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野獣退治

 

 

 

 次の日の朝早く、装備を整えたウネン達は、町の東門前でマルセルとテオと合流した。結局モウルも、マルセルに押し切られるかたちで赤狼(あかおおかみ)退治を承知したのだ。

 これまでもオーリとモウルが似たような依頼を受けたことは何度かあった。そのたびにウネンは宿で留守番をしていたのだが、今回ばかりは少々状況が違っていた。


 というのも、昨日の「殴り込み」の際に、山賊が一人あの場から逃げおおせていたことが分かったからだ。しかもその逃げた一人というのが人(さら)い四人組の一人となれば、面識のあるウネンを町に置いていくと報復される危険がある。そんなわけで、ウネンも彼らについて行くことになったのだ。


「あとで詳しく説明するけど、今回は(ひら)けた場所におびき出しての狩りとなるはずだから、なんならウネンちゃんはずっと俺の後ろにいてくれれば、危ないことなんて何も無」

「さっき渡した呪符は持ったね?」


 マルセルの語りを遮って、モウルがウネンに問いかける。万が一赤狼(あかおおかみ)に襲われた時の目くらまし用に、と、モウルは火花の呪符をウネンに預けてくれていたのだ。


「あ、うん」

「ええっ、ウネンちゃん、呪符が使えんの?」

「簡単なものなら、なんとか」


 実はウネンは、この旅の間、オーリから(じょう)術を教わる一方で、モウルからは呪符の使い方を教わっていた。最初の頃こそまったく勝手が分からず、ただひたすら、モウルの「〈(ささや)き〉とやらを感じられるぐらいなんだから、君には素質があるはずだ」という言葉に(すが)る思いで練習を繰り返していたところ、十日ほど前にやっと灯火の呪符を起動させることに成功したのだ。


 (もっと)も、呪符が使えるようになったと言っても、対象や効力を調整するような込み入った術が、魔術師ではないウネンに使えるはずもなく、ただ符を起動させるだけでよいという簡単な術に限られてはいるのだが。


「へえー! すげえな!」

「教え方がいいからね。ちなみに、オーリも簡単な呪符が使える。勿論(もちろん)、教えたのは僕」


 得意げにマルセルに微笑(ほほえ)んでから、モウルはウネンに向き直った。


「さっきも言ったように、それはあくまでも緊急事態用だからね。オーリ直伝の(つえ)さばきとやら、見せてもらおうじゃない」


 ウネンはごくりと唾を()み込んだ。

 旅は常に危険と隣り合わせだ。ウネンがオーリとモウルに(じょう)術や呪符の使い方を教わっているのは、自分で自分の身を守るためである。


 だが、「いつまでも二人に頼ってばかりではいけない」と口ではいっぱしのことを言っておきながら、いざという今、腰が引けている自分に気がついて、ウネンはすっかり情けなくなった。なんとか勇気をふりしぼろうと、(つえ)を握る両手に力を入れる。

 と、モウルが、ふ、と微笑(ほほえ)んだような気がした。


「とは言え、変なところをうろちょろされたら迷惑なことこの上もないから、君は基本的に僕の後ろに控えていればいいさ」


 他人を小馬鹿にしたようなモウルの言いざまに少しだけムッとしたものの、ウネンは内心でホッと胸を()で下ろした。


 


 


「くそっ、やっぱり(わな)には引っかかんねえなあ」


 牧草地を見下ろす森の中、不発に終わった(わな)を確認してマルセルが地団駄を踏む。

 赤狼(あかおおかみ)に対して毒づくばかりの相棒を横目に、テオがウネン達を振り返った。


「どうやらかなり賢い群れのようで、(わな)に引っかからないばかりか、少し難儀な狩りの方法を覚えてしまったようでね」

「難儀な方法?」


 モウルとウネンの声が(そろ)う。

 テオの眉がそっとひそめられた。


「野生の鹿を捕るよりも、牧草地の羊を狙ったほうが効率が良い、ってね。それでも最初は、奴らも羊が群れから外れるのを待つだけだった。けれど偶然が重なった結果、奴らは知ってしまったんだ。牧童を襲えば羊が散り散りになる、ということを」


 ウネンは大きく息を()んだ。

 その横ではモウルも、いつになく蒼白(そうはく)な顔で唇を一文字(いちもんじ)に引き結んでいる。


「大人がいると、奴らは姿を現さないか、せいぜいはぐれ羊を狙うぐらいだ。それで安心して今までどおりに子供に任せれば、途端に襲いかかってくる。奴らにとって人間の子供は既に羊と同じ『餌』なんだ。……って、これ、マルセルが説明するんじゃなかったっけ?」

「いや、テオが話してくれてるから、いいかなーって」

「いいかなー、じゃないだろ」


 じろりとテオに(にら)まれても、マルセルはまったく臆した様子が無い。何事もなかったかのように、しれっと話の続きを引き取ってゆく。


「ま、そんなわけで、(わな)を設置しても空振り、大人数で森に踏み込んでも、奥のほうに引っ込んでしまって見つからねえ。じゃあ少数精鋭で待ち伏せするしかないっつって、俺とテオに声がかかったんだけど、さすがに二人だけじゃあどうにもなんねえ。なのに、こういう時に限って他の連中も全然手があいてなくてよ。これ以上犠牲が出る前になんとかしてくれ、ってせっつかれるわ、(わら)(つか)む思いで組んだ一見さんは山賊だわ、ほとほと困ってたんだ。ありがとうな」


 マルセルはそう言って、()ずはオーリに笑いかけた。それから少し改まった調子で、モウルと視線を合わせてきた。


「あんたも、承知してくれて助かったよ。同じ神と契約しているよしみで、よろしく頼むわ」

「こちらこそよろしく」


 いつものよそゆき顔で応じたモウルが、一拍のちに、つと眉を寄せる。


「……でも、本当に同じ神なのだろうか」


 独り言にも似たモウルの(つぶや)きを聞き、マルセルが大きく眉を跳ね上げた。


「は? あんた、俺と同じ風使いだろ?」

「そうだよ。でも、一口に『風の神』と言うけれど、君の神と僕の神は本当に同一の神なのか、それとも別個の存在なのか、一体どちらなのだろう、と思ってね」


 マルセルは、二度三度と目をしばたたかせてから、盛大に首をかしげた。


「あんた、ムズカシイこと考える奴だな。あまり悩んでいたら、ハゲるぞ」

「考えるのが、僕達魔術師の仕事でしょうが」

「あー、なんか、みんなそう言うねえ。でも、俺はいいや」

「はァっ?」


 モウルの声が面白いほど裏返った。


「考えるのは他の奴に任せるわ。そもそも俺、そういうの向いていないんだよねー。字ぐらいは読めるようになれ、ってテオの奴に怒られてるけど」

「字、読めないのか……」

「算術もできないぜ!」


 一点の曇りもない笑顔で、マルセルが胸を張る。

 信じられない、といった表情で、今度はモウルがまばたきを繰り返した。


「どうやって魔術師になったんだ?」

「どうやって、って、なんか木に登ってぼんやり空を見てたら、ヒュンって来て、バーンってなって、気がついたら黒髪だった」

「はァ……」

「てか、俺のことなんてどうでもいいから、さっさと仕事に取りかかろうぜ!」


 気持ちがいいほどあっさりと話題を切り替えるマルセルに、モウルはもうため息すら出ないありさまだ。


「分かった。君の言う『ムズカシイこと』については脇に置いておくとして、今日はどういう作戦でいくつもりなんだ?」

「テオの奴が牧童のふりをして、赤狼(あかおおかみ)をおびき出す」


 自信たっぷりに言い切ったマルセルの横で、テオが諦めたように肩を落とした。


「まあ、他に良い手が浮かばないんで。不本意ながら」

「君一人で大丈夫かい?」

「こう見えても、テオはうちの町で一、二を争う腕前の剣士なんだぜ!」


 マルセルが我がことのように得意げに胸を張るが、モウルの眉間には依然として深い(しわ)が刻まれたままだ。


「あのねえ。相手は嗅覚の(すぐ)れた野獣だよ。僕達の存在を気取られないようにするには、充分な距離をあけて待機する必要がある。ということは、僕達が彼の援護に向かうにも時間がかかるというわけだ。いくら彼の剣の腕前が素晴らしくとも、十頭からの群れに一斉に襲いかかられたら無事では済まないでしょ?」

「そんな時は、俺やあんたが風をビュンってすればいいじゃん」


 途端に、テオが血相を変えてマルセルに食ってかかった。


「敵と近接している時は術を使うなって言っただろ!」

「テオを狙うわけじゃねえって」

「それで結局俺にも当たるんだから、同じことだ」

「まあ、確かに、僕達風使いのわざは、乱戦向きではないけれど……」モウルがあきれかえった眼差しをマルセルに注ぐ。「流石(さすが)に、味方に当てるのは()()でしょ」


 すると、これまで黙って三人のやり取りを聞いていたオーリが、ぼそりと口を開いた。


「少し前に山犬退治で俺が使った水の球の呪符はどうだ。確かまだ二枚ほど残っていただろう? あれなら、巻き添えを()らっても()れる以外に被害はないが、敵を一瞬(ひる)ませることができる」

「パヴァルナでノルさんに作らせてもらった呪符だね」


 懐かしさのあまり、思わずウネンも横から口を挟む。ダーシャ王女の付き添いであの高原の町へ赴いたのも、もう二箇月も前のことなのだ。


「それがね、あの呪符、使うごとにだんだん効力範囲が狭くなってきているみたいなんだよねえ。どれもまったく同じように作ったつもりだったんだけど。待ち伏せする場所によっては、(おとり)役の所まで届かないかも」


 君は呪符は使えないんだよね、とモウルがテオに確認すれば、若干(じゃっかん)不貞腐れた顔が「悪いね」と肩をすくめる。


「皆が俺のことを心配してくれるのはありがたいけれど、(おとり)というからには、危険があるのは承知の上だから。とりあえず、皆が助けに来るまでは持ちこたえてみせるさ」


 入念な打ち合わせののち、テオは農場へ向かった。牧笛(ぼくてき)と木の(つえ)を手に、ただ一人で羊を連れて森の(そば)まで出てくるのだ。

 残る全員は、少し離れた草むらに身を潜めて待機した。その際に二人の風使いが、自分達が風下になるように風を操っていたのは、言うまでもない。


 


 


 テオが羊とともに牧草地の端へとやって来てから、鐘一つ、およそ二時間が経過した頃、森近くの草むらに不自然な波が立った。

 十はくだらない数の影が、草むらの中をテオのいるほうに向かってゆっくりと進んでいく。


「来たぞ」


 モウルの(ささや)きを聞くなりオーリが駆け出した。上り坂も向かい風をもものともせず、低い姿勢で一直線にテオの援護に向かう。次いでマルセルが、これまたしなやかな身のこなしで草をかき分けて、赤狼(あかおおかみ)の背後をとるように回り込んでいった。


「僕らはこっちだ」


 モウルはウネンを(いざな)って、数メートル先にあるテーブル状の岩へと走った。腰の高さほどの岩の上に飛び乗り、広い視界を確保する。


 今回の仕事の最終目標は、当該の群れの殲滅(せんめつ)だ。テオが(おとり)であることに気がつけば、ほどなく赤狼(あかおおかみ)はこの場から逃げ出してしまうだろう。その退路を断ち確実にとどめを刺すのが、魔術師二人に割り振られた役割なのだ。


 モウルのあとをついて岩の上によじ登ったウネンは、息を詰めて赤狼(あかおおかみ)の動きを目で追った。


 幾つもの影が向かう先、丈の長い牧童の上着を跳ね上げて白刃(はくじん)(ひらめ)いた。ぎりぎりまで引きつけた一頭を、テオの(やいば)が串刺しにする。間髪を入れず飛びかかってきたもう一頭を、左手の小刀(しょうとう)()ぎ払う。


 テオの背後の草むらが大きく揺れた次の瞬間、三頭目がテオの左脇腹目がけて牙を()いた。


 テオは右手の剣を赤狼(あかおおかみ)の死骸から引き抜いた。その動きのままに右方向に身体をひねる。間一髪、上着に()みついた三頭目の脳天に、左肘を思いっきり打ち下ろす。


 しかしそれは充分な打撃とはならず、三頭目は痛みと怒りで狂ったように頭を振りまくった。その牙をテオの上着に引っかけたまま。

 体勢を大きく崩しながらも、テオはなんとか三頭目の首筋に小刀(しょうとう)を突き立てた。そのまま地に倒れ込むテオに、四頭目が飛びかかる。


 白銀(しろがね)(くう)を走り、()色がはぜた。

 大きく形状を変えた四頭目の体が、切っ先が(えが)く弧の向こうに落ちる。(あけ)に彩られた長剣を握るは、息一つ乱さずに立つオーリ。


「助かった!」

「次が来るぞ!」


 オーリの言葉が終わりきらないうちに、草むらから二頭が同時に飛び出してきた。

 まだ体勢を整えきっていないテオを(かば)うようにして、オーリが一歩前に出る。


 それまで黙って戦闘の行方を見守るだけだったモウルが、やにわに右手を(ひらめ)かせた。

 ウネンの耳元を〈(ささや)き〉がくすぐる。

 少し遅れて、オーリのすぐ後ろで赤狼(あかおおかみ)が弾け飛んだ。鮮血を振り()きながら崩れ落ちる赤狼(あかおおかみ)を一切顧みることなく、オーリは前方の獲物を一刀両断にする。


 ウネンは、感嘆の声を()み込んだ。

 モウル自身が言うように、風使いのわざは確かに乱戦向きではないに違いなかった。風を作りだすのが空気の動きである以上、敵のすぐ(そば)、同じ空間にいる味方も術の影響を受けずにはいられないからだ。

 だが、モウルはそれを見事にやってのけた。しかもこれだけ離れた場所に居ながらにして。


 六頭目を(ほふ)った瞬間が、潮目だった。背中合わせに立つ二人の剣士を中心に、草の中を影がばらばらと引いてゆく。

 と、「うりゃー!」という威勢のよい声が、〈(ささや)き〉を蹴散らしてウネンの耳に飛び込んできた。見れば、マルセルが気合い充分に両手を身体の前に突き出している。


 彼の手のひらから、見えない何かが放たれるのが分かった。その何かは、真っ直ぐに草原を貫いてゆく。

 乾いた衝突音とともに、赤狼(あかおおかみ)が宙を舞った。まるで見えない巨人に蹴られたかのように、ありえない方向に体を曲げ、空の高くに放物線を(えが)く。


 七頭目がどさりと地に落ちると同時に、マルセルが二発目を放った。草の葉を散らしながら、空気の塊が八頭目を空に跳ね上げる。

 モウルが、あんぐりと口をあけた。


「なんて大雑把な術なんだ……」

「確かに、あれの巻き添えは、勘弁してほしいかも……」


 敵と近接している時は術を使うな、と訴えかけるテオの心情が痛いほど理解できて、ウネンも思わず苦笑を浮かべる。

「おりゃーっ」というマルセルの雄たけびが、風に乗って牧草地をどこまでも吹き渡っていった。


 


 マルセルの力技とモウルの狙いすました風の(やいば)がひとしきり辺りを席巻(せっけん)し、やがて一帯は再び静けさを取り戻した。

 テオとマルセルが散り散りになった羊達をまとめに走り、ウネン達は赤狼(あかおおかみ)の死骸をひとところに集める。


 えっちらおっちらとオーリの手伝いをしていたウネンは、五頭目を運び終えたところで、非難の目をモウルに向けた。と言うのも、彼は先刻からずっと、目をつむって草原の中に突っ立っているだけだったからだ。


「少しぐらいはモウルも手伝ってよ」

「やはり、違う、な」

「は?」


 何を言っているのだ、と顔をしかめるウネンに、モウルが静かな眼差しを返してきた。


「胸の奥に(かす)かな共鳴は感じたが、彼は僕とは違うちからを使っていた」

「マルセルのこと?」


 ウネンはちらりと背後を振り返った。緩やかな坂を少しくだった先で、大柄な魔術師が実に楽しげに羊を追いかけている。


「そう。僕も彼も同じ『風使い』ではあるけれど、どうやら僕と彼の契約の神は『違う』みたいだ」


 モウルはマルセルのほうに向かってそっと目を細めてから大きな()め息をついた。


「前にも少し言ったことがあるけどさ、『魔術師になる方法』なんてものは明確には存在しないんだ」


 視線をゆっくりとウネンに戻し、モウルは話し続ける。


「でも、なんとなくの道筋は言い伝えられている。勿論(もちろん)、その方法を実践したからといって、必ず魔術師になれるわけではない。確率もかなり低い。でも、魔術師になれた者は皆、口を(そろ)えて同じことを言う。本を読め。話を聞け。世界を見ろ。ってね」


 ウネンは思い出していた。魔術師になりたいと言っていた少年に、モウルが語っていたことを。本を読んだり世の中を見たりして、よく考え、感覚を研ぎ澄ませておくのはとても大切なことだ、と。猫がヒゲを立てるように、と。


「知識を積み、視界を広げ、物事の(ことわり)を探る過程で神を見(いだ)す、神に見(いだ)される。僕が聞いた限り、全員がそうやって魔術師になっていた。そして、それは到達点ではなく出発点に過ぎない。なぜなら、神のちからを使う際も知識は必要不可欠だからだ。風が何によって、どのようにして起こるのかを知らなければ、風は操れない。恐らく炎だろうと水だろうと同じことだ」


 そこまで語ったところで、モウルは横目でマルセルを見やった。何とも言えない、恨めしそうな目つきで。


「だが、どうやら彼は、知識よりも感覚でそれを行っている」

「オーリがよく言う、『考えるよりも先に身体が動く』とか、そういう感じ?」


 たぶんね、とモウルが嘆息した。


「彼の神は、そんな彼のことが気に入って、彼を〈かたえ〉に選んだんだろうね」

「世間の、魔術師を目指して苦労している人々が、嫉妬に歯()みしそうな話だね」

「まったくだ」


 ウネンとモウルは互いに苦笑を交わし合った。


「で、話を戻すけど、仮に魔術師一人につき一柱の契約だとすると、呪符の効力が弱まったことも説明がつくような気がするんだ。たぶん、呪符の元となった術者との距離が影響を及ぼすんじゃないかな……」

「そういえば、前に追い()ぎならぬ暗殺者を泥で拘束した時もそうだったな」


 それまで聞き手に徹していたオーリが口を開く。ウネンとオーリ達が知り合って間もなく、王都に召喚されたウネンを狙って追い()ぎもどきが夜襲をかけてきた時、モウルが賊の足を地に沈ませたその深さが、以前に同じ呪符を使った時よりも浅くなっている、とオーリは指摘していた。


「ということは、風だの水だの神々の属性を切り分ける意味はあまりない、ということなのか? 単純に、我々人間のように、神にも得意不得意があるだけ、ということなのか。それとも……」


 顎をさするモウルの声が、次第に独り言の色を増す。

 そこへ、話題の主の能天気な声が聞こえてきた。


「おいおい、あんたらこんなところで頭突き合わせて、一体何の話をしてるんだ?」


 マルセルが手を振りながら、なだらかな斜面をのぼってきた。

 向こうの牧草地では、テオが羊達を連れて農地のほうへと移動を開始している。


「っていうか、死骸まだ全部集められてないじゃん」


 そうだった、と我に返るや、ウネンは大慌てで背後の草むらへと向かった。


「俺も手伝うからさ、さっさと終わらせて一杯やろうぜ!」

「次の町まで馬車を出してくれるんじゃなかったのか」

「まあ、そう堅いこと言うなって、兄弟。一杯飲むぐらいの時間はあるだろ?」


 マルセルが豪快に笑って、オーリの背中をばしばしと(たた)く。「酔っ払いの御者とか、勘弁してもらえませんかね」と、モウルが非難がましくマルセルをねめつける。


 ふと、ウネンの視界の端で何かが動いた。

 大人の(もも)ほどまでの高さに生い茂る草の根元、緑色を押し分けるようにして深い茶色の影が現れた。


 ウネンは咄嗟(とっさ)に腰のベルトに挟んでいた(つえ)に手をやった。

 ほぼ同時に、影が草むらから一直線に彼女の喉笛を目がけて飛びかかってくる。


 ウネンは必死で(つえ)を握った手を前へ突き出した。

 衝撃が、(つえ)を、(つえ)を握る手をつたい、ウネンの身体に襲いかかった。踏みこらえることができず、ウネンはあえなく背中から草むらの中へと倒れ込む。

 背を打つ痛みに(うめ)きながら、それでもウネンは視線を()らさなかった。全身全霊のちからを込めて、目の前の敵を(にら)みつける。


 それは、赤狼(あかおおかみ)の生き残りだった。まだ成獣になったばかりと思しき小柄な個体が、口腔(こうこう)()じり込まれた(つえ)先から逃れようと、牙を()き、(よだれ)を飛ばして暴れている。

 もがく赤狼(あかおおかみ)の爪がウネンの左手首を引っかいた。肉を(えぐ)られる痛みに、ウネンの喉から悲鳴が()れる。


(ささや)き〉の合唱が聞こえた、と思う間もなく、(すさ)まじい勢いの風がウネンの鼻先を(かす)めていった。一瞬にして赤狼(あかおおかみ)が横ざまに吹き飛び、ウネンは自由を取り戻す。


 首を巡らせば、蒼白(そうはく)な顔のモウルとマルセルが、ともに右手を身体の前に差し出した姿勢で肩で息をしていた。彼らが魔術でウネンを助けてくれたのだ。

 安堵(あんど)()め息を吐き出したウネンは、赤狼(あかおおかみ)が飛ばされた草むらの向こうに、地の底から響いてくるような咆哮(ほうこう)を聞いた。


 モウルの目が、見開かれる。

 ウネンは驚いて立ち上がった。


 モウルの視線の先、言葉にならない叫び声をあげながらオーリが赤狼(あかおおかみ)に切りかかっていた。目を血走らせ、眉を()り上げ、()み締めた歯を()き出しにして、一刀のもとに赤狼(あかおおかみ)()ぎ払う。


 赤狼(あかおおかみ)が血しぶきとともに地に落ちても、オーリの咆哮(ほうこう)はやまなかった。頬についた返り血を拭おうともせずに、もう動かなくなった赤狼(あかおおかみ)を狂ったようにめった刺しにしている。


「おちつけ、オーリ! ウネンは無事だ!」


 オーリに近づくことができないまま、モウルが叫ぶ。唇を()み、吐き捨てるように独りごちる。「こんな時に思い出したっていうのか」と。


「オーリ! ここは里じゃない! 君はもう大人で、ここにいるのはウネンだ!」


 モウルの絶叫が、風とともにオーリの身体を打った。

 オーリの動きが止まった。

 ぼろぼろになった肉塊に剣を突き立てたまま、オーリはゆらりと顔を上げた。それから、まるで糸が切れた人形のように、どさりとその場に倒れ込んだ。

 マルセルが「大丈夫か!」とオーリへと駆け寄っていく。


「まさか……」


 ウネンの問いに、モウルが奥歯を()み締めた。


「そうさ。野獣に襲われたヘレーさんの子供とは、オーリのことなんだ」


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