9個目
芽衣子のお願いも、既に8個叶えられた。
ぼくはなかなか、いい彼氏になれてきたんじゃないだろうか。
残りのお願いは2つ。別に10個叶えたらもう終わりというわけじゃないけど、わざわざリストアップするくらいのお願いなのだから、そろそろ難しいやつでもいい。
「いーなあ、かわいい」
「なにが?」
昼休み、階段の踊り場。
スマホを見ていた芽衣子が明るい声でそう呟いたので、ぼくは首を傾げた。
芽衣子は笑顔で、ぼくにSNSの画面を見せてくれた。
「これ、子育てアカウントの呟きに集まった、子どもの頃のエピソード」
「ああ、そういうの微笑ましいよね」
「うん。その中にね、疲れて寝ちゃうと親が抱っこして運んでくれるから、わざと寝たふりをしてたっていうのがあって」
「子どもってそういうところあるよね」
「ね。かわいい」
「いーなあ、っていうのは?」
いーなあ、とは、羨ましい、ということだ。
子どもを欲しがるような年齢じゃないし、母親を羨ましがったとは思えなかった。
ぼくの問いかけに、芽衣子は目をうろうろさせて、恥ずかしげに笑った。
「うち、親厳しかったから。あんまりそういう記憶なくて。寝てたら抱っこして運んで貰えるなんて、ちょっと憧れちゃうなって」
なるほど。子どもの頃に叶えられなかった夢を、大人になっても忘れられないことはある。
芽衣子の願いは、子どもでなければできないことじゃない。
それなら。
「なら、それを9個目のお願いにしよう。ぼくが芽衣子のことを運ぶよ」
「ええっ⁉ 無理だよ!」
「なんで無理なのさ」
「だって……お、重いし……」
そりゃ、芽衣子はぼくより大きいけど。ぼくだって男だし、運べないことはないと思う。
「それに、寝ているところを運んでもらうことに意味があるんだもん」
「でも、寝たふりなんだよね?」
「だから、優斗は寝てると思ってて、でも本当は起きてるってシチュエーションが大事なの」
それを高校生のぼくらが狙ってやるのは、かなり難しいんじゃないだろうか。
でも、9個目のお願いに相応しい難度だと思う。
「とりあえず、起きてる状態で運べるかどうか試してみようか」
「え……む、無理、しないでね……」
「大丈夫だよ」
とは答えたものの。
「………………」
「ご、ごめんね。あたしが重いから」
「いや……芽衣子のせいじゃないよ。ぼくが貧弱なんだ……」
ぼくは、芽衣子のことを持てなかった。
割とショックだ。いや、よく考えたら当然だ。
ぼくは別に力持ちじゃないし、体力テストだって下の方だ。それなのに、なぜか、彼女のことくらい抱き上げられる男だと思っていた。
恥ずかしい。ぼくはまだ全然、芽衣子に相応しい彼氏なんかじゃなかった。
「芽衣子。ぼく、頑張るからね」
「ほどほどでいいよぉ。別に力持ちじゃなくても、優斗はあたしの素敵な彼氏だよ」
微笑んだ芽衣子は、優しい顔をしていた。
芽衣子は優しいから、今のままのぼくでも、きっとずっとそばにいてくれる。
でも、ぼくがそれに甘えてちゃダメだ。
ぼくは、芽衣子の王子様になるんだから。お姫様抱っこができない王子様なんて、サマにならない。
その日からぼくは、筋トレを日課に加えた。
・
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「ただいまー」
バイトが終わって、ぼくはアパートのドアを潜った。
今日は大学の授業が6限まであったから、バイトは最終の時間帯まで入っていた。
帰りが随分遅くなってしまったけれど、芽衣子はまだ起きているだろうか。
「芽衣子ー?」
声をかけるも、返事がない。
けど、明かりがついているから、寝室じゃなくてリビングにいるんだろう。
ひょいとソファをのぞけば、丸まるようにして、芽衣子が横たわっていた。その姿に苦笑する。
「芽衣子。風邪ひくよ」
軽くゆするも、むずがるような声をあげただけで、目は開かない。
ぼくは上着を脱いで、芽衣子を抱き上げた。そのまま寝室に向かい、ベッドに寝かせる。
そっと離れようとしたけれど、芽衣子がぎゅうと首に腕を回した。
「芽衣子? 起きた?」
「んー……」
寝ぼけているような声で、ぐりぐりと頭をこすりつけてくる。
これは多分、うとうとしている状態なんだろう。
ぼくはぽんぽんと背中を叩いて、宥めるように声をかけた。
「すぐお風呂入ってくるから。そしたら、一緒に寝よ?」
「んん……」
ぼんやりした頭にも言葉の意味は伝わったのか、芽衣子はするりと腕を解いた。
眠る芽衣子の顏にかかった髪を丁寧に払って、ぼくはシャワーを浴びに行く。
大学に進学してすぐ、ぼくらは同棲を始めた。
高校生の頃から体を鍛えていたぼくは、あの後身長が伸びたこともあって、それなりの体格へと成長した。男子の方が成長期が遅く来るというのは本当らしい。
今のぼくは、芽衣子を抱き上げることができる。
「9個目、叶えられたな」
芽衣子はもう、覚えていないかもしれないけれど。
残る願いは、あとひとつ。




