084
「あ。テル君、一番星だよ」
ユイネと手を繋いで、湖のほとりをてくてく歩く。
僕がすれば神殿までひとっ飛びで帰れるんだけど、今はユイネが新しく手にした力を使う練習をしてる。瞬間で行きたい場所へ移動する為には気の流れを掴み、その鼓動を聞いてイメージを作ってから飛ばなくてはならない。ユイネがやると何故だかいつも神殿じゃなくて、その手前、湖のほとりに飛んでしまう。
「あの一番星って……ガルクループではリシア・ルゥっていうんだよね?」
立ち止まって空を仰いだ。幼い闇が溶ける藍色。白に輝く一つ星。まだ地平線は夕日の赤で染まっている。
「うん。そうだよ」
「綺麗だね」
「……光をもたらす、慈愛のぬくもり。その魂」
僕らの世界ではあれをたとえて「半身」という。
「テル君。私、大丈夫だよ」
穏やかな声に、僕は少し背の高い彼女を見上げた。
「なんかね、すっごくやれそうな気がしてるから」
ユイネはきりりとした顔を作って、片手でどんと胸を叩いた。それから繋いでいる手にきゅっと力がこもる。優しくて柔らかな気が、あたたかい魂の鼓動が僕を満たしていく。
「そりゃあ知らない事もたくさんあるし、何せ私は宇宙人だけど。でも焦ってもいないんだよ」
「ユイネ……」
「やっぱり不思議だね。あのお守りは私が五歳の頃からずっと大事にしてたものだから、あの漆黒の珠がいつでも私の居場所を教えてくれてたから……。ずっと変わらないの。それが今の私の命。だからなんにも怖くないんだ。それに……それにね」
少しだけもじもじして、ユイネは俯いた。ちょっと耳が赤い。
「いつでもタロさんが傍にいてくれるような気がするんだ」
「……うん」
僕はユイネのあたたかな手を、ぎゅっと握り返した。
「そ、それから、半身になって分かった事があるんだよ」
「え?」
「人の命って、すごいんだね。きらきら輝いてて、ぴかぴかで、とっても瑞々しい」
「うん。……ねえ、ユイネ」
少し顔を傾けて僕を見るユイネに向かって、微笑んだ。
「僕、ユイネの事大好きだよ」
ありがとう。ユイネ。
「うっ……う、うん。あ、ありがとう、テル君」
「なんでどもるの」
笑いながらユイネの手を引いてまた歩き始める。きっとユイネは赤面してる。ユイネが僕の「微笑み」に弱いって事、僕は知ってるんだから。素直で本当に、可愛いなあ。
──おいっ! 何をもたもたしている!──
タロちゃんの声が直接響いてきて、僕とユイネは目を丸くして立ち止まった。
「タロさん」
──俺は腹が減ってるんだっ。さっさと帰って来いっ!──
「す、すみません」
それから二人で顔を見合わせて、くすりと笑った。
*
いつも食事の時は三人だけでテーブルを囲むようにしている。給仕やなんかも全て僕がして、この時ばかりは場所がガルクループの神殿の中でも、ユイネの部屋にいた時と変わらない。もうこれは習慣のようになっていた。
相変わらずタロちゃんは大食らいで、邪魔そうな髪を一つに結わえてがつがつと勢い良く食事を進めていく。ユイネは一生懸命に料理と向き合い、もぐもぐと美味しそうに味わう。他愛ない会話を挟みながらテーブルを囲むこのひとときは、何ものにも代えがたい。真摯に料理と向き合うユイネを眺めるのも、僕の密かな楽しみだったりする。
そのあとはお風呂に入って、それぞれ仕事をしたり勉強の復習なんかをしたりして夜が更けていく。今夜は晴れていて綺麗な夜空が見えるから、きっと二人はお酒を呑みたいと言うに違いない。僕は食後の片付けをしてからテラス席に簡単な肴と冷やしたお酒を用意した。ムードのある灯りをテーブルに置いて、腕を組んでひとつ頷く。
「うん。カンペキ」
今夜こそは、二人に少しでも先へ進んでもらわないとね。
「最近妙に気が利いて気色悪いな」
その声に振り返り、Tシャツにジャージ姿の背の高い相手を睨みつけた。
「タロちゃんがふがいないからいけないんだろっ。僕ほど主想いの良い奴はいないと思うんだけど!」
「なんだそれは」
言いながらドカッと椅子に腰をおろして、僕の用意したお酒をどぼどぼとグラスについだ。もう少し神さまらしく優雅な物腰でやれないもんだろうか。
実のところタロちゃんはまだ守り人の力を完全に発揮出来ているわけではない。神と半身、魂の伴侶になったは良いけど二人の関係はそれ以前とたいして変わっていなかったりする。お互いの気を交換して心も身体も深く繋がる事で、より強い力と固い絆が生まれる。そして何度もそれを繰り返す事で双方の異能の力は精度を高め、意思疎通もスムーズに出来るようになるんだ。
別に焦ってはいないんだけどさ、ユイネの気が変わらないうちに進めておきたいんだよね。
「わあっ。テル君、ありがとう」
スウェット姿のユイネがにこにこしながらこっちに歩いてくる。ユイネってば、お酒を見た時が一番テンションがあがる。
「ちょっと呑みたい気分でしょ?」
「うん。すごいね、良く分かったね」
お風呂上がりのユイネは花の良いにおいがする。スウェット姿でふにゃりと笑う彼女に色気が足らないとか、そんなものあいつには関係ない。だって何があってもユイネはユイネで、そんな彼女があいつは大好きだからだ。
「ルーウィってほんとに美味しいですよね。高級な日本酒みたいな味で」
「ふん。あれもなかなか良かったな。ビールもうまかったぞ」
「あは……。そういえばタロさんが発泡酒はいやだっていうから、酒代がかさんで仕方なかっ」
「何か言ったか」
「い、いえ」
夜が深まるにつれてお酒もすすんでいく。二人は椅子を隣りに並べて座り、夜空にかかる美麗な月を眺めている。距離はバッチリだ。だけどさっきから二人の会話、こんなにしっとりとした良い雰囲気なのに色っぽい話になりそうにない。ユイネの学生時代の話とか、ヨーコ(本当はヒロシって名前だけど)の喫茶店の話とか。それはそれで楽しそうにしてるから良いんだけど……うーん。ちょっと違うんだよなぁ。どうしたもんかなぁ。
「おい」
腕を組んで考え込む僕の目の前に、空になった酒瓶があらわれる。僕はタロちゃんを睨みつけながらそれを奪い取って、おかわりを取りにどすどすと部屋を後にした。