)の音がこびりついているような気がした。


「その(まじな)い師は、実はマンガスって魔術師の変装だったんだよ。出会った時に〈(ささや)き〉を感じたから、たぶん何か髪の色を変えて見せるような術を使っていたんだと思う。塔の地下にはヘレーさんが閉じ込められていて、ノーツオルスの里を狙うマンガスは、ヘレーさんを味方につけるために、ぼくを人質にしたんだ」

「その人(さら)い野郎は、どこから里のことを聞きつけたのかは言ってなかったかい?」


 的確に要点を突いてくるモウルの問いに、ウネンは唇を()んだ。今ここでモウル達にエレグのことを告げる、心の準備ができていなかったからだ。


「それは……またあとで、もうちょっと落ち着いてから話したい」

「了解」


 ウネンは深呼吸をすると、意識を塔の地下(ろう)へと戻した。


「ぼくの命を盾にされて、ヘレーさんは、渋々って感じでマンガスに従うって言ったんだけど、マンガスはそれだけでは満足しなくて、ヘレーさんの隙を捕らえて、小さな手搖鈴(ハンドベル)を鳴らして術をかけて、そうしたら、ヘレーさんの様子がおかしくなっちゃって……」


 そこまで言ったところで、ウネンは思わず言葉に詰まった。あの時の状況を思い出した途端、胸の奥を締めつけられるかのような痛みに襲われたのだ。

 ウネンは、(あえ)ぐように息を継いだ。口の中に(あふ)れてきた唾を、何度も何度も()み込んだ。


 ウネンが黙り込んでしまったことに対して、オーリもモウルも何も言わなかった。ただ二人の足音だけが、規則正しく街路に響く。

 あまりにも穏やかな沈黙に、ウネンの口から、つい弱音が()れた。


「ぼく、『ヘレーさん』って、何度も呼んだんだ……。なのに、一度も振り返ってくれなくて……、返事もしてくれなくて……」


 目元がじわりと熱を帯びたかと思えば、ウネンの視界はみるみる(にじ)んでいった。

 今まで、ずっと、泣くのを我慢できていたのに。涙が(こぼ)れないよう、ウネンは必死で(まぶた)に力を入れる。


 ウネンの頭に、ふわり、と手巾(しゅきん)がかぶせられた。

 ウネンが手巾(しゅきん)を受け取ったのを見て、モウルが無言のまま少し歩調を早めてオーリの横につく。


 二つ並んだ背中が、ウネンを優しくねぎらってくれているようだ。

 その心(づか)いが(うれ)しくて、知らずウネンは泣いていた。声を上げて泣くのは、物心ついてから初めてのことだった。


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