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不在の神の教会

 

 

 ウネン達が舌鼓の演奏会を終える頃には、辺りの空席は(ほとん)ど無くなってしまっていた。腹をすかせた人々の給仕を呼ぶ声が、ひっきりなしに店内を飛び交っている。


 店のおばさんの息子達が畑仕事をすませて戻ってくる夕方までは、タセイは、おばさんの夫である店長とたった二人で接客をこなさなければならないとのことだった。なんとか隙を見て、〈不在の神の教会〉とやらへの道順を教えてもらい、心付けをたっぷりと弾んで、ウネン達は「葡萄(ぶどう)(つる)」亭をあとにした。


 


「『教会』って礼拝する場所か何か? ていうか『不在の神』って?」


 店を出るなり、ウネンは(せき)を切ったようにモウルに問いかけた。料理を食べるのに忙しかったり、モウルがタセイと話し込んでいたり、と、さっきまではなかなか質問できる雰囲気ではなかったからだ。

 問われたモウルは、お馴染(なじ)みの得意げな笑みをウネンに向けた。


「『神庫(ほくら)』は知ってるよね?」

流石(さすが)に『神庫(ほくら)』は分かるよ。神様を(まつ)っている場所だよね」


 ウネンが少しだけムッとして答えれば、モウルが「まあまあ」と軽くなだめる。


「一口に神庫(ほくら)と言っても、小さな(ほこら)だったり大きな神殿だったり色々あってね、単に神様を(まつ)っているだけのものから、有力者が雇い入れた魔術師を住まわせるために建てたものなど、要は『神様のおわす場所』って意味かな」


 イェゼロの町の広場脇にも豊穣(ほうじょう)の神の神庫(ほくら)が建っており、三年前の地震のあとには、倒壊した建物の中で一番早く再建されていた。ちなみに、神庫(ほくら)と軒続きに建てられていたのがシモンの右足を奪った公会堂で、こちらは未だ板()きの仮設建屋のままだ。


「教会、というのは神庫(ほくら)の一種でね、『不在の神の教え』と呼ばれる古代宗教の場合にのみ使われる名称なんだ」

「だーかーら、『不在の神』って何? 神様がいないの?」

「正確には、『〈かたえ〉を持たない神』と言うべきかな。その神には、誰も見(いだ)されることはない。逆に言えば、誰もその神を見(いだ)すことはできない」

「観測できないから、存在しないも同然、ってことか」


 オーリの相槌(あいづち)に、モウルが至極(しごく)満足そうに(うなず)く。


「そういうこと。ただ、まあ、信者達に言わせてみれば、神は間違いなく天におわす、ということなんだけどね」


 記憶を探っているのか、モウルの眼差しが(わず)かに遠くなった。


「何百年も前には、教会もあちこちに沢山あったんだけど、『不在の神』なんて呼ばれちゃうだけに他の神様達に比べて存在感が圧倒的に薄いからね。祈る者もどんどん減ってきて、今ではかなり珍しい存在なんだよ。教会という言葉自体も(ほとん)ど使われなくなってきてるし……」


 と、モウルはそこで一旦言葉を切り、それから何か含みのある口調で「流石(さすが)は講談師、物知りだね」と付け加えた。


「『知識はちから』だと言っていたな」


 オーリの眉間の(しわ)も、いつになく深い。その理由は、次のモウルの問いを聞くまでもなく、明らかだ。


「ウネンは、僕らやヘレーさん以外から、この『知識はちから』って言い回しを聞いたことはあるかい?」

「無い」


 ウネンは口元に力を込めると、きっぱりと首を横に振った。


 


 


 道の右手、民家の屋根の向こうに小さな丘が見えてきた。緑の斜面を左右に折れながら登ってゆく小路を目で辿(たど)った先には、古めかしい灰色の建物が、どことなく寂しげに建っている。パヴァルナでは珍しい石造りの家屋だが、水車舎とは似ているようでまた少し違う様式のようだ。


「ところで、さ。ここで一つだけ確認しておきたいんだけど」


 モウルに正面から顔を(のぞ)き込まれて、ウネンは思わず顎を引いた。


「何?」

「ヘレーさんって、ずっと髪を伸ばしてたんだ?」

「うん、そうだよ」


 どうしてこんなことを今になって()いてくるのだろうか。怪訝(けげん)に思いつつウネンは素直に返答した。


「森で生活するのに、邪魔じゃなかった?」

「だから、一つに編んでたんだよ」


 ぼくもよく髪をまとめるのを手伝ったし、とウネンが付け足せば、モウルは「ふうん」と(うなず)いてから、ちらりと視線をオーリに走らせた。

 オーリの表情は、僅かとも変わらない。


「なんでこんなことを()くの?」

「いや、ちょっと気になってたんでね」


 そうしてモウルは、「さてと」と両手を腰にあてて丘の上を振り仰いだ。


「あの講談師の言うとおり、あそこに住む修道士が『(からす)の黒羽を全部(むし)ってしまいかねないぐらいの魔術師嫌い』だというのなら、僕はこれ以上近づかないほうが良さそうだ」


 なんでも、教会への道順を教えてくれた際に、タセイがモウルにそう忠告してくれていたらしい。


「二人とも、教会での聞き込みを頼んだよ。僕はこの辺りの民家を適当に回ってみるから」


 ()め息混じりのモウルの言葉を皮切りに、三人は坂の下で二手に分かれた。


 


 


 小路を登りきるよりも少し手前に、門扉の失われた門があった。最低限の手入れがなされた前庭では、咲き終えたばかりの蔓花(つるばな)がもの悲しい様子で(うつむ)いている。

 ウネンは、門の前に立ってゆっくりと深呼吸をした。あの建物の中に、ヘレーを知る者がいるのだ。イェゼロの町を出て行ったあとの――ウネンの知らない――ヘレーを知る者が。


 ヘレーがかつて人を殺したというのは本当なのだろうか。幾たび目か知らぬ疑問を、今一度ウネンは胸の中で(つぶや)いた。

 世知辛いこの世の中において、死は決して珍しいものではない。それは常に生者の(そば)に控え、隙あらば薄暗い巣穴に引きずり込もうと虎視眈々(たんたん)と狙っている。


 だが、いくら死がありふれたものだとしても、他人を害する行為は、決して許されるものではないのだ。人が人として人の中で生きてゆく限り。それは、ウネンが幼い時に、他でもないヘレーが教えてくれたことだった。


「行くぞ」


 オーリが、ちらりとウネンを一瞥(いちべつ)して、門の中に足を踏み入れた。

 深呼吸をもう一度、それからウネンは口を引き結んでオーリのあとを追った。


 


 二人を出迎えたのは、歳の頃四十代半ばの、ひょろりと背の高い修道士だった。彼は、突然の来客にもかかわらず嫌な顔一つせず、そればかりかとても愛想のよい笑みを浮かべ、二人を中へと招き入れた。


 ウネン達が通されたのは、玄関を入ってすぐ左手の、生活感(あふ)れる小さな部屋だった。〈不在の神〉などという神秘的な名を持つ神の神庫(ほくら)とは一体どのようなものなのか、ウネンは密かに楽しみにしていたのだが、どうやらここは教会の中でも修道士の住居にあたる部分らしい。落胆を顔に出さないように細心の注意をはらいながら、ウネンは長椅子のオーリの隣に腰をおろした。


「なるほど。あなた方はヘレーさんと同郷で、ヘレーさんに大切なものを届けるためにあとを追っているのですね」


 オーリが静かに(うなず)いた。

 三箇月も一緒に暮らした人間を「盗っ人」呼ばわりなんてしたら、(もら)える情報も(もら)えなくなる。そうモウルに(くぎ)を刺された時のオーリの表情をうっかり思い出してしまい、ウネンは慌てて奥歯に力を込める。


「ええ、ヘレーさんのことはよく覚えております。去年の一月十二日から四月十八日までの間、この修道院に逗留(とうりゅう)なさっておられました」

「パヴァルナに向かうということは聞いていましたが、まさかそこから移動してしまっているとは思いませんでした」


 オーリは、先刻モウルと打ち合わせしたとおりに、淡々と(おの)が役目をこなしていく。いつになく丁寧な言葉(づか)いは、相手がヘレーに対して友好的だった場合のモウルの指示だ。「君は存在するだけで威圧感があるんだから、せめて言葉だけは腰を低く頼むよ」との弁は確かに正論ではあるが、もう少し優しい言い方はできないものだろうか。


 そしてウネンに対しては、「今回は君は何も言わなくていいから」とのことだった。相手の意識をオーリ一人に向けさせて、ウネンは観察に徹してほしい、と。「とにかく、千載一遇の貴重な機会なんだから、どんな細かい情報でも拾っておいてほしいんだ。頼んだよ」

 オーリの言葉を聞くなり、修道士は細面を悲しそうに(ゆが)ませた。


「私も、彼がまさかここを出て行ってしまうことになるなんて、思ってもいませんでした」

「ここを出たあと、どこへ向かうかは言っていませんでしたか」

「ええ」


 修道士は、力無く首を横に振った。


「ヘレー……さんは、どういういきさつでこちらにお邪魔することに?」

「私は、我が神の教えを広く皆様にお伝えするために、この修道院に残された書物を筆写しては製本師に渡しているのですが、そこの書店でヘレーさんと知り合いましてね。当院の蔵書を見てみたいと(おっしゃ)ったので、まだ宿を決めておられなかったこともあり、こちらでお世話させていただくことになったのですよ」


 沢山の書物を前に目を輝かせる、ヘレーの懐かしい顔が目に見えるようで、ウネンは息が止まりそうになった。


「ヘレーさんは、とても賢くて博学でいらっしゃいますね。我が神についてもお詳しく、私は毎晩のようにヘレーさんと意見を交換し合い、有意義な時間を過ごしておりました。これだけ博識であらせられるのだから、もういっそのこと、ともに我が神にお仕えしませんかと、一度だけお誘い申し上げたのですが、『私は神の(そば)に立てるような人間ではありません』と、それはそれは奥ゆかしく微笑(ほほえ)みになるばかりで……」


 折れそうなほどに薄い肩を、折りたたむようにして縮ませて、修道士が()め息をつく。


「それでもヘレーさんは、私の願いを無下(むげ)にはなさらず、我が経典の研究に力を貸してくださいました。かつて私がまだ少年だった時は、この修道院には私を含めて五名の修道士がおりましたが、まるでその頃に時間が戻ったかのような、充実した日々を送っておりました。なのに……」


 目を細め、どこか遠くを見つめていた修道士が、次の瞬間、真円に目を見開いた。


「なのに、あの、つまらない俗物が、ヘレーさんにしつこく、しつこく、絡んできたせいで……!」


 修道士の突然の豹変(ひょうへん)に、オーリが(わず)かに顎と上体を引く。呆然(ぼうぜん)と目をしばたたかせるオーリの脇腹を、ウネンは肘で突っついた。

 我に返ったオーリが、ごほん、と(せき)払いをする。


「それはどういうことだ、ですか」

「町の中心部の金物通りにある食堂で、講談なんぞをして糊口(ここう)をしのいでいる男がいるのですが、ヘレーさんが物知りだということを聞きつけたそいつが、『話を聞かせてくれ』と、それはもうしつこく迫ってきたのですよ。講談の種にしたいとかなんとか言って、しまいには『弟子にしてくれ』とまで! ヘレーさんは、そいつに絡まれるのが嫌で、この町を出ていったと言っても過言ではありません!」


 ウネンとオーリは、思わず顔を見合わせた。


「そんなにしつこかったのか?」

「ええ。毎日のようにやってきては、『話を聞かせてくれ』と、それはもう、ヘレーさんの足元に(ひざまず)いて取りすがらんばかりの勢いで。あまりのしつこさに、ヘレーさんはあの長い髪をはたきのように振り乱して、『いい加減にしてくれ』と声を(あら)らげる始末でした」


 まさかあの講談師が? とのウネンの疑問を、オーリが見事に拾いあげてくれる。


「講談師とは、タセイという名の……?」

「おや、既にご存知でしたか。もうね、口が上手い人間は、他人に取り入るのが上手くてね……」


 腹立たしそうにそこまで言ってから、修道士は何かに思い当たったように慌てて言葉を継いだ。


「ああ、ええ、それでもヘレーさんには本性を見破られて、すげなくあしらわれてしまっていたわけですがね」


 流石(さすが)はヘレーさん、と、修道士が鼻息荒く胸を張る。

 ウネンもオーリも眉間に(しわ)を刻んで、再度互いに顔を見合わせた。


 


 


 丘の麓でモウルと合流したところで、()ずウネンが教会での出来事を報告した。

 ウネンは、一切の感想を交えずに淡々と事実のみを述べるように心掛けたつもりだったが、モウルもやはり同じような点に引っ掛かりを覚えたようだ。要所要所で眉をひそめ、最後に大きな()め息を一つ。


「少々ヘレーさんに傾倒し過ぎている気配がするね、その人。まあ、嫌われるよりは好かれるほうがいいとは思うけど」


 友好作戦で行って正解だったでしょ、と、モウルがオーリに笑いかける。ムッとした表情を浮かべるオーリを満足げに見やってから、今度はモウルが成果を語り始めた。


「こちらは、流石(さすが)に正確な日付までは出てこなかったけど、昨年の冬、年明け後に二、三箇月、教会に客人がいたのは確かなようだよ」


 そろそろ夕飯の支度時、畑で採れた野菜や買い物の品を手に帰宅する人々を片っ端から捕まえて話を聞いたんだ、とモウルは得意げに片目をつむった。


「客人は、町の人と積極的に交流することはなかったらしい。だけど、完全に閉じ籠もっていたわけでもなく、ちょくちょく外出していたそうだ。挨拶すれば会釈を返してくれた、って言っていたよ」


 そこでモウルは、「そして――」と勿体(もったい)をつけてウネンとオーリを順に見つめてから、言葉を継いだ。


「――珍しいことに、講談師が、教会を何度か訪れていたそうだ」

「これはもう一度あの講談師に話を聞く必要があるな」


 オーリの声に(うなず)きながらも、モウルは苦笑混じりに口の()を引き上げた。


「一筋縄ではいかなさそうだけどね」


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