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 雨がやんでいたのは、あの美しい虹が姿を見せた数分の間だけだった。

 胸が張り裂けそうなくらい苦しい。ぎゅっと傘の柄を持つ手に力を込めて足早に家路を急ぐ。急いで急いで、息がどんどん上がっていく。

 

 私はずっと今まで、無理な現状にまで我を通して何かを主張した事はなかった。そう思っている。

 母を病気で亡くしたのも仕方のない事だと思っているし、それで父に引き取られていったのも、間違っていたと思った事もない。おじさんとおばさんは優しかったからそこにいたいと思ったけれど、迷惑はかけたくないとも思った。

 だって仕方のない事なんだから。

 母の病気は私が駄々をこねて泣いて嫌だといったら完治するわけじゃない。私は子供だったから、大人の言う事を聞かなければいけなかった。嫌だと言ったって一人で生きていけるわけじゃない。

 私はずっと今まで、そうやって色んな事を飲み込んで生きてきた。

 手を伸ばしても届かない。望んでも得られない。そんなものを前にして、私はずっと、諦めてきた。私には無理なんだと。私なんかには到底手に入らないものなんだと。必死に手を伸ばして何かを望む前に、諦める事で私は自分を守ってきた。


 だけど、もう……。


 細い路地で足を止めた。肩で息をして雨にけむる通りを見つめる。片手で傘を持ち、空いている手で鞄の中を探り、真っ黒でまん丸の石を取り出した。それを目の高さまでかかげ、じっと睨みつける。つるりとした表面に、雨がいくつもいくつも落ちて滑っていく。口元が震えた。


 生きているうちに一回くらい、とんでもない我が儘を言ったって良い気がしてきた。


「お母さん。……良い?」


 これは私の、最初で最後の、最大の我が儘。


 両手でぎゅうと丸い石を抱いた。傘が足元に転がってしまったけれど、そんな事には構っていられない。ばらばらと冷たい雨が肩や頭や全身を叩いていく。俯いてぎゅっと目をつぶった。


「お願い……」


 お願い。お願い。お願い。

 きっと伝わるはずだ。届くはずだ。強い「願い」は、「祈り」そのもの。それにこのお守りは、この漆黒の珠は、あの人のもう一つの命。繋がっている。今でもずっと。


「あ、会いたい……会いたい、会いたい」


 冷たい雨に打たれているのに、身体から出て来る涙はあたたかかった。嗚咽をこらえて祈り続ける。


「お願い……会わせて……うっ……あ、会いたい。ううっ。会いたい……お願い、します……どうか」


 どうか、私の願いを叶えてください。

 たった一つ、一度だけの我が儘だから。もう言わないから……。

 だから。


「お願い! 神様っ!!」


 ばしゃっ。


 背後の水音に両目を見開く。ぐずぐずに濡れた髪が私の視界を遮っていた。


「……なんなんだ、お前は」


 は、は、と浅い呼吸を繰り返す。心臓が止まってしまいそうだった。震えながらゆっくりと振り返る。


「何故……そう、ことごとく……俺に逆らう。記憶を……消したはずだ……何故」


 大きな影がゆらりと揺れた。いつか見た、幾重にも重なる漆黒の衣。その生地の美しい事を私は知っている。それがこの世界のものでない事も。両腕にブレスレットをして、漆黒の宝石が埋め込まれた首飾りをしている。私は背の高いその人を見上げて泣いた。

 応えてくれた。『漆黒』の守り人様が────。


「ううっ……」

「なんなんだお前はっ!」


 肩までの黒髪は雨で濡れ、辛そうに歪んだ表情のまま私を睨みつけている。かみさまは怒っている。喉がひくひくして苦しい。だけど、言わなきゃ……。私だって、怒ってるんだから。


「タ……タ、タロさんの馬鹿ッ! お、大馬鹿やろうっ」


 かみさまはぎゅっと眉間にしわを寄せ、大きな身体から怒りオーラを噴出させた。


「何だと!」

「わたしっ……頼んでません! 記憶を消してくれだなんて、頼んでませんからっ!!」

「なにぃっ」

「どうして勝手に、そんな事するんです! 本人の了承もなしにそんな事するなんて、いくらかみさまだってやって良い事と悪い事があるんですっ」

「な、何も知らんくせに口応えするな! 俺がどんな思いであの男を救ったと思っているんだ!」

「分かってますッ」

「ちっとも分かっとらん! 俺の思いを無駄にするつもりか!? このど阿呆がっ」

「タロさんこそ、ちっとも分かってないじゃない!」

「なっ……」


 肩で息をしながら、ぎりぎりと睨み合う。

 分かってる。どうしてタロさんが私の記憶を消したのか。どうして笹本さんを助けて、私の前から姿を消したのか。

 全部全部……私の為。

 そうやって世界を守るかみさまは、あっさりと自分を殺す。普段は俺様で傲慢で怒りっぽくて面倒なのに、いざという時に急にかみさまらしい事をする。反則じゃない、そんなの。


「私の大事な記憶なんですっ。タロさんとテル君と一緒に暮らした事もふーちゃんの事も! 絶対忘れたくないっ。覚えていたいんです。自分の中のヨーコさんに嫉妬して卑屈になった事も。大切なんです、みんな!」


 タロさんは呆然と私を見下ろしている。きっ、と睨み上げると、大きな肩がびくりと震えた。


「全部無かった事にするなんてひどいです……私、私はっ……」

「ユイネ……」


 雨と涙のせいで視界が滲む。寒さなのか緊張なのか怒りなのか、がたがたと身体の震えが止まらない。ぐっと両手を握り締める。


「タロさんが好きなんです……タロさんが、好きなんです!」


 はっと黒の瞳が見開かれ、それから苦しげに眉根が歪んだ。


「馬鹿を言うな!」

「だって好きなんですっ」


 がっ、と強い力で両腕を掴まれる。ぎらぎらと燃え上がる鋭い瞳に射抜かれ、私は息を飲んだ。


「……それ以上言うな。お前は、自分が何を言っているのか分かっていない」


 唇が震えた。声を出そうとしたら、ひくっと喉が鳴った。


「……好き」

「よせ」

「好きです」

「やめろっ!!」


 大きな怒声にびくっと肩をすくめた。また涙が溢れ出す。歯を食いしばって目を閉じた。

 絶対、いやだ。どうしても諦めたくない。一緒にいたい。タロさんと、一緒にいたい。


 大きく息を吸った。


「タロさんが好きですっ! わ、私をっ……わたしを、あなたの半身にしてください!」

 

 ああ……。もう、死にそう……。


 これ以上は心臓がもたない。止まってしまう。全身から力が抜けて立っているのもやっとだ。これでも駄目だって言われたら、もう無理かもしれない……。立ち直れない。


「……っ」


 ひやりと冷たい感触がして、次に全身がほんわりとあたたかくなった。ぎゅうと締め付けられる。


「ユイネ」


 息苦しくなってきたけれど、大きな背中に腕を回して力を込めて抱き締めた。震えながら大きく息をつく。

 なんてあたたかいんだろう……。

 タロさんの優しい気が私の中に流れ込んで、冷え切った身体をあたためていく。


「ユイネ」


 タロさんが泣いている。背中が小さく震えている。


「ユイネ……」

「はい」

「お、お前は、阿呆だ……大馬鹿者だ」

「はい……」

「俺の……俺の好意をここまで踏みにじるとは……この、無礼者。……俺は、神だぞ」

「はい。ごめんなさい」


 タロさんの大きな身体を、ぎゅうっと抱き締めた。うう、とタロさんが苦しそうな呻き声を上げる。私の目にじわりと涙が浮かんだ。これは……多分、もらい泣き。


「ユイ……ネ」

「はい」

「お、俺の名を呼んでくれ……俺の、傍にいて、俺の名を……」

「タロさん……ずっと傍にいます。ずっと……」

「ユイネ……俺の……」


 唯一の。

 たった一人の、ただ一つの愛しい命。

 同じ先を見つめ、同じ道を歩む。永劫に似た時を共に生きる。

 その孤独な魂をあたため癒す、対なる半身。


 やっと見つけた。

 私の居場所────。








*



 白の法衣をかっちりと着こなし、背筋をびしりと正した姿勢のまま数時間が経過している。手元は寸分の狂いもなくさらさらと文字を綴り、次々に書類を振り分け、机の上に出来上がっていた紙の山が見る間に切り崩されていく。その様子をちらりと横目に見て、青年は静かに茶の用意を終わらせた。彼も同様に白の法衣に身を包んでいる。


「父上。お茶が入りましたよ」


 そう声をかけたのだが、机に向かっている壮年はその手を休めることなく、仕事を続けている。青年は相手が自分の言葉を無視した事にため息をひとつこぼした。


「……大神官殿。茶の用意が整いました」


 ぱしり、とペンを机上に置いて、大神官セウンリヒはやっと青年の方へ顔を向けた。


「よろしい」

「まったくかたぶつだなあ。父上は」


 青年は両手を腰に当て、父を見やる。彼の父親はぴくりと眉を僅かに上げて静かにカップを手に取った。


「……この場でその呼び名はふさわしくない。きちんと礼節をわきまえなさい」

「では大神官殿。一つ質問がございます」

「何かね」


 青年は腕を組み、大きく息を吐いた。その精悍な顔立ちは父親の若い頃と瓜二つだ。


「何故、巫女の選定を再開されないのです? この件では守り人様から御指示をいただいているとお聞きしました。しかし大神官殿の一存で今もって『漆黒』の守り人様の巫女選定は再開されないままになっております。我らは偉大なる神、守り人様の忠僕。未来永劫子子孫孫、身命を賭してお仕えする身でございます。大神官殿の此度の対応は、守り人様の御意向に添わぬ、職を逸脱した行為ではございませんか」


 青年の詰問に、威厳ただよう壮年は目を伏せた。それから何事かを噛み締めるように、口元に柔らかな笑みを浮かべる。


「この私の判断が正しいのか否か、明白な答えは既に目前」


 ちりりん。


 鈴が鳴り、青年はつと顔を上げた。大神官は一つ頷き、息子を促す。


「『漆黒』の守り人様が、半身を連れてお帰りになられた。丁重にお出迎えを」








(完)

「孤独な魂 あたたかな軌跡」ご覧いただき、ありがとうございます。

こうして『漆黒』の守り人様は半身を得ました。

ちょっとあっさりした終わり方かとも思いますが、さらっとした方が私が好きなのでこうなりました。

タロさんとユイネはこれからもお互いに足りないものを補い合い、共に歩んでゆく事でしょう。


異世界ガルクループに渡ったユイネはまた様々な問題にぶつかるはずです。

そのたびに一生懸命に悩んで、不器用ながら頑張っていく事でしょう。

きっと大丈夫。タロさんとテル君が、うんと彼女を愛して守っていきます。

タロさんもこれからは神様らしくきちんと仕事をしていくはず……多分。


この物語の最後までお付き合いくださった方々へ、心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

このお話は結構な難産でしたので一人で書いていたら多分完結出来なかったと思います。あなたのおかげで最後まで走り切れました。


最後にひとつ。

一言でも構いません。このお話の感想を聞かせてもらえたら嬉しいです。


では、またお会いできますように……。


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