継子令嬢には理解不能なお花畑
場面は再びデュラフォア侯爵王都別邸の応接間へ戻る。
応接間ではソファ(上座)にエヴリーヌが、対面(下座)にナルシスが座り、扉横には2人の護衛騎士、部屋の隅には給仕係が一人控えている。なお、室外の扉の横にも2人の護衛騎士が控えており、ナルシスが暴れたりすれば即座に取り押さえる態勢が整えられている。因みに隣の控えの間にはエヴリーヌの弟リュシアンともう一人の主役ともいうべきシャンタル、そしていつの間にか帰宅していた夫オクタヴィアンもいる。
「それで、ラガルド伯爵令息は何をしに当家に参られたのですか?」
とっとと話を聞いて追い出したいとエヴリーヌは話を進める。大方の予想はついているが、継母に会わせるつもりはない。尤も場合によっては隣室にいる継母が登場することもあろうが。
「君に話すことはない。僕はシャンタルに話があるんだ。さっさと彼女を連れてきてくれ。全く、無理やり後妻にするような家の娘は話が通じないな」
無礼と不敬と非礼を重ねるナルシスに部屋の温度が下がる。鈍感で自分のことしか考えないナルシスは全く気付いていないが。
「お前のような、伯爵家の跡継ぎでもない無礼な男に、何故、侯爵夫人である気高く美しいお継母様が会わなくてはならないのかしら」
シャンタルに対する呼び捨てを止めないナルシスに怒りを抱いたエヴリーヌの言葉から敬語が消える。これまでは一応貴族子女同士であり年上だということも配慮していたが、この男にそんなものは必要ないと判断したのだ。
「だから、君じゃ話にならないから、シャンタルを呼べといってるんだ!」
いらいらとナルシスが叫ぶ。エヴリーヌがパチリと手に持っていた扇を鳴らすと護衛騎士がナルシスの背後に立ち首筋にナイフを当てた。
「いい加減、身分を自覚すべきね。貴方は何れ平民になる伯爵の子息。わたくしは何れ公爵夫人になる侯爵家の娘。そしてシャンタル様はわたくしの母にしてデュラフォア侯爵夫人なの。言葉にも気をつけなさい」
物理的な危険を感じてようやくナルシスは口を噤んだ。それでもまだ不満そうではある。年下の令嬢に咎められて不貞腐れるナルシスは全くもって大人げないとしか言いようがない。嘗てシャンタルが婚約者だったころ、侯爵令嬢だった彼女にもナルシスは自分が上位者のように振舞っていた。自分が婚約者に選んでやったのだから、何れは自分の妻になるのだからと。そんな驕りの延長線上でナルシスは『侯爵令嬢』には敬意を払わなかった。
「話の想像はつくわ。伯爵家の後継から外されて真実の愛のお相手との結婚生活も上手くいかない。だから、お継母様に、嘗ての婚約者に縋ろうというのね。自分と縒りを戻してほしいって」
今のナルシスの不遇は婚約破棄に起因する。だったら婚約を元に戻せば、シャンタルが自分の妻になれば、自分は再び伯爵家の後継者になれる。そうナルシスが考えていることなどエヴリーヌには簡単に想像がついた。想像はついたが何故そういう考えが出来るのかは理解不能だ。
「そうだ! シャンタルは僕のことを愛している。でも僕がアンナに誑かされてしまったせいで婚約がなくなった。でも僕は目覚めた! 真に僕に相応しいのはシャンタルだって判ったんだ。だから、シャンタルは強制された不本意な婚姻など直ぐに離婚して、僕の元に戻ってくるべきなんだ」
ナルシスの主張はエヴリーヌには、否、隣室を含め声が聞こえた者には全く理解不能な主張だった。シャンタルお継母様がこの盆暗を愛している? 強制された不本意な婚姻? 一体何を言ってるんだお前はと詰りたい。だが、エヴリーヌは務めて冷静に問いかけた。まずは5年前から気になっていたことだ。
「5年前から気になっていたのだけど、何故、婚約に関する主導権が自分にあると思うの?」
5年前の婚約破棄茶番劇のころから、ナルシスは自分がそう決めたら必ずそうなると思っている節があった。
「当然だろう。僕が一目惚れして婚約を申し出たから僕たちは婚約した。僕が望んだからそうなったんだ。だったら、婚約の解消も再婚約も僕の望むとおりになるのが当たり前だろう」
首にナイフを当てられたまま、ナルシスは何を言っているんだとばかりに自信満々に答えた。エヴリーヌたちにすれば、何を言っているんだお前は(2回目)である。
ナルシスにしてみれば、自分が望んだらその通りになった。だから、自分とシャンタルの関係は自分に主導権がある。そしてそれは婚約が一時的になくなった今でも変わらないと常人には理解不能な解釈をしているのだ。
「仮に婚約期間中はそうだったとしても、婚約破棄になった時点でその貴方に都合のいい主導権は消滅していることが判らないの?」
エヴリーヌは呆れて尋ねる。恐らく話を聞いている全員がナルシスの飛んでも理論に呆れ果てていることだろう。
「消滅などしていないよ。シャンタルは僕を愛しているんだから。僕に婚約破棄されて傷物になってしまったシャンタルは不幸にも厄介払いとばかりに15も年上の中年男の後妻にされてしまった。ああ、僕が捨ててしまったばかりに可哀想なシャンタル! でも、大丈夫。僕が迎えに来たよ。だから、共にラガルド伯爵家へ戻ろう。僕の妻になるんだから、僕が支払った慰謝料も迷惑料も返してくれるだろうし、そうすれば伯爵家の財産も豊かになるし、いいことづくめだ」
夢見るように語るナルシスにエヴリーヌはこいつは現実逃避しているのだなと感じた。
ナルシスは婚約破棄成立後、婚約破棄の慰謝料、茶番劇による名誉棄損の賠償金を支払っている。そのため、伯爵家から与えられていた個人資産と卒業後に与えられるはずだった祖母からの遺産の全てを失った。尤も、個人資産はアンナに宝石やドレスを買い与えていたためほぼ無くなっていた。個人資産が残っていれば、遺産を使い切ることはなかったはずだった。しかも遺産だけでは不足していたため一部は両親が立て替え、それは両親への借金となっている。つまり、卒業後ナルシスは無一文状態なのだ。伯爵家子息という立場はまだ保たれているため衣食住は保証されているが、彼自身に与えられる予算は借金返済のため回収されている。
結局のところ、ナルシスはシャンタルを愛しているから復縁を望んでいるのではなく、自分の経済的困窮の解消と社会的立場の復権のため、シャンタルを手に入れたいのだ。
さて、どうやってこのお花畑を枯れ果てさせるか──焼け野原にするかをエヴリーヌは思案する。多分、この自己中心男は自分ではまともに話を聞かない。不本意だが継母に出てきてもらうしかないだろうか。
「エヴリーヌ、後はわたくしが相手をするわ」
扉が開き、不穏な副音声を伴った麗しい声と共に、声と同じほど麗しく臈長けた女性──シャンタルが現れた。




