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パヴァルナの水使い

 

 

 (せき)で領主達と別れたモウル一行は、問題の水路に沿って領主の土地を見てまわった。畑仕事に精を出す使用人や小作達を見つけては、モウルがいそいそと話しかけ、何やら楽しげに歓談したのち満足そうな顔で戻ってくる、を繰り返す。


 説明が面倒だから、とのモウルの言葉に従って、ウネンはオーリとともに「お(とも)の者」に徹して用水路の(そば)に控えていた。もしかしたら勝手に弟子ということにされているかもしれないなあ、と、思いつつ、向こうのほうで聞き込みを続けるモウルを見守る。


「……非社交的って言ってるわりに、楽しそうだよね」

「ゲームみたいなものだ、と言っていたな」


 ウネンもオーリも、モウルから視線を外さぬまま、声だけを交わし合う。


「どういうこと?」

「自分の思ったとおりに話し相手を手玉に取ることができれば『勝ち』なんだそうだ」

「うわ、性格悪」

「まったくだ」


 オーリが鼻を鳴らすと同時に、モウルが「お待ちどおさまー」と二人のもとに戻ってきた。


「何か分かった?」


 ウネンの問いに、モウルが「新しいことは何も」と小さく頭を振る。


「とは言え、領主は彼らの話を吸い上げて僕らに語ってくれていただけだったからね。そもそもの詳しい話を聞けて良かったとは言えるかな」


 そしてモウルは、オーリを見やって、意味ありげに口角を引き上げた。


流石(さすが)は一大避暑地と言うべきか、彼ら、よそ者に慣れっこになってるのな。拍子抜けだよ」


 そうか、と、オーリが(つぶや)く。

 そう、と、(うなず)き返してから、モウルはぐるりと周囲を見回した。


「さて、では、一旦城に帰ってお昼を食べたら、いよいよ(くだん)の水使いのところに行くとしようか」

「ええ?」


 つい、否定的な声をあげてしまったウネンに、モウルのしかめっ面が向けられる。


「何か問題でも?」

「問題というか、水の魔術師に会いに行く前に、水が減ったという用水路と水門との間を、もっと調べるべきだと思うんだけど」


 そんなことか、と言わんばかりの表情で、モウルが肩をすくめた。


「今、見てきたでしょ」

「通りすがりにちらちら見ただけでは、とても『調べた』とは言えないと思う」


 ウネンは大きく息を吸うと、下腹に力を込めて話し続けた。


「パッと見た感じだと、確かに水路が壊れているところも水が()れているところもなかったけれど、でも、水が用水路の途中で減っているのが本当なら、絶対に、その途中のどこかに問題があるんだよ」


 モウルの目が細められ、いつになく静かな声が、「例えば?」とウネンに問う。

 ウネンは、真っ向からモウルを見上げた。


「例えば、何らかの理由で、地下水の量が減ってしまっている、とか。なら、減った分だけ、水路の水が地面の下に吸い取られてしまう」

「うん、まあ、妥当な案だね」


 そう(うなず)いたモウルは、どことなく楽しそうに見えた。


「でも、水使いに会いに行くのが先だ」

「なんで?」


 納得できずにウネンが食い下がれば、モウルが、ついと自分の手元に視線を落とした。


「違和感は、あるんだ」

「違和感?」

「神のちから、って言っても、それ自体は、自然界に普遍的に存在するものに過ぎない。魔術を使うということは、そこにヒトの意思が介入するということだ。ただそこに在るだけだったちからが、その一瞬、指向性を持つ。その際の位相の変化が、他の魔術師には『気配』として感じられる」


 そこで一度言葉を切り、モウルは視線を西南へ――(せき)のあるほうへ向けた。


「確かに、(せき)にも水門にも、今通ってきた水路のどこにも、魔術の気配は感じられなかった。けれど、名状しがたい違和感があるんだ。雨風に(なら)されたはずの砂の上に、(かす)かに(ほうき)のあとが残っているような……」


 ウネンも、モウルに(なら)って(せき)を望んだ。

 緑なす蔬菜(そさい)の間を、水の道が真っ直ぐに突っ切っている。水面に映った陽の光が幾つもの断片に砕かれてまたたくたびに、草の香と土の匂いがウネンの鼻腔(びこう)をくすぐっていく……。


「何度もここに足を運んでいるというその水使いは、この違和感に気づいているのか、いないのか、それを()いてみたくてね」


 神妙な表情はどこへやら、いつもの飄々(ひょうひょう)たる調子でそう言ってから、モウルは、にいっと口角を上げた。


「あとは、まあ、優秀な術者なら、お近づきになって損はないし」


 


 


 町なかを流れるヘパティツァ川の南岸に、その建物は在った。

 木造の家が大半を占めるパヴァルナの町において、総石造りのその建物は、見たとおり異彩を放っていた。(かす)かに赤みがかった灰色の壁が、少し川の中へと張り出した基礎から、真っ直ぐ鉛直にそそり立っている。その、川に面した壁と並行に、川の中に、水車の軸を受けるための台が壁同様石を積んで作られていた。そして、直径が二メートルはくだらない大きな水車が、建物と台との間で、ゆっくりと水に押されて回転していた。


 水車舎の高さは二階建ての建物と同じぐらいだったが、窓の位置を見る限り、この建物には一階しかないようだ。川とは反対側の、建物の表にまわれば、麻袋を抱えた何人もの人が粉()きの順番を待って並んでいた。

 列を作る人々の怪訝(けげん)そうな視線を、オーリのひと(にら)みとモウルの愛想笑いで跳ね返し、三人はあけ放されていた扉から中を(のぞ)き込んだ。


 天井の高い室内には、大きな石臼が三つ等間隔に並んでいた。壁から伸びる水車の軸に、木で作られた大きな平歯車、傘歯車。それらが(きし)みながら回転し、同時に三つの石臼を動かしている。


 領主の話によれば、(くだん)の魔術師は「水車の管理人ならなってもいい」という宣言どおり、この水車舎に移り住むなり、それまでここに住んでいた粉()き人を通いで雇い直して粉()き業務を任せ、自身は本当に建物を管理しているだけだということだった。


 引っ越しを強要された粉()き一家はさぞ憤慨したことだろう、と思いきや、領主(いわ)く「夜中に粉を()けと(たた)き起こされることが無くなって楽になった、なんて喜んでいるらしいよ」ということらしい。


「ちょっとアンタ! 順番を守ってくれないかね!」


 石臼の間をうろうろと見回っていた(ひげ)の男が、騒音に負けじと大声でがなり立てた。


「あのー、こちらに……、ええと、水の魔術師、がいらっしゃると聞いたのですが!」

 モウルも負けずに大声を張り上げる。相変わらず他人の名前を憶えていないようだ。

「『書庫の魔女』ならぬ『書庫の魔術師』なら奥だよ!」


 (ひげ)親父が、入り口から見て右手の方向を指差す。それを受けて、粉()き人の奥さんと思われる婦人が、ウネン達を手招きして奥へ向かった。

 粉まみれの作業机と、予定がびっしりと書き込まれた木板の横に、重厚な木の扉があった。粉()き人の奥さんはその扉の前に立つなり、傍らの呼び鈴の(ひも)を驚くほど威勢よく何度も引っ張った。


「ノルさーん! 起きてるかねー! ノルさーん!」


 奥さんが三回目の「起きてるかねー!」を口にした時、扉の鍵がガチャリと音をたてた。


「起きていますよ、何か用ですか」


 不機嫌そうな声が、(ひら)きゆく扉の隙間から()れてくる。


「また遅くまで本を読んでたんじゃないのかい」

「だとしても、もう昼過ぎですよ、流石(さすが)に起きてますよ。って、え?」


 扉が(ひら)き切った瞬間、上ずった声が辺りの空気を震わせた。

 粉()き場より一段高くなった戸口に立つのは、中肉中背の男だった。魔術師の証しとも言える漆黒の髪に、秀でた額。意志の強さを表すがごとく、きりりと直線を(えが)く眉の下には、青磁色の瞳が驚きに見開かれている。


「ノルさん、お客さんだよ」

「……そのようですね」


 じゃあね、と仕事にもどってゆく奥さんを()め息とともに見送ってから、ノルは、少しきまりの悪そうな表情で襟元を正した。(せき)払いを一つして、「何の用ですか」と三人に問いかける。

 だが、一番正面に立つモウルは、何も答えないまましげしげとノルの全身をねめまわし続けるのみ。


 あまりの不躾(ぶしつけ)さに、ウネンはモウルの後頭部を引っぱたいてやりたくなった。何かいい得物は無いか、と周囲を見回す一方で、もしかしたらモウルはまた何か考えがあってこの人を(あお)っているのかもしれない、との考えにも思い当たり、ウネンはぐっと口を引き結ぶ。


 ノルの眉間に深い(しわ)が刻まれたかと思えば、彼はムッとした表情を浮かべて「何の用かね」と両腕を組んだ。


「ああ、失礼しました。僕はモウルと言います。領主様に頼まれて、農地の水が減っている原因を調べているところです」


 お返しとばかりに、今度はノルがモウルのことをじろじろと見つめる。最後に、両脇に控えるオーリとウネンをちらりと見やって、そうしてノルは、「入ってくれ」と扉を大きく押し開いた。


 


 その部屋も、粉()き場と同じく天井がとても高かった。入ってすぐ左手、川に面した北側の壁を覆う一面の本棚が、何よりも()ずウネン達の目を引いた。南側の壁には背の高い窓が二つ、そして正面東側には木の階段と中二階がしつらえられている。


 ノルは、部屋の中央に置かれた長椅子の上から何層にも重なった書類の山を()け、空いた座面をウネン達に勧めると、自身は窓際の机から椅子を引っ張り出してきて、長椅子に向けて腰をおろした。


「領主が依頼を? 君に?」


 三人が長椅子に座るのを待って、ノルが話を切り出した。


「ええ。正確には、領主様の兄君(あにぎみ)に、『弟を助けてやってくれ』と」


 すまし顔で答えたモウルとは対照的に、ノルは(わず)かに顎を引いて唇を引き結んだ。少し(かす)れた声で「王都から来たのか」と絞り出す。


「で、あなたがたは……」

「ああ、僕の護衛と助手です」


 ウネンとオーリへの質問をモウルに()(さら)われて、ノルの眉間に(しわ)が寄った。

 だが、モウルはまったく気にした様子もない。


「パヴァルナには昨日に着いたばかりなんですけどね。今日は朝から(せき)のほうへ行ってまいりました」

「それで、私に何の用なのだ」


 ()め息を溶け込ませた声で、ノルが問う。

 モウルの笑顔がそれに応えた。


「あなたも、何度か(せき)に足を運ばれたそうですね。その時のことを詳しく教えていただけたらと思って」

「君と同じで、領主に頼まれたのだ。農地の灌漑(かんがい)が上手くいっていないから、少し様子を見てくれないか、と。もしかしたら水の神の怒りでも買ったのではないか、と心配していたようだ」

「で、どうでした?」


 俄然(がぜん)身を乗り出すモウルに比して、ノルの態度は実に淡々としたものだった。


「特におかしなことなぞ、一切見つからなかった」

「本当ですか?」

「地下水脈が枯れてしまうことなんて、別に珍しくも無いだろう? そうなれば、今まで以上に畑に水をやらねばならなくなるのは当然だ」


 語気を強めて言い切ったノルを、モウルは黙って見つめ続ける。

 しばしのち、降り積もった沈黙を一息で吹き払って、モウルが静かに口を開いた。


「水が失われるという現象は、確かに自然に起こりうる。でも、そこに何らかの意思が関与するとなれば、話は別です。僕の契約の神は風なのでね、風は読めても、水は読めない。それでも、魔術の、在るか無きかの(かす)かな残り香は感じることはできましたよ」

「……君は、私を疑っているのか?」


 苦々しさの(にじ)む声音を、わざとらしいほどにあっけらかんとした声がはねとばす。


「まさか! 水の魔術師であるあなたなら、僕なんかよりもずっと正確に状況を把握できているんじゃないかな、と思っただけですよ」

「田舎住まいの()えない術師が、優秀なる王の〈かたえ〉に(かな)うわけがないだろう。生憎(あいにく)と私には何も分からなかったさ」


 吐き捨てるようにそう言い放ってから、ノルは、今一度モウルの目を(のぞ)き込んだ。真正面から、真っ直ぐに。


「君が何をどう感じたのかは知らないが、現時点で、この件に魔術が関わっていないのは、君も認めるだろう? とにかく、今は、減ってしまった水をどうにかするのが肝心だ。領主には、灌漑(かんがい)規定を見直すことを提案したのだが、他の農民達との話し合いを億劫(おっくう)がっているのか、一向に……」


 と、その時、滔々(とうとう)たるノルの語りを遮るようにして、部屋の扉が勢いよく開かれた。


「先生! 大変だ!」


 皆が一斉に振り返った先には、ウネンと同じぐらいの年嵩(としかさ)に見える――つまり、ウネンより二つか三つは歳下の――少年が、肩で息をして立っていた。


「先生?」


 モウルが、ノルと少年を見比べながら問いかける。

 モウルを見るなり、少年は(ひど)く驚いた様子で一歩あとずさった。が、すぐにきつく歯を食いしばり、モウルを(にら)みつける。


「僕は……、先生の弟子だ」

「弟子をとった覚えなどない。そもそも、ここへはもう来るなと言っただろう」


 先刻までの不機嫌そうな声どころではない、明確な拒絶の色をのせて、ノルが少年に言い捨てた。そうして、ゆっくりとした動作で右手を身体の前に差し出す。

 ウネンの耳元を〈(ささや)き〉がくすぐった。


 ノルの背後の机に置かれていた水差しが小刻みに震えたかと思えば、注ぎ口から水がふき出した。水は、糸のように細くより合わされながらノルの手元へ引き寄せられると、彼の指先で一つの水の球を成す。


「この水を頭からかぶりたくなければ、すぐに帰りなさい」

「でも、僕、どうしても先生に知らせなきゃって思って……!」


 悲痛な少年の声を、ノルが再度「帰りなさい」と打ち落とす。

 唇を()み締める少年に、モウルが、場の空気にそぐわないあっけらかんとした調子で話しかけた。


「何を知らせに来たわけ?」


 少年は、何か言いにくそうに一瞬言葉を詰まらせたものの、帰りたくない気持ちが勝ったのか、足元とモウルの顔とを交互に見やりながら、ぼそぼそと話し始めた。


「……領主様が、新しい魔術師を連れてきた、って……、それで、先生を追い出すつもりだ、って……」

「へー、それは初耳だ」

「初耳?」


 にっこりと笑みを浮かべるモウルを胡散(うさん)臭そうに見つめたのち、少年は、助けを求める眼差しをその両脇に走らせる。

 ウネンは、少年を安心させようと、少し大げさに(うなず)いてみせた。


「ノルさんを追い出す、っていうのは無いと思う。だって、ぼく達、用事が済んだら王都へ帰るし」

「だな」


 オーリもまた、少年を気の毒に思ったのだろう。いつもの仏頂面を心持ち緩めて、ウネン同様大きく(うなず)いている。

 少年がホッと胸を()で下ろす間もなく、再びノルの冷徹な声が部屋の空気を切り裂いた。


「分かったか? 分かったなら、さっさと帰りなさい」


 少年は、また唇をきつく()み締めた。力一杯両目をつむったのち、くるりと一同に背を向け、そのまま振り返ることなく部屋を飛び出していく。

 〈(ささや)き〉が波打つとともに、ノルの手元の水の球が弾けて、飛沫(ひまつ)が水差しに吸い込まれていった。


「弟子に……、魔術師になりたい、ってことですか。水を自在に操る、とか、格好いいですもんね」


 どこまでも場の空気を読まない朗らかな口調で、モウルがノルに笑いかけた。

 大きな()め息をついて、ノルが視線を足元に落とす。


「そんな軽々しいものではない」

「つまり、切羽詰まった理由があるってことですか」


 ノルが、無言でモウルを見つめた。


「けれど、あの少年、素質は有るんじゃないかな……」


 険しさを増すノルの視線を、モウルは肩をすくめて受け流す。


「なんとなく、ですけど。もうちょっと話がしたかったなー」

「年長者としては、()すべきことを先に()すべきだ、と助言させていただくよ」


 じっとモウルを見据えたまま、ノルが静かに口を開いた。平坦(へいたん)な声音は、一体どのような感情を押し殺したせいなのか。


勿論(もちろん)、領主様の依頼を忘れているわけではありませんよ。むしろ、だからこそ、と……」

「仮に素質があるとしても、あの子に呪符は手に入れられないだろう……」

「確かに、呪符は高価ですもんね」


 そう言ってから、モウルは、ふふ、と小さく声に出して笑った。

 ノルが、(おもむろ)に腰を上げる。


「もういいだろう? 君ほどではないが、私も忙しいのだ。そろそろ遠慮してもらえないかね」


 有無を言わせぬ口調で扉を指し示され、三人は水の魔術師の部屋をあとにした。


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