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歳ふりし魔術師

 

 ダーシャに手を引かれて廊下を進んでゆくモウルの後姿を見送ってから、ウネンは、魂が抜けてしまったかのように立ち尽くしているジェンガ翁を振り返った。


「……大丈夫ですか?」


 ウネンの声に、ジェンガはびくんと身体を震わせて、それからモウル達が去っていったのとは逆の方向へ、ふらふらと歩き始めた。廊下の突き当たりに到達したところで、壁に背をつけて置かれていた椅子を、わざわざ向きを逆さにしてから腰をかけ、壁に向かってうなだれる。

 ウネンは、ジェンガの(そば)へと寄ると、おそるおそる声をかけた。


「モウルはタジ国の魔術師じゃないですよ」


 はああ、と、深くて重い()め息が聞こえた。


「そうなのかもしれぬのう。だが、敵かもしれぬ、と考えずにはおられんのじゃ」


 ジェンガの声には、明らかに悔しさが(にじ)んでいた。

 もしかしたら、ジェンガ自身もおのれのままならぬ感情に、(ほぞ)()む思いをしているのかもしれない。ウネンは、なんだか無性に、この打ちひしがれた老人のことが気の毒に思えてきた。


「この際、魔術師か否かで判断するのじゃなくて、あの顔は敵じゃない、っていうふうに、思い込めませんか?」


 笑顔は若干(じゃっかん)胡散(うさん)臭いけれど。ウネンがそう胸の奥で付け加える間もなく、ジェンガがきっぱりと「無理じゃな」と答えた。

 にべもない言いざまに、ウネンは一度は眉をひそめたものの、なんとか気を取り直して、次なる案を差し出してみる。


「じゃあ、城の皆で合言葉を決めて、出会い頭に互いに合言葉を言って、合言葉が一致すれば敵とはみなさない、って法則を作って、魔術師かどうか関係なく一律に対応するようにすれば」


 我ながら苦しい方策だな、とウネンが自嘲するのと同時に、ジェンガがあきれ顔でウネンを見上げた。


「味方だと思っていた者が、ある日突然敵になることを、『裏切り』というのじゃぞ」

「あ、まあ、そうですよね」

「そもそも、(わし)自身にもどうしようもない(わし)のことが、おぬし達にどうにかできるはずはないじゃろ」


 開き直りともとれる言葉とともに、ジェンガが胸を張った。どうやらダーシャに嫌われた衝撃からは、立ち直ることができたようだ。


「だが、嘆くことはないぞ、少年」


 これ以上、話がややこしくなるのを避けたくて、ウネンは、()えて「少年」という単語を聞き流す。

 ジェンガは、よっこらしょ、と掛け声とともに立ち上がり、ウネンと正面から向き合った。


(わし)耄碌(もうろく)したとしても、我が神は健在なり。()の者は決して忘れぬ。その記憶は積み重なってゆく。(わし)がうっかり間違えたとしても、神が止めてくれるわい。だから(わし)は、心置きなく、敵を敵と糾弾(きゅうだん)できるのじゃ」

「神様が? 止めてくれる?」


 ウネンは、思わず身を乗り出していた。ジェンガと初めて会ったあの時以来、ずっと気になっていたことを問う機会が巡ってきたのかもしれない、と思ったからだ。

 魔術のことを語る時のモウルと同じように、ジェンガもまた(うれ)しそうな表情を浮かべ、二度三度と大きく(うなず)いてから口を開く。


「そうじゃ。いくら(わし)が炎を放とうとしても、我が神はまったくちからを貸してくれぬ上に、『落ち着け』と(たしな)めてくれるからの」

「神様と会話ができるの? 『考えるな、感じろ』って世界なんじゃないの?」

「おぬしは面白いことを言うのう」


 ジェンガの目が、細められた。


「確かに、昔は、ぼんやりと感じることしかできなんだがな。最近は随分はっきりと分かるようになったんじゃ」

「じゃあ、前に、ジェンガ様が『風が(ささや)く』って(おっしゃ)ったのも、神様のこと?」


 ウネンが更なる問いを繰り出すと、ジェンガが、きょとんとした顔で首をかしげた。


「はて、そんなこと言ったかいな」

「先々月、ぼくやモウルが初めて城に来た時に、ジェンガ様が大広間に飛び込んできて、『ここに〈かたえ〉が居る、と風が(ささや)いている』って(おっしゃ)ったでしょ」


 ああ、あの時か、と、ジェンガが両手を打った。


「あれが、どうかしたかの?」

「あれも、神様が教えてくれた、ってこと?」


 ジェンガが、チッチッチと舌を鳴らして右の人差し指を軽快に振った。


「ありゃあ、(わし)の言うたとおり、我が神じゃあなくて、風、じゃ」


 新たに加わった要素を頭の中の帳面に書き加えながら、ウネンは問いを重ねる。


「風? 神様じゃなくて?」

「はてさて、(わし)には風としか言いようがないからの。仮に我が神だったとして、自分で燃やした火を自分で消すなど、そんな無駄なことを何故せねばならんのじゃ」


 ジェンガの言葉を、ウネンはすぐには()み込むことができなかった。一呼吸のちに、ようやくその意味が()に落ちる。〈かたえ〉の存在を知ればジェンガが我を失うことが解っていて、それを(たしな)めるべき神が、わざわざそのことをジェンガに告げるはずがない、と、彼はそう言いたかったようだ。

 どうやら、歳ふりて神の言葉が分かるようになったといっても、その輪郭はやはり曖昧なものらしい。


「じゃあ、あの時、ジェンガ様に『古い友人』と告げたのは?」

「そりゃあ、我が神じゃの。『だから落ち着け、我が〈かたえ〉よ』ってなもんじゃ」

「敵ではない、と? 古い友人だから、と? もしかして、モウルの神様が、ジェンガ様の神様の友人だ、ってこと?」


 話の内容がいよいよ具体性を帯び始め、ウネンは知らず身を乗り出した。

 だが、対するジェンガはというと、あー、と、低い声を()らしたきり、唇を真一文字に引き結んでしまった。


「ジェンガ様?」


 ウネンが怪訝(けげん)に思って尋ねれば、ジェンガが肩をすくめて首を横に振った。


「すまぬの。それは、『ナイショ』じゃ」

「え?」


 思わず目をしばたたかせるウネンに、申し訳なさそうな眼差しが注がれる。


「説明するのが面倒なようじゃ」

「ええええっ? 面倒、って、神様がそんなこと言っちゃっていいの?」


 あまりにあんまりな展開に、ウネンはつい声を抑えることを忘れてしまった。慌てて口をつぐみ、きょろきょろと周囲を見まわしてみる。

 見渡す限り、静まりかえった廊下、どの扉も(ひら)く様子はない。


「まあ、そう言いなさんな。お前さんも、暖炉の掃除が面倒で、床に灰を(あふ)れさせたことぐらいあるじゃろう?」


 しみじみと語りかけてくるジェンガに、ウネンはきっぱりと「無いです」と返答した。

 ジェンガは、少しの躊躇(ためら)いも見せず、「(わし)はあるんじゃ」と深く(うなず)く。


「ならば、スプーンを使うのが面倒で、パンの中にシチューを詰めてもらったら、余計に食べにくくて難渋したことは?」

「無いです」

(わし)はあるんじゃ」


 


 


 結局、しばらく粘るもジェンガからまともな返答が得られないことが分かり、ウネンは適当なところで話を切り上げることにした。


「少年よ、今度は我が部屋に遊びに来るがよい。菓子をご馳走(ちそう)してやろう」

「ありがとうございます」


 これはどこまでが社交辞令なのだろうか。悩みつつも、ウネンはジェンガに礼を述べてその場を辞した。教材の籠を抱え直して、ハラバルの書斎のある一階へと階段を下りる。


 結構な道草を食っていたにもかかわらず、ハラバルはまだ戻ってきていないようだった。鍵のかかった扉の前に立ったウネンは、足元に籠を置くと、襟元に手をやった。ハラバルから預かっていた部屋の鍵を、落としたり失くしたりしないように、(ひも)で首からぶらさげていたのだ。


 もっと長い(ひも)を使えば、(ひも)を首にかけたままで扉の鍵をあけることができるだろう。もしくは、伸び縮みするバネを使ってもいい。(ひも)を首から外す手間を惜しんで、そんなことをつらつら考えていたせいか、いざ鍵穴に鍵を差し込む段になって、ウネンはうっかり鍵を取り落としてしまった。

 受け止めようと反射的に動かした足が、足元の籠を蹴っ飛ばす。派手な音をたてて、インク(つぼ)蝋板(ろうばん)などが廊下に散らばった。


「どうした!」


 聞き慣れた声とともに、オーリが廊下の角から飛び出してきた。眉間に刻まれた深い(しわ)が、ウネンを見るや(わず)かに緩む。


「……一体、何がどうした」

「どうした、って、オーリのほうこそ、なんでここに、って、そうだ、インク!」


 大慌てでインク(つぼ)を拾い上げて、ウネンは心の底からの安堵(あんど)の息を吐いた。瓶本体にも蓋にも異常は見られず、一滴のインクもこぼれていなかったからだ。


「良かったー……」


 ウネンは、インク(つぼ)蝋板(ろうばん)、定規、ペン、と、散乱する品々をそそくさと籠の中に戻した。最後に、落とした鍵もしっかりと拾い、膝をはたいて立ち上がる。


「オーリは、どうしてここに?」


 ウネンやモウルとともに城入りしたオーリだったが、彼は、魔術師補佐という中途半端な肩書きを良しとせず、剣士として近衛兵の末席に加わることを希望した。以来一箇月もの間、ウネンは食事の際に食堂でオーリの顔を見かけこそすれ、言葉を交わす機会はただの一度も無かったのだ。


「陛下に……、いや、モウルの奴に呼ばれてきた」

「モウルに?」

「書類上、俺の直接の上司はモウルなんだそうだ」

「上司」

「上司」


 思わず二人して復唱し合って、ほぼ同時に()め息をつく。


「オーリは今、どこに住んでるの?」


 気を取り直して、ウネンはオーリに問いかけた。上司に呼び出されている人間を引き()めるわけにはいかないのは分かっていたが、これだけはどうしても()いておきたかったのだ。


「一段下の、外郭にある騎士舎だ。俺は騎士ではないが」


 付け加えられた一言に(わず)かな苦みを感じ、ウネンは眉をひそめた。


「大変そうだね」

「そうでもない。トゥレク様が色々と気を(つか)ってくださるから、随分とやりやすい」


 トゥレク様、との呼び名を聞き、ウネンはそっと息をついた。かつてウネン達が客人として城に招かれた際は、トゥレクが、ウネンはもとよりオーリのことも敬称をつけて呼んでいたものだった。

 そして、今、ウネン達は、彼らの序列の中にいる。

 オーリが、つい、とウネンから視線を()らせた。


「俺には、漆黒の髪も特別な才能も無いからな。自分の居場所はこの腕で作るしかない」


 補佐という名目でモウルの(そば)にいれば、もっと楽ができただろうに。語る言葉を見つけられず、ウネンはただ唇を()む。


「気にするな。剣の世界の基本構造は、どこに行っても大して変わらない。強い者が、強い。それだけだ」


 きっぱりと言い切って、再びオーリが正面を向いた。

 いつもの仏頂面が、この時ばかりはとても頼もしく見えた。対して、先刻見かけたモウルの様子が思い出され、ウネンはうっかりふきだしてしまった。


「どうした」

「いや、色々と大変そうなオーリよりも、モウルのほうが弱音吐きそうだな、って思って。モウル、さっきもジェンガ様に絡まれていたけど、八つ当たりの相手がいないせいか、色々と鬱憤(うっぷん)抱えてそうだったよ」

「俺のありがたみを思い知ればいい」


 表情一つ変えずに切り返すオーリを見て、ウネンの口がつるりと滑る。


「オーリに甘えている自覚はあるみたいだけど。前にモウルに『身体を鍛えたら』って言ったら、『オーリがいるから要らない』って言ってたし」

「……そうか」


 そろそろ行かなければ、と(きびす)を返したオーリを見送りながら、ウネンは必死で笑いをこらえた。廊下を遠ざかっていくオーリの足取りが、いつになく軽いように感じられたからだ。


「表情は読みにくいけど、ある意味、解り(やす)いよなあ」


 笑う代わりに独り言で気を()らしてから、ウネンは深呼吸をした。気持ちを切り替えて、ハラバルの書斎の扉を振り返る。

 鍵をあけかけたところで、ふと、ウネンは小首をかしげた。そういえば、ハラバル先生も、モウルもオーリも、一体何の用で王様のところに集められているのだろう、と。


 その答えは、ほどなく、王の執務室から帰還したハラバルによってウネンのもとにもたらされた。


「ウネン、ダーシャ姫の避暑行に、モウル様がたとともに随行してください。わたくしの名代として」


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