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082(君と歩む時を)

 涼やかな風が流れ、青々とした稜線に細長い雲がかかる。青空の彼方から雲雀の声が降り注ぎ、あたたかな太陽の光が平和な世界を満たしている。

 窓際にあるテーブル席で、僕は幸せに満ちた昼下がりの時を満喫していた。背後から何やら不穏な気配を感じるけれど、それは知らんぷりだ。


「うーん気持ち良いなあ! 最高だよねやっぱり。この神殿も、この湖もさ。とっても綺麗だ」


 今までそんな風に感じた事なんてなかったけどね。


「おい、テル。遊んでいるなら出て行け。目障りだ」


 さっきから僕に向かってぎらぎらと殺気を放ってくる相手は、この神殿の主だ。肩まである艶やかな黒髪に、男性的な線を描く精悍な顔立ち。力強い光を宿す漆黒の瞳に均整のとれた逞しい身体。黒の衣装を身にまとう、『漆黒』の守り人。異能の力を司る神だ。幅広の立派な卓上には溜まりに溜まった書類がどっさり山を作っている。最近やっと本来の日々の流れに戻ってきたところだ。

 ガルクループに帰ってきてからこっち、今までは本当に嵐のような毎日だった。お祭りやら儀式やら挨拶回りやら、何が何やらな状態でざっとひと月は過ぎただろう。

 それでもこの地を統べるガルクループの神さまには、まだ仕事が山積みみたいだ。とっても不機嫌な相手に向かって僕はにっこり微笑んだ。


「タロちゃんが今までずうっとさぼってたせいでしょ? 八つ当たりしないでよ」

「……五月蠅い。少しは手伝え」

「あっ。ユイネの勉強が終わる時間だ。じゃあ目障りな僕は消えるとしよう。じゃあねっ」


 怒鳴られる前に退散して、鼻歌を歌いながら白い回廊をゆったりと歩く。すぐ前を背の高い女官が一人、こっちに背中を向けて立ち尽くしているのが目にとまった。あれはつい最近、新しくやって来た子だ。


「フェンナ。どうしたの?」

「あっ! ティエルファイス様……あの、その」


 身長は百七十センチ以上はあるだろうか。がっしりとした肩幅に貫禄のあるお尻。真っ白の女官用の法衣が少し窮屈そうに見える。金茶の髪をお団子にして、くりくりとしたちっちゃな両目にまるっとした鼻。ほっぺたはいつも赤らんでいて、人好きのするとっても良い顔をしている。両手にお茶のセットをのせたお盆を持ったまま、困った表情をして僕を見下ろした。


「ユイネ様にお茶をお届けするように言われたのですが、あの……迷ってしまいまして」


 大きな身体をなるべくちっちゃくしたいのか、しおしおと肩を落とす。


「ふふ。良いよ、ちょうど僕も行くところだったんだ。おいで、一緒に行こう」

「も、申し訳ございません……」


 僕はフェンナの前を歩きながらくすくすと笑った。ここへ来てひと月。彼女はユイネが半身としてこの神殿にやって来た事によって増員された、女官の一人だ。どうやらまだ緊張がとれないみたい。


「この神殿は回廊が複雑に入り組んでて、たくさんの部屋を繋いでる。最初はみんな迷うもんだよ。大丈夫」

「はい……。ありがとうございます。ティエルファイス様」

「僕の事はテルで良いって」

「あ、申し訳ございません。テル様……」


 うーん。すごい緊張状態だなあ。別に誰もとって食いやしないんだけど、まあ無理もないか。守り人が住まう神殿に女官として仕えるというのは、彼女にとってとてつもない重責に違いない。

 この子、タロちゃんに会わなきゃ良いな。あいつなら怒鳴りかねない。可哀そうに。

 目当ての部屋が見えてきた時、ちょうど扉が開いて女官長のフティが出て来た。僕を見てきっちりと美しい一礼を寄こす。


「やあお疲れさま。今日の授業はこれでおしまい?」

「はい、テル様。ユイネ様はとても一生懸命にされてらっしゃいます」


 フェンナがぎこちない足取りでフティの前を通り過ぎた時、ごく小さな声で女官長は彼女の名を呼んだ。


「フェンナ。背中のホックが外れていますよ」



*



 ユイネがここへ来て、タロちゃんの半身になってひと月。そのひと月の間はずっと、色んな行事をこなすので精いっぱいだった。ユイネにとってはすごく大変だったに違いない。何故なら彼女は異世界からやって来たばかりで、半身になったばかりだったのだから。

 『漆黒』の珠を受け取り守り人の半身としてこの世界で目覚めた時から、たしかに基本的な知識くらいは身についている状態だった。守り人の長ったらしい歴史も半身に備わる異能の力も、守り人の珠を自身の核にした時から、永い時を刻む命と同時に備わるものだ。けれどもやっぱりそれだけでは補えない細かい部分が色々と出て来るはずで、ユイネは今女官長のフティを先生にして、この世界の歴史や庶民の生活、万般にわたる様々な事柄を教わっている最中だった。


「はあ。美味しい……」


 ユイネはお茶を一口飲んで、フェンナに気の抜けた声でありがとう、と言った。


「ねえユイネ。そんなに急いでたくさん覚える事ないんだよ? 時間ならいっぱいあるんだからさ」


 焦げ茶色の柔らかな髪を束ねて左肩に垂らしている。その髪に触りたいなあと思いつつ僕は頬杖をついてユイネを見つめた。濃すぎない化粧に飴色の耳飾り。身につけている衣は決して派手でなく、落ち着いた色のもの。ユイネに言わせるとこの衣装は、日本の着物に少し似ているのだそうだ。

 ユイネは神の半身になっても、その印象はちっとも変わらない。控えめで穏やかで、人に緊張感を与えない。見ようによったらぼんやりしているようにも見える。


「ううん、大丈夫だよ。ありがとう。フティさんの教え方がうまいのかな、すっごく面白いんだよ。勉強なんて学生以来だから、何だか若返った気分」


 うふふ、と笑う彼女を、満ち足りた気分で見つめる。

 なんだかんだ言ってもユイネは頑張り屋だって事を知っているから、あんまり無理はして欲しくない。半身になったのだという事を、必要以上に気負って欲しくない。だってユイネが悲しむ姿なんて、見たくないんだ。やっぱり帰りたいって言われたらどうしようって、心の片隅でいつもひやひやしてたりもする。やっと大好きな愛しい人と一緒にいられて、とっても幸せなんだけど、それだけじゃない。全く難しいよね人間てさ。あいつは神だけど。

 だからタロちゃんはいつでも、ユイネの傍についていたいと思ってる。ユイネが無理をしないように常に傍にいてあげたいと思ってる。……だけど溜まった仕事を片付けなくちゃセウンリヒが泣くし、そうするとユイネが怒る。どうにもならないジレンマに、僕の主は不機嫌なまま仕事をしているってわけだ。


「じゃ、そろそろ行く? きっとサーシャが首を長くして待ってるよ」

「うん」


 今日はこの後『白銀』の神殿へ遊びに行く予定になっている。『白銀』の半身であるサーシャは、少し前に元気な男の子を出産した。


「行ってらっしゃいませ。ユイネ様。テル様」


 がくん、と腰を折ってフェンナが慌てて一礼をする。


「はい。行ってきます」


 ユイネは毎回、律儀に返事をかえす。それはどんな相手に対しても同じだ。ここに来て彼女はちょっとだけ逞しくなった。以前はおどおどして遠慮がちに口にしていた言葉を、きっちりと言えるようになったのだ。それは自分の為に言っているんじゃなくて、自分を大事にしてくれる相手に伝える為に、言葉を使うようになったという事だろう。……タロちゃんも少しは見習って欲しい。

 ユイネは顔を上げたフェンナと視線を合わせ、ほにょ、としか形容できないような笑顔を彼女に向けた。




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