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第七話

 数日後、葉月市

 ルシフェルが、そのことに気づいたのは、もしかしたら偶然だったのかもしれない。

 いや、間違いなく偶然だろう。

 茶道教室の帰り、何とはなしに角を一つ、まがり間違えた。

 「あれ?」

 どこかで見たような気がする。

 「?」

 鳥居に掲げられた額を見て、ようやく思い出した。

 あの神社だ。

 しかも、楽の音が聞こえてくる。

 「……」

 ルシフェルは、袖に仕込んだ霊刃を確認すると、境内に足を踏み入れた。

 

 桜森神社

 「どうぞ?」

 「ありがとうございます」

 ルシフェルは、一礼の後に茶に口を付けた。

 加減が見事だった。

 湯は熱すぎずぬるすぎず、苦みも甘さも絶妙な加減で抑えられている。

 「あ、おいしい」

 それがルシフェルの本音だった。

 「まぁ。うれしい」

 軽やかに笑うのは同じ年頃の巫女だった。

 「確か、ルシフェルさんといいましたね。外国の方ですか?」

 「今は、日本に帰化しています。えっと、松笛さんでしたか?」

 「はい。松笛詩織です」

 巫女らしい清楚さと年頃の可憐さを併せ持つ少女。

 きっと、羽山君の言っていた「詩織さん」が彼女なんだろう。

 「あの、近々、お祭りがあると聞いたんですが」

 「お祭り?」

 「違いましたか?」

 「……ああ、奉納舞のことですか?あれは違います。内々のことで、別に屋台が出るようなお祭りではありません」

 「そうなんですか?」

 「でも、不思議ですねぇ。内々のことですし、知っている人も限られるはずなんですが」

 「羽山君から聞きました。私、お友達なんです」

 「羽山さんから?」

 驚いた表情の詩織の目が、途端にルシフェルを値踏みするようなそれに変わる。

 「何ですか?」

 「いえ?羽山君も隅に置けないなぁって」

 袂で口を覆いながらクスクス笑う詩織。

 「え?」

 「恋人、じゃないんですか?」

 「違います」

 「まぁ……」

 「わ、私は別に心に決めた人が……」

 「あら?そうでしたの?」

 「はい。羽山君とこの前、ここで会った時、神社の人が誰もいなかったから、不思議だったので」

 「あ、あの日ですね?もうっ。羽山さんったら。出かけるって伝えておいたのに。肝心な所で聞き逃すから。羽山さんって」

 憮然としながらぼやく詩織が言った。

 「でも、羽山さん。かなり上達してくれました。おかげで奉納舞は心配なさそうです」

 「そうですか。でも、奉納舞って、どんな舞なんですか?」

 「鎮魂の舞です」

 「鎮魂……?」

 「はい。悲恋の末に死んだ女性と、その亡骸を護り続けて命を落とした狐の霊を慰める舞です。だから、女性が巫女、狐が男です」

 「狐が女性に恋していた?」

 「そうです。鋭いですね。ルシフェルさん」

 「へぇ……」

 


 葉月市某交番

 「あら?巡査長、おいしそうなもの食べてるじゃない」

 「これは警部補。食べます?」

 スチール椅子に腰をかけた理沙の前に、タッパに詰め込まれたいなり寿司が出された。

 「奥さんの?」

 「ええ。自分が好きだからっていいますけどね?単にオカズを造るのが面倒になってるだけですわ。長年連れ添ってるからわかります」

 「どれ?あ、おいしい。私。結構好きなのよ」

 「警部補、確か一時、京都へ配属でしたな」

 「ええ。任官したての頃ね。伏見稲荷なんてよくいったわ」

 「向こうも物騒なことになったそうですね」

 「ええ。ヒドイもんよ」

 「物的証拠も何もない。目撃情報もなし。ははっ。狐につままれたみたいですか?」

 「だから稲荷をつまんでやってるのよ」

 「上手い!」

 ひとしきり笑った後、巡査長は言った。

 「警部補、ご存じですか?この辺にも大きな稲荷があるの」

 「稲荷?」

 「ええ。昔は葉月稲荷って、かなり有名だったらしいですけど、今世紀に入ってからは、すたれたそうです」

 「へぇ?稲荷なんてあちこちにあるから、そんなに関心もったことないけど」

 「ま、普通はそうでしょうね。縁起としては、こんな話ですわ」

 巡査長は語り出した。


 倭建命の東征の折り、相模国(現在の神奈川県)から上総(木更津市付近)に向かって、現在の三浦半島から房総半島へと船で渡ろうとしたが、海の神が波を立てて船を進めなくしたため、倭建命は進退が窮まった。

 そこで、后の弟橘媛が自ら命に替わって入水すると、波は自ずから凪いだ。七日後、姫の櫛が対岸に流れ着いたので、御陵を造って、櫛を収めた。

 古事記に書かれた伝説である。


 しかし、弟橘媛の死について、葉月稲荷には異説がある。


 弟橘媛は、倭建命に出会う前から一匹の狐に見初められていた。

 この狐は、東征に向かう媛を慕い、兵士に化けて倭建命の一行に付き従うと、媛を護るため、人外の力を駆使し、一行を影ながら助けた。

 しかし、その力故、狐は周囲から疑われ、そしてある時、狐であることを一人の兵士に見抜かれ、一行を追われた。

 どうしても媛を諦めきれない狐は、海の神をだまし、船出を止めようとした。

 東征を失敗させ、姫を倭建命から奪うために。


 しかし、それは凶と出た。

 

 媛は、海の神への供物として自らの命を差し出し、帰らぬ人となった。

 倭建命へも、狐へも。

 狐は泣き叫び、海の神に怒りをぶつけた。

 媛を返せ。と。

 媛は供物にあらず。

 我が命そのものなり。と。


 海の神は、供物となった媛の命をついに返さなかった。


 返したのは、媛の亡骸だけ。

 それを受け取った狐は、海の神への憎悪と、そして自らの振る舞いの結果に涙し、そして、長く媛の遺骸を護り続けた。


 葉月稲荷は、その狐を祀ったものだ。

  

 「そんな、縁起です」

 「倭建命なんて、一般教養というか、精神訓話の時にしか知らないけどさ。ま、日本全国津々浦々、いろいろ伝説があるんでしょう?」

 「そりゃそうです。英雄ですもの。縁やゆかりがあれば箔がつきますからね。だから、これもその一つ。ま、今の山の手に神社がある程度で、今じゃ、誰も知りません。その程度の話です」

 「にしても、海神と交渉する狐って、何者?」

 「その後、大陸にわたって九尾の狐になって、とって返して日本に来たなんて話もありますよ」

 「大がかりすぎ。何ソレ」

 「本当に……はい。お茶、どうぞ?」

 「それが封じられたのが那須野ヶ原の殺傷石ってわけ?」

 「そうみたいですけどねぇ……」

 



 東京都千代田区某所

 「何で今頃わかったの?」

 それが、水瀬の正直な感想だった。

 「しょうがないでしょう?あの「穴」の一件にしても、文献あさりにあさってようやくだったのよ?あの件の調査の途中でわかったんだから」

 居並ぶ職員の中から声があがった。

 「君、代わりにやってみるか?あの文献の山をあさる作業」

 ここの文献倉庫は、水瀬の記憶している限り、東京ドーム3個分はあったはずだ。

 「私は三年間、太陽の光を見ていないぞ?すばらしい職場環境だろう」

 「……それが、皆さんのお仕事じゃないんですか?」

 

 「事件が起きてから「探せ」と言われるんだ!次々事件を引き起こしては我々にどれだけの迷惑をかけているのかわかっているのか!?」

 別な職員が席を蹴った。

 「あの戦争以前から継続されていた調査だって、200件近くが停止、または再開のめどすらたっていない。その中で私達がどれだけ!」

 「資料調査部」と呼ばれる部署職員による抗議の大合唱を耳を塞いでやり過ごした水瀬は、呟くように言った。

 「僕が悪いんですか?」

 「君が悪い!」

 「……なんで?」

 「誰が悪いかわからないからだ!」

  

 数時間後―――

 「ううっ」

 悪くないことで散々絞られた水瀬は、へとへとになって部屋を出た。

 「お疲れ様」

 出迎えてくれたのは、父由忠の秘書官だった。

 しっかりテッシュの箱を差し出す当たり、そつがない。

 「うぇぇぇぇぇんっっ!美紀さぁぁん!!」

 水瀬は彼女に抱きつくと泣き出した。

 「みんなで僕をイジめるぅ!」

 「はいはい。ほら。お鼻ふいて。はい。ちーん」

 「ちーん」

 「はい。涙ふきふきしたら、次よ?」

 「次?」

 「お召しよ」

 「やだぁ!もっと怒られるもん!」

 「ガンバれ。おとこのこ(はぁと)」


 

 ルシフェルの日記より

 水瀬君が関係部署をたらい回しにされ、吊されていることは知っている。

 私は無関係。

 よかった。

 巻き込まれなくて。

 

 今日は茶道教室。

 不思議。

 お茶が美味しくない。

 先生が煎れてくれたお茶、初めての時はあんなに美味しく感じたのに。

 自分の体調を確認してみる。

 脈拍、正常。

 体温、平均。

 四肢、その他の感覚器、正常。

 ヘンなモノを食べた覚え……ない。

 おかしい。

  

 表面上は平静に務めたけど、これには私も驚いた。

 単に、苦いだけ。

 湯の加減も私には合っていない。

 先生、間違えたのかな?


 「あら?お菓子、変えたのですか?」

 お弟子さんの一人が言った。

 「この前の方がお茶に合いましたのに」

 「済みません。いつものお店が急にお休みになりまして、仕入れ先を変えました」

 「あら。やっぱり朧月堂さんが一番ね。あのお店じゃなきゃ、和菓子は美味しくないわ」

 「でも奥様?この前、京都の名店で食べた和菓子。美味しかったですわ。朧月堂もあのお店には勝てませんわ」

 「やっぱり、京都ですわねぇ」

 ……食べたかったな。本場の和菓子。

 「作り手が違うだけで、料理やお菓子って、かなり味が違いますからねぇ」

 別なお弟子さんの、感心したような言葉に、私は気づいた。

 そう。

 これは前にもあった。

 思い出したくないけど、そう。

 あの時だ。

 

 水瀬君の造った料理を、初めて食べた時。

 その前の日、私が作ったのと同じメニューだ。

 食べてみて驚いた。

 全然、味が違う。

 同じ材料しか使っていないのに、何で?

 本当に不思議だった。

 

 それと同じだ。

 

 作り手が違うだけで、すべてはこうも違ってくる。

 

 お茶も、煎れる人が違うだけで、こうも違うのか。


 


 桜森神社

 「あ、ルシフェルさん」

 驚いた表情の詩織に、ルシフェルは言った。

 「お願いがあってきました」

 

   

 

 旧都筑邸地下室跡

 「何で僕がこんなメに……」

 水瀬は半分泣きながら地下室の床にツルハシを振り下ろした。

 理由は簡単。

 この地下室にある鍾乳洞に用があるからだ。

 こういう仕事は、他にやる人がいてもいいはずなのに、なんで僕ばっかりやらされるんだろう。

 ある方に、

 『苦労は若いうちに買ってでもしろといいますよ?』

 と言われたけれど、何かが違う気がする。

 

 ガコンッ

 

 ツルハシを数回振り下ろした結果、床に水瀬一人が通れるだけの穴が空いた。

 「さて、と」

 ツルハシを床に置いて、水瀬は穴の中へと身を躍らせた。




 桜森神社

 「そんなコツがあったんですね」

 「今では忘れられたことですけど、昔は常識だったんです」

 神社の奥の間で、ルシフェルは、湯の加減からはじまり、一通りの茶の煎れ方を詩織から学んでいた。

 

 成る程。

 

 ルシフェルは思う。

 

 形式は教えられるけど、こういう経験に基づくことは理屈じゃない。

 体に覚えさせるものだ。

 だから、今の「教室」では教えようがないんだろう。

 ほんのちょっとしたコツだったんだ。

 でも、もし、これを知りたかったら、それは地道な努力で体得するしかないし、現に私もマスターしたとはいえたものではない。

 明日、同じ事が出来るかと聞かれれば、自信がない。

 きっと、目の前のこの子も、何度も茶を煎れることでこれだけの技術を身につけたに違いない。と。


 

 「時の流れが速すぎるせいか、皆さん、昔から伝わることをすぐに忘れてしまうのです」

 詩織は本当に寂しそうに言った。

 「日本で茶の湯が始まったのだって、ほんの500年程のことです。ほんの500年ですよ?確かに電気ポットとか、ペットボトルとか、お茶を巡っていろいろな技術も生まれたのだって、たかが50年と立っていないでしょう。でも、どんなに技術が進歩しようと、大切なことは、何も変わっていないと思うんです」

 「相手のことを思って煎れる―――ですか?」

 「そうです。その本質がどうしてそんなに軽く見られるようになったのか、私にはよくわかりません。こののままでは―――」

 「このままでは?」

 「皆、地獄に堕ちます」

 「地獄?」

 気がついたようにルシフェルを見た詩織は、慌てたように言った。

 「ルシフェルさんは違いますよ?ちゃんとそれに気づいているんですから」

 「でも、気になりますよ?」

 「これはあくまで私の考えですが」詩織は、断りを入れてから続けた。

 「人間の営みって、個個人という、点で構成されるものでははありません。

 あくまで、時の流れの中で連綿とつながる、時代時代をつなぐ線で構成されるものです。

 それなのに、今はどうでしょう?

 拝金主義経済が幅を利かせ、人間が技術を進歩させ続ける現在、その線はズタズタです。

 直したいと思っても、もう、直しようがないのかもしれません。

 けど、でも、戻したいと思うのも人情だと思います」


 「でも、それも歴史―――ですよ?」


 日本人の美徳


 それはもう、消え去りゆくものだと、ルシフェルも日本に来て思い知らされた。


 ルシフェルだって思うことがある。

 アメリカ的価値、拝金主義、それが日本を汚している。

 だからだ。だからこうなった。

 全く、アメリカなんて大嫌いだ。

 なんてあの国は迷惑な存在なんだろう。

 ルシフェルは憮然として、肩の古傷に手をやった。


 まぁ、自分がそうだからかも知れない。

 詩織さんの言い分もわかる。


 だけど―――



 「人類の歴史上、断えた伝統、国、文化、たくさんあります。時の流れの中で、消えゆく物は消える。そういうことだと思います」


 そう。

 人類は全てを伝統として受け継いでこられたわけではない。

 絶えたものだって、いや、絶えた方が多いはずだ。


 「でも―――」詩織は言った。


 「そうやって消されていく物達の思いは、どうすればよいのでしょうか?」


 「……」

 「消されていくのは、単なる形あるものだけではありません。かつて、この国を支えていた人の心もそうです。連綿と続く歴史の中で培われてきた大切な遺産です。それを、時の流れと斬り捨てるには、あまりに残酷ではありませんか?」

 「……そう、ですね」


 日本に来る前を思い出した。

 日本人とはこういうものだ。

 そう、聞かされたのは、和を重んじ、公正な人々の姿だった。


 だが、現実は―――


 「難しい、ですね。誰も、戻せないですよね」


 出来ることなら、元に戻って欲しい。徳のある、立派な国民でいて欲しいというのは、ルシフェルも本音として持ってはいる。


 自分が命を捧げた皇室が代表する天下国民、それが世界に誇れる存在であって欲しい。


 決して、皇室を貶めるような存在であってくれるな。


 それが、近衛騎士としてのルシフェルの本音だ。

 

 「だから、私、神様にお願いしているんです」

 「何を、ですか?」

 「危険なことですよ?」

 「?」


 「世界を、永遠に、中世に戻してくださいって」


 それは、本気なのか冗談なのか、ルシフェルにはわからなかった。


 

 鍾乳洞内部

 鍾乳洞の横穴の奥。かつて智代と魔境を串刺しにした場所。

 そのさらに奥の壁の端に何とか通れる穴を通り、別な鍾乳洞を通り、半日かかって水瀬は目的の場所にたどり着いた。

 「はぁーっ。やっと着いた」

 水瀬の目の前には、漆黒の闇に隠れるように古びた(やしろ)があった。

 「なんでこんな厄介なモノを封印したことそのものを忘れられるのかなぁ」


 ――本当に、ニンゲンはいい加減だ。


 水瀬はそう呟くと、社の封印を確認した。

 「やっぱり、ねぇ……」

 鳴瀬さんの件でもそうだった。

 封印にとって最も恐るべきは、中身じゃない。

 時間だ。

 封印の力も、時と共に弱まる。

 こと、時の流れの中で、封印が完全に無事であるという保証なんて、誰にも出来はしない。

 何かの原因で封印が破壊されることを、封印を行った者は覚悟しておかなければならない。

 それは、この業界では常識のはずだ。

 だからこそ、どこに何が封じられているか、きちんと把握されていなければならないのに。

 それを怠った結果がこれだ。

 

 封印は、破れていた。


 

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