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書庫の魔女、森の賢者

 

 

 一度城へ戻り、夕食の取り置きを頼んでから、ウネン達三人は再び町へと繰り出した。言わずもがな、目的地は金物通りの「葡萄(ぶどう)(つる)」亭である。


 すっかり闇に沈んだ往来も、そこだけはまだ夕べの(にぎ)わいを残していた。道に落ちる煌々(こうこう)とした店の(あか)りに、活気あふれる人いきれ。窓から響く楽しげな笑い声が、道ゆく人の足を面白いように次々と引き()めている。


 あけっ放しになっていた店の扉を、()ずはモウルがくぐった。オーリに順番を譲られてウネンがそのあとに続く。

 店内には、所狭しと人がひしめき合っていた。テーブルは全て満員で、厨房(ちゅうぼう)との仕切りであったカウンターにも、立ち飲み客が鈴なりになっている。


 突如として湧き上がった拍手を目で追えば、店の隅、木箱で作った演壇の上で、芝居がかった調子で深々とお辞儀をするタセイがいた。どうやら一仕事終わったようで、壇に近い立ち見の客から順に、硬貨を次々と台の上の籠に放り込んでいく。


 と、モウルが眉をひそめた。

 モウルの視線を辿(たど)った先、タセイが真っ直ぐにこちらを見つめていた。挑戦的な眼差しをモウルに、オーリに、そしてウネンに順に突き刺したのち、突然勢いよくパァンと両手を打った。


「さぁて、今日はちょっと興が乗ったから、特別にオマケの小話といこうかな!」


 タセイが高らかにそう言うや、店内のあちこちから歓声と口笛が湧き上がった。

 観客の反応にタセイは満足そうに(うなず)いて、それから右手を前に差し出した。

 空中を()でるような右手の動きに合わせて、喧騒(けんそう)がすうっと引いていく。


「さて、今しがた語った物語は、実に普遍的な英雄(たん)でございました。(はる)か昔に我々の祖先が、(よこしま)なる竜の謀略で楽園を追われしのち、勇者と呼ばれる者どもが、力を合わせて邪竜に挑み、平和を手に入れた物語」


 大声を張り上げているわけでもないのに、タセイの声は戸口に立つウネン達のところまでよく聞こえた。酒の匂いに汗の臭い、(いき)れる店内の空気を貫いて、直接的に胸を震わせる、張りのある声。


「それでは皆様、深い深い森の奥、静かな湖の清水の底に、重石とともに沈められた、こんな異聞逸聞(いつぶん)をご存じでしょうか」


 その瞬間、ウネンには、息を詰めて聞き入る聴衆の向こうに常盤(ときわ)の森が見えたような気がした。


「先の物語にて勇者達は、森の賢者と書庫の魔女の助けを得て、邪竜に打ち勝つことができました。魔女が、竜封じの秘術が記された書物を邪竜から守り、賢者は、持てるちからを勇者達に惜しみなく与え、そうして彼らは、なんとか邪竜を退けることができたのです。

 この物語を今までご存じなかった、という方はいらっしゃいますか? ――そう、誰も、いませんね。皆さん、一度はこの物語を耳にしたことがある。有名なお伽噺(とぎばなし)ゆえに、ひねりを加えるのも難しい、講談師泣かせな物語ですよ」


 おどけたふうに肩をすくめ、講談師は語りを続ける。


「邪竜に楽園を追われ、勇者達が立ち上がり、魔女が竜封じの本を守り、賢者が手助けをし、そして邪竜を、……退()()()


 店内のあちこちから、(かす)かなざわめきが湧き起こった。


「ええ、そうです。邪竜は封じられてなどいない。ただ人の世から退けられただけ。追い出されただけ」


 タセイがぐるりと首を巡らせた。一人一人と順に視線を合わせ、確実に人々の意識を手元へと手繰(たぐ)り寄せていく。


「さァここからが、先ほど申し上げた『異聞逸聞(いつぶん)』でございます。

 書庫の魔女は、勇者達に竜封じの秘術を()()()()()()。だから、勇者達は邪竜を追い払うことしか出来なかった。魔女は、邪竜から書物を守ったのではない。勇者達が書物を読むことのないように、深淵(しんえん)なる書庫に仕舞い込んでしまったのだ……」


 我慢しきれなかった誰かが、(かす)れた声で「何のために?」と問いを発した。

 その刹那、タセイの瞳が、傍らのランプの炎を宿した。


「お忘れですか? 書庫の魔女は書物の守り神。勇者一行の誰かが書物を乱暴に扱ったのを――例えば、うっかりページの間にパン(くず)を挟んでしまったり、書物を枕に居眠りをしてしまったりするのを見て、ヘソを曲げてしまったのやもしれません」


 語り手の、とってつけたようなすまし顔も相まって、そこかしこからくすくすと笑い声が聞こえてくる。


「つまり、勇者達は身体を張って、『書物に限らず、物は大切にしましょう』と、我々に教えてくれているのです!」


 タセイが大きく両手を振り広げると同時に、喝采が店内に(とどろ)いた。ウネン達の周囲でも、皆口々に講談師を(はや)したてながら、惜しみない拍手を送っている。


 ふと、違和感を覚えてウネンは傍らを見上げた。

 モウルが、オーリが、苦虫を()み潰したような表情を浮かべて、じっと講談師を見つめていた。


 


 


 話を聞きに行くべく、モウルを先頭に店の奥へと向かった三人だったが、人混みに阻まれているうちに、気がつけばタセイの姿は店内から消えてしまっていた。

 いつの間に帰っちゃったんだろうね、と首をかしげる店のおばさんから、よそゆきの笑顔で難なくタセイの住所を聞き出したモウルは、店を出てから派手な舌打ちを()らして、ただ一言「明日、出直そう」とだけ(つぶや)いた。


 沈黙を背負ったまま城に帰りついた三人は、厨房(ちゅうぼう)の隅で遅い夕食を()り、挨拶もそこそこにそれぞれの部屋へと別れていった。


 


 無言の二人に引きずられるようにして黙りこくって部屋に帰ってきたものの、ウネンの頭の中は、分からないこと、気になることで一杯だった。寝台の周りをぐるぐると五周歩き回ったのち、ウネンはまなじりを決して部屋を出た。


 エドムント領主は、ウネンとナヴィに図書室を自由に使ってくれていい、と言ってくれていた。一縷(いちる)の望みを胸に、ウネンは二階の北の端にある小部屋の扉をノックする。

 果たして、中からナヴィの声が「どうぞ」と応えてくれた。


 小ぢんまりとした部屋は、窓のある面を除いた三方の壁が、作りつけの本棚となっていた。クージェの王城のものに比べると、十分の一にも満たない規模の蔵書の数だが、それでもウネン達いわゆる一般庶民にとっては、夢のような空間だ。

 その、本に囲まれた空間の中央、二つ並んで置かれている机の扉に近いほうに、ナヴィが何冊もの書物を積み上げていた。


「あのぅ、少しお時間をいただけますか?」


 ウネンの問いに、ナヴィはにっこりと笑うと、隣の椅子をウネンに勧めた。


「丁度、息抜きにそこの廊下を往復してこようかと思っていたところだったのよ。大歓迎だわ」


 ありがとうございます、と、心からの礼を言って、ウネンは椅子に腰かけた。


「ナヴィ先生は、楽園を追われた人類が邪竜と戦う、というお伽噺(とぎばなし)をご存知ですか?」


 途端に、打って響くような返事がナヴィから返ってきた。


「書庫の魔女と森の賢者が出てくるお話かしら?」

「ええ、それです。どんな話なのか教えていただけますか? ぼく、あまりよく知らなくて」


 本当なら、城への道すがら、モウルかオーリに尋ねたいところだった。だが、オーリは勿論(もちろん)モウルもすっかり黙り込んでしまっていて、とても質問できるような雰囲気ではなかったのだ。


「前の先生は文学方面には疎かった、って言っていたものね」

「書庫の魔女のことは、ぼく自身が写本工房で働いていたから、よく耳にしましたけど……」

「森の賢者は、邪竜退治のしばらくあとで森の奥に隠居しちゃった、って話だし、それに、町に住んでいると縁が無くても当たり前だものね」


 とても「三年前までは森に住んでいました」とは言えず、ウネンは躊躇(ためら)いながらも小さく(うなず)く。


「結構前に読んだきりだから、細かいところは忘れてしまっているけれど、ざっくりでよかったらお話ししましょうか」

「ぜひお願いします!」


 身を乗り出すウネンを、ナヴィは、実に楽しそうに見やった。


「むかしむかし、人々は、高い山の上にある『楽園』に住んでいたの。そこは、夏は涼しく、冬は暖かく、夜になっても光の絶えることはない、夢みたいな理想郷だったそうよ。

 ところがそこへ、ある時、邪竜がやってきたの。邪竜は人間が大好物だったんだけど、楽園に守られた人間を食べることはできなくて、だから邪竜は、言葉巧みに人々をそそのかして、楽園を支えていた柱を一本、倒させてしまったのよ」


 ナヴィの語り口は、とても穏やかで、優しかった。


「一本だけとはいえ柱が倒されたことで大きな山崩れが起き、山の神はすっかりお怒りになって人々を楽園から追い出してしまってね、失意のままに下界に降り立った人々に、邪竜は大口をあけて襲いかかってきて。さあ絶体絶命、という時に、四人の勇者が立ち上がったのよ」


 弾む声音に合わせて、ウネンの身体もつい前に出る。


「勇壮なる剣士、遠見の射手、冷徹なる魔術師、疾速の(やり)師。強大な邪竜の前に、彼らはとても苦戦をするけれど、やがて書庫の魔女と森の賢者と呼ばれる二柱の神のちからを借りて、遂には邪竜を連山の向こうに追いやることに成功したの」

「書庫の魔女が、竜封じの術を記した書物を守った、と聞きました」

「ええ。魔女は大切な書物を、賢者は森を、それぞれ燃やさせるわけにはいかない、と、邪竜に対抗したと聞くわ」


 ふと、ウネンは、タセイの「異聞逸聞(いつぶん)」について、ナヴィの意見を聞いてみたくなった。口を開きかけて……、脳裏にオーリ達の苦々しい表情が浮かび上がり、そのまま反射的に息とともに言葉を()みくだす。

 そんなウネンの葛藤に気づくことなく、ナヴィは朗らかに話し続ける。


「そういえば、この物語は『ノーツオルス伝』という本にも収録されているのよ。四人の勇者の一人である魔術師の名前がノーツオルスになっていてね。でも、残る剣士や射手、(やり)師の名前は出てこなかったから、これは編者による加筆なのじゃないかな、って思ったものだわ」


 その瞬間、ウネンの脳天に一つの疑問が降って湧いてきた。

 全てを忘れ、ウネンはそれを口にする。


「ノーツオルスは『伝説の魔術師』って言われてますよね。やはり色んな逸話で人々を助けてくれている。でも、同じように昔話に登場する書庫の魔女と森の賢者は、どうして『神様』なんですか?」


 ウネンの問いかけを聞き、ナヴィが目を丸く見開いた。


「まあ、今まで、そんなこと考えもしなかったわ……」


 ナヴィはしばらくじっと考え込んだのち、訥々(とつとつ)と話し始めた。


「そうね、ノーツオルスは、あからさまに架空の人物っぽいから、かしら。さっき言った『ノーツオルス伝』を読めばよく分かるのだけれど、全ての時代の全ての地域に彼は登場するのよ。常に若々しく、自信に満ち(あふ)れていて、颯爽(さっそう)と現れては、いずこへともなく去ってゆく。なんと言うか、『魔術師が登場するなら、とりあえずノーツオルスって名前をつけておけ』なんて雰囲気すら感じられるほどなの」

「九十九の姿かたちを持ち、何百年と生きる、伝説の魔術師……」

「そう。とっても痛快な存在ではあるけれど、神様、って感じではないわよね」


 そうですね、とウネンは相槌(あいづち)を打った。言われてみれば、神様どころか、ウネンがよく知っている魔術師の印象に引きずられてしまって、胡散(うさん)臭く思えるほどだ。


「対して、書庫の魔女も森の賢者も、確固たる存在感があるのよ。人々の心の()り所、って言ったらいいかしら、常に私達の(そば)にあって、見守ってくださっている。神話以外の書物でも、するりと自然に言及されているもの。ノーツオルスみたいにわざわざ『活躍(たん)』なんてまとめられていなくても」


 そこでナヴィは小さく息を継ぎ、正面からウネンの目を(のぞ)き込んできた。


「ここからは私の想像なのだけれど、たぶんね、魔女も賢者も、そう呼ばれた人がずっと昔に存在したのよ。人々とともにあって、人々の心に残って、そうしていつしか神として(まつ)られるようになった。そんな気がするの」


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