第四話
天野原骨董品店
「よく来たわね」
悠理を出迎えてくれたのは、かのんではなく、かみねだった。
「あれ?かのんは?」
「地下室でお馬さんごっこで楽しんでいるわ」
「?へぇ。かのんも子供っぽいところあるんですねぇ」
「このあと、空中グルグルして遊んでもらうけどね?」
「メリーゴーランドみたいなものですか?」
「駿河問いっていうの。楽しいわよ?見ていて」
見ていて。に力を入れたのが何故かわからない悠理は、勧められるままに紅茶に手を伸ばした。
「それで、昨日の約束ですけど」
「ああ?有益な情報ね。どんなのがいい?」
「は?」
「そうね?魔族の人界侵攻作戦については200億、魔界の帝室絡みのゴシップについては15億、人界でのゲート開放実験は大負けに負けて80億よ?」
「……孫からお金とるつもりですか?」
「私、商人だから」
「帰ります」
「そのまま帰ったら、今、手をつけた紅茶代とテーブルチャージ料払ってもらうわよ?」
「……あの、ですねぇ」
「払う?」
「いくらです?」
かみねは黙って指を五本出した。
「はい」
チャリンッ
かみねの前で五円玉が存在感をアピールするように回転する。
「……今時、小学生だってやらないわよ?」
かみねはつまらなそうに紅茶に口を付けながら言った。
「真実は、タダじゃ手に入らないのよ」
「……真実がいいことばかりじゃないってことはわかります。で?」
「やっと本題に入っていいみたいね」
「そのために来たんです」
「もうっ。この程度の冗談くらいさせてくれないなんて。あなた、やっぱり由忠の子だわ」
ブツブツ文句を言ったかみねはフォルダから写真を取りだした。
「これ、なんだかわかる?」
「能面?」
「そう。結構な高級品なのよ」
「それが?」
「これが元凶なのよ。わからない?」
「はい」
「この能面については、まだ語ることは出来ないわ」
「へ?」
「その方が面白そうだもの」
「あの、ですねぇ……」
「今、あなたの周囲で起きている騒ぎの元凶。それがこの能面だと知っておけば、今のところは、何も問題にはならないから」
「そんな無茶な……」
「無茶でも何でも、私が面白ければ、それでいいの」
「どうしようもなくなったら、手助けしてくれます?」
「してあげてもよくてよ?」
「じゃ、その時はお願いします」
「よろしい」
悠理の心境なんてものに何ら関心を持たないかみねは満足そうに続けた。
「―――といっても、このままじゃ、わざわざあなたに来てもらった意味がないわ。ヒントになるかしらね。まず一つ」
かみねは写真を玩びながら言った。
「これは呪具です」
「……」
「二つ。面は全部で8。それぞれに意味がありますけど、全てがそろってこそ、本当の意味を発揮します。三つ。この面にはそれぞれ、防御能力があり、ある種の不用意な振る舞いを面の前で行った者を殺傷します」
「……不用意な、行い?」
「面を破壊しようとしたり、面を傷つけるような行為―――としておいて。そんなところね」
「……あの」
水瀬はかみねに訊ねた。
「霊糸が、その攻撃方法ですか?」
「そうよ?よくわかったわね」
「それが騒ぎになっているんです」
「あら?そんなに不用意に面に接するお馬鹿さんがいるの?」
「……知りません」
「成る程」
かみねは少し考えた後、言った。
「逆にいえば、防御能力を逆手にとって武器として使う者がいる―――ということね。カワイイじゃない」
「なにがですか?」
「霊糸の破壊力は知っているでしょう?それを使いこなせるなんて、あなた、内心ではうらやましいと思っていない?」
「そ、それは―――」
「ま、いいわ。つまる所、あなたのように、その力に魅入られた人もいるわけよ」
「そんなの、まともな神経の持ち主じゃないです」
「そんなこと言って良いの?」
「何がですか?」
「魅入られたのが、誰なのか、もう、察しがついてもいい頃なのに」
「?」
「教えてあげましょうか?気分が良いから、タダでいいわ」
「……誰です?」
「風間祷子。あんたにとって初恋の、最愛の、そして初めての女。これでいい?」
水瀬悠理の独白
僕が彼女と出会ったのは、近衛の前線司令部。
まだメサイアが前線で戦えた終わりの頃。もう、小型妖魔にメサイア部隊が翻弄され始めていたっけ。
「お疲れ様。どうぞ?」
今でも忘れられない。
司令部でぼっとしていた僕にお茶をくれたんだ。
その言葉が初めて聞いた彼女の声。
きれいな人だった。
長い髪としとやかな瞳。
清楚で可憐で、一目で好きになった。
何をしていても、いつも彼女をみていた。
微笑む顔を見るだけで嬉しくて、
悲しそうな顔を見るだけで涙が出て、
怒っている顔を見るだけで世界を破壊したくなるほど腹立たしくなる。
そう。
あの頃、僕にとっての世界は、彼女のことを意味していた。
彼女がいるから、世界がある。
彼女がいなければ、世界に意味はない。
本当に、そう思って……ううん。信じていた。
風間祷子
メサイア第二中隊第三小隊副長。
メサイア部隊でもかなりの実力者だと、後で知った。
でも、
メサイアを駆ることが出来ても、それでも、彼女が戦場にいるのは、何だか似合わない気がした。
だから、ある時、僕は彼女に聞いた。
「祷子さんは、何で戦うの?」と。
祷子さんは答えた。
『あなたにも、護りたいものがあるでしょう?』
彼女はそう言った。
でも、僕はそれに答えられなかった。
戦う理由なんて、考えたことがなかったから。
『気づかないだけよ。はやく気づけるといいわね』
祷子さんは、そう言ってくれた。
だから、彼女からの宿題のように感じて、僕は一生懸命考えた。
僕の戦う理由。
死にたくないから?
――だったら逃げればいい。
誰かに命じられたから?
――最初から命じられたわけじゃない。
――じゃ、なんのため?
僕は、魔族なんてどうでもよかった。
人が何人死のうが、知ったことじゃなかった。
魔族は種としても上位。
人はいずれ死ぬ。
それ以外に、何がある?
彼女は言った。
「私はね。命令とかじゃないの。陛下と日本を―――ううん、人類を護るためよ。
人類が滅んだら、音楽だってなくなるもの」
「音楽?」
「そう。私、近衛に所属しているけど、いつか、私は音楽家になりたいの」
「へぇ」
「これでもバイオリンの実力はそこそこあるんだから」
はにかみながら言う祷子さんに、僕は言った。
「聞いてみたいなぁ」
それは、心からの願い。
戦いと違った祷子さんの姿を、僕は見たかった。
だから、言ったんだ。
「祷子さん、一曲でいいから、聴かせて?」
祷子さんの答えは簡単だった。
「平和になったら、聞かせてあげる」
「平和に、なったら?」
「そうよ」
祷子さんは言った。
「戦いの中で、戦いに関わる意味で、演奏できないもの」
「そういうものなの?」
「そう。だから、早く、こんな戦争は終わらせなければならないの。砲声や断末魔じゃなくて、心から楽しめる音楽が満ちあふれた世界に」
「祷子さん―――」
「だから、だから、私はね?」
祷子さんの眼は、目的を持つ者の、強い意志を秘めた光を宿しているのを、僕は確かに見た。
「音楽を生み出したこの世界のために戦うの。この世界が生み出した大切な財産だもの。みんなの大切な財産を、今、そして、次の、ううん。ずっとずっと後の世代まで受け継いでもらうために、私は戦う。そう、決めたのよ」
そうだ。
祷子さんは、愛するものを護るために武器を手にしたんだ。
だから、祷子さんは強いんだ。
護るべきものがあって、そのために戦うから―――。
じゃ、僕が愛するものって、何?
僕は、何を愛しているの?
わかんない。
全然、わかんない。
それが、すごくすごく惨めに思えた。
だから聞いた。
「僕も、そのお手伝い、出来るかな」
「悠理君は強いもの。十分手伝ってもらってるわ」
「だと、嬉しいな」
「みんなは、みんなのために戦うの。だから、悠理君が私の護りたいもののために戦ってくれたらね?巡り巡って、私も悠理君の護りたいもののために戦うことになる。私は、そう思えるの」
「もちつもたれつ……だっけ?」
「そういうこと」
祷子さんの笑顔が言わせたんだ。
そう思う。
僕は、言った。
「だとしたら凄く嬉しい」
「うん」
「祷子さん、大好きだから」
「……え?」
僕は、祷子さんの返事の前に、祷子さんの前から逃げ出した。
そんなに走ったわけじゃない。
それなのに、なんでこんなに心臓がバクバクしてるんだろう……。
翌日、僕は別任務で早朝から出撃。
祷子さんは単独で哨戒任務に出ることは知っていた。
単に哨戒というけど、騎士達からは「死刑判決」と忌避された任務だ。
理由は簡単。
小型妖魔が集団でメサイアを襲う戦術を採り始めたから。
それまでの大型妖魔との組織戦とは全く違う攻撃。
蟻の集団に取り憑かれた象が死ぬように、メサイアといえど、この攻撃の前にはひとたまりもない。
何騎のメサイアが犠牲になったか、僕にはわからない。
ただ、メサイアの戦線への投入が、この日を最後に無期限で停止される予定になっていたことがどういうことか。
答えとして十分だと思う。
メサイア投入が無期限停止。
つまり、祷子さんも後方に下げられる。
いいことだ。
いいことなのに……。
僕は、それがとても寂しかった。
なぜかわからない。
でも、二度と祷子さんに会えなくなる気がして、それが、とても寂しかったんだ。
祷子さんが出撃して4時間後、あたりは夕方になっていた。
司令部に戻ってきたら、大騒ぎになっていた。
祷子さんが殺られた。
そう、聞こえた気がした。
僕は、樟葉さんへの帰投報告も忘れて、祷子さんが消息を絶ったポイントへ向かった。
丁度、峡谷の中間。
脇腹に妖魔の大きな角を突き刺された近衛のメサイアが擱座していた。
左腕がシールドごと数百メートル飛ばされ、足は両脚共にちぎれている。
でも、生体反応がある。
パイロットは生きている。
そう!
祷子さんは生きていた!
メサイアが大型妖魔に破壊されただけ。
擱座したメサイア周辺は、半径数百メートルにわたって地面が見えないくらい、妖魔の死骸だらけだったから、祷子さんの実力を思い知らされたのも本当のことだけど、それ以上に、祷子さんの生存が嬉しかった。
メサイアに取り付けられた通信機で祷子さんと会話が出来た。
祷子さんはメサイアのコクピットから出られないという。
祷子さんは、コクピットの一部に足をはさまれていたんだ。
なにより、脱出装置が作動しない。
逃げられない。
そして―――
突然の地響き。
見ると、暗闇を縫って、妖魔の大群がこちらに向かってくる。
数は数千、ううん。数万の大群。
虚飾じゃない。
実際に記録がそうなっているから間違いない。
「逃げなさい!」
祷子さんは僕に言った。
「私にかまわず、逃げなさい!」
「やだ!」
それは、僕が初めて祷子さんの言葉に背いた瞬間だった。
「わがままいわないで!」
「言ってるのは祷子さんの方!」
僕は言った。
「祷子さんに死なれたくないんだもん!」
生まれて初めてのことだった。
僕は、誰かを護るために刀を抜いた。
死に物狂い。
それはバカのすることだと思っていた。
ずっとそう思っていた。
僕が、そんなことすることはない。と。
でも、僕はそれをやった。
何をどうしたのか、ほとんど覚えていない。
救援に駆けつけた樟葉さんから聞いた所によると、樟葉さん達が駆けつけた時には地形が一変していたというから、随分、派手にやったんだろう。
幸い、祷子さんの足の傷はたいしたこともなく、メサイアコントローラーの誰かと一緒に、前線司令部に帰還する事が出来た。
僕は、それが嬉しかった。
祷子さんが生きていてくれるだけで、僕にとっての世界が生き残ってくれたから。
その夜、
僕は祷子さんの部屋に呼ばれた。
そして、僕はこの夜、オトコになった。
祷子さんが教えてくれたから。
とても痛がっていたけど、でも、祷子さんは僕を受け入れてくれた。
気が付くと、それから毎晩、僕は祷子さんを抱いていた。
祷子さんを抱く度に、祷子さんが僕のものになってくれるようで、抱きたくて仕方なくなって、
そして―――
僕は、祷子さんに溺れていった。
後悔していなかった。
祷子さんが遊びで僕に体を許すはずがないことを、僕は信じていたし、祷子さんは最後まで裏切らなかったから。
そして、あの夜が来た。
「これで最後ね」
祷子さんは笑顔でそう言った。
「え?」
意味がわからなかった。
「……私達、後方に下がることになったの」
「……そう、なんだ」
全身から力が抜けた。
もう、祷子さんは戦わなくてすむ。
それは、とてもとてもすばらしいこと。
だから、お祝いしなくちゃならないのに……。
祷子さんは泣いていた。
それにつられたのか、僕も泣いた。
あなたと離れたくない。
祷子さんは、そして僕は、そう言って泣いた。
泣くだけ泣いて、抱き合えるだけ抱き合って、迎えた朝。
「必ず、生きて帰ってね」
僕は祷子さんからのキスと一緒に、その言葉をもらった。
「うん」
お互い、涙を隠しての精一杯の笑顔で別れた。
トラックの荷台から手をふる祷子さんの笑顔。
それが、僕が見た祷子さんの最後の姿だった。
戦争中、何度か祷子さんから手紙をもらった。
僕もヒマさえあれば手紙を書いた。
だけど、
祷子さんが近衛を退団したこと。
音大生として海外留学したこと。
僕は、人づてにそれを知らされた。
どうして、僕には何も言ってくれなかったんだろう。
それが、僕は悔しかった。
だから、僕も手紙を書かなくなった。
でも、
でも、
どうしても、会いたかった。
もう一度、愛し合いたかった。
祷子さんが、欲しかった。
それが、僕が一年戦争を戦った、本当の理由。
そして戦後―――。
僕は、祷子さんが犯罪者になっていたことを知った。
罪状は機密漏洩及び脱走。
発見次第、殺傷すべしとの命令付きで……。