第六話「"鞭撻"のローデット」
王宮、講義室前。
ティエスは扉の前に立った。
沈黙が流れた。
ティエスはくるりと背を向けた。
無言のジルと目が合った。
「やればいいんでしょ、やれば……」
ティエスが扉を開けると、室内の老婦人と目が合った。
意志の強い瞳が、眼鏡の奥からティエスの姿を捉えている。
髪は高齢から白く色が抜け、されど、しっかりと整えられている。
腰の曲がりもなく、むしろ直立。衣服の着こなしに乱れの一つも見当たらない。
「来ましたか。ティエス・ワールウィンド」
老婦人の片手に持つ教鞭が、ぴしりともう片方の手のひらに響いた。
「掛けなさい。教育を始めます」
━━これは、確かにめんどくさそうだ。
ティエスは、老婦人が指し示す席へと歩みを進めた。
机の上には、教本や筆記具が用意されている。
少し離れた位置に、小机が置かれていた。
筆記具を並べた侍従が一人座っている。
侍従の手には羽ペンが握られている。
ティエスが席に着く。
ジルは、ティエスの後方となる壁際に移動すると、腕組みをして壁に背を預けた。
記録の侍従がジルをちらりと見て、何か言いたそうな顔をしたが、そのままティエスたちの方へと視線を向け直した。
「お初にお目にかかります。ローデット・マイエルと申します」
老婦人、ローデットの簡素な自己紹介が終わる。
「まずは━━」
ティエスは、卓上の教本を手に取ってぺらぺらとめくった。
ローデットがティエスの席に近付く。
「返事をしなさい。ティエス・ワールウィンド」
ティエスが流し見ていた教本に、ローデットの影が落ちる。
「入室から着席まで。ここまでの態度・所作。まるでなっていません。不合格です」
ティエスは顔をあげた。
ローデットと目が合った。
「あなたの口は飾りですか?それとも耳が?」
「いいえ。すみません」
「『申し訳ありません』」
「申し訳、ありません?」
ティエスは、とても帰りたかった。
「『申し訳ありません』」
ローデットが首を横に振って、同じ言葉を再度促す。
「申し訳ありません〜」
ティエスが口を尖らせながら答える。
わざとだった。
愛想を尽かされた方が早いと計算した。
と、
ばちん。
ローデットの教鞭が、ティエスの手を打ち据えた。
「いった?!」
「語尾は伸ばさない。態度・所作がなっていません。身につくまでは何度でも繰り返します。そのつもりで」
「むっ」
ティエスはカチンときた。
「態度・所作がなんだっていうんです?!やれ言葉遣いだ、服装だ。貴族らしくしろ、女らしくしろ!言葉は手段だ、伝わればいい!遠回りな表現で煙に巻くことの何が美徳だ!服は道具だ、動けたらいい!歩きにくい服装をすることに何の意味がある?!!」
ティエスは叫んだ。ドレスの襟元をつまんだ。
ローデットの教鞭が、彼女の手の内でしなる。
ティエスはローデットをまっすぐ睨んだ。
ローデットの瞳がティエスを見つめ返した。
「質問に答えましょう。ティエス・ワールウィンド」
ローデットは言葉を紡ぐ。
「私がこの場で衣服を全て脱ぎ捨てて、全裸になったとしましょうか。あなたはどう思いますか?」
「え、っと。すげーびっくりする」
ティエスは呆気に取られつつ答えた。
「今日はいい天気です。服など着ずとも良いでしょう。暖かいのですから。違いますか?」
「それとこれとは、話が違うんじゃないかなって……?」
ティエスは混乱しながら答えた。
「そうですね。では、次。ティエス・ワールウィンド。あなたから見て、私はどのような人間に映りますか?」
「頑固なおばあちゃん。真面目そう。潔癖。口うるさい」
ティエスは思ったままに答えた。
侍従は、記録を書き留めるべきか否か迷い、羽ペンの先が揺れていた。
「それはなぜ?あなたと私は初対面。あなたに私の何が分かると言うのですか?」
「なぜって、そりゃ……喋り方とか、着こなしとか━━」
━━それは、礼法だ。
ティエスは言葉の途中で黙り込んだ。
口元に手を当てて考え込んだティエスを見て、ローデットは目尻をゆるめた。
「はっきりと言っておきましょうか。ティエス・ワールウィンド。あなたを取り巻く環境はとても厳しいものであると」
ローデットは告げる。
「あなたの言動は、否が応でも耳目を集める。世間はあなたの器を測ろうとするでしょう。器を測るには、どうしたらよいでしょうか?人々はあなたを知りません。あなたの中身を知りません。見えるのは中身ではなく、容れ物の器」
ティエスは顔を上げた。ローデットの顔を見た。
ローデットは、ティエスの瞳に理解の色が浮かんだと分かった。
「礼法は鎧。作法は剣。社交の場は常在戦場と心得なさい」
「分かった。分かりました。……先生。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」
「『よろしくお願い申し上げます』」
「━━『よろしくお願い申し上げます』」
ティエスは筆記具を手に取り、メモ書きを始めた。
ローデットは口元をゆるめた。ティエスは手元に視線を向けて気付かなかった。




