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国境を越えて

 

 

 曇天に水鳥の鳴き声が響き渡る。

 昼前にチェルナ王国最北の町ラーコスを出たウネン達を待ち受けていたのは、一面の葦原(あしはら)だった。

 街道の両側に生い茂る(あし)はウネンの背よりも高く、まるで迷路の中を歩いているかのようだ。辺りを風が吹き抜けるたびに、枯れ草色の壁が一斉に波打ち、葉擦れの音が泥の臭いをかきまわす。


 だだっ広い湿地の中を、乾地を辿(たど)るようにして曲がりくねって伸びる街道は、あちこちを盛り土や石で補修されていたが、町から遠ざかるにつれ、路面は(わだち)に切り刻まれ、ぬかるみが靴や脚絆(きゃはん)を容赦なく汚した。


 途中、深い水たまりに荷馬車の車輪を取られ立ち往生している五人組を手助けした縁で、ウネン達は彼らとともに北を目指すことになった。

 五人の内、三人は商人が雇った護衛だという。年輩のほうの商人(いわ)く「この辺りは足場が悪いせいか、さほどでもないが、次の町からその先の街道では、しょっちゅう山賊が出るんだよ」とのことだった。


 日が傾き始めた頃になって、足元の状態は格段に改善された。石積みが道の(へり)をしっかりと固め、目立つ水たまりは砂利で埋められている。そろそろラシュリーデン領に入ったのだろう。


 ほどなく、(あし)の壁が突然途切れ、目の前に眺望が広がった。

 広々とした草原の向こう、皿を伏せたような山が幾つも連なっている。黒々と茂る木々に黄や赤の葉色が(わず)かに交じる、その手前、高い城壁に囲まれた町が見えた。


 


 国境の町に相応(ふさわ)しく、リッテンの町の城壁は実に堅牢(けんろう)だった。町の規模はともかく、守りのほどは、チェルナの王都クージェにも匹敵するかと思われた。

 町の門には、八人もの門番が詰めていた。全員が紋章入りの革鎧(かわよろい)を着用しており、腰には長剣を携えていた。


「この辺りはズーデン辺境地区っていって、確か、ナントカっていう猛将が治めているんだけど、それにしても随分な気合いの入りようだね」


 相変わらずモウルは、地名は覚えても人の名前は覚えない。

 じっと門番を見つめていたオーリが、「いいや」とモウルに異を唱えた。


「王冠をかぶったヒグマの紋章――ラシュリーデン王家の兵だ」

「え? それって、一体どういう意味?」


 ウネンが問うた時、二人の門番が三人のほうへと近づいてきた。


「お前達も、こちらへ来い」


 門番が指し示す門の横、城壁にへばりつくようにして建てられた詰所に、先ほどまで一緒だった商人一行が連れていかれるところだった。詰所の扉が(ひら)くと同時に、中から「いつまで待たせるんだ」との(いら)立たしげな男の声が響いてくる。見れば、詰所の脇には二台の荷馬車が停められており、ウネン達とともに来た馬車が、今新たにその横に並べられようとしていた。


「通行手形って、前回はそんなもの必要なかっただろ。次の鐘が鳴ったら俺は行かせてもらうからな!」

「なんだと? ベデカー様、いや、国王陛下に歯向かうつもりか!」


 詰所から聞こえてきた声を受けて、モウルが「ああそうそう猛将ベデカーだ」と小声でウネンに(ささや)く。それから、(そば)にやってきた門番に、朗らかな笑みを向けた。


「先客がいるみたいだけど、もしかして、町に入る手続きの順番待ち?」

「そうだ」

国境(くにざかい)の町ともなれば、手間もかかって当たり前だよねえ。本当にお疲れさまです」


 文句を言われこそすれ、まさかねぎらってもらえるとは思っていなかったのだろう、門番は大きく目を見開いてから、「ああ」と(わず)かに目元を緩めた。


「具体的に、僕達はどんな手続きをせねばならないんだい?」

「人数とそれぞれの名前、そして町に入る目的、商材や資材など持ち込む物を申告してもらう」

「それらを書類にまとめて、実際の荷物を確認して、通行手形を作る、って感じ?」


 流れるようなモウルの(しゃべ)りに引きずられてか、強面(こわもて)の門番の口調が少しずつ砕けてきた。


「ああ、まさにそのとおりだよ」

「で、もしかしてさっきの人は、それを待ちきれなくて怒ってるわけ?」

「そうなんだ」


 本当にお疲れさまです、と、モウルが()め息をついて詰所を見やる。


「馬車いっぱいの荷物の確認なんて、ものすごく面倒な作業だよね。商人がひっきりなしにやってきたら、人手なんてすぐに足りなくなるだろうし。それぐらい解らないかねえ」


 二人の門番は、互いに苦笑を浮かべて顔を見合わせた。


「それが、なかなか解ってもらえなくてね」

「皆が君みたいに理解がある人間なら、助かるんだが」


 同情の眼差しで門番を見つめるモウルの横で、ウネンはひたすら真顔を意識していた。モウルの口の上手さに、感心半分あきれ半分で。


「それ以前に、書類を作るのも簡単じゃないですもんね。……って、そうだ、いいことを思いついた。せめて僕らの分の書類は、自分達で書きましょうか? 僕らは別に商売しに来たわけじゃないから、調べるべき荷物もありませんし。少しでも皆さんの手助けができたら、って思うんですけど……」

「何、君達は文字が書けるのか」

「それなら、書記殿の手間も少しは省けるな。何しろ、現時点でまだあと五組も残っているから……」


 


 かくして、五組分の順番を飛び越して、まんまと一足早く通行手形を手に入れたモウル御一行は、無事にリッテンの町なかへと足を踏み入れた。

 日はとっくに山向こうに沈み、一般の店屋は次々と鎧戸(よろいど)を閉め始めている。宿を探して大通りを颯爽(さっそう)と歩くモウルのあとをついていきながら、ウネンはきょろきょろと(せわ)しく辺りを見まわした。


「どうした」


 やや後方から、オーリの声が降ってくる。


「門の警備がすごく厳重なわりに、内側はごく普通の町なんだなあ、って思って」

「二年前に通った時は、外側も普通の町だったな」


 オーリの言葉を補足するように、先を行くモウルがちらりと背後を振り返った。


「頑丈な城壁といった『器』は以前と変わりないけれど、確かに『中身』は随分強化されてるね。あんな沢山門番なんていなかったし、通行手形なんてものも無かったから」

「へえー。二年の間に何があったんだろう」

「さあね。でも、二十年前に今の王が国をまとめて以来、ラシュリーデンという国は随分目まぐるしく変化しているからねえ」


 モウルが心持ち歩く速度を緩めて、ウネンの横に並んだ。


「特にこの十年間で、この国は飛躍的に機械技術を発達させてきているんだ」

「機械技術?」

「水力を利用するのは今までとは変わらないけれど、全体的に大掛かりになってきたと言ったらいいのかな。五年前には、王都の少し下流に大きな製紙工場を建てていたね。カォメニ紙に比べたらまだまだ紙の質も悪いけれど、生産量が増えたせいで、じわじわと市場を占める割合も増えてきている。あとは、機織り工場や大規模な製材所を新設したとか、製鉄用の新型高炉を開発しようとしているとか……」


 と、そこで一度言葉を切ってから、モウルは思わせぶりに目を細めた。


「眉唾だけど、雷を使って金を創り出す研究もしているとかいないとか……」

「馬鹿な。神々の怒りに……ッ」


 うっかり例の口封じの術に抵触してしまったのだろう、オーリが(うめ)き声を上げて頭を押さえた。


「大丈夫か」と気(づか)ってみせるモウルの目が、「計画どおり」と言わんばかりに得意げに輝いている。

「お前……、今の、まさかわざと俺に……」

「え? 何のこと?」


 怨嗟(えんさ)の籠もったオーリの声を、モウルが爽やかな笑顔で弾き返す。

 大きな()め息を吐き出しながら、ウネンは二人の間に割って入った。


「ねえ、前にオーリが言ってた、人の世を滅ぼすのって、もしかして神々が?」


 途端に、二人が(そろ)って口を真一文字に引き結んだ。


 ()


 そういうことか、と、ウネンは胸一杯に大きく息を吸い込んだ。


「ある特定の知識が、直ちに人の世を滅びに導くというわけではなく、神が、その知識を嫌って人の世に鉄槌(てっつい)を下すというのなら、ノーツオルスがやっきになって情報統制しようとするのも納得がいく」


 ウネンの言葉を聞き、オーリとモウルは互いに顔を見合わせると、にやりと笑う。


「これは……、ヘレーさんも楽しかっただろうな……」

「ああ。〈誓約〉をここまで迂回(うかい)できるとはな」

「じゃあ、あのペリテの遺跡、空を()く船を造った文明は、神によって滅ぼされたってこと?」


 身を乗り出すウネンを右手一つで軽く押しとどめ、モウルが口の()を引き上げた。


「君が更なる思索を続けられるよう、できる範囲で協力は惜しまないつもりだけどね、とりあえずその前に、今日の宿を探そうか」


 


 


 いつもどおりに大人二名に子供一名で中堅宿屋に部屋を一つ確保できた三人は、晩御飯と情報を求めて手頃な酒場に繰り出した。

 モウル(いわ)く、町の門番達にヘレーのことを尋ねたところ、一名が「そう言えば」と心当たりを語ってくれたという。


『春ぐらいだったかな。薬売りではなくて医者だというから、珍しいなと思った記憶があるよ』


 とはいえ、彼らが日に何人もの通行人をさばいていることを考えると、その証言は(はなは)心許(こころもと)ないと言わざるを得ない。

 おそらくヘレーは、路銀を稼ぐためにこの町でも診療行為を行っているはずだ。人の集まる場所で聞き込めば、きっと有意義な情報が手に入るだろう。そういうわけで三人は、大通り沿いにある「長靴に()まったヤマゲラ」亭へとやってきた。


 (ほとん)どの店屋が店を閉め、どっぷりと闇に沈んだ町角に、(かす)かに響く(にぎ)やかな声々。鎧戸(よろいど)の隙間からは、明かりとともに酒と料理の匂いが()れてくる。ウネンが「長靴に頭を突っ込んで足と尾羽しか見えなくなったヤマゲラ」の看板を見上げながら「この鳥がヤマゲラである必要はどこにあるのだろうか」と考えている横で、モウルが店の扉に手をかけた。


 扉をあけるなり、煌々(こうこう)とした明かりが街路に(あふ)れだした。同時にウネンの顔面を打つ、大勢の喧騒(けんそう)、人いきれ。少し遅れて、むっとするほどの酒の臭いが、怒濤(どとう)のごとく押し寄せてくる。

 思わず息を詰めたウネンを、モウルが気(づか)わしげにちらりと見やったその時、体格のよい(ひげ)もじゃの男が二人、戸口の向こうに姿を現した。


「いいか、明日の朝、赤星が沈むまでに広場前だ。少しでも遅れてみやがれ、ぶっ飛ばすからな!」


 (ひげ)男達は店の中の誰かに濁声(だみごえ)でそう言い放つと、ウネン達のいる出入口へと肩をいからせて向かってきた。

 間一髪モウルが扉の陰へと身を避ける。だが、あとに続こうとしたウネンはあえなく先頭の(ひげ)男にぶつかられ、後方へと大きく吹っ飛ばされた。

 悲鳴を上げることすらできず後頭部から地面へ倒れ込むウネンを、オーリの大きな手が受け止める。


「ガキがこんなところでウロチョロしてんじゃねえよ!」


 気をつけやがれ、と口々に吐き捨てて、(ひげ)男二人は町の門のほうへと歩いていった。


「自分からぶつかってきておいて『気をつけろ』とか、随分いい度胸じゃない」


 モウルが(くら)い瞳で(ひげ)男達の背中を見やった時、店の中から「すまん、すまん」とやけに暢気(のんき)な声が聞こえてきた。


 酒場の入り口に立ったのは、背の高い一人の青年だった。体格も髪型もオーリとよく似ているが、人懐っこい瞳や屈託のない笑みは、実にオーリと対照的だ。そして何より彼の髪は、戸口から(あふ)れる店の明かりを(わず)かたりとも映していない。

 大柄な魔術師は、もう一度「すまんなあ」と繰り返して、それから中腰になってウネンの顔を(のぞ)き込んできた。


「勘弁してやってくれや。あいつら、ちょっと機嫌悪かったみたいでな」

「マルセル」


 どうやらマルセルというのがこの魔術師の名前らしい。背後から投げつけられた怒気を含んだ呼びかけに、反射的に背筋(せすじ)を伸ばした魔術師は、悪戯(いたずら)を見つかった子供のような表情でそろりと戸口を振り返った。

 マルセルの後ろから現れたのは、モウルよりも一回り小柄な青年だった。薄い胸に細い腕。だが、彼の腰にさげられているのは、紛うことなき鋼の長剣だ。


「これから一緒に仕事をしようって人間が、寝坊する気満々で話を進めようとしたら、普通、機嫌も悪くなるだろ」

「だってよ、夜明け前から人捜し、って、捜す相手もまだ夢の中だぜ。ていうか、おい、テオ、見ろよ、魔術師に剣士だ、あいつらやめてこっちと組まねえ?」

「この人達が仕事を探しに来た人だとは限らないだろうが」


 テオと呼ばれた小柄な剣士が、冷ややかな目でマルセルを見やる。

 呆然(ぼうぜん)と事態を見守っていたモウルが、我に返ったようによそゆき顔を作った。


「あー、ええ。残念ながら、僕らが求めているのは、食事と、あと、尋ね人の情報です」

「なんだよー、あんたらも人捜しかよー、最近流行ってんのか人捜し」


 マルセルが見事なまでに唇を(とが)らせた。


「あいつらも、こっちが野獣退治の人手を探してる、っつってんのに、『こちらの人捜しを手伝ったら、そっちの仕事も手伝ってやる』つってさ、気がつきゃあいつらの仕事を先にしなきゃなんなくなってるし、なんか足元を見られてるような気が……」

「足元見られまくってるね」

「やっぱ、こっちと組んで……」

「俺は、契約違反で『ぶっ飛ば』されたくないんで。ていうか、そちらさんは仕事を探しているわけじゃないって言ってただろ」


 ウネンもオーリも、モウルまでもが唖然(あぜん)と見守る中、大きな魔術師と小さな剣士は軽快に会話を繰り広げている。


「ほら、寝坊しないように、さっさと帰って寝てくれよな。さあ、ほら」


 お騒がせしました、と会釈をしながら、テオがマルセルの背中をぐいぐいと押して去ってゆく。

 ウネン達三人は、ただひたすらあっけにとられて風変わりな二人を見送った。


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