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六月十四日
くみちゃんが職場の子と夜通しクラブへ
私かきまたは なんともない顔を浮かべていましたが、心の奥では慌てふためいていました。
他の男性との出会いによって
今ある幸せが崩れ去ってしまうんではないか?
一緒に過ごすということによって解決されたという不安や心配
それは全くの誤解で簡単にまた顔を出しました。
私は今日はまた夜通し寝ることは出来そうにありません。
今ある幸せが壊れるんではないか?
くみちゃんを失うんではないか?
私かきまたは怖くて怖くて仕方ありません。
他の人たちはこんな時どうしているんでしょう。
ハッキリとは分かりません
でもうすうす感じています。
こんなことくらいで不安や心配になるのは私の自信のなさや、疑い
どこかひん曲がった愛の形からなのか
普通の人以上にこんなことを感じてしまうような・・
心配で不安で怖くてたまらなくなります。
結局のところ私は何も変わっていない自分に気づかされるのです。
これだけ、長く一緒に過ごし関係もしっかりしたものになったという自信は意図も簡単に崩れさるのです。
彼女は夜21時を過ぎたあたり出かけて行きました。
私は終始不機嫌
しかし、そんな怒りは はなんとも理不尽だと自分では思っています。
はやく眠ってしまってこの時を悩まず
不安にならず過ごそうと試みたのですが眠れません。
頭のなかに色んな妄想がふくらみ
不安になります。
馬鹿げた心配だと思っています
でも、事実心配してしまうのですから仕方がないのです。
私は少し自分の事を考えました
何が 私はそんなに怖いのだろうか?
彼女を失って、再び一人ぼっちになることか?
私が勝手に信じて掴んでいる
幸せというものそれが崩れさることが怖いのか?
色々考えました。
どうしたら、こんなことでいちいちビクつかない人間になれるか?なんてことも、もちろん考えました。
夜中の二時を過ぎても目は開いています。
一人部屋の中、くみちゃんがはやく帰ってくることを祈りました。
私はこんな時、自分の人生を自分のやりたいことなど全く手がつきません。
テレビや本、なにをやっても頭に入ってきません。
確かに観たり読んだりしているのですが 実際にはなにもみれてないのです。
私は鏡に写る自分の姿を見て 自分の小ささに なんとも嫌な気持ちになりました。
たまに見る 自分の情熱 自分の人生に没頭してそれにかけてる人たちをみては羨ましくも思います。
私は結局一日中布団の中で起きていました。
朝方 玄関のドアがあく音がして
ようやく、心が落ちつきました。
くみちゃんは酔っ払っています。
どうだったのか?
なにがあったか?
聴きたいのですが、自分のプライドがそれを許さないのか?なにもきけません。
それどころか、今まで何も気にしていなかったようにグッスリ眠っていたそぶりまでしています。
くみちゃんは布団に入りすぐさま眠りにつきました。
六月十五日
午後くみちゃんが起きて
「ああ、昨日は楽しかったなあ あの人かっこよかったなぁ」なんてことをきいていると これまた恥ずかしいのですがイライラした気持ちにもなります。
でも、今こうして無事に帰ってきてるのでホッとします。
六月二十日
些細なことでイライラします。
彼女のなにげない一言や態度
自分も他の人には優しいのに彼女には冷たくなる自分がいます。
どうしてでしょうかね
他の人といる時には湧き出ない怒りという感情が彼女といる時よく顔をだします。
彼女とは馬が合わないのでしょうか?
潮時なのでしょうか?
愛が分からなくなりました
最初はあんな気持ちで付き合えたのに段々と、なあなあになり、あの頃のような情熱的というような気持ちはなくなり、お互いがただただ 流れで 一人ぼっちになる恐怖をひた隠す為に付き合っている そんな気持ちになります。
これが世にいう愛の関係なのでしょうか?
それともこれは ただの逃げなのでしょうか?
最初から愛してなかったのでしょうか?
かと言って私かきまたには彼女に別れようなどとは言わないし言えません。
彼女を失うのが怖いのか?
自分が一人になるのが怖いだけか?
結局すべて私自身の問題であることに突き当たるのはちゃんと分かっています。
彼女が関係ないのは分かっています。
すべて自分にある問題にやはりぶつかるのです。
惰性で生きるか 己の心に素直に生きるか?
私かきまたは悩んでいます。
そんな時でした 私はたまたま本屋で開いた本の言葉に目を奪われました。
愛することを選択するも、しないも
自分次第
それは自分で決めつづけていくこと
そして愛は育まれていくもの
私は胸に衝撃が走りました
自分はくみちゃんに最近優しい言葉をかけたか?
相手の嫌なところばかり見つけて、批判して、相手の反応に期待して叶わぬと怒ってばかりいたのは他ならぬ私自身ではなかったか?
自分は彼女を大切にしていたか?
彼女を愛するということをしていたか?
夕陽の下 もう一度彼女を愛するという選択を決めた私がいました
家に帰り
私がくみちゃんに久しぶりに優しい言葉をかけるた時
子供の様に嬉しそうな顔を浮かべたくみちゃんがそこにいました。
私は外を向いて瞳からこぼれた涙をばれないように拭きました。
向こうはこんなにも、自分の些細な優しさに嬉しくてたまらない事を知ったとたん 涙がこぼれ落ちてしまいました。
今まで感じてたのは他ならぬ自分の気持ち
相手の気持ちではなく自分自身の気持ちだったことを知りました。
人間の関係性で
受けとっていたものは相手から出されてたものじゃなくて自分自身がだしていたものだったことがふと見えたのです。
心の中でくみちゃんに謝りました。
もう一度愛するという選択をさせてもらおうと決めました。
それはまたこれからも 毎瞬 毎瞬
訪れつづける選択だと思います。
私は自分勝手なところもあります
自分だけが可愛い、大切だというところもたたあると思います。
そんな時、身近にいる本当に大切な人たちをついついおろそかにしてしまう時が私にはあります
きっとこれからも ちょくちょく見失うと思います
そんな時、今日読んだ本を思いかえそうと思います。
となんだか少し大人になったような気がした 今日の私かきまたでした。