第十一話
水瀬悠理の独白より
あの神社にたどり着いた時、すべてが終わっていたって桜井さんに言った言葉は、実はウソ。
僕は桜井さんが斬り殺されるのを、黙って見ていた。
だって。
あんな所へノコノコ出ていった桜井さんが悪いでしょ?。
だから。
桜井さんが死ぬ少し前のこと。
神楽殿では、雅楽の音にあわせて巫女が舞っていた。
詩織さんだ。
それは、巫女の精神を一種のトランス状態にして、霊を降ろしやすくするための手段。
人間がよくやる手だ。
でも、間違っているはず。
何かが違う。
狐は目の前にいる。
目的は、狐の力のはず。
ならなぜ、狐を放置している?
狐に何もしない理由は?
ううん。
それより、なぜ、狐がここにいる?
狐は、じっと待っていた。
何かを、ずっと待っていた。
まるで、主人の帰りを待ち続ける犬のよう。
え?
帰り?
狐がその長い生涯で、唯一、主と認めたのは誰だっけ?
弟橘媛
……そうか。
僕は、そこまで考えが及んで、はじめて理解できた。
この舞の意味が。
それは、狐そのものへの働きかけを意味していない。
意味するのは、狐の主への働きかけ。
弟橘媛の降霊の儀式。
うわ。
確かに成功すれば、狐はいうこと聞きまくりだろう。
あの人、考えたなぁ。
そう思った矢先のことだ。
狐に近寄っていく影があった。
桜井さんだった。
何をするつもりなんだろう。
そう思って見ていたら、なんと桜井さん。狐を抱きかかえて逃げ出した。
その瞬間、舞が止まり、桜井さんは真っ二つ。
へえ。詩織さんて、騎士だったんだ。
それにしても、詩織さんもバカだ。
狐がいなくなったことに気づくなんて、舞に集中していなった証拠。
つまり、舞っていても、トランス状態にはなかったことになる。
それじゃ、この舞に意味がない。
儀式は無駄。
ここまでお膳立てしたあの人、どこか抜けている。
そして、桜井さんは、死んだ。
水瀬からの通報を受けた樟葉とルシフェルが現場に到着した時、日付が変わっていた。
鳥居をくぐったすぐ先。
そこには、倒れている二人の女性がいた。
桜井美奈子と、松笛詩織。
美奈子の服は血まみれ。石畳にもおびただしい血痕が残っている。
樟葉もルシフェルも、美奈子の死を疑わなかった。
「……桜井さん、どうして」
蒼白な顔のルシフェルの声は震えている。
「止める前に殺されたけど、今は生きている」
「どういうこと?」
「あの子が助けたんですよ」
樟葉の問いかけに、水瀬は、石畳の横に置かれたベンチの上で眠る女の子を指さした。
年の程は4歳くらい。
緑色の髪。髪の色はともかく、髪の長さや顔立ちは、どこか美奈子を連想させる。
「誰?」
「九尾の狐」
「はぁ!?」
あの時、
九尾の狐は、美奈子の血を嘗めたことで、美奈子が死ぬぎりぎりのところで、美奈子と「血の契約」を結んだ。
主となった美奈子のために狐がしなければならないこと。
それは、主の蘇生。
だが、
「おのれ!獣の分際で我に逆らう気か!?」
怒りをあらわにした詩織の体から、霊体が浮かび上がる。
源静
ちなみに、の●太の妻ではない。
「獣ならば獣らしく、我が意にしたがっていればよいものを!」
静の霊体が狐めがけて襲いかかろうとして―――
「うっ!?うぉぉぉぉぉぉっ!!」
水瀬曰く『まるでゴミが掃除機に吸い取られるよう』に、静は襲いかかった狐の体に吸い込まれ、消えた。
「吸い込まれた?」
「狐の最も強力な力、「吸収」ですよ」
水瀬は何でもない。という声で言った。
「ただ生きていれば強くなるなんてことはないです。長い年月の中、狐が強くなっていった理由は、その力。相手の能力を吸収し、自分の力とすることで力を付けていったんです。狐族の上級種に特有の力ですね」
「じゃ、静かは」
「そう。ルシフェ。狐に取り込まれた。もう、静本人は存在しない。あくまで、狐の力の一部としてしか、ね」
「それってすごく危なくない?」
「で、その力と、長年ため込んで、そして、使える力を使って、狐は主、つまり、桜井さんを蘇生させたんだよ」
「だからどうやってよ」
その質問に、水瀬も上手く答えることが出来なかった。
水瀬自身、蘇生の場に立ち会ったのはこれが始めてだ。
何しろ、真っ二つになった美奈子の亡骸の上に座った狐が突然、周囲を圧する位の光を放ち、気がつくと、美奈子の体は元通りに、そして、狐のかわりに女の子が皆この上に座ってたのだ。
それを、水瀬自身、上手く説明できない。
「半分以上推測だけど、桜井さんの魂を、静と同じように吸収して、その間に肉体を再生、それと同時に、肉体へ魂を送り返したんだと思う」
「―――つまり?」
樟葉は考えがまとまらない。という顔で言った。
「桜井さんを食べて、また戻したってこと?」
「そうです」
「……ゲロみたいで嫌な話ねぇ」
「桜井さんが聞いたら気を悪くしますよ?」
「ま、どっちにしろろ、狐は無害に近いの?」
「それはこれからの問題」
「?」
「ルシフェ。僕たち魔法騎士もそうだけど、魔力を完全に使い果たすと、どうなるかは知っているでしょ?」
「精神面で破綻を来たし、廃人に―――」
「狐もそう。今、僕は蘇生をものすごく簡単に説明したけど、魂のやりとりである蘇生が、どれだけの魔力を消費するものかといえば、例えれば天照大神を肉体に降ろす位の困難なこと。九尾の狐、静、共に今の魔力は少ない。だからギリギリの所だったんだよ。主を助けるため、静を含むほとんどの魔力を消耗した狐にも影響が出ていることははっきりしている」
「影響って?」
「起きてみなければ何ともね」
くしゅんっ
水瀬のウィンドブレーカーにくるまって寝ていた女の子が目を覚ました。
それからが大変だった。
目を覚ました途端、ぐずりだした女の子を―――
「樟葉さん!止めてください!」
「ったく、このバカ息子。何やっているのよ……ほら。お姉さんの所いらっしゃい」
数分後
「だめ!ルシフェ、何とかしなさい!」
「樟葉さんって―――」
数分後
「また寝ちゃったみたい」
女の子を抱きかかえたルシフェルが、ボロボロにへたばっている樟葉と水瀬へ小さく言った。
「そ、そう」
「よかったね」
「こ、近衛の筆頭の私が敗北するなんて―――」
樟葉は納得できない。という顔でぼやく。
それを横目に、水瀬がポツリとつぶやいた。
「樟葉さん、主婦なんて絶対無理ですね」
「どういう意味だ?」
「―――ともかく、静のもう一人の犠牲者を助けてあげましょうか」
「あっ」
悠理の言葉に、樟葉が驚きの声を向けた先
そこには、詩織が倒れていた。
顔には未だ、面がつけられたまま。
「面の魔力はもうないね」
「狐が復活したから?」
「多分、これすらも使い果たしたんだと思う」
「蘇生って、そんなに魔力がいるんだ」
「さて。生きているのかな?」
水瀬が詩織の顔から面を取り上げた途端、
水瀬は凍り付いた。
「どうしたの?」
水瀬の肩越しにのぞき込んだルシフェルの目に映し出された詩織。
それは、詩織ではなかった。
顔立ちはよく似ているが、詩織よりやや大人びている。
「この人、誰?」
水瀬は、絞り出すような声で答えた。
「―――祷子さん」