テンプレートなざまぁ男子の身勝手な後悔
ナルシス・ロジェ・ド・ラガルドは5年前まで、王立学院を卒業するまではこのラガルド伯爵家の嫡男だった。次期ラガルド伯爵になる予定だった。
けれど、たった1日の過ちで全てを失った。ただ自分は真実の愛に目覚め、偽りの愛によって結ばれた婚約者の罪を暴き、婚約破棄を告げただけだったのに。尤もたった1日の過ちと思っているのはナルシスだけで、結局はそれまでの積み重ねの結果、失うべくして失っただけなのだが。
ナルシスの婚約者はビュフォン侯爵家の末娘シャンタル・ミレイユだった。12歳のときに王立学院の入学前茶会で出会い、一目で気に入って父に頼んで婚約者にした。父も侯爵家と縁が持てることを喜び、直ぐに申し込んでくれて、3回の顔合わせの後婚約した。ビュフォン侯爵家は侯爵位の中では中程の家格、ラガルド伯爵家は伯爵位の中では上位であることから家格の釣り合いも問題なかった。特に政略的な旨味はないものの望まれて嫁ぐのは娘にとっても良いことだろうと侯爵が了承してくれたのだ。
それから3年して王立学院高等科に進んだころ、ナルシスは真実の愛に目覚めた。アンナ・ド・ダルセー男爵令嬢と出会ったのだ。
男爵家の次女としてのびのび育ったアンナは表情がよく変わってコロコロと笑いシクシクと泣く、天真爛漫な少女だった。淑女教育を終えたシャンタルは婚約したてのころのような子どもらしさが消え、貴族らしい令嬢となっておりナルシスはそれが不満でもあった。
ただ、その頃はまだナルシスもシャンタルとの婚約解消を考えていたわけではない。ダルセー男爵家は貴族とはいえ末端の末端、ほぼ平民と変わらない生活をしているようだった。流石にこれでは家格が違いすぎるとまだ貴族らしい考え方が出来ていたナルシスはそう判断していた。
しかし、人は易きに流れるものである。勉学よりも遊興を好み、お花畑な恋愛脳を持つアンナと親しくするうちにナルシスは徐々に変わっていった。いや本質はこちらだったのかもしれない。それを教育によって矯正していたものが元に戻ってしまったのだ。
そうして王立学院高等科卒業を控えたナルシスは考えた。元々シャンタルとの婚約は自分が彼女に偽りの恋をしたことによって成立した。だったら、真実の愛に目覚めた今、自分の都合で解消しても構わないはずだ。アンナによればシャンタルは嫉妬からアンナを虐げているというし、そんな心の醜い女を栄誉あるラガルド伯爵夫人にするわけにはいかない。次期伯爵夫人は自分が愛するアンナこそが相応しい。男爵家なら伯爵家との婚姻もギリギリ可能だ。
そんな甘い考えで、卒業祝賀会でシャンタルに婚約破棄を突きつけた。彼女の苛めという悪質な罪も暴いた。はずだった。
けれど、直ぐにシャンタルの罪は冤罪だと明かされた。シャンタルと、彼女の友人の公爵令嬢とその婚約者の第二王子によって。苛めはアンナの自作自演だと証明され、ナルシスとアンナの不貞こそが罪となり、ナルシス有責で婚約が破棄された。
実はナルシスがアンナと付き合い始めたころからシャンタルは徹底した自衛と証拠集めをしており、ナルシスが何をしなくても卒業後に婚約解消となる予定だったのだ。
醜聞を晒したナルシスは卒業後すぐに廃嫡された。次期伯爵は弟になり、ナルシスは弟が爵位継承したら平民になることが決まった。
醜聞をまき散らしたナルシスとアンナに結婚相手が現れるはずもなく、二人の婚姻は認められた。それからは王都別邸の片隅にある小さな離れで領政官になるための教育を受けながら暮らしている。アンナはメイドとしての教育を受けているが上手くいっていないのか、四六時中癇癪を起こして騒いでいる。
アンナにしてみれば玉の輿に乗るはずだったのだ。だから、ナルシスを煽てて自分に傾倒させ体も使って篭絡した。障害を排除するために婚約者に冤罪を掛けた。上手く婚約破棄から結婚へと至ったが、前提条件が変わってしまった。アンナは次期伯爵の妻になるつもりだった。ラガルド伯爵家はダルセー男爵家に比べたら大金持ちだ。次期伯爵夫人になれば自分を見下していた子爵令嬢や男爵令嬢に仕返しが出来、贅沢にドレスや宝石を買えると思っていたのだ。
なのに、断罪は失敗して、結婚は許されたけれどナルシスは将来平民になる。当然自分も平民になって、伯爵家の領地本邸でメイドとして働かされるのだ。目論見が外れて不本意な未来にアンナは不満を持ち不平をまき散らすのが日常となった。
そうなればナルシスとアンナの夫婦関係も上手くいかなくなる。二人の恋の絶頂は婚約破棄宣言をした瞬間で、それ以降は悪化の一途を辿ったのである。
「ねぇ、セバスチャン。シャンタルはどうしてるんだろう」
かつて自分が捨てた婚約者。確か、年の離れた貴族の後妻になったとメイドたちが噂していた。
デュラフォア侯爵家は特筆することもない、ただ身分だけの家のはずだ。そんなところの侯爵であれば、でっぷりと太り頭も禿げた狒々爺に違いない。15歳も年上だというし。ああ、僕が捨てたばかりに可哀想なシャンタル!
自分に酔っているナルシスに執事のセバスチャンは呆れる。セバスチャンは執事ではあるが実際にはナルシスの教育係であり監視役である。これは教育も矯正も不可能だなと判断し、1日も早く平民にして追い出すべきと伯爵に進言しなければと心に誓う。後嗣である次男も既に結婚し嫡男が産まれているのだから、まだ若いとはいえ早期に爵位を継承し、現伯爵が後見するという形を取りたいというのが現伯爵と領政に携わる者の意向だ。しかし長男に甘い伯爵夫人によって伯爵位の次男への継承が引き延ばされている。伯爵が夫人にべた惚れで甘いため、中々爵位継承が進まない。
しかし、この盆暗長男は何やら仕出かそうとしている。デュラフォア侯爵に喧嘩を売ってしまいそうだ。奥方を溺愛している侯爵ならば高値で買い取り叩き潰してしまうかもしれない。
そもそもこの阿呆な長男は何も理解していない。デュラフォア侯爵が狒々爺などとんでもない。オクタヴィアン・ピエリック・ド・デュラフォアは若いころには紅顔の美少年と言われ、成人してからはその美貌で社交界を賑わし、結婚した時には悲しみのあまり失神する淑女が大量生産されたという逸話の持ち主だ。歳を重ねた今は渋味も増し、細身ながらも鍛えられた体躯はナルシスの想像の対極にある。
それに身分だけの家だなどととんでもない。デュラフォア侯爵家は公爵家に次ぐ家格であり、定期的に王家の血を入れるほどの名家だ。領地は豊かな穀倉地帯だが、生産量の半分を王家が買い上げ備蓄し、残りの4分の1を輸出して外貨を稼ぎ、残りの4分の1を領民のための備蓄に回している。そのため一般市場には出回らないので、デュラフォア侯爵家が豊かな穀倉地であることを知らぬ者も多い。尤も真面な貴族家当主であれば当然知っていなければならないことだが。
「よし、僕が救ってあげないとね! きっとシャンタルは僕が迎えに来るのを待ってるはずだ。シャンタルが僕の妻になれば、僕がラガルド伯爵家の後嗣に返り咲けるはずだ!」
セバスチャンが思考の海に沈んでいた間にナルシスはとんでもない結論に達していたようだ。こうなったらナルシスは人の話は聞かない。突拍子もない行動をするから止めるのも難しい。
セバスチャンはすぐさま当主であり父である伯爵に報せ、伝手を辿りデュラフォア侯爵家にも『うちの廃嫡した馬鹿が押しかける可能性大です(意訳)』と連絡したのだった。




