AI小説を見分けてみようと思ったら普通に面白かった話
最近、小説家になろうのランキングをぼんやり眺めていると、AI小説について書かれたエッセイをちょこちょこ見かけるようになった。パソコンの画面をスクロールする指が、ふと止まる。
テーマは、AIを使って小説を書くことについて。
AI作品にはこういう特徴がある、こういう文章はAIっぽい、こういう書き方をしていたら、たぶんAIだろう、とか。
ほうほうほう。
私は部屋のマグカップを手に取り、ぬるくなったコーヒーを一口すする。何を隠そう、私はAIをバンバン使って小説を書いている人間だ。だから、こういう話が出てくると、もう吸い寄せられるように読みにいく。
だってまさに、自分が日々パソコンの前でやっていることだから。
「なるほどねえ」
「へえ、そういうところを見るのか」
「そうそう、AIに書かせると確かにそうなるときあるんだよね」
膝を打ちながら、思わずニヤニヤしてしまう。画面の明かりに照らされながら、楽しく読んでいた。そして、ふと思った。
──じゃあ私は見分けられるのか?
私は普段、ChatGPTを主に使っている。最初のころはGeminiを中心に使っていたし、今はCopilotにも参加してもらっている。無料枠を順番に回しながら、三台のAIを作業パートナーとしてフル稼働させている状態だ。
たぶん私の作品にはAI独特の出力の癖も出ているはずだ。同時に、私自身の執筆の癖もふんだんに出ている。
「AI直接入力」とタグがついている他の人の作品を読んだら、もしかして分かっちゃうんじゃないか?
ちょうど小説家になろうの利用規約も変わって、AIを使っている場合には、その利用状況を表示する仕組みができた。これは絶好の機会じゃないか。
同じ「AI直接入力」の表示をつけている人たちは、どんな文章を書いて投稿しているんだろう。
「よし」
椅子に座り直し、マウスを握りしめた。
最新投稿順のページを開き、「AI直接入力」の作品を上からバーッと追いかけていく。だいたい二十作品くらい。
◇
読んでみた、面白かった!
いや、違う。
そうじゃない。
私はAI小説を見分けに、いわば鑑識官の顔をして読みに行ったのだ。
「これはAIっぽい無味乾燥な文章ですね」
「この畳みかけ方はChatGPTだな」
「この描写の切り口はたぶん別のAIかしら」
そういう分析をしに行ったはずなんだ。ところが、ディスプレイを見つめる私の目は、いつの間にかすっかりただの読者になっていた。
「あ、これ面白い」
「へえ、こういうふうに展開させるんだ」
「この作者さん、こういう性癖があるんだな」
「お、この天気の情景、すごく綺麗に頭に浮かぶな」
「この人の文章、どっしりしてて良い感じだな」
「このラブコメ、女の子たちがキャッキャしててめちゃくちゃ可愛いな」
……おかしい、私は何をしているんだ。冷めきったコーヒーのカップを抱えたまま、画面の前で呆然とする。AIかどうかを見破るどころか、物語に引き込まれて普通に感動している。
しかも、画面の向こうにいる会ったこともない作者の顔や熱量まで勝手に妄想し始める始末。いつもの私の読書スタイル、そのままである。
そして二十作品ほど読み終えたところで、私は項垂れた。
結論。
AIが書いたのか、人間が書いたのか。
さっぱり分からなかった。
ここで私はハタと気づいた。そもそも、「AI直接入力」って作品の頭に書いてあるじゃん。つまりAIが使われていることなんて、読む前から100%分かっている。
なのに私は画面を食い入るように見つめながら、これ、人間が書いた文章なのかな?みたいな難しい顔をして悩んでいたのだ。
違う、違う。
AI直接入力って書いてあるんだから、AIなんですよ。どこをどう見てもAIなんです。
なのに頭の中では、「人間が書いたと言われても全然分かんねえな……」と思っている。ここで、思わず自分の額を押さえた。
あ、私がバカなんだ。
……いや、諦めてはいけない。たぶんバカというより、そもそも私が見ている視点がズレているのだ。「AI直接入力」の作品を読んでいると、もちろん作者ごとの個性や癖はひしひしと感じる。
この人はこういうテンポで会話を書くんだなという違いは、なんとなく分かる。でも、「この文章はAIだから、こういう特徴がある」という機械的な法則性には、気付けない。
そこで私は一度画面を閉じ、AI作品から離れてみることにした。今度は、五年以上前から小説を書いているプロやベテラン作家さんのページへと飛んでみた。
昔からランキングの上位に君臨している人。書籍化して、書店の棚に本が並んでいる人。私が実際に単行本を買って、大ファンとして追っている作家さんたちだ。
総合ランキングの一位、二位、三位、四位、五位。もう、夢中になってバーッと読んだ。久しぶりに触れる名作もあった。
「やっぱりこの人、情景の切り取り方の癖が強いな」
「めちゃくちゃ面白い」
「この二人の挙式はいつ見れるの!?」
ニヤニヤしながら、心の中で盛大にツッコミを入れて読む。そして、胸を踊らせた余韻のまま、もう一回「AI直接入力」の作品に戻ってみた。
……。
やっぱり分からない。
画面に並ぶ黒い文字の羅列を前にして、首を傾げる。どれが機械の弾き出した言葉で、どれが人間の指先から生み出された言葉なのか。私には、やっぱりよく分からないのだ。
「この丁寧すぎる説明口調は、なんとなくChatGPTっぽい気がする」
「この情景描写の広げ方はGeminiっぽいかな」
と思う瞬間がゼロではない。でも、それだって「絶対にそうだ」と言い切れる確信なんてどこにもない。
何より──
どれを読んでも、最後は「ああ、面白かった!」という満足感で終わってしまうのだ。なんなんだ。私は一体、何を検証しに行ったんだ。
◇
さて、ここには私自身の「文章の読み方」や「世界の捉え方」が深く関係していると、立証できない【妄想仮説】を立ててみよう。
最近、うちの息子がASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けた。
療育の先生と話をしたり、専門書やネットで色々調べたりしているうちに、ふと自分の胸に手を当てる機会が増えた。
「あれ……?」
もしかして私自身も、ASDっぽい特性がかなり強くあるんじゃないだろうか。あるいは、気が散りやすかったり衝動的だったりするADHDっぽいところもあるのかもしれない。
もちろんこれは病院で診断を受けたわけではない。あくまで私自身の感覚的な自己分析の話だ。
そんなことを考えるようになって、自分の日頃の文章の読み方や、世界がどう見えているのかを振り返ってみると、思い当たる節がいくつもあった。
私は、文章をかなり文字通りに受け取るタイプの人間だ。画面や紙に書いてあるものは、書いてあるそのままの意味として読む。
そこに「書かれていない背景」や「暗黙の了解」を、勝手に補完して推しはかるのが、昔からあまり得意ではない。
だから子供のころから、人が言うお世辞や嫌味を皮肉として受け取れず、そのまま言葉通りに受け取ってしまって浮くことがあった。冗談も良く分からない。
文字として提示される文章だったら、なおさらだ。
もちろん、物語の文脈は読む。
登場人物たちの前後関係も読む。
作られた世界観の設定も頭に入れる。
でも、ここには一言も書かれていないけれど、この漂う行間の空気を感じ取ってくださいみたいな、アンダーラインの引かれていないニュアンスを察する話になると、途端に難しくなる。
だから、私にとって「読みやすい文章」には、かなり明確な基準がある。
文章の構造が整理されていて分かりやすい。
今、その場で何が起きているのかが明確に描写されている。
誰が、どういう理由で、何を考えているのかが、ある程度きちんと言葉としてページ上に提示されている。
そういう文章は、私の頭にするりと入ってくる。逆に、
「この何気ない一言には、実はキャラクターの複雑な過去の意味が込められていて……」
「ここで急に雨が降り出したのは、前のあの場面の絶望感と呼応していて……」
「直接は書いていないけれど、この世界の裏設定を踏まえると実は……」
となると、「すみません、誰か解説書をください!」となるのだ。
実際、以前ものすごく人気があって絶賛されている小説を読んだことがあった。私はごく普通に読んだ。ストーリーも追えたし、普通に面白かった。
ところが、読後にネットの感想欄を見に行くと、
「ここでの主人公の沈黙が素晴らしい」
「この作家は、行間でこれだけの感情を表現している」
「あえて言葉にしないことによって、物語に途方もない奥行きが出ている」
といった、熱量のこもったレビューで溢れ返っていた。私はそれらを読んで、「……マジで???」と目を丸くした。
そして、解説書を片手に持つような気持ちで、もう一度その小説を読み直してみた。
「あ……! 本当だ! そういうことか!」
膝を打った。主人公がなぜあの時あの場所で言葉を呑んだのか。その行間に隠された切ない意図が、パッと目の前に広がった。めちゃくちゃ面白かった。
……いや、これ、読解力のある人なら最初から自力で気づけよという話なのかもしれない。でも、当時の私にはどう頑張っても無理だったのだ。その感想を書いた人の視点を借りて初めて、「この場面、そんなに深い意味があったのか!」と知ることができた。
もちろん、それは感想を書いた人の深読みや独自解釈という可能性もある。でも、それも含めて私には最高に刺激的で面白い体験だった。私はたぶん、そういう「教えてもらって開眼する」読み方をする人間なのだ。
自分一人では文字の隙間から拾い上げられない宝ものを、誰かが「ここに落ちてるよ」と指差して教えてくれる。
すると、「ああ、見えた!」となる。
知らなかった世界が一段深くなり、物語の景色がガラリと変わる。これはこれで、読者としてものすごく楽しい時間なのだ。
だから今回、AI小説を見分けようとして、私は逆に自分の特性に気づいてしまった。
私はたぶん、「人間が書いた文章にしか宿らない、独特の温かみや息遣い」みたいな、目に見えない文様の波長を読み取るのが、あまり得意ではない。
もちろん、人の感情が分からないわけではない。
切ない場面を読めば胸がギュッとなって涙を流すこともある。魅力的なキャラクターを大好きになることもある。
「この作者さん、絶対にこういうフェチやこだわりがあるんだろうな」と想像を膨らませてニヤつくことだってある。むしろ、そこは人一倍やる。
ただ、私の場合、それは画面上に書かれている具体的な言葉やエピソードという「情報」を拾い集めて、パズルのように組み立てていく感じなのだと思う。
見える人には、たぶんハッキリと見えるのだろう。
文章そのものの言葉だけでなく、その背景にある空気感。
作者があえて書かずに削ぎ落とした行間。
部屋の温度や匂いまで伝わってくるような雰囲気。
計算し尽くされて配置された言葉の伏線。
登場人物たちが背負ってきた、語られない過去の重み。
そういう目に見えない要素を全部つなぎ合わせて、
「だから、このたった一行がこんなに胸に刺さるんだ」
と読める人たちがいる。羨ましい、私もその景色を見てみたい。
まとめよう、AI小説を見分けるという大口を叩いて、二十作品くらいを読み漁った。そのあと、人間のベテラン作家さんの作品もランキング上位からいくつも読んだ。
私のたどり着いた感想は、「よく分からん!」だった。そして、大きな満足感とともに画面を閉じながら思った。「でも、どれもめちゃくちゃ面白かったな!」だったのだ。
なんだったんだろう、この時間。




