表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/100

旅立ちの時

 

 

 君の覚悟は確かに受け取った。挑みかけるような二人の眼差しを胸に、ウネンはその足でハラバルのもとへと赴いた。

 パヴァルナ行の報告書にヘレーのことを記載して、事態が動くことをただ期待しているだけでは駄目なのだ。意気地無しにもほどがある、と、ウネンは奥歯を()み締めた。


 ハラバルの助手として入城して(わず)か二箇月。何の役にも立たないまま世話だけをかけて城を去るなど、迷惑にもほどがあるだろう。だが、この機会を逃しては、ヘレーと再会することは絶対に(かな)わない。

 扉にかかっていた鍵はオーリとモウルが外してくれた。あとは、自分の手で扉をあけ、そうしてこの足で前へ進むだけだ。


「お話があります」と机の前に立ったウネンを、ハラバルはしばし無言で見上げた。そうして、「場所を変えてお聞きしましょう」と席を立った。

 ウネンが連れてこられたのは、王の執務室だった。

 クリーナク王を前に、ウネンは膝を折って臣下の礼をとった。


「行方不明の父を捜しに行かせてください」


 今しがたの、そしてこれまでのハラバルの様子を見るに、ヘレーのことは王にも伝わっていると思われた。何より、既にオーリ達が城を出る手続きを進めている。その際にヘレーのことが話題にのぼらないわけがない。


 だが、ウネンは自らの口で始めから説明した。彼らの里や禁断の書のことなど、ウネンがあずかり知らないことは省いたものの、ヘレーが誰かに追われていることをも含めて、全てを王の御前でつまびらかにした。


「今のまま逃げ回っているだけでは、駄目なんです。ぼくは父を捜し出して、そして、父がもう追われることのないように、父の手助けをしたいんです」


 ヘレーのことを「父」と呼び表すたびに、ウネンの胸の奥底で、もやもやとした(おり)が揺らめいた。


 遠い昔、ロゲンの町で母親が客を取りはじめてすぐ、一人の客がウネンに靴をくれたことがあった。誰かが履きつぶしたぼろぼろの靴だったが、ウネンにとって、その靴は他人から(もら)った初めての贈り物だった。(うれ)しくて、とにかく(うれ)しくて、「もしかして」と思ったウネンは、その男におそるおそる「お父さん?」と問いかけてしまったのだ。


 問われた男は、それまでの優しい笑顔を一瞬にして凍りつかせると、逃げるようにして去っていった。激しい否定の言葉と、恐ろしいまでの嫌悪の眼差しをウネンに(たた)きつけて。


 ヘレーに拾われ、イェゼロ郊外に居を落ち着けて、ヘレーがミロシュにウネンのことを「娘だ」と紹介してくれた時は、ウネンは(うれ)しさのあまり思わず泣きそうになった。しかし、それでも、ヘレーを「お父さん」と呼ぶことはどうしてもできなかった。ウネンを「娘」と呼んだのは便宜の上でのことだったのかもしれない、との思いが、どうしても拭いきれなかったからだ。もしもロゲンの時のように、ヘレーにも拒絶されてしまったら。恐怖に(さいな)まれながら、ウネンはひたすら夢想した。この人が本当のお父さんだったらよかったのに、と、何度も、何度も。


(おもて)を上げよ」


 (おごそ)かな声でクリーナク王が言った。

 ウネンは唇を引き結んで顔を上げた。


「父親、と言ったか」


 ウネンの葛藤を見透かしたかのごとく、クリーナクが問うた。


「はい」


 ウネンは、全ての想いを眼差しに込めた。


「死にかけていたぼくを拾って、育ててくれて、勉強を教えてくれました。彼がぼくのことをどう思っているのかは分かりませんが、でも、ぼくにとっては、たった一人の親なんです」


 そうか、と息を吐いてから、クリーナクが頬を緩めた。それから、隣に立つハラバルを横目で見やる。


「世の父親の一人としては、こんなふうに父親を想ってくれる娘を引き()めるなんてことは、到底できそうにないんだがね」

「まあ、陛下ならそう(おっしゃ)ると思っておりましたよ」


 ハラバルは、ふう、と肩を落としてウネンを見つめた。


「あなたの知識を他国に悪用されないように、というのがそもそものきっかけでしたからな。我がチェルナの人間である、ということを忘れないでいてくれれば、それで、あなたを城に呼んだ最低限の目的は果たせたと言えましょう」


 と、大きな()め息がハラバルの口から()れた。


「将来有望な助手がいなくなるのは、少々不本意ですがな。このまま、なし崩しに()め置くことはできないかと期待しておりましたが、(かな)いませんだか」

「ハラバル」


 クリーナクが、苦笑とともにハラバルを(たしな)める。


「わたくしは、陛下ほど諦めのよい性格をしておりませぬゆえ」


 そうチラリとクリーナクを一瞥(いちべつ)したのち、ハラバルはあらためてウネンを見つめた。微かな笑みを口元に浮かべ、「あなたがこうやって自分の意志を、しっかりと自分から口にした以上は、わたくしはそれを尊重するつもりです」と目元を緩める。

 一息おいてハラバルは、傍らの机に置いてあった紙の束を手に取った。


「地図を作りながらゆく暇は、流石(さすが)に無いでしょうから、パヴァルナ行の時のように、見聞きしたことを記録してきていただけますか」

「えっ?」


 カォメニ製の上質な紙の束を手渡され、ウネンはつい目をしばたたかせた。


「全て()らさず、とは申しませぬ。旅路に余裕のある時のみでいいでしょう。この仕事、受けていただけますか」


 その瞬間、ウネンはハラバルの心(づか)いを理解した。彼は、形式ばかりの任務を与えることで、ウネンが城を出ていき(やす)くしてくれたのだ。

 それに、と、ウネンは今一度口元に力を込めた。オーリ達が城を出たいと王に告げるにあたって、ウネンのことに言及していたであろうことは明らかだ。そうでなくては、これほど物事が滞りなく進むはずがない。自分が、今、どれほどの人々の厚意の上に立っているのか。そのことにあらためて思い至って、ウネンは知らず身を震わせる。


 大きく息を吸い、両の(かかと)を合わせて姿勢を正し、そうしてウネンは、「謹んで拝命いたします!」と、腹の底から声を張り上げた。


 


 


 


 やりかけだった仕事を終わらせ、城の内外の世話になった人々に礼と挨拶をしてまわって、五日が経過した九月は九日、ウネン達三人の城を発つ準備が整った。

 その日の朝、出立の挨拶をしに王の執務室を訪れた三人の前に、クリーナクがなにやら長いものを手にして現れた。


「君のものだ」とクリーナクに促されて包みをほどいたウネンは、思わず驚きの声を上げていた。

 それは、一本の(つえ)だった。いつぞや武器屋で見た(やり)()と同じような、樹皮や麻糸で幾重にも丁寧に補強が施された軽くて丈夫な(つえ)だった。しかも、長さも太さもウネンの身体にぴったりと馴染(なじ)んでいる。


「弟から、君達三人に謝礼を預かっていてね。何か記念品でも贈らせてもらおうかと考えていたのだが、彼らが『自分達は何も要らないから、その分も使って、丈夫な(つえ)を君に作ってやってくれ』と、ね。旅路に身を守る武器は必携だし、もしも今は城に残るにしても、そのうちに絶対に必要になるだろうから、と」


 クリーナクのあとを引き取って、ハラバルが涼しい顔で口を開いた。


「時計工房の親方の兄君(あにぎみ)が、槍拵師(やりこしらえし)をしておりましてな。方位盤の図面を同封いたしましたから、きちんと先端に()まるようになっているはずです」


 時計工房へのお使いで親方に届けた封書の中身は、これだったのか。あの時(いだ)いた違和感がすっかり解け消えて、ウネンは思わず息を()らす。

 まるで悪戯(いたずら)が成功した子供のように、クリーナクが満足そうに微笑(ほほえ)んだ。


「そういうわけなので、受け取ってくれるかい?」


 ウネンは、すぐには言葉を返すことができなかった。武器屋で見た、(やり)()の価格を思い出したからだ。しかもこの(つえ)は、ウネンのためにわざわざ一からあつらえたものだという。その価値たるや、いかばかりか。


「でも……ぼくは城を出ていってしまうのに……こんな高価なものを受け取るのは……」


 恐縮するあまり身を縮ませるウネンに、クリーナクが悪戯(いたずら)っぽく片目をつむってみせた。


「なあに、彼らの言葉を借りるなら、『これだけ恩を売っておけば、よもや敵国に(くみ)するようなことはないだろう』ってね」


 まさかモウルは国王陛下の前でも毒舌ぶったのか。思わずウネンはあきれ顔で傍らに目をやった。


「しかし、誰かのため、と口にするのが照れ恥ずかしいのは解るが、もう少し言葉を選ばないと、人間性を誤解されてしまうぞ」


 クリーナクも、苦笑を口元に浮かべてモウルを見やる。

 モウルが珍しく言葉に詰まる横で、オーリが表情一つ変えずに口を開いた。


「言っていい相手か否かは、見極めているつもりです」

「あ、ああ、そうか、うん」


 予想もしていなかった方向からの返答に、クリーナクが二度三度とまばたきを繰り返す。

 そうして王は、「それは光栄だ」と屈託のない笑みを満面に浮かべた。


 


「この(つえ)を見るたびに、我らのことを思い出してくれ。そして、無事、父君(ちちぎみ)と再会が(かな)った暁には、是非我が城へ戻ってきてくれないか」


 王達の見送りを受けて、ウネン達は城を出た。以前よりはほんの少しだけ見慣れた街並みを抜け、町の門へ向かう。


 目指すラシュリーデンは、チェルナ王国の北にある。イェゼロの町とは方角が逆となるため、ウネンは養父母や友人に直接近況を報告することを断念し、手紙を行商人に託すにとどめた。ヘレーを捜しにオーリ達と旅立つ旨と、「行ってきます」の言葉をしたためた手紙を。


 町の門の前で、ウネンはふと足を止めた。

 背後に首を巡らせば、活気あふれる家並の向こうに、幾つもの尖塔(せんとう)(いだ)いた豪壮たる王城が見える。


 ウネンは、あらためて(つえ)を握りしめた。よし、と短く息を吐き出し、門をくぐる。

 道の先でこちらを振り返る二つの人影に追いつくべく、ウネンは少し歩調を速めた。

 

 

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

web拍手 by FC2

「九十九の黎明」電子書籍化のお知らせ

『九十九の黎明1 地図描く少女』表紙
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ