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襲撃

 

 

「……。…………、…………」


 漆黒の闇の中、誰かが何かを(つぶや)いている。

 鼓膜を(かす)かに震わせる、低い、男の声。

 それとは別に、もう一人。いや、もう一つ? 耳の奥を通り過ぎ、脳髄を経て、胸の奥を響かせる、声ならぬ声――〈(ささや)き〉。


 ウネンは、石のように重い手足を必死で動かした。息苦しいほどに密度の濃い暗闇が、ウネンの周囲でのたりと波打つ。もどかしさに身(もだ)えしながらも、泥水を()くようにして、〈(ささや)き〉のほうへとじりじりと進みゆく。


 と、ウネンのもとへ、頭上から(かす)かな光が差し込んできた。

 それに(いざな)われるようにして、ウネンの意識が急浮上した。


 


 (まぶた)をあけると、半月が視界に飛び込んできた。地平線のすこし上、(わん)を少し右に傾けたような片割月……、下弦の月だ。

 ウネンは、一瞬、自分がどこにいるのか解らなかった。頬を()でるぬるい風と、鼻腔(びこう)をくすぐる草の()が、夜陰に溶けだしてしまった記憶を少しずつ寄せ集めてきてくれる。


 (もや)のかかる頭を振りながら、ウネンはもそりと身を起こした。

 東の空にのぼったばかりの月明かりに、草原がぼんやりと照らされている。首を巡らせば、すぐ傍らに寝息を立てるイレナが見えた。少し離れて、石積みの(かまど)の中で揺らめく炎と、番をするオーリの背中。


 夢の続きか、低い声が(かす)かに聞こえてきた。

 内容までは聞き取れないが、ぽつりぽつりと吐き出されるのは、間違いなくオーリの声だった。眠気を紛らわせるために、独り言でも(しゃべ)っているのだろうか。ウネンがぼんやりとそんなことを考えた時、ほんの刹那、〈(ささや)き〉が、ウネンの(しん)の臓と共鳴した。


 間を置かずして、聞こえるか聞こえないくらいの声が、風に乗って耳元を通り過ぎた。オーリとは別な、聞いたことのない、杳々(ようよう)たる男の声が。


「目が覚めたのか」


 オーリが、ウネンを振り返った。

 ウネンは、思わず目をしばたたかせた。


「……今、誰かと(しゃべ)ってなかった?」


 おずおずと問いかけたウネンに向かって、オーリは「いいや」と首を横に振った。

 木切れが燃え崩れる音とともに、炎が揺らめく。


「夢でも見てたんじゃないのか」


 そうかもしれない、と、ウネンは思った。それどころか、もしかしたら今もまだ夢の中にいるのかもしれない、という考えすら頭をよぎる。煌々(こうこう)と降り注ぐ月影のせいか、目の前の情景が、(ひど)く現実味の薄いもののように見えたからだ。


「交代の時間になったら起こしてやるから、ゆっくり休め」


 わかった、と、ウネンは素直に横になった。途端に、粘り気のある眠気が那辺(なへん)から押し寄せてくる。

 目を閉じる直前、オーリの(あお)色の瞳が、月明かりを映して銀色に輝いたような気がした。


 


 


「東に四度、距離十メートル」


 ウネンが読み上げた数値を、オーリが淡々と帳面に記していく。(つえ)とペンを一々持ち替えずに済む分、作業効率は当初の予定と比べて驚くほど良くなっていた。この調子だと、真っ暗になる前に、必要な範囲の測定を終えて野営地まで戻ることができそうだ。


 昼前から西風が断続的に吹き始め、いつしか空には雲がひしめき合っていた。天気の行方が少し心配ではあるが、日が(かげ)ったお陰で気温はぐんと過ごしやすい。このままの勢いでさっさと作業を終えてしまおうと、昼ご飯に堅焼きパンをかじった以外は、三人は休憩を取らずにひたすら領地の境界を辿(たど)り続けていた。


「東に四・五度、距離二十メートル」


 イレナが、また次の地点まで、縄の端を持って軽やかに走ってゆく。水袋ばかりか長剣という重量物を腰にさげているにもかかわらず、驚きの身の軽さだ。


 ウネンは、イレナが毎日自己鍛錬を欠かさないことを知っている。今朝も、彼女は日が昇りだすよりも早く起き出してきて、剣の素振りを行っていた。そういった日々の努力の積み重ねが、あの(たぐ)(まれ)なる身体能力に(つな)がっているに違いない。


 そんな得(がた)い能力の持ち主が、こうやって惜しみなく力を貸してくれているということに、ウネンは何度礼を言えばよいのか分からないほどだった。自分は、イレナをはじめとする身近な人々に、いつの日か恩を返すことができるのだろうか。ウネンは唇を()み締めた。そもそも、誰よりも先に礼をするべきだった人物にさえ何も言えなかったこの自分に、一体何ができるのだろうか、と。


「引き続き東に四・五度、距離十八メートル」


 ウネンは、すらすらとペンを帳面に走らせるオーリを見つめた。

 まだ剣を振るったところを目にしてはいないが、その身のこなしから、彼が並々ならぬ実力の持ち主であろうことは想像に(かた)くない。しかも彼は、読み書きができるばかりか、今回測量の記録をつけるにあたって、どうやらウネンの行っている作業の意味も理解しているようなのだ。


「東、五度。距離十メートル」


 オーリは、一体何者なのだろうか。この遠出の間に幾度となく浮かんだ疑問を、今ひとたびウネンは考えた。

(ささや)き〉と呼応するようにしてウネンの目の前に現れた、ヘレーの追っ手。昨夜の出来事が夢でなければ、あの時彼は再び〈(ささや)き〉とともにあったのだ。


 まるで誰かと話しているかのようなオーリの独り言に、風と吹き渡る見知らぬ男の声。他にも解らないことは沢山ある。だいたい、彼が探しているというヘレーに関しても、知らないことだらけなのだから。ヘレーは本当に秘伝の書とやらを盗んだのか、どこから来て、どこへ行ってしまったのか。


 そして、伝説の魔術師、ノーツオルス。三年前の追っ手がその名を言い放った時、ウネンは、一体なんの寓話(ぐうわ)かと思ったものだった。まさか、本当に「ノーツオルス」なる人物がこの世に存在するというのだろうか……。


「東二度、距離十七・五」


 イレナの立つ位置からほんの二メートルほど先に、テーブルのような平たい岩が見えた。これが、先だってチェルヴェニーに境界の不正を疑われた際に、バボラーク側の潔白を証明してくれた岩である。イレナが立っている地点で、その岩までの角度と距離を計測すれば、今回の任務は完了だ。


 ウネンが縄を手繰(たぐ)りながら草地を進んでいると、オーリの舌打ちが聞こえてきた。何事かと振り返れば、険しい眼差しが、柵の向こう、西の方角をじっと見据えている。

 ウネンが振り返ったことに気づいたオーリが、ぼそりと言葉を()らした。


「面倒なことになりそうだ」

「何が?」

「まずは彼女と合流しよう」


 そう言うなりオーリはウネンに帳面とペンを返し、代わりに縄をもぎ取った。手際よく縄を束ねつつ、大股でイレナのほうへと歩いてゆく。

 ウネンは慌てて小走りでオーリを追いかけた。

 イレナに近づくにつれ、彼女もまた難しい表情で西を見つめていることが分かった。オーリをひと目見るや、柵の向こうに顎をしゃくってみせる。


「四人はいるわね」


 オーリが、静かに(うなず)いた。


「そこの丘を、こそこそと回り込んできたみたいよ。気に()わないわ」


 イレナが注視している辺りへとウネンも目を凝らしてみるが、草の葉が風に揺れるばかりで、何の異常も見つけられない。

 と、三人が(にら)みつけている先、草陰から人が次々と立ち上がった。

 一人、二人、全部で四人。見たところ二十代後半から三十代といった年嵩(としかさ)の男達が、剣や(なた)を片手にゆっくりとこちらへ近づいてくる。


「なんだよ、小娘二人って聞いていたのに、一人しかいねえし」

「ガキはともかく、野郎のほうは面倒だな」

「ま、全員片付けちまえばいい、ってことっしょ」

「分かってるな、女はすぐには殺すなよ」


 下卑た笑いを口元に貼りつけながら、男達は好き勝手に(しゃべ)り続けている。


「あんた達、何者? ていうか、何の用?」


 イレナが、声を張り上げて誰何(すいか)した。だが彼らはそれに答えようとはせず、逆にウネン達に問いかけてくる。


「お前ら、イェゼロの地図屋だな?」

「だったら、何だっていうのよ」


 男達は、にやにやと笑ったまま、なおも歩を進めてきた。柵の前でようやく足を止め、()めるようにウネン達を――主にイレナを――ねめつける。


「チェルヴェニーの手の者か。ハローの町で見たな」


 オーリが淡々と口を開いた。ハローの町とは、イェゼロの隣の隣、チェルヴェニー領に入ってすぐの町のことだ。


「それ本当?」

「人の顔を覚えるのは、不得手ではない」


 イレナの問いに事も無げに答えてから、オーリは男達を順に見回した。


「バボラークに地図を作られると困る人間が、チェルヴェニーにいる、ということだな」

「ご名答!」


 濁声(だみごえ)とともに、(なた)が木柵を粉砕する。

 間髪を入れず、オーリがウネンの手を引いた。柵から十メートルほど下がったところに見える、(ほろ)馬車ほどの大きさの岩のもとへと、草を蹴散らしながら走る。


「岩に背をつけて、じっとしていろ」


 勢いをつけてウネンを岩のほうへ押し出し、オーリ自身は大岩の少し手前で柵を振り返った。少し遅れて、イレナもその左横に立つ。

 柵を破った男達が、ゆっくりとバボラーク領へと侵入してきた。

 イレナとオーリが、同時に剣を抜く。

 三人がオーリの前に、残る一人がイレナの前に陣取った。


「剣なんか構えて、勇ましいねえ、お姉ちゃん」


 どうやったらこんなに下品な声が出せるのか。あまりの気持ち悪さに、ウネンはうなじの毛が逆立つ思いだった。イレナの健闘を全力で祈りつつ、ウネンも、方位盤を外した(つえ)を身体の前に構える。非力で貧弱な自分ではあるが、ただ何もせずに俎板(まないた)の上に横たわるのは性に合わない。


「おやおや、お姉ちゃんってば、手が震えてるんじゃないかい? 怖いんなら無理すんなよ。俺が悪いようにはしてやらないからさ」


 舌なめずりが聞こえてきそうな声音に、他の男達のせせら笑いが加わる。人数の有利に酔っているのだろう、身体をゆすりながら、手に持った得物をこれ見よがしに見せびらかす。

 対して、オーリの背中も、イレナの背中も、(わず)かたりとも揺るがない。


「そうね、怖いわ」


 自信に満ち(あふ)れた声が、イレナから発せられた。「これで、初めて人を殺すことになるのかもしれない、と思うと、ね」


「なんだって?」


 ()頓狂(とんきょう)な男の声を吹き飛ばす気迫で、イレナが高らかに名乗りを上げた。


「私は、イェゼロ自警団の団長ヴォイチェフが長子、イレナ! 命が惜しくなければ、かかってきなさい!」

「て、てめえ……!」


 イレナと対峙(たいじ)していた男が、顔を真っ赤にして()えた。剣を顔の高さに構え、切っ先を真っ直ぐイレナに向け、雄牛のごとくイレナに真っ直ぐ突っ込んでくる。

 イレナは即座に右足を前に踏み出した。迫りくる突きを突きでいなすや、剣をひねり、(やいば)で相手の(やいば)を巻くようにして抑え込む。


 男の表情が変わった。血の気の引いた顔で、力任せに刀身を跳ね上げて、イレナの(やいば)を振り払う。

 男が再度突きを繰り出すと同時に、イレナの剣が男の(やいば)を潜り抜けた。(つば)に近い部分で男の攻撃を防御し、その勢いのまま切っ先を(ひらめ)かす。


 男が、悲鳴を上げて剣を取り落とした。押さえた右肩から、見る見る鮮血が(にじ)み出してくる。

 オーリの前にいた三人のうち、一番イレナに近い男が、怒りに顔を(ゆが)ませて叫んだ。


「貴様ぁ!」

「次は誰!」


 男達の注意がイレナに向いた隙を逃さず、オーリが動いた。目の前、真ん中に位置する男に向かって間合いを詰め、剣を上段から振り下ろす。

 だが、敵もさるもの、すんでのところでオーリの(やいば)を剣身で受け止め、膠着(こうちゃく)状態へと持ち込んだ、と、思うまもなく、息もつかせぬ動きでオーリが剣をひねり、横ざまから(やいば)をかぶせるようにして、男の剣をかわす。


 銀色の一閃(いっせん)が、男の手首を切り裂いた。痛みに(うめ)く男を捨て置き、今度は向かって右隣の男に、返す刀で切りかかる。

 男がオーリの剣を左体側(たいそく)へ受け流した。しかし、オーリはそこから手首を返して(やいば)を巻き、逆に男の剣を下方へと滑り落とす。流れるような動きで相手の懐に踏み込み、剣の柄頭(つかがしら)で男の顔面を強く打つ。


 豚の鳴き声にそっくりな悲鳴を上げ、男がよろめいた。オーリはすかさずその背後にまわり込むと、剣を男の首にかけた。

 オーリが仕掛けてからここまで、(わず)か十秒。

 イレナが目を丸くして口笛を吹いた。


「この件から手を引け。ならば、命までは取らない」


 (やいば)を首に押しつけられた男が、鼻血にまみれた唇を震わせながら、残る一人に懇願する。


「なあ……諦めて帰ろうぜ……こいつら強ぇよ、かないっこない……」

「馬鹿野郎、手ぶらで帰ったら、お館様に何を言われるか」


 死にたくねえよぉと叫ぶ鼻血男を無視して、最後の一人が懐から呼子(よびこ)を取り出した。大きく息を吸って、高らかに笛を鳴らす。

 柵の向こう、灌木の陰から、更なる人影が姿を現した。全部で七人。

 イレナとオーリが緊張するのが、ウネンにも分かった。


「どうやらオレ達の出番らしいな」


 一番先頭を歩いていた大男が、実に楽しげに目を細める。


「ボク達〈双頭のグリフォン〉にかかれば、こんな奴ら、瞬殺さ」


 その隣で、外套(がいとう)のフードを目深にかぶった男が、得意げに喉の奥で笑った。


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