083
『白銀』の神殿は深い森の中にある。幾重にも重なる様々な緑が生き生きと輝いて呼吸をしている。ユイネは大きく深呼吸をして、いつ来ても素敵だね、と感嘆のため息をついた。
神殿には女官長のカエナントが控えていて、すぐに部屋へと案内してくれた。
「いらっしゃい! ユイネちゃん、待ってたわよ!」
サーシャがとびっきりの笑顔で両手を広げ、その勢いのままユイネに抱きついた。
「こんにちは。お邪魔します」
「さあ座って! 最近ずうっとこもりっきりだから退屈しちゃって!」
元気なサーシャに腕を引っ張られ、圧倒されながら笑顔を返すユイネ。
ゆるやかなカーブを描く薄茶色の髪を肩に垂らし、真っ白のサマードレスのような軽やかな装いのサーシャ。彼女と会うのは守り人達が一堂に会した挨拶の時以来だ。
「レイルード君もお元気ですか?」
「ええとっても! ダーリンにそっくりですっごい格好良いのよ」
「わあ……お昼寝中ですね。可愛い」
ユイネが窓際に置かれたベビーベッドを覗き込んで笑った。僕もその隣に立ち、赤ちゃんの寝顔を見つめる。まだまだ生まれたばかりで、手も足も何もかもがちっちゃくて可愛らしい。僕は人差し指で赤ちゃんのふくふくのほっぺたをちょんとつついた。
「ね? この唇なんかダーリンにそっくりでしょ?」
うーん。生まれたてすぎて正直良く分からないなあ。ユイネが楽しそうに笑った。
「そうですね。あ、旦那さんは?」
「出張中よ」
おそらく土地の視察か扉の監視かで留守にしているんだろう。守り人は結構忙しい。サーシャは『白銀』の守り人の半身で、もう九百年以上、守り人を支えながら世界の秩序と均衡を見守り続けている。
そしてそれがあと二十数年で、終わりを迎えようとしていた。
「ねえティエル。どうしてあなた子供の格好のまんまなの?」
お茶とお菓子が用意されたテーブル席について、サーシャが僕に向かって言った。
「もう戻れるでしょ?」
「あ……。そう言えばテル君、本当はタロさんとそんなに変わらない年格好なんだったよね。すっごく綺麗で美青年で、初めて見た時びっくりしちゃった。もう心臓とまるかと思ったよ」
そう言って僕を見るユイネに、肩をすくめて答えた。
「こっちのが気に入ってるんだ」
「……ふぅ~ん」
目を細めてにやりと笑うサーシャ。
「なにさ。その顔」
「ティエルってば、や~らしいっ!」
別に良いでしょ。男の子のフリしてユイネと手を繋いだり、ユイネに抱きついたりするくらいさ。
「ふふっ。まあ良いわ。やっと愛しの半身を手に入れたんだもんねえ! 気持ちは分かるわよ。タロちゃんなんかきっと興奮して、夜もたいして眠れてないんじゃないの?」
サーシャはそんなタロちゃんを想像して、それから可笑しそうにあははと笑った。……ここに本人がいなくて良かった。遠からず当たってるからね。
「あの、サーシャさん。ありがとうございました」
「ん? なあに?」
「ふーちゃんの事とか、私に力を分けてくれた事とか……本当に、ありがとうございました」
「んふふ。良いのよ。それより私の方こそ、ユイネちゃんになんにも言わないで勝手なことしてごめんなさいね」
「そんな。良いんです」
「だってね、私、タロちゃんにすっごい怒られちゃったの」
「えっ」
ぽかんとするユイネの顔を見て、サーシャが口元に笑みを浮かべながら身を乗り出した。
「あの子、あなたの事がとっても大切で大好きみたい。『漆黒』ってあんなに可愛かったのね!」
ぽかんとしたまま、ユイネは赤面した。その顔が面白くて僕もサーシャも吹き出して笑った。
「いや~ん! らぶらぶよねぇっ。素敵っ」
「そ、そそそ、そんなっ! そんなこ、ことはっ!」
「ユイネどもりすぎっ」
ユイネは真っ赤な顔のまま難しい表情を作り照れ隠しにお茶をずずずと飲んで、それを見て僕らはまた笑った。
「……私にはね、分かっちゃってたのよ。あの時にね」
サーシャがユイネのこじんまりとした手に、そっと自分の手を添えた。
「ユイネちゃんならきっと、ふーちゃんの事も乗り越えられるし『漆黒』の事だって救ってくれる。そう感じたの。だからね、私あの時から、ヨーコちゃんじゃなくてあなたが、『漆黒』の半身になってくれたらなって勝手に思ってたの」
「サーシャさん……」
ユイネの瞳がうるうると潤んでいく。僕はそれを見て、きゅっと胸が詰まる思いがした。ああ……やっぱり君は、心のどこかでまだ遠慮していたんだ。
本当に自分なんかで良かったのかと不安になっていたんだ。自分なんかが神の半身で良いんだろうかって、自信を持てずにいたんだ。
だけど君はそんな事、一度も口にしなかった……。
最初から、ユイネじゃなきゃ駄目だったんだよ。他の何かの代わりなんかじゃない。ユイネだから、好きになったんだよ。
だから、君はここにいて良いんだ。
「もう一度ちゃんと言わせてね。ユイネちゃん、何も心配いらない。大丈夫よ。あなたは決して一人じゃないわ。きっとあなたなら、タロちゃんと一緒に歩んでいける」
「サーシャさん。ありがとうございます……。私……私もいつか、サーシャさんのような素敵な人になりたいです」
「まあ! うふふっ。嬉しいわっ」
そのあと昼寝から目覚めた未来の『白銀』がわんわん泣き出して、サーシャがお乳をあげて僕とユイネであやして寝かしつけたりして、あっという間に時間が過ぎていった。
「あっ! そういえばね、いっこどうしてもユイネちゃんに聞きたい事があったのよ~」
帰り際、僕と同じくらいの背丈のサーシャが、ユイネを見上げてうふふと笑った。何ですか? とユイネが首を傾ける。
「タロちゃんのどこが好きなの?」
「……え?」
「やっぱり顔かしら。守り人達はみぃんな美形ぞろいだもんね! タロちゃんは背も高いし格好良いわよねっ」
「い、いえ……どっちかっていうと整ってる人は苦手で……」
「あらっ。そうなの」
その時、ユイネは何かに思い当たったような顔をした。
「あれ……タロさんの好きなとこ……え、ええと……」
それからうーんと唸って考え込んでしまったので、僕は慌ててユイネの手を取った。
「じゃあねサーシャ! また来るから。『白銀』にもよろしくっ」
「えっ! ちょっとまだ答えがっ」
さっさと帰ろう。ユイネが深く考え込んで、そんなにタロちゃんの事が好きじゃないかもって気付いちゃったら大変だ。だって僕が言うのもなんだけど、僕の主は本当に我が儘だし俺様だし怒りっぽいし、そのくせうんと傷つきやすくて寂しがり屋だ。とにかく面倒な奴なんだ。神さまじゃなかったらどうしようもない奴なんだ。それでどれだけ僕が苦労してるか。
……全く世話の焼ける奴だなっ!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
途中ですが少しばかり。
番外編(テル君の苦労話)は残りあと2話です。短いですがお付き合いいただけたら嬉しいです。
「孤独な魂 あたたかな軌跡」を読んでいただき、本当にありがとうございました。