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測量行

 

 

 

「はい、これ、さっき焼き上がったのよ。夕食にでも皆で食べてちょうだい」


 清々(すがすが)しい空気に満ちる、早朝の診療所前。出立の用意を終えたウネン達に、満面の笑みとともにパンの入った麻袋が手渡された。


「母さん、ウネン達は遊びに行くんじゃないんだから」

「だからこそ、よ。これ食べて、しっかりお仕事頑張ってきてね」


 息子とそっくりな金の髪を揺らして、ゾラがウネンを抱きしめた。次いで、イレナとも「気をつけてね」と抱擁を交わす。最後に彼女はオーリの前に来ると、じっとその(あお)い瞳を見つめた。

 しばしのち、ゾラは目元を緩ませると、にっこりと微笑(ほほえ)んだ。


「よろしく頼みましたよ」

「はい」


 オーリが静かに(うなず)いた時、診療所の扉が(ひら)いて、大欠伸(あくび)とともに壮年の男が表に出てきた。茶の髪はぼさぼさ、顎には無精(ひげ)、急いで着込んできたのか、ズボンの後ろ側にはシャツの裾がはみ出している。


「おじさん! まだ寝ててくれていいのに!」


 ミロシュが昨夜も遅くまで急患の対応に追われていたことを知っていたため、ウネンはゾラ達に彼を起こさないよう頼んでいたのだ。


「『行ってらっしゃい』ぐらい言わせてくれよ」


 連発する欠伸(あくび)に涙目になりながら、ミロシュはウネンの正面に立った。


「……気をつけて、行ってこい」

「行ってきます」


 それは、またここに帰ってくるための、約束の言葉。

 光り輝く朝日の中へと、ウネン達は踏み出した。


 


 


「西からってことは、チェルヴェニー領を通って来たんだよね。じゃあ、説明するまでもないことかもしれないけど、イェゼロの隣の隣の町から先がチェルヴェニーの領地で、ここバボラーク領とは昔から領主同士が仲が悪くてね、二十年前には水源の取り合いでちょっとした(いくさ)もあったのよ」


 照りつける陽光をものともせず、草の生い茂る中を溌剌(はつらつ)と歩きながら、イレナがオーリにこの辺りの情勢を大まかに説明する。

 西へ向かう街道を真っ直ぐ進んできた一行は、チェルヴェニーとの境が近づいてきたところで、街道の北に広がる領主の牧草地へと歩みを進めていた。


 整備された道とは違い各段に歩きづらい足元が、ウネンの体力を容赦なく奪い取ってゆく。頭を、頬を、首筋を、滝のような汗がつたい落ち、背負い袋と背中の間では既に服が水音を立てんばかりだ。日よけに頭にかぶった手巾(しゅきん)の下で荒い息を繰り返しながら、ウネンは黙々と足を動かし続けた。


「幸い、双方に死人は出なかったから、それからは、まあ、なんとか表向き平和にやってるんだけど、この春に、またちょっとしたいざこざが持ちあがってね。チェルヴェニーとの境界の北の端っこに、あっちは牧草地でこっちは森、ってなってる場所があったんだけど、こっちの領主様が牧草地を広げようと森を(ひら)いたら、向こうが、『勝手に境界を動かしただろう』って文句を言ってきたのよ」


 オーリの控えめな相槌(あいづち)にも慣れてきたのだろう、イレナは屈託ない様子で滔々(とうとう)と語り続ける。

 イレナにせよ、オーリにせよ、ウネンの倍もの荷物を背負っているにもかかわらず、まるで手ぶらで町なかを歩いているかのように、その足運びは軽い。何を食べたらこういうふうになれるんだろう、と、ウネンは羨望の眼差しを二人に向けた。


「『森と牧草地の境目が領地の境界だったはずだ、チェルヴェニー側に柵を動かしただろう』ってね。でも、幸い、柵の一部に、地面に埋まってる大きな平たい岩に穴をあけて柵を立てている場所があって、流石(さすが)にこれは動かしようがないだろう、ってことで、この件はチェルヴェニーの勘違いだった、ってことになったんだけど、これを機に一度きっちりとした地図を作っておいたほうがいいんじゃないか、って、ウネンのところに依頼が来たんだよね」


 ね? とイレナが話を振ってくるに及んで、ウネンは(たま)らず足を止めた。腰にさげた水袋で喉を潤し、一息つく。


「……先代が作った地図は、地図というよりも風景画に近くて、正確な土地の形が分からないらしい。ただ、どこに何があるか、どういう地形になっているか、ということは、絵だけでなく文章でも書き記されているから、正確な地図を作れば、過去の記録と照らし合わせることができる、とのことなんだ」

「照らし合わせる?」


 二歩ほど先のところに立ち止まって、同様に水袋を傾けていたオーリが、怪訝(けげん)そうにウネンを見た。その、的確に要点を突いた問いを聞き、ウネンは少しだけ楽しくなる。


「うん。たぶん領主様は、チェルヴェニーが勝手に境界線を変えてるんじゃないか、と疑っているんだと思う」


 人は、往々にしておのれの基準で他人を計ってしまうもの。木々の伐採で地形が変わるや否や、チェルヴェニーが精査もせずに「柵を移動させたのでは」と文句をつけてきたのは、とりもなおさず、彼に柵を移動させた経験があるからではないだろうか。バボラークはそう考えたようだ。


「ただ、二十年前の争いで、双方ともに国王にこっぴどく叱られたらしくって、あまり大っぴらに測量をして、チェルヴェニー側を刺激したくないんだってさ。だからバボラークから護衛は出せない。でも、西の境界に何らかの決着が着いたら、そのあとは、城の人間を存分に使ってもいいから、領地全体の地図を作ってくれ、とまあ、そんなわけなんだ」

「随分身勝手な話だな」

「まったくだよ」


 目的地までの水の配分を思案しつつ、ウネンは水袋に栓をした。


「どうして、こんな依頼を受けたんだ」

「実績が欲しいんだ」


 草を揺らした一陣の風が、身体に籠もった熱をほんの(わず)かだが吹き払ってくれる。

 額の汗を手の甲で拭い、肩に食い込む背負い袋の位置を、よいしょ、と直してから、ウネンは再び歩き始めた。


「今までは、地図を作るっていっても、町長(まちおさ)や近隣の大地主といった人々にしか需要がなかった。でも、今回の仕事で、その範囲はぐんと広がるはずだ。境界の不正があるにせよ無いにせよ、たぶん、そんなに間を置かずに、チェルヴェニーも自分の土地の地図を欲しがるだろう。そうやって少しずつ範囲を広げていけば、そのうちに国王陛下の耳にも届くかもしれない」

「ウネンは、世界地図を作るのが夢なんだよね」


 イレナがウネンに笑いかけてくる。


「うん。世界を回って、全てを紙の上に写しとってみたいんだ」


 ウネンの脳裏に、恩人の懐かしい顔が浮かび上がってきた。


「もし、本当に、ぼくの前に世界が開かれているのなら、それに飛び込んでいかない手はない。色んなものを見て、色んなことを知って、そうすれば――」


 そうすれば、もしかしたら、再び――


「また、ヘレーに会えるかもしれない」


 心の中をオーリに言い当てられて、ウネンは驚愕(きょうがく)の表情で彼を見た。


「あんた達にとって、ヘレーは本当に大切な人間だったんだな」

「当ったり前じゃない! ヘレーさんって、本っ当に(すご)い人だったんだから!」


 即座にイレナがオーリに()みついた。


「隣町やそれこそチェルヴェニーからも、怪我や病気を治してもらいに沢山の人がやってきたのよ。ヨキのおばあなんて、『ヘレーさんが部屋に入ってきただけで、痛みが消え失せたわ』なんて言って、神様扱いしてたぐらいだもの。まあ、それはちょっと大袈裟(げさ)かなと私も思うけど。でも、ヘレーさんに感謝している人は沢山いるわ。また町に戻ってきてくれないかな、って声も未だに聞くもの」


 イレナの話が終わっても、オーリは相槌(あいづち)一つ打たなかった。進行方向をじっと見つめ、黙って足を動かし続けている。請け負った仕事だから仕方がないとはいえ、これだけ人々に慕われている人間を咎人(とがびと)呼ばわりしなければならないというのは、あまり気が進むものではないに違いない。

 しばしの間、草をかき分ける音だけを道連れに、三人は進む。


「お礼をね、言えてないんだ」


 気がつけば、ウネンはそんなことを(つぶや)いていた。


「命を助けられた、と聞いたが」


 オーリが、静かな声で問いかけてきた。

 ウネンは、あらためて気を引き締めると、深く息を吸った。


「ぼくの家族は行商をしてて、地震が起こった日にたまたまイェゼロの町に来てたんだ。父も母も、崩れた建物の下敷きになって、ぼくだけが助かった」


 オーリが足を止めたのが分かり、ウネンもまた歩みを止めた。次いで、すぐ後ろにイレナの立ち止まる気配。

 オーリが真正面からウネンと視線を合わせてきた。すっかり見慣れた仏頂面が、ほんの(かす)か、申し訳なさそうに(ゆが)む。


「……つらいことを聞いてしまってすまなかった」


 ちくり、とウネンの胸が痛んだ。その痛みが、ウネンの口を滑らせる。


「別に構わないよ。彼らは、ぼくにとっては、あまり良い親ではなかったから」


 オーリばかりか、イレナまでが、驚きの表情を浮かべてウネンを見た。

 ウネンはすぐに後悔した。何故、こんなことをわざわざ口にのぼしてしまったのか、おのれの迂闊(うかつ)さに唇を()む。


 足元に絡みつく重い空気を、草と一緒に引きちぎって、ウネンは再び歩き始めた。

 少し遅れて、二人の足音が追いついてくる。

 照りつける日差しの中を、三人は無言で歩き続けた。


 


 


 延々と伸びる木柵が、陽炎(かげろう)にゆだる野原をあちらとこちらに切り分けている。

 午後になって、ウネン達一行はようやくバボラークとチェルヴェニーの境界に到達した。


 手ごろな岩陰に野営地を定めるなり、ウネンはまず測量道具を点検し始めた。背負い袋から長々と突き出ていた(つえ)を引き抜き、その先に、方位磁針のついたこぶし大の方位盤を取りつける。この方位盤は、二つの回転軸と(おも)りによって、盤面が常に水平に保たれるようになっていた。金物屋に頼んで分けてもらった真鍮(しんちゅう)の板金の切れ端を使って、ウネンが作ったものだ。


 次いで背負い袋から取り出したのは、細縄の束だった。麦わらで編んだ全長二十メートルの縄には、小さな鉄の輪を五十センチごとに一つずつ、ずれないようにしっかりと、かしめてある。これもウネンのお手製で、これで二地点間の距離を測るのだ。


 袋の中には、他にも、地面の勾配を測るための扇形をした錘重(すいじゅう)付きの分度器や、より正確な方位角を調べるための半円形の方位盤も入っていた。ウネンはこれらの道具が壊れていないか確認したのち、記録用の帳面と一緒に、持参した肩掛け(かばん)に移し替えた。


 小川に水を()みに行っていたオーリが戻ってくる頃には、イレナの作ったかまどに火が入り、一行は湯を沸かして一息ついた。ゾラに(もら)ったパンを軽く火で(あぶ)り、少し遅い昼ご飯とする。ウネンの両親についての発言以来、めっきり口数が減ってしまっていた三人だったが、パンの焼ける香ばしい匂いとともに、少しずつ場の空気も元の和やかさを取り戻していった。


 夕食は残りのパンに干し肉を挟んで済ますことにして、日が沈むまでの時間は測量にあてることにした。さっさと作業を終えるに越したことはない、ということで、皆の意見が一致したのだ。


 大きな荷物は野営地に残し、ウネンは測量道具を入れた肩掛け(かばん)と方位盤の(つえ)を、イレナとオーリはそれぞれの長剣を携え、境界へと向かう。

 小川の北岸を起点とし、縄の端を持ったイレナが柵に沿って北へと進んでいった。柵が曲がっている地点で足を止め、ウネンが縄をピンと張って、イレナまでの距離を測る。


 それからウネンは一旦縄から手を放し、今度は(つえ)を地面に突き立てた。方位盤の(ふち)につけたV字型の切り込みでイレナを狙い、彼女の立つ方向が、北の方角に対してどちらに何度ずれているかを計測する。


 こうやって、曲がり角に来るたびに、進んでいった距離とその方位角を逐一測定し、あとでその数値を元に地図を制作するのだ。勿論(もちろん)この方法では、進む距離が増えるにつれどうしても誤差が生じてくるため、要所要所で補正を行う必要がある。ウネンが基準と決めているのは、東の遠くにそびえるビエラ山だ。各地点から山頂までの方位角を調べておいて、その地点と山頂を結んだ線が、地図上で一点に重なるように調整すれば、地図の精度は格段に上がることになるだろう。


 早速測定値を記録しようと、ウネンは(つえ)を地面に置いた。(かばん)から帳面を取り出したところで、オーリが事も無げに口を開く。


「記録すべきことを言ってもらえれば、俺が代わりに書きつけるが」

「字がかけるの?」

「ああ」


 ウネンは、帳面と、携帯用のインク(つぼ)とペンとをオーリに手渡した。


「えっと、じゃあ、『起点、ワク川』行を変えて『西十七、十八・三』」


 獣皮紙と違い、木を原料とした砕木紙は表面が粗く、破れ(やす)い上にインクがよく(にじ)む。だが、オーリは一度も紙にペン先を引っかけることもなく、流れるような筆致で紙の上にペンを滑らせた。


「こんな感じか」

「あ、うん。申し分ないです」


 イェゼロの町近辺で、用心棒や野獣退治を生業(なりわい)としている剣士は数人いるが、読み書きできない者が(ほとん)どだ。文字が書ける、と威張っている者でも、ここまで紙の扱いに手慣れていることはない。


「作業を分担したほうが、効率がいいだろう」

「そうだね」


 一体オーリは何者なのだろうか。心の中で首をかしげながら、ウネンは「ありがとう」と(うなず)いた。


 


 


 日が暮れて、三人は再び野営地に戻ってきた。

 日中に遠くのほうで(うごめ)いていた牛達の姿も消え、見渡す限り辺りに人間の気配は一切感じられない。昼間とは打って変わって心地よい風が、物寂しい音をたてて、草原の上を吹き渡っていく。

 干し肉を挟んだパンを頬張り、豆の茶で一日の疲れを()みくだす。明日は、朝から一日、炎天下の野原を測量行だ。体力を温存するためにも、早々に就寝することにする。


 東の空に輝く赤星が、天の三分の一を進むまで、イレナが寝ずの番をすることになった。中天を越えて次の三分の一がオーリで、そこから夜明けまでがウネンの当番である。

 イレナに「おやすみ」と挨拶をして、ウネンとオーリは、毛布を友に思い思いの場所に横になった。


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