第三話「鴨見亭」
王都の夜は明るい。
石畳に灯りが落ち、行き交う人々の影が長く揺れる。大通りにさしかかると、楽器の音や笑い声が漏れ聞こえてくる。
トーリが案内したのは、冒険者ギルドの隣に建つ年季の入った食事処だった。
「ここだよ。鴨見亭」
入口に、鴨の形を模した看板が掲げられている。
古びてはいるが、丁寧に手入れされているのが分かる。
「カモ……すげー名前」
「老舗だよ。昔はここらにも鴨がよくいたんだってさ」
トーリは周囲を見回した。
通りは石畳に舗装され、高い建物が並び建っている。今の景色からは想像もつかないが。
「入りましょう」
ジルが無造作に扉を押し開けた。
中に入った瞬間、酒場の喧騒がどっと押し寄せてくる。
焼けた肉、香草、酒の匂い。
そして人の熱気。
ティエスは思わず半歩退いた。
「あ、王子様だ」
すぐに給仕の娘が目敏く近寄ってくる。
「こんばんは。今日も賑やかだね」
トーリは慣れた様子で挨拶を返した。
カウンターの奥のマスターが、一行にちらりと視線をやり、軽く片眉を上げた。
「ご飯にする? お酒にする? それとも、ワ・タ・シ?」
「いつも通りご飯だけ」
トーリは軽く受け流した。
そのまま、ティエスに視線を向ける。
ティエスは入口脇のメニュー看板に吸い寄せられるように歩み寄り、じっと考え込んでいた。
ジルはすでに空いた席へ向かっている。
「これは難しい問題だぞ」
ティエスが唸りながら呟く。
「私はお任せセットでいいです」
ジルは即決だった。
ティエスは眉間に皺を寄せたまま、看板と睨めっこしている。
「じゃあ、ぼくもお任せセットにしようかな。ハズレないし」
「私はこれがいい!デカ盛り肉丼!……おい、デザートもあるぞ?どうしたらいい?!」
「食べてから考えた方がいいですよ」
ジルは淡々と返した。
トーリは苦笑しつつ、給仕の娘に注文を伝えた。
・・・・・・
「お待たせしましたー」
まず運ばれてきたのは、ジルのお任せセットだった。
焼き鯖が一尾。香ばしく焼けた皮に脂が光っている。
焦がしたとうもろこし。粒を軽く炙って、醤油を垂らしたもの。
それから、葉物野菜のサラダ。
ジルは、さっと献立を見て、無言で頷いた。
「お待たせしました♡」
次に運ばれてきたのは、トーリのお任せセットだった。
白身魚の香草焼き。淡い身に細い焼き筋が入り、刻んだ緑が散っている。
豆と根菜の温サラダ。豆の丸と根菜の角を、温い湯気がなでる。
きのこのマリネ。大小の切り身が小山を作り、黒褐色の傘が、まだら模様を描く。
そして、薄く切った濃色のパンが二切れ、木皿に重なっている。
「ありがとう」
トーリは笑顔で礼を言った。
「あれ?」
ティエスは二人の配膳を見比べて首を傾げた。
「どっちも同じ注文だよね?なんで内容が違うの?」
「そりゃ、お任せだから」
いわく、何が出てくるかはマスターにお任せなセットである。
ある程度、注文した人の好みに寄せてくれるらしい。
「へー。私もそれにしたらよかったかな」
「ティーは好きなもの頼んで正解だったと思うよ。まだ何が好物か分からないと思うし」
「ふーん」
「お待たせしましたー」
最後にティエスのデカ盛り肉丼が運ばれてきた。
大きな丼に、分厚い肉。
たちのぼる湯気は、焼きたて、炊きたての証。
粒の立った白米は艶やかで、肉汁とソースがじんわりと白と琥珀の境界を溶かしていく。
「うひょー!いただきます!」
「いただきます」
「いただきます」
食前の祈りもそこそこに、ティエスは箸をつけた。
トーリとジルは落ち着いて食べ始める。
「うっま」
ティエスは幸せそうに肉を頬張った。
・・・・・・
しばらく、食器の音だけが続いた。
ティエスは肉を噛んで、噛んで、噛んで、水を飲んだ。
肉の塊はまだ半分以上残っている。
ティエスは箸を置いて聞いた。
「トーリはここ、よく来るのか?」
「うん。ギルドの隣だし。便利だよ。稀少な魔獣の討伐があれば、持ち帰った素材を調理してもらったり」
「ほー!いいね!」
「うん。今度、収穫があったら一緒に」
「私も冒険者になれるかな?」
唐突だった。
トーリの言葉が一瞬止まる。
「おすすめはしない。どうして、か聞いても?」
「面白そうだから」
「なら、ダメだね」
ジルが無言で頷いた。
「なんで?!」
「ティーがどう思っているかは分からないけど、冒険者なんていいものじゃない。よほど腕が立つか、それ以外に選択肢のないような人間がなる。強くもない、そのままでも生きていける━━君が、わざわざ選ぶ理由がない道だ」
トーリは淡々と言葉を紡ぐ。
ジルも無言で頷いた。
トーリは、ティエスが反発するものと思った。
ティエスは、しばらく口元に手を当てて考え込んでいる。
トーリはコップを手に取り、口をつけた。
「どうしても、ダメか?」
ティエスは、おずおずと身を乗り出して聞いた。
トーリは咽せた。彼の庇護欲に直撃した。
「みんなそうだ。やってもいないのに決めつける」
「お嬢様。やりました、できませんでした。で、済む話と済まない話がありますから」
ジルは釘を刺した。
そして、トーリに視線を向けた。援護射撃があるものと思った。しかしトーリが黙り込んだので、ジルは少し眉をひそめる。
「まいったな」
トーリは軽く両手をあげて笑った。
「ぼくは、叶えてあげられる君の願いはなんでも叶えてあげたいと思ってる。そして、ぼくには君を冒険者に推薦する資格がある」
「トーリ、あなたまさか、」
ジルが目を細めた。
「本当か?!」
ティエスが、ばんっ!とテーブルに両手をついて立ち上がった。
「ただし、条件を付ける。ひとつはぼくと一緒にパーティを組むこと。もうひとつは、きちんと礼法の講義を受けること。サボっちゃ、ダメだよ?」
トーリはウィンクした。
ティエスはげんなりした顔をした。実際、サボる気だった。
「……ムーディッヒは嫌がるだろう。が……」
ジルは独りごちた。
・・・・・・
「……くっ、悔しい。肉が目の前にあるのに……食べられないなんて……」
ティーの手は完全に止まった。
丼の肉は未だ存在感を残している。
「あらら。ティーにはちょっと量が多かったね」
トーリはいつもの笑みのまま言った。
ジルは無言で口元を拭っている。
「残すくらいなら、食う。食って、吐く!」
「いやいや、手伝うよ。ほら、ぼくって育ち盛りだし」
トーリは余裕を装ったまま、綺麗なナイフとフォークで肉を切り分け、自分の器へ移した。
「私はちょっと。流石にそれは肉肉しすぎなので」
ジルは食事を終えて、水を飲んでいる。
ティエスは椅子にもたれかかり、天を仰いだ。ふうう、と息が漏れる。
トーリは等間隔で肉丼をつつき、口へと運ぶ。笑顔は崩さないまま、首筋にうっすらと脂汗が滲む。
━━器用なんだか、不器用なんだか。
ジルはトーリの脂汗に気が付いている。
しかし何も言わなかった。




