008
何て勝手で、考えなしのかみさまなんだろう。何かもっとこう、計画的に、力が足らなくなる前に伴侶を見つける事は出来なかったのだろうか。二百年も生きているんだから、上手い具合に出来なかったのだろうか、色々と。
ごうごうと風が叫ぶ。ざぶざぶと滝のような雨が降り続く。
目の前にいる天使のテル君は漆黒の珠を私の両手ごと包み込んで、それに額をつけて俯いたまま。ちらりとソファの背後を見やるとぐったりと座り込んでいる人外様。
ああ……もう……。
「わ、私、どうすれば良いの」
ぱっとテル君が顔を上げた。きらきらと輝く笑顔。
あ、眩しい程の可愛さ。思わず目を細める。
「ユイネ! ありがとうっ」
握られたままの両手に力がこもり、そのままテル君につられるようにして立ち上がった。
「気をもらうだけだから、別に身体には何の支障もないよ。大丈夫」
「全く、初めから大人しく言う事をきけば良いものを」
ぶつぶつと言いながらふらりと人外様も立ち上がる。テル君に両肩を掴まれ身体がくるりと反転すると、目の前にやけに容姿の美しい大男が迫る。
「あの、気ってどうやって送れば良いん……ぐっ」
突然、大男の太い腕が伸びて思い切り抱き締められた。大きくて厚い胸板に押しつけられ窒息しそうになり、慌てて顔を横へ向ける。両手で珠を持ったままがっちりと抱き固められているおかげで自由が効かない。痛い。苦しい。
異性にこんなに情熱的に抱き締められるのは初めての経験だったけれど、全然良いものじゃなかった。
「うっ……」
「おいっ。さっさと心を開け! そうせんと気が流れん!」
そんな事言われて、はいよ、と心許せる程器用ではないです。そんな人、いません。
「む、むり……」
もはや既に、抱擁なんていう甘ったるいものではない。ぎりぎりと締め上げられて力任せにぎゅうぎゅうされて、つま先は床を離れ背が反りかえって……あ、お花畑が、見える……。
「馬鹿っ! ユイネが死んじゃうっ」
テル君の慌てた声が遠くで聞こえた。途端に解放され、地に足がついてふらふらと二、三歩後ずさって、すとんとソファに座り込んだ。胸一杯に大きく空気を吸い込む。こ、殺されるところだった。
「ちっ。だめか」
「当たり前でしょ。ちょっと乱暴すぎ。ユイネ、大丈夫? こいつ馬鹿だから。許してやって」
そう言いながらテル君が私の前に膝をついてしゃがみ、心配そうな顔を向けてくる。
綺麗な男の子に上目使いで見つめられ、またしてもどきりとしてしまった。
「ごめんなさい。うまくできなくって。でも、急に心開けって言われても……」
「だよね。ごめん」
ふわりと細い腕が私の首に回り、柔らかい感触に包まれる。灰色のパーカーがすぐ目の前にあった。
華奢な男の子の身体がぴったりと私に寄り添う。
「あ、テ、テル君」
「……しばらくこのままで。お願い」
囁くような声。テル君の身体は柔らかくて温かくて、良い匂いがした。あまりの心地良さに目を閉じる。そういえば、人の温もりをこうやって感じるのはいつ以来だろうか。遠い昔の幼い頃……。
「ありがとう、ユイネ。僕には心を開いてくれたね。本当は直接気を送るのが一番なんだけど、僕を介してもあいつに届くから、大丈夫」
そっか。テル君は人外様の一部だから……。私ってば、人外様には心を開けないけど、テル君になら全開みたい。背後で人外様の舌打ちが聞こえた。
そっと柔らかな温もりが離れ、テル君が私の顔をじっと見つめてきた。無表情のような、きょとんとしているような、不思議そうな表情。
「……テル君?」
どうしたんだろう。うまく気が送れなかったのかな。不安になる。
その時、ごおおおっ、と凄まじい風の音が部屋を満たした。音と同時に青色のカーテンが舞い上がり、髪も舞い上がり、テーブルの上のピザの空箱まですっ飛んでゆく。
見ると人外様がベランダの窓を思い切り、両手でがばっと開け放っていた。艶やかな黒髪が揺れ、白のシャツがばたばたと暴れている。当たり前だけど、雨と風が部屋の中にこれでもかと降り注ぐ。
「なっ、なにしてるのっ」
あまりの事に咄嗟に叫んだが、荒れ狂う暴風にかき消されていった。ソファの背に手をついて片手で髪を押さえて立ち上がる。
人外様は仁王立ちで開け放した窓に向かい、両手をそのまま水平に広げた。指先にまで力が込められている。それから見えない何かをぐうと両手で押さえつけているかのように、左右の腕がゆっくりと動き、胸の前で両手がぴったりと合わさった。人外様は俯いて何かを呟いている。風がやんだ。静寂が訪れる。
雨が、上がった。
「……うそ」
本当の本当に、彼がこの世界の均衡を守っているのかも知れない。
ふうと大きく息をついて、人外様は颯爽と髪を掻き上げ振り返り、のたまった。
「腹が減ったな。女、食うものを寄こせ」
*
それから嵐が通り過ぎていったような無残な状態の部屋の中をテル君の力(人外様の異能の力ともいう)で片付けてもらい、その間に私はまた近所のスーパーへと走り食料を調達した。雨雲の去った夜空には控えめな星達がほっとしたように小さく瞬いていた。
「ユイネのおかげで何とか破綻の危機は避けられた。一時的だけどね」
ありがとう、とテル君がまた私に微笑んでくれる。その笑顔を向けられるだけで、こんな私でも役に立てて良かったと思えてしまう。エンジェルスマイル。
テーブルには唐揚げやらポテトサラダやらのお惣菜やおにぎりがずらりと並んでいてとっても賑やか。
「でもなあ。ガルクループに戻るのにはまだ力が足らない」
「え。そうなの?」
「うん。全然。本来の守り人としての力の五分の一も戻ってないよ。……どうするつもりなんだろ」
猛然と料理をもぐもぐ食べ続けている人外様に視線を向ける。私はピザで学習をしていたので、自分の分はあらかじめ手前にとっておいた。テル君といえば、ペットボトルのお茶をちょこっと口にするだけ。食べなくても良いのだそうだ。便利かもしれないけれど、ちょっと寂しいと思ってしまう。食べる喜びって、幸せに生きていく上で、とっても大きな割合を占めている。
「でも早く帰らないといけないんでしょう?扉も守らなくちゃいけないもんね」
「ああ、扉なら大丈夫。がっちがちに固めて来たから。だけど早いとこ何とかしないと……」
「あっ! そういえば私、お守り……じゃなかった、漆黒の珠、どこに置いたっけ」
すっかり忘れていた。たしか両手でしっかりと持っていたはずなのに、いつの間にかなくなっていた。どうしよう。大事なものなのに。
「あれは俺の中だ。ヨーコがいなければ意味がない」
人外様はぶっきらぼうに告げ、ペットボトルに口をつけてごくごくとお茶を飲んだ。私はぼんやりとその姿を眺めて、急に泣き出しそうな程心細くなってしまった。
あの黒くてまん丸の不思議な石。あれは確かに人外様のもう一つの命で、魂の伴侶であるお姉さんが持つべきものだった。だけど……。
5歳の時からずうっと、お守りとして肌身離さず持ち歩いていた私としては、やっぱり寂しい思いもある。分かってる。仕方のない事だ。
「とりあえずしばらくは、ここにいるしかないな」
……い、いま何と? あまりの事にぽかんと口が開く。
「いざとなればこいつから気を得るとしてだな」
鋭い黒の瞳。彫の深い顔立ち。うーん、と口元をとがらせて思案している人外様。私の事情や心情やらをそっちのけで、考え込んでいる。
「とにかくヨーコを見つけ出さない事には……」
「あ、あの。ちょっと待ってください。そんな、困ります」
鋭い視線が突き刺さる。人外様は無言で睨みつけ、黙れオーラを放ってくるが、ここは私も踏ん張りどころだ。頑張れ、私。
「もう珠もお返ししましたし、気も送りましたよね」
「それで済むと思うか、女」
「女って言うのやめてくださいっ」
「ユイネ!」
ひいい。こ、怖い。
「お前に口応えする権利はないっ。何故か分かるか」
ぶるぶると首を左右に振った。
「俺が神だからだ!」
な……なんですと!?
「ヨーコを探すのを手伝え。お前も当事者の一人だろうが」
ふぬ、と鼻から息を吐き出して、この上なく不遜で短気なかみさまは私にぐいと人差し指を突き付ける。その勢いに気押されて、う、と身を引いた。
「良いか、拒否する事は許さん。世界がどうなっても良いのか!? 頭から食われたいか!? その覚悟があるんなら、いやだと言え!」
それからテーブルの上のおにぎりをむんずと掴んで口の中に放り込んだ。
あ、私のおにぎり……。
あわあわとする私の手の上に、テル君の綺麗な手がそっと重なる。
「これからよろしくね。ユイネ」
ああ……そうだったのか。
この微笑みに、騙されてはいけなかったんだ……。何て事。
目の前の照明がすうと一段暗くなったように感じたのは、私の気のせいだったのだろうか。
はじめまして。こんにちは。もじといいます。
読んでいただき、ありがとうございます。
不器用な二人の恋のお話、になる…はず。うむ。
ゆるりと進んでゆきます。
感想等くださるととても嬉しいのですが、いかがでしょう?と、聞いてみる。
今後も立ち寄っていただけるとありがたいです。