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呪符と呪い師

 

 

 

 イェゼロから王都クージェまでは、徒歩で五日の道のりとのことだった。

 スィセル達が乗ってきた二頭の馬に荷物を積んで、総勢六名で街道を歩く、歩く。当初、オーリ達は馬を借りることも考えたようだったが、肝心のウネンが馬に乗れないことから、王都まで皆で歩くことにしたのだ。


 収穫を目前に控えた麦畑が、陽光を受けて金色(こんじき)に輝いて見える。(まばゆ)い夏の日差しあってこその豊かな実りだと思えば、この暑さも我慢ができるというものだ。並木の陰に助けられながら、一行は、その日の昼過ぎには隣領チェルヴェニーに足を踏み入れた。


 境界を越えてすぐの、オーリ達が一箇月ほど逗留(とうりゅう)したというハローの町は、投宿するにはまだ日が高すぎるということで素通りすることになった。モウルが置いてきぼりになったという宿はどこなんだろう、と、ウネンが道すがらきょろきょろと辺りを見まわしていると、イレナがにやにやと笑いかけてきた。


「やっと、いつもの調子が出てきたみたいね」

「え?」

「だって、家を出る時から、もうずっと、ウネンってば心ここにあらずって感じで、ぽやーんとしてたじゃない」


 多少自覚はあったが、外から見ても分かるほどだったのだろうか。ウネンはちょっぴり恥ずかしくなって、少し声を落とした。


「そんなに、変だったかな」

「変、ってことはないわよ。だって、王様からお呼びがかかるなんて、そうそうあることじゃあないもの。誰だってうっとりして当然じゃない」


 診療所にて、スィセル達に向かって「伺わせていただきます」と胸張って答えてからしばらく、ウネンはまるで雲の上を歩いているかのような心地だった。先日の測量行の時と同じように荷物をまとめ、ミロシュ達に「行ってきます」と挨拶をし、町を出て、炎天下の街道を歩いていても、ウネンは自分が王都へ向かっているということが、どこか夢の中の出来事のような気がしてならなかった。


 こつこつと地図を作り続けていれば、いつか評判が王様の耳に入るかもしれない。もしかしたら興味を持ってもらえるかもしれない。そうしたら、それを足がかりに、更に広い世界へと踏み出していくことができる。「もしも」に「もしも」を重ねた、(はなは)心許(こころもと)ない夢が、いきなり自分の手の中に落っこちてきたのだ。冷静にあれ、というほうが無理というものだろう。


 ウネンはゆっくりと深呼吸をした。何はともあれ、今は、自分ができることを精一杯やるしかない。

 こぶしを握り締め、頑張るぞ、と心の中で宣言するウネンの頭を、イレナが荒っぽい手つきでがしがしと()でた。


 


 


 さしたる問題もなく順調に旅を続けること四日。早ければ明日にでも王都入りだ、と気が()いてしまったか、一行はうっかり町と町との間で日没を迎えてしまい、街道脇で初めての野宿となった。月はまだまだ細く、この暗闇では、路面の(くぼ)みも落ちている石も、道が崩れているところすら分からないからだ。


 こういう時のために用意しておいた干し肉や乾パンで腹ごしらえをし、毛布にくるまって横になる。スィセルとトゥレクの主張により、ウネンとイレナは寝ずの輪番から外されることになった。特別扱いは要らない、と言い張るイレナも、騎士の矜持(きょうじ)を引き合いに出されると、照れくさい表情で黙るしかなかったのだ。


「うっかり居眠りしてしまっても大丈夫なように、周囲に『仕掛け』を施しておくから、皆さんも気をつけてください。勝手に出歩かないように」


 モウルがそう言って、何やらごそごそと野営地を取り囲むように動きまわっていたが、ほどなく辺りは静寂に包まれた。


 


 騒ぎが持ち上がったのは、夜半過ぎのことだった。


「なんだ」「くそっ」「どうなってんだ」「このやろう」と、複数の人間が口汚く罵る声に、ウネン達は目を覚ました。

(ささや)き〉がウネンの耳元を()でたかと思えば、柔らかい光がモウルの手元に(とも)る。持っている木札が、おそらく呪符に違いない。

 やはりこの〈(ささや)き〉は、魔術と関わりがあるのだろうか。ウネンがそんなことを考えている間も、「くそったれ」「ふざけんな」「死ねや」と、罵声がどんどん激しさを増していく。


「いやー、ここまで見事に引っかかってもらえると、魔術師冥利(みょうり)に尽きるなあ」


 心の底から楽しそうに笑って、モウルが呪符を高々と掲げた。魔術の明かりが辺りの闇をはらい、三メートルほど向こうで地面に足を取られてもがいている男達の姿があらわになった。


「……寝てたのか?」


 眉間に(しわ)を寄せて、オーリが低い声で問いかける。当番だったモウルは、即座に「まさか」と首を横に振った。


「飛び道具は持ってなさそうだったし、慌てて皆を起こさなくてもいいかなって思ってね。やー、面白いぐらいに次々と()まってくれたよ!」

「くそっ、お前ら、卑怯(ひきょう)だぞ! さっさとこの足をなんとかしやがれ、ぶっ殺すぞ!」


 一番(から)の大きな男が、得物を振り回しながら怒号を上げた。

 夜陰に乗じて旅人を襲うのは、卑怯(ひきょう)ではないと言うのだろうか。そう考えたのはウネンだけではなかったようだ。「追い()ぎ風情が何を言う」と、トゥレクがいかつい肩をいからせて、荷物から縄を取り出した。(あか)り担当のモウルを除く男三人で手分けして、襲撃者を縛り上げていく。


 モウルが張った(わな)は、地面を一旦泥沼化して獲物を捕らえたのちに元の固い土に戻す術、とのことだった。総勢八名の賊が、(すね)までぎっちりと地面に埋まった状態のまま、両手を拘束されていく。

 賊の所持品は、それはもう物騒なものばかりだった。長剣に短剣、(なた)もあれば星球つきの棍棒(モーニングスター)まで、今すぐ武器屋が開けそうな品々に、一同あきれかえって()め息をつく。


「いやはや、用意周到、ですね」


 一箇所に集められた賊の持ち物を眺めながら、スィセルがしみじみと(こぼ)した。「武器以外に大したものを持っていないということは、この近郊の者でしょうか」


「たぶんね」


 おざなりに相槌(あいづち)を打ってから、モウルが、オーリを振り返った。


「こいつらに見覚え、ある?」

「いいや」


 微塵(みじん)躊躇(ためら)いも見せずに、オーリが即答する。彼自身がいつぞや言っていたとおり、オーリは人の顔を覚えるのが不得手ではない――いや、むしろ得意なのだろう。


「スィセル様、こやつらをどういたしましょうか」

「こんなにも大勢だと、連行のしようがないですね……」


 トゥレクに問われたスィセルが、腕組みをしてしばし考え込む。


「王都ならともかく、他家の領地で我々にできることはあまりありませんしね。彼らはこのままここに放っておいて、次の町の町長(まちおさ)なり自警団なりに任せることにしましょうか」


 スィセルの言葉が聞こえたか、賊達の罵声が激しさを増した。

 両手を後ろ手に縛られたまま、しかも(すね)まで土の中に埋められた状態で真夏の戸外に放置されるなど、考えただけでもぞっとする。ウネンは、ほんの少しだけ彼らのことを気の毒に思った。が、足元に山と積まれた武器をあらためて見つめてから、「まあ、自業自得というやつか」と胸の内で(つぶや)いた。


 


 


 東の空が白み始め、一行は野営を畳んだ。罵倒から懇願に曲調を変えた追い()ぎ達の合唱をあとに、王都目指して出発する。

 栗毛(くりげ)の手綱を引くスィセルが、改まった口調で「モウル様」と呼びかけた。


「昨晩は、本当にありがとうございました。あなたが、ともに来てくださらなかったらば、あの大人数の前に、我々は賊の餌食となっていたことでしょう」


 モウルはいつもの調子で「いやいやそれほどでも」と右手を振った。


「それに、昨夜のあれは、正確には僕のわざじゃなくって、呪符のものだしね」

「呪符、ですか?」


 スィセルが面食らった表情になる。

 少し後ろを歩いていたウネンは、機会を逃さず二人の会話に割り込んだ。


「呪符って、前に言ってた、他の神様のちからを借りるってやつだよね?」


 昨夜はウネンは熟睡していたため、追い()ぎが(わな)にかかった時のことは分からないが、それを除けば、モウルが魔術なり呪符なりを使用した際は、今のところ必ずあの〈(ささや)き〉が聞こえている。

(ささや)き〉とは一体何なのか、当のモウルには〈(ささや)き〉は聞こえていないのか。知りたいことは山ほどあった。ウネンは目元に力を込めてモウルの返答を待つ。

 モウルは、得意げに微笑(ほほえ)むと、実に楽しそうに語り始めた。


「呪符ってのは、(まじな)い師が作った、魔術の『写し』だよ」

(まじな)い師? 祈祷(きとう)師みたいなもの?」


 イレナが、ウネンの横から疑問を投げかける。途端にモウルが、そんなことも知らないのか、と言わんばかりの顔で口の()を上げた。

 イレナの頬が、見る見る羞恥に染まる。


「物知らずで悪かったわね! だって、うちの町には、精霊使いが一人いるっきりで、魔術師も(まじな)い師とやらもいないんだもの!」


 このモウルの表情には、流石(さすが)にウネンもカチンときた。何かひとこと言わずにはおれず、反射的に皮肉を口にする。


「気にすることないよ、イレナ。まさか天下の魔術師様ともあろう方が、知識を求める人を鼻で(わら)うなんてことがあるはずないから、さっきのはきっと、くしゃみを我慢していただけだよ」

「……君も言うねえ」


 モウルが薄く笑ってウネンを見やる。

 オーリが、静かな声で一言、「モウル」と、たしなめるように呼びかけた。


「分かってるよ。いくら胡散(うさん)臭い呼ばわりされたにしても、子供相手に、ちょっと大人げなかったかな。ごめんごめん」

「子供ですって?」


 イレナが眉をひそめるのを見て、今度こそモウルが屈託のない笑みを浮かべる。

 ウネンは、思わず()め息をついた。まさかモウルが、出発前にイレナに言われたあの一言を、ここまで根に持っていたなんて、と。ちょっとどころか、大人げないにもほどがある。

 モウルは、すっかり晴れやかな表情を浮かべ、何事も無かったかのように話題を戻した。


(まじな)い師はね、魔術を写しとるんだ。魔術師が施術する場に立ち会って、魔術の……なんて言ったらいいかな……、波動……みたいなものを胸の奥で受け止め、それをそのまま木簡などに書き記す。仕上げに、その魔術師の血を一滴。そうやって出来上がったのが、呪符、ってわけ」


 そう言ってモウルは、懐から薄べったい一枚の木札を取り出した。


「胸の奥の琴線(きんせん)が波打つままに、そのさまをそのままこうやって記すんだ。(まじな)い師によっては、ミミズがのたくった跡のようなものだったり、でたらめな単語の羅列だったり、色々あって面白いよー」


 なるほど、モウルが差し出した木札には、小さな子供が()いた絵のようなものが、たどたどしい筆致で(えが)かれていた。この線の一本一本に、不思議なちからが込められているのか、と、ウネンは真剣な表情でモウルの手元を食い入るように見つめる。


「では、その呪符さえあれば、私にも魔術が使えるのですか?」


 スィセルが、物(すご)い勢いでモウルのほうへと身を乗り出してきた。その拍子に、うっかり引き手(引き綱)を余計に引っ張ってしまい、馬がぶひんと鼻を鳴らす。


「それは、試してみないと判んないけど……。何らかの魔術の素養が無いと、ちょっと厳しいんじゃないかなあ」


 スィセルはもとより、先刻からモウルのほうをそわそわと振り返っていたトゥレクまでもが、残念そうに肩を落とした。


「ていうか、王様のところなら、一人ぐらいは魔術師がいるんじゃないの? こういう話とか、聞かない?」

「あ、はあ、まあ、そのう、そのようなお話をあまりしたことがありませんので……」


 微妙に歯切れの悪いスィセルに対して、モウルは怪訝(けげん)そうに眉をひそめたものの、再び話を続ける。


「呪符一つ作るのに結構手間暇かかるし、そうやって作っても、一回使えばおしまいだし、そもそも腕の良い(まじな)い師は数が少ないし。ねえ、オーリ、覚えてる? 去年に買った(あか)りの呪符のこと」

「蛍一匹よりも暗かったあれか」

「そう。ぼったくりもいいところだったよなあ、あれ」


 モウルの苦笑が、まばたきの間に嘲笑に切り替わった。そうして、一段低い声で毒を吐く。


「神の〈かたえ〉になれなかった魔術師崩れが、なんとかして自分にも術が使えないか、と悪あがきの末に創り出した技術だからね。期待し過ぎると馬鹿をみる羽目になる」


 モウルの声音からは、彼の額を飾る髪の色と同じ、底のない暗闇が染み出してくるようだった。

 ウネンは一瞬だけ(ひる)んだものの、下腹に力を込めてモウルを見た。今はとにかく、情報が欲しい、と。


「〈かたえ〉って?」


 ()ずは、聞いたことのない単語の意味を。


「魔術師の古い呼び名だよ。神と契約を結び、その(かたえ)にいるから、〈かたえ〉」

「契約って?」


 目の端でイレナがあきれ顔をしたのが分かったが、ウネンは構わずに問いを重ねた。

 モウルが、楽しげに目を細める。


「神と真名(まな)を交わすのさ」

真名(まな)って?」

真名(まな)とは存在の根幹を成すもの。それを知られるということは、相手に生殺与奪の権利を明け渡すということになるんだ」


 ウネンは、魔術に関する新たな知識を、次々と頭の中の帳面にまとめていった。先日の測量行での出来事から、六日前に工房への道すがらモウルから聞いた話、昨晩の襲撃、そして今聞いたばかりの内容。それぞれの情報を整理し、並べ替え、互いに(ひも)づけ、そして――


「交わす、ってことは、モウルも神様の真名(まな)を知ってるってこと?」


 生じた違和感を胸に、ウネンは静かにモウルに問いかけた。

 至極(しごく)当然といった表情で、モウルが片眉を上げる。


「そうさ。そうじゃなきゃ、神のちからは使えない」


 ウネンは、モウルから視線を外すと、進行方向をじっと見据えた。


「でも、世の中にはモウルの他にも風の魔術師っているんだよね?」

「そうだね。僕が今までに会っただけでも、三人はいたなあ」

「ということは、風の神様は、少なくとも四人の魔術師に真名(まな)を、弱みを握られているってことになるよね。それって不公平じゃない?」


 モウルが息を()む気配がした。

 話の中心にいたモウルが黙り込んだために、場は一気に静まりかえってしまった。

 しばしの間、六人と二頭がざくざくと土を踏む音だけが、陽炎(かげろう)と混ざって辺りの空気を揺らす。

 やがて、モウルが静かに口を開いた。


「ヒトと神とを、全くの同列に語るわけにはいかないでしょ。僕達ヒトにとっては、真名(まな)はいのちにも等しいものだけど、神にとっては、そうではないのかもしれない」


 珍しくも躊躇(ためら)いがちに訥々(とつとつ)と語るさまは、モウルがおのれの言葉に確信を持てていないことの証左だろう。


「そういうことを神様は教えてくれないんだ?」

「『考えるな、感じろ』って世界だからね」


 そう言ってモウルは、小さく肩をすくめてみせた。


 


 講義が一段落ついたところで、オーリが歩調を緩めてモウルの横に並んだ。彼は、前方を向いたまま、声だけでモウルに問いかける。


「昨夜の術は、前に猩々(しょうじょう)退治に使った時のと同じやつか」

「そうだけど」


 モウルの返答を聞くなり、オーリの眉が(わず)かに寄せられた。それから彼は、独白のように一言を(つぶや)いた。


「二十センチ」


 モウルが怪訝(けげん)そうに眉をひそめた。


「土中に沈んだのは、二十センチだけだった。一応報告しておく」


 オーリが再びモウルの前に出る。


「何か問題が?」


 スィセルの問いに、モウルは「いいや、別に」と首を横に振った。


「問題というほどのことではないんだけど。ただ、まあ、以前に同じ術を使った時は、もう少し沢山沈んだよな、って……」


 しばらくの間、モウルの眉間に刻まれた(しわ)が消えることはなかった。


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