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謎の囁き

台詞と地の文の間などに適宜空行を、常用外漢字にはふりがなを追加しております。

元の原稿の体裁で読みたい方は、作者個人サイトかカクヨムにおいでください。


 

 

「お願いします!」


 安酒場の喧騒(けんそう)に負けじと、ウネンは腹の底から声を張り出した。

 その視線の先、カウンター脇のテーブルで独り酒を(たしな)んでいた壮年の男が、かったるそうな表情でウネンを見上げる。


「けどよォ、チビちゃん。そんなの、別に俺に頼まなくたっていいんじゃねえのか?」


 チビちゃん、という呼びかけに、ウネンは思わず奥歯を()み締めた。ぼくの名前は「チビ」じゃない、と反論しかけて、すんでのところで言葉を()み込む。三年前からまったく変わらぬ身長に、木の枝のように細い手足。愛想のかけらも無いざんばらな短髪も相まって、ウネンは確かに十五歳とは思えない見目をしていたからだ。


「頼む必要があるから、頼んでいるんじゃない」


 ウネンの隣に立つ二歳年上の友人イレナが、唇を尖らせて両手を腰にあてた。(つや)やかな深茶の髪が、彼女の心情を表すかのように(いら)立たしげに揺れる。

 ここはイェゼロの町で一番大きな酒場、「案山子(かかし)の鼻」亭だ。夕刻を迎え一日の畑仕事を終えた人々が、ひととき羽を伸ばそうと次から次へと押しかけている。まだ六月も上旬だというのに、混み合った店内は人いきれで真夏の屋根裏のようだ。


「って、言われてもなァ……。そうだ、いっそ、団長に頼めば……」

「父に頼め、って? それ本気で言ってるの?」


 怒気もあらわに眉を()り上げるイレナに対して、男は「冗談だよ」と豪快に笑った。


「おやっさん、お嬢が自警団に入るのも、大反対しているもんなあ」

「だから、こうやっておじさんに頼んでいるんじゃない。領主様の土地を測量するって、すっごく重要な仕事でしょ。その護衛なんて、イェゼロ一番の剣の腕前を持つおじさんにしか頼めないもの」


 先週、イェゼロの町が属するバボラーク領の領主から、町長(まちおさ)宛に一通の書状が届けられた。(いわ)く、そちらの町には優秀な地図屋がいるそうだが、ついては我が領地の地図を作ってはもらえないだろうか、と。


 地図屋、という屋号には尋ね当たらないが、依頼を受けて町や畑の地図を作る筆写師見習いなら存在する。かくして、領主の書状は町長(まちおさ)からウネンに手渡され、今こうやって頼もしい友人の協力を得て、実地測量行における護衛を探しているところなのだった。


 しかしこれがなかなか簡単には事が運ばない。というのも、書状と一緒に渡された前金が非常に慎ましかったからだ。まずはこれで領地の西端にある牧草地の地図を作ってみてくれ、その先のことは出来上がった地図を見てから決めよう、というのがバボラーク領主の言い分であった。


「西の原っぱの寸法を測りに行くだけだろ? 護衛なんてお嬢一人で充分だろ」

「何を甘っちょろいこと言ってるの。昔っから、バボラークと隣のチェルヴェニーって、あんまり仲が良くないじゃない。しかも、今回測りに行くのって、そのチェルヴェニーとの境界なのよ。何か災厄に見舞われた時、私一人じゃウネンを守りきれないわ」

「けどよォ、三日間、だっけ? さっきも言ったが、それでこの金額は、ちぃと安過ぎるんじゃないかい?」


 あらためて厳しい現実を鼻先に突きつけられ、ウネンは知らず唇を()んだ。気を抜くと(うつむ)いてしまいそうになる自分を必死で奮い立たせ、ウネンは男に語りかける。


「今回の仕事は『お試し』らしいんだ。これが上手くいったら、今度は荘全体の地図を頼む、ってことだから、そうしたら、もっとお礼ができると思うんだけど……」

「あ、いや、別に、チビちゃんに文句を言いたいわけじゃねぇんだ」


 男は途端にきまり悪そうな表情になって、頭を()いた。


「いやさ、先月から、二つ隣の町に〈双頭のグリフォン〉って(すご)腕の二人組が逗留(とうりゅう)しているらしくってな。そいつらが、この辺りの野獣退治や護衛の仕事を片っ端からかっさらっていくもんだからよ、このところすっかり懐具合が寂しくなってしまってな……」

「双頭の……グリフォン?」


 ウネンとイレナの声が、きれいに重なった。


(うわさ)じゃ、一人は雲()くような大男で、剣の一振りでヒグマの首をいともたやすく斬り落としたらしい。もう一人は闇から生まれし魔術師とやらで、荷馬車を襲った夜盗どもを、一瞬にしてこの世から消し去ったというぜ」

流石(さすが)は、伝説の怪物だ」


 お伽噺(とぎばなし)に出てくる怪物の名前がこんなところで飛び出してくるなんて思ってもいなかったウネンは、鼻で(わら)いそうになったのをなんとかこらえて、当たり障りのない相槌(あいづち)を打った。こんな眉唾ものの話でも、もしかしたらこの人は本気で信じているのかもしれないな、と考えて。

 ウネン同様、イレナもこの(うわさ)胡散(うさん)臭く思ったに違いない。悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべたのち、すまし顔で(うそぶ)く。


「じゃあ、その(すご)腕のグリフォンとやらに頼もうかなー」

「はした金では引き受けないらしいがな」


 軽く肩をすくめてから、男は麦芽酒のカップを口に運んだ。さっさと話を打ち切ってしまいたいのだろう、さりげなく視線をウネン達から外す。

 イレナが、それでもまだ希望を捨てきれない様子で、もう一度男の顔を(のぞ)き込んだ。


「でも、仕事が無くて困っているのなら、こっちの依頼を引き受けてくれてもいいんじゃない?」

「しけた仕事にかまけてて、いい仕事をフイにしちまったらどうするんだ」


 どうやらこの人を護衛に雇うのは、諦めたほうが良さそうだ。()め息とともにウネンが足元に視線を落とした、その時。辺りに漂う肉料理と酒の匂いが、一瞬にしてかき消えた。


 むせかえりそうなほどに濃密な森の香りが、怒濤(どとう)のごとくウネンの身体にぶつかってくる。

 ウネンは、驚いて顔を上げた――上げようとした。顔を上げかけて、何か声が聞こえたような気がして、ウネンは咄嗟(とっさ)に耳元に意識を集めた。


 ――を……もの……我ら……の……


 声はやがて風となって、あっという間に森の気配を吹きさらってゆく。

 ウネンが我に返った時には、そこは寸刻前と何ら変わらぬ酒場の喧騒(けんそう)の中だった。


「まさか……、ヘレーさんが……?」


 ウネンは慌てて周囲を見回した。

 三年前まで、ウネンは時々他人には聞こえない声を聞くことがあった。声の主の年齢も性別も、その内容までもが不明な謎の声。いや、実際に音をなしているのかすら疑わしい、声なき〈(ささや)き〉。今しがたウネンの耳をくすぐった謎の声も、そういった以前のものと同じ気配がした。ただ、声と同時にウネンを包み込んだ濃厚な木々の香りだけは、初めて体験するものであったけれども。


 だが、「〈(ささや)き〉が聞こえた」などというウネンの戯言(ざれごと)に真剣に耳を傾け、にっこり笑って頭を()でてくれたあの温かい手の感触は、今やすっかりおぼろげになってしまっている。


「どうしたの、ウネン。今何か言った?」

「ううん。なんでもない」


 イレナに笑いかけてから、ウネンはゆっくりと深呼吸をした。そうだ、あの人がこんなところにいるはずがない。小さく頭を振って懐かしい記憶を頭の片隅に追いやると、意識を目の前の風景に戻す。

 と、酒場の入り口のほうで、いつになく不自然なざわめきが湧き起こった。

 さざめく声は、水面を伝わる波紋のように部屋の隅々にまで到達し、ほどなく沈黙へと姿を変える。


 西日に染まる戸口には、背の高い青年が一人、逆光を背負って立っていた。見覚えのない、姿形。腰に帯びる、一振りの長剣。

 静まり返った店内を、青年は真っ直ぐカウンターへ向かっていった。自身に注がれる沢山の視線に、(わず)かとも動じたふうもなく。


 年の頃、二十代前半といったところだろうか。おおらかに(はさみ)を入れられた灰色の髪が、日に焼けた額で揺れている。眼窩(がんか)に光る碧眼(へきがん)は、猛禽(もうきん)類を思わせるほどに鋭い。強く引き結ばれた唇もまた、精悍(せいかん)な顔つきを更に勇ましく見せている。

 一切の無言を引き連れて、青年はカウンター前に立った。


「い、いらっしゃい。何にしますかね」


 酒場の親父が、やや緊張した面持ちで見知らぬ客に声をかける。

 青年は、硬い表情を緩めようともせず、ただ一言、


「『(すずめ)の眼』を探している」


 と言った。

 青年の口からその二つ名が飛び出した瞬間、ウネンは、首筋を冷たい手で()でられたような気がした。

 先刻から護衛の依頼を断り続けていた男が、ウネン達を仰ぎ、口元に手を添えてひそひそと話しかけてくる。


「おうおう、『(すずめ)の眼』も随分有名になったもんだな。お客さんじゃないのか?」


 小さな声にもかかわらず、その声は、静かな店内においてやけにくっきりと浮き上がって聞こえた。

 案の定、(くだん)の青年がウネン達のほうに顔を向ける。


 その刹那、ウネンの耳が再び(かす)かな声を(とら)えた。先刻よりも、ほんの少しだけ明瞭に。


 ――……を守りしもの……我ら……もの……


 同時にウネンの胸を響かせる、(かす)かな〈(ささや)き〉、声ならぬ声。間髪を入れず、空を埋め尽くさんばかりに生い茂る木々が、ウネンの脳裏に押し寄せてきた。常盤(ときわ)の葉陰にちらりと見える……あれは一体……?


『ウネン、エンデ、バイナ――』


 誰のものか分からぬ、密やかな、だが力の籠もった声が顔面にぶつかってくるとともに、ウネンのもとに現実が戻ってきた。


 目の前にそびえる、がっしりとした体躯(たいく)辿(たど)って顔を見上げれば、猛禽(もうきん)のごとき眼差しがウネンを射抜く。

 ウネンは、じっと青年を見つめ返した。突然の〈(ささや)き〉とこの青年とは、何か関係があるのだろうか、と。そもそも、この〈(ささや)き〉は一体何なのか。三年前に、あの温かな手とともに失われ、以来一度として感じたことがなかった、声なき、声……。


「『(すずめ)の眼』というのはあんたか?」


 ウネンとイレナを見比べたのち、青年はイレナに問いかけた。


「私じゃないわよ」


 イレナが、不機嫌さを隠そうともせずに顎を上げた。その前のテーブルでは、火付け役となった男が小刻みに肩を震わせている。


「違ぇよ、兄ちゃん。『(すずめ)の眼』ってのは、お嬢じゃなくてチビちゃんだ。ほら、(すずめ)みたいな色の髪だろ」


 まだ子供じゃないか、と言わんばかりに青年が目を見開く。

 ウネンにとってこの青年が見せた反応は決して珍しいものではなかったが、どんなに慣れていようが不愉快なものは不愉快だ。ウネンはこれ見よがしに鼻を鳴らしてみせた。


「ぼくのことを『(すずめ)の眼』って呼ぶ人がいるのは、知っている。でも、あなたが言う『(すずめ)の眼』がぼくのことかどうかは、ぼくには分からない」


 青年は無言でウネンを見つめていたが、やがて、ぼそりと低い声を()らした。


「……まさか、子供がいたから、なのか?」


 何のことかさっぱり理解できず、ウネンは二度三度とまばたきをした。だが、ウネンが言葉の意味を問い(ただ)す前に、青年が懐からひと巻きの羊皮紙を取り出した。


「この地図を作ったのは、お前か」


 それは、この春にウネンが隣町の長に頼まれて作った、隣町の地図だった。


「そうだけど」

「測量技術を誰から教わった?」


 青年の視線が、あからさまに剣呑(けんのん)さを増す。

 ウネンは青年の目的を悟った。


 三年前、最後に〈(ささや)き〉を感じた時も、ウネン達の前には町の外からやってきた人間が立っていた。険しい声で一方的に詰問し、最後には捨て台詞を残して去っていった、いけ好かない異郷の二人組。目の前のこの青年も、三年前の彼らと同じく、あの人を――ヘレーさんを――探しているに違いない。


 ウネンは口の中に(あふ)れてきた唾をそっと()み込んだ。何を伏せて、どこまで話すべきか、頭の中で慎重に仕分けながら。

 と、イレナが、青年とウネンの間に割って入ってきた。


「ちょっと、あんた。『(すずめ)の眼』に仕事を頼みに来た、ってわけじゃないのね?」

「ああ」

「じゃあ、別に真面目(まじめ)に相手しなくてもいいんじゃない、ウネン。もう日も暮れるし、さっさと帰ろ」


 そう言うなり、イレナがウネンの手を取った。予想外の行動に反応の遅れたウネンを問答無用で引っ張って、青年の横をすり抜ける。


「あ、おい、待て、まだ話は終わ……」


 青年が、イレナに引かれるウネンの前に立ち塞がった。

 咄嗟(とっさ)のことでよけることもできずに、ウネンは真正面から青年にぶつかった。衝突の反動でウネンの手がイレナの手からすっぽ抜ける、と思う間もなくイレナが勢いよく振り返り、そのまま流れるような動きで左足を床に滑らせる。


 周囲の酔客が椅子を抱えて避難するのと、イレナの足払いが青年に決まるのとが、ほぼ同時だった。


「行くよ! ウネン!」


 床に倒れ込んだ青年を一瞥(いちべつ)もせず、イレナが再度ウネンの手を(つか)む。

 なすすべもなく引っ張られるウネンの進行方向で、青年が身を起こした。


「あっ、ちょっ、イレナっ、待っ」


 このままだと、青年の顔面に蹴りを()らわすことになる。ウネンは全身全霊の力を込めて、その足を引こうとした。

 同時に、我が身に迫る危険に気がついた青年が、見事な反射で身を伏せる。

 靴越しにウネンの足の裏に伝わってくる、木の床とは異なる何とも言えない感触。


「イレナ! 待って! 踏んだ! さっきの人踏んだ!」


 周囲はもう大騒ぎだった。酔いも手伝ってか皆が大喜びで(はや)したてる中、数人の理性ある客が、「大丈夫かい兄ちゃん」と青年に声をかけている。

 青年を踏みつけた足には可能な限り体重をかけないようにしたつもりだったが、それでも痛みが皆無というわけにはいかないだろう。戻って謝らねば、と焦るウネンを、しかしイレナは容赦なく引っ張っていく。こうなっては、小柄なウネンに勝ち目はない。


「ええと、その、ごめんなさいっ!」

 辛うじての一言を残して、ウネンは「案山子(かかし)の鼻」亭をあとにした。


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