第2話 処刑を待つ少年 2
「俺の名はディル。君の名は……と、その前に」
男――ディルと名乗った男は、ローブの中へと右手を突っ込んだ。
ハヤトが「助ける」と言ったこの男の容姿を眺めると――ディルの右手は素手のままだが、左手は革の手袋を付けていた。
「ん?何かあるのか?」
ディルの口調は――明るい。
答える気力が乏しいハヤトは、ディルの問いに答えることも出来ない。
「これ……いるだろう?水だ」
ディルは取り出したのは、防水加工の施された携帯用の革の袋。中には水がたっぷりと入っているのだろう。たぴたぷと音を立てながら、たんまりと膨らんでいる。
ハヤトの喉がゴクリと動く。
昨日から何も口にしていない。飲みたい――早く、早く飲みたい。
「焦るな。一気に飲むのはダメだぞ。ゆっくりな」
袋の口の部分は、飲みやすいように金属の吸い口がついている。
ハヤトは今にも死にそうな顔をしていたことが信じられない素早さで、ディルへと身を乗り出した。
「……ぐぅっ!!」
当然――そんな動きをすれば全身の傷が疼く。ハヤトは呻くハメになった。
「生きたい気力はわかった。今、飲ませてやるから」
ディルがハヤトの体をゆっくりと壁に寄り添わせ、吸い口をそっと口へと当てた。
「いいか。ゆっくりだぞ」
ディルが何度も念を押すのにはわけがある。
ハヤトが吸い口にかぶりつき、中の水を飲み干さんと再び身を乗り出した。
「気持ちはわかるが急ぐな。お前さんはここ数日はまともに水も飲ませてもらってないんだろう?
そんなところへこんな大量の水を流し込んだら、空っぽの腹が驚いてしまう。
とにかくゆっっくりと飲め。いいな」
そうは言っても、本能からの生きるための要求に今のハヤトの理性が勝てるはずもない。
吸い口にかぶりつき、一気に袋の中の水を喉へと流し込んだ。
だが、喉にはまるで異物でも支えているかのように、大量の水は逆流し、ハヤトは口から激しい咳とともに吐き出してしまった。
「げほぉ、ごほっ、がはっ、がっ……ぐぁ……」
咳とともに体が大きく揺れ、ハヤトは激痛で再び顔を大きく歪めた。
「言わんこっちゃない。こんなに怪我をしてりゃ、咳ひとつでも激痛で苦しむハメになるだろうに……」
ディルの他に、もう一人の連れも、ハヤトを心配そうに覗き込んでいる。
「こっちは俺の弟でな。名をルゥという」
ディルが顎をしゃくり、後ろで屈んでいる連れを紹介した。
ルゥがフードを取る。
銀色の髪。緑色の瞳の――細面の少年の顔が姿を現した。
「ルゥだ。よろしく」
声音がまるで少女のように高い。変声期はまだらしい。
呆然とハヤトはルゥの声を聞いていた。
「お……れは……は…や……と」
「ハヤト……?」
ディルが聞きなおすと、ハヤトは小さく頷いた。
「ハヤトか……不思議な響きの名だが……」
水を得たことで、少しだけだが――ハヤトは声を出せるほど、喉を潤すことは出来た。
「ど……して、おれを……たすけ…る?
じょうけんとは……なんだ?」
ようやく話せるまでになったハヤトは、この変わり者――得体の知れない二人、ディルとルゥに、「条件付きで助ける」という話の、「条件」を問うた。
「そうだな。ある人物の……代わりをしてもらいたい。
それも君のこれからの人生をかけて。ようはその人物に成り代わって欲しい……ということだ」
言いにくそうにしていたが、ディルは苦笑を浮かべてそう説明した。
「わか……た」
「……いいのか?君の一生を左右することだぞ?」
ディルは即答したハヤトの答えに、驚きで目を瞬かせた。
「ど……せ、明日には……しぬだけ……だ。それが……いきのびる……ちゃんす……なんだ。どっちでも……おなじ…だ」
「そうかもしれんが……」
「ただ……おれの……じょうけんも……きいて……くれ」
「おう、なんだ?」
ハヤトがディルの顔を、見上げる。
「かたき……をうつ。このくにの……おうをころす……それだけは、かえられない」
「それで一週間前に、第五王子を狙ったのか。王と間違えて」
合点が言った――という感じのディルに、ハヤトは何も答えなかった。
「ならば俺たちの条件は、君の仇討ちとやらに手を貸してやれるだろう。
詳しい話はここでは出来んが……どうだ?やるか?」
「あぁ……やる」
ハヤトの答えには迷いがない。
ディルやルゥに見せる挑むような瞳の輝きは――その光を増している。
それだけでもハヤトが本気なのだと理解出来た。
「では……やろうか……。
正直ここでは、ゆっくりとこれ以上の話は出来んだろう。
もう少し落ち着いたところで話をしたいからな」
ディルが不敵に笑う。
そして――手袋を嵌めている左手を、ハヤトの右足へと伸ばし。
拘束している足枷を握り締めた。
次の瞬間。「バキン」という音が響き――信じられない力で、ハヤトの足首を覆っていた鉄製の輪っかが破壊されていた。
続けて左足首の輪っかも破壊される。
「どれ。次は……」
分厚く――両手首の動きを妨げている手枷。
ディルの左手は、それを容易に掴み――握り壊す。
「……あんた……」
「まぁ…詳しいことは後でな。
まずは……ここから逃げ延びることを考えようぜ、ハヤト」
驚くハヤトを尻目に――ディルはハヤトの体を軽々右手で抱き上げ――まるで大きな荷物を抱えるかのように、右肩へと担いだ。
「しばらく我慢してくれよ」
ディルはそうは言ったが――担ぎ上げられた衝撃で、ハヤトの傷が痛み出し。
ハヤトはすぐには答えられずに呻いていた。
「悪い、悪い……と、おいでなすったな」
まったく緊張していない――まるで状況を楽しんでいるようなディルの声。
ハヤトがなんとか首を上げると、ハヤトを遠くから監視していた警備の兵が数名こちらに走ってくるのが見えた。
「ルゥ……頼む」
「任せろ」
ルゥは小さい声でディルに答えると――警備兵たちに右手を上げ――そのまま兵士たちは、何されるわけでもなく、その場に倒れ込んでしまった。
「な……なんだ? 」
「ああ、簡単な催眠の術だ。気にするな」
そんなことを言っても――呆然とするハヤトに、矢継ぎ早にディルが話しかけてきた。
「いいか。口をしっかりと閉じていろ。でないと、舌を噛むぞ」
「そんな……こと言っても……」
「ならばこれがいい……」
これから何が始まると言うのか?
ハヤトがディルに問いかけようとすると、強制的に、ルゥに口へと何か布のようなものを押し込まれてしまった。
「いい格好だな、ハヤト。では行くとするかっ!! 」
「……ぐぅ……が」
ハヤトの反論も言葉にならず。
ディルはハヤトを抱えたまま走り出し――ルゥもすぐにその後に続いた。