第一話「誰が洗濯すると思っているのですか?」
「お嬢様。到着しました」
馬車が停まった。
否。馬車よりも、はるかに巨大。
客室と貨物室を併せ持つ大型車体を、馬よりも強靭な騎獣が引く。
それは騎車であった。
高位貴族御用達の、金のかかる乗り物である。
ここは王都、貴族街。
騎車は、とある館の門前に停まっている。
区画の隅に建つ、しかし敷地は広大な館であった。
メイド服姿の女性が、御者台からひらりと飛び降りた。
彼女は騎獣━━まるで地を這う竜の様だ━━の首を撫でて労った。騎獣は、人懐っこく頭部を預けてくる。
「お嬢様。さっさと降りてもらえますか」
メイド服の女性が、後ろに振り向いて声をあげる。
なおもすり寄る騎獣の頭をぽんぽん叩くと、彼女は客室へと向かった。
扉をガシッと開く。
ひんやりとした視線が、室内の主人を射抜く。
主人は、備え付けの長椅子の上に三角座りをしていた。
目が合って、一拍の間。
主人はそっと目を逸らす。
従者は、主人の襟元をつかんで室内から引きずり下ろした。
べちゃり。
と、氷菓のように令嬢が溶ける。
「あー……。かえりたい」
仕立ての良い生地の衣服が、通りの砂で汚れるのも構わず。
公爵令嬢、ティエス・ワールウィンドは脱力して這いつくばっている。
「どうぞ、お帰りなさってください。あなたの新居は目と鼻の先です」
メイド、ジルは淡々とした表情で、背後の館を親指で指し示す。
館は華美であった。
年季の入って古びた、人の気配のないそれは、立ち並ぶ他の館と比べても二回りは豪華だ。
ティエスは館の門を睨む。
うんざりだった。
王都も。社交も。婚約者も。
自分には、領地で、好き勝手しながら暮らすのが性に合っている。
ティエスは、いかにも貴族令嬢らしい装いをさせられていた。
似合ってないのに。
外によく出て、日焼けした肌。
髪は長く伸びた。錆びたような赤褐色。陽の光に鈍く艶めく。邪魔だから切りたいのに、止められる。
「早く片付けを始めないと。今晩は散らかった部屋で食事抜きのお休みになりますが」
ジルは無表情だ。
それが平常運転。
顎までの長さで切りそろえたオリーブ色の髪が風に揺れ、深緑の瞳が無感情にのぞく。
耳は僅かに尖っている。言われなければ気づかない程度の、ハーフエルフの輪郭。
「何が王都だ。何が礼法作法のお勉強だ。どうせ婚約破棄でもされて、僻地にでも追放されるのに」
ティエスはぼやく。
半分は愚痴で、半分は願望だ。
自分に王宮は適さない。僻地で静かに暮らしたい。
こんな人間が王族の嫁に望まれるものか、と。
「まさか。そんなことはしないよ」
声が割り込んだ。
乾いた笑みを含んだ、余裕の声。
いつからそこにいたのか。
館の影から、青年が一歩踏み出してくる。
整った顔立ち、無駄のない姿勢。服装は上等、装飾は少ない。しかし品がある。
ティエスは、心底面倒くさそうに眉間へ皺を寄せた。
「いたの?」
「そりゃあ、いるさ。愛しい婚約者殿のお出迎えに」
ティエスの婚約者。
名をトーリ・K・ユーシアという。
ユーシア王国の第三王子、王位継承権を持つ歴とした王族である。
トーリはティエスにウィンクをした。
ティエスは嫌そうな顔をした。
トーリは銀青の短髪を軽く遊ばせ、淡いアイスブルーの瞳を糸目に細めている。
いつも貼り付けたような笑みで、表情を読ませない。
「仮にも一国の王子に向かって、羽虫を見る目を向けるのは君くらいだよ。ほら、立って。それとも抱っこをご所望かい」
「チッ」
聞こえよがしの短い舌打ち。
ティエスは立ち上がると、軽く伸びをした。
ドレスの汚れを軽くはたく。
ティエスは館を見上げる。
「来ちゃったかー。王都」
ぽつりと呟く。
ティエスは合理的な性格だ。
状況も、自分の立場も理解している。
だから余計に腹が立つ。
「公爵令嬢だから」。
「女性だから」。
その言葉で、今までどれだけの選択肢が封じられてきたか。
やりたいことをやろうとすると、「相応しくない」と言われる。
動き回ると、「はしたない」と言われる。
反論すると、「かわいげがない」と言われる。
勝手に期待しないでほしい。
ティエスは一度、息を吐いた。
暴れたところで状況は変わらない。
ジルが肩をすくめ、トーリが微笑む。
騎獣は、ふわ。と欠伸をした。
こうして、ティエス・ワールウィンドは、王都に降り立った。
自由気儘に暮らしたい。本人はそう願っている。
だが、世間はたいてい、個人の願いなど聞いてはくれないものである。




